提督は、自分が寝ていたベッドに戻ると毛布に包まって物思いに耽っていた。
色々と整理しきれない事柄を伝えられたのが主な原因だが、その中でも特に「夏美の左目を移植する」という提案が彼の動揺を大きくしていた。
確かに視力を取り戻せればメリットは計り知れないほど大きい。やはり目が見えないというのが相当な足枷になっているのは事実であり、提督自身も不便だと感じているのだ。そこへ視力を取り戻せる提案が来れば食いつきたくもなる。
しかし、目を提供してくれるのはよりによって彼の許嫁である。「はい、お願いします」と簡単に首を縦に振れるような案件ではない。
「だが、彼女の余命は幾ばくもないだろうに。悩む時間も本来なら惜しいのだが……」
彼は気がついていた。皮肉にも異常強化された聴覚は、少しずつだが確実に弱くなっていく夏美の心音を聴き取っていたのである。命を数多く絶ってきたからこそ分かる、夏美の余命も彼の頭を抱える原因となっている。
心音の弱さから推測して、夏美の余命は残り一週間弱というのが提督の見立てだ。第六感もおよそ一週間と示しているため、殆ど間違いないだろう。それがまた、彼を苦しめる。
折角再会できたというのに、余命は幾ばくもない許嫁。そして自分はその姿すら見れない。もしかしたら見ることは出来るようになるかもしれないが、そうすれば愛する人の死を見届けなくてはならない。
凄まじい葛藤が、提督の脳内を疾風のように駆け抜けていった。
悶々と悩み続ける提督が毛布に潜り込んで尚も思考を巡らしていると、不意に扉がコンコンと控え目にノックされた。
「開いてるぞ」
「失礼します。提督、お夕食を持って参りました」
「鳳翔か。すまない、手数を掛ける」
「いえ、好きでやってることですので」
ニコリと微笑んで提督の手に夕食が乗せられた盆を渡したのは鳳翔だ。彼女もまた、提督とは長い付き合いである。大和撫子という文字を体現したかのような振る舞いを見せる鳳翔に、提督も特に信頼を寄せている艦娘の一人だ。
全盲でも、大して問題ないように箸を扱う提督を、鳳翔は優しい微笑みで見守る。
今日の夕食は、一味違うのだ。
「これは、鮎の塩焼きだな? それにこの味噌汁。何時もとは違って出汁が煮干しじゃないか。これはもしかして……」
「そのご想像通りですよ。これは、夏美さんがつい先ほど厨房に立って作った物です」
「道理で懐かしい味なわけだ。五年ぶりにこの味を口にしたよ」
悲しくも嬉しそうに夕食を口に運ぶ提督。その目から流れるはずの水滴は、残念ながら血の混じった涙であったが。
ゆっくり噛みしめたことで、何時もの三割増しで完食した提督は、夏美が彼に向けて送ったメッセージを理解して一人頷く。
自分に残せる物は左目しかない。料理はこうしてすぐに消えてしまう。思い出もまた、何時かは忘却の彼方へ追いやられてしまう。しかし左目なら、提督が生きる限り残り続ける。
そんなメッセージを受け取った提督は、早速明石の元へと向かうのだった。
───────────────────
夏美が大湊鎮守府にやって来てから二日が経過した。提督は明石に夏美の左目を移植する旨を伝え、彼女にその準備を始めさせている。移植日は翌朝からだ。
提督は、大本営に「目の移植手術をするから数日は休みを取る」と電文を送って昼過ぎに執務を終了させた。他の執務も一応残ってはいるのだが、其れ等は全て丸投げ状態だ。
「手術前なんだしゆっくりさせてもらおう」という提督の鶴の一声によって決まったので、憲兵は未だ困惑している。
「HEY提督ゥ! いよいよTomorrowネー!」
「ああ。漸く、君たちの姿を見れると思うと楽しみだ」
「それなら明日は、気合! 入れて! おめかしをしないとですね!」
「は、榛名は……大丈夫です。恥ずかしいですが……」
「私の計算によると、提督が歓喜の気持ちを得る確率は99%ですね」
現在、提督は金剛型四姉妹とお茶会中である。元気いっぱいの比叡。恥ずかしがり屋だが謙虚で素直な榛名。艦隊の頭脳と名高い霧島にネームシップの金剛と非常に濃いメンバーだが、提督は純粋にお茶会を楽しんでいる。
ちなみに提督は和食派だが、別に洋食も普通に食べられる。作られた物は必ず完食するという信念を持っているため、比叡カレーでぶっ倒れることもしばしばだが……。
「……お、金剛。茶葉変えたのか?」
「そこに気がつくのは流石ネー! 折角なのでブリテンから新しく買った茶葉デース!」
「なるほど。前のも美味かったが、こっちは後味がスッキリしてるな。これはこれで美味い」
「紅茶のことが分かる提督は大好きネー!」
平然と腕に抱きつき、ついでに形の良い双璧を押し付ける金剛を提督は特に咎めない。目が見えないため視覚的に困らないのもあるが、彼は恋愛感情を全力で封じ込めた猛者なので女性に抱き付かれても大きな反応を見せないのである。
それも今日で終わる可能性があるため、可愛げのない提督を見納める(予定)の金剛は一層強く抱き付く。それに倣って榛名も控え目ながら金剛とは逆の腕に抱き付き、比叡も背中に回り込む。唯一、霧島だけは変わらずに紅茶を飲みスコーンを美味しそうに囓る。
「あの、提督。視力が戻ったら最初に何をするんですか?」
「そうだな榛名。まずは、皆の顔をじっくりと見たいかな。なんせこの目だからどんな顔をしているのか知らないんだ」
「え、と。あまり長くは見ないでくださいね。皆きっと困っちゃいます」
「無理だな。今からとても楽しみなんだ」
「そんなぁ……嬉しいですけど、やっぱり緊要します……」
「明日中に終わるかは分からないけどな。まあ、目が覚めたら真っ先に全員の顔を見に行くよ」
手術自体には当然不安もある。他人の、しかも深海棲艦の左目を移植するというのは前例がない。楽観的な気持ちよりは恐怖や不安が勝っている。しかし、それでも提督は移植という道を選択した。百の苦しみと一の幸せを取る。それが八雲聖という人間だ。
金剛たちと「絶対に見に来てくれ」という約束を交わした提督は場を立ち去ると、その足で武道場へ向かった。
武道場には数人の艦娘が互いの武器を打ち付け合っている。砲雷撃戦が主な戦闘手段ではあるが、いざという時は提督のように超至近距離の戦闘を繰り広げることもある。備えあれば憂いなしということで、近接格闘術はこの鎮守府では必修科目である。
「ああ、君も来たのか」
淡白な様子で提督を迎えたのは伊勢型航空戦艦の二番艦日向だ。水上傑作機の瑞雲を愛している彼女だが、鎮守府内では提督に次ぐ剣術を使える屈指の強さを持った艦娘である。流石に提督には敵わないが、それでも十分すぎるぐらいの力を保持していると言えよう。
ちなみに次点に来るのは天龍型軽巡洋艦のネームシップ天龍だ。彼女もまた、非常に卓越した剣術を扱える。しかし日向と二人がかりでも提督には指一つ触れることが出来ないのだから如何に提督がずば抜けているかが分かる。
「盲目なのも今日で最後かもしれないからな。この感覚でもう一度だけ剣を振っておきたい」
「君がそう思ってるなら止めないさ。ただ……君に視力が戻ったらもう絶対に届かない領域に行ってしまうのかな」
「それはどうだろうな」
日向の推測は正しい。提督には全盲という大きなハンデが一応あるのだが、それでも指一本触れられないのだから、彼の視力が片目だけでも戻ったらとんでもない強さになるのは明白だ。
「折角だし、最後にもう一度手合わせしてくれないかな。この状態の君の剣術をこの目に焼き付けておきたい」
「勿論構わないさ。日向の実力がどこまで上がったのか、私も確認しておきたい」
「まあ、この鎮守府に君以上の技量を持つ者はいない。他の艦娘には勝てても、本気の君ににはとても敵わないさ。それでも……」
ガキンッ!!!
「ッ……」
「……こうして剣を交えたい私はある意味狂っているのかもしれないな」
奇襲とばかりに殺気すら見せず剣を提督目掛けて振り下ろした日向だが、焦りの顔すら見せない提督の抜いた剣によって受け止められた。超神速の抜刀術だったため、後から豪風が吹いて近くで鍛錬していた艦娘が悲鳴を上げる。
軽く手首を捻って日向の剣を受け流した提督は数十歩後方へ飛びながら彼女の剣を弾く。日向はそんな提督が地に足を付ける前に斬りかかった。
縮地並みの速度で詰め寄る日向の一撃は非常に重たい。更に艦娘は普通の人間より遥かに力が強い。普通に受け止めれば簡単に腕が折れるだろう。
しかし、そこは提督クオリティだ。
切っ先を受け止めるとすぐに腕を斜め下に降ろして勢いを完全に殺し、峰で日向の剣の柄を殴って握る手を振動でマヒさせた。
「三刀一閃」
「ぐぅ……!」
「ふむ。マヒした腕でそこまで動かせるのは感心だな。だが……!」
床が凹むほどにまでに提督は踏み込むと、反応しきれない日向の持つ剣を自分の持つ剣をまるで蛇のように絡めるとそのまま彼女の手からスルリと抜いてしまった。
名前は蛇鎖。相手の武器を手から落とすためだけに特化した剣術である。
「まだ甘いな」
「……君に甘いと言われるうちは成長の余地が残っていると思っておこう」
「好きに思うと良いさ。だが、三刀一閃を何とか受け止められたのは流石だ。これまで受け止められたのは夏美だけだから、誇ると良い」
「そうか。そう言うなら、一生の宝物としておこうか。私は君の剣術の一端を受け止められた、とな」
「ああ、誇っておけ。世界で二人目なんだからな」
夏美は八刀一閃までなら余裕を持って受け止められる。限界は拾弐刀一閃だ。そこまで行くと流石の夏美も受け止めきれない。ここまで彼の本気を引き出せるものは夏美だけと言っても良いだろう。ちなみに提督が本気を出せば弐拾刀一閃までなら使える。
そんな提督の剣術を、一端とはいえ受け止められた日向は称賛されえるべきである。提督もそれを分かって最大級の誉め言葉を投げかけている。
滅多にない提督の賛辞に、日向は少し顔を赤らめた。が、すぐに平静を取り戻すと彼女は「手術頑張ってくれ」と伝え、自主鍛錬に戻った。
その後、少しだけ鍛錬の様子を見てから提督は中庭に出た。
そこには……。
「あら、クソ提督」
「珍しいね。中庭に来るなんて」
曙と時雨がベンチに座って読書をしていた。
提督は軽く微笑むと、彼女たちが座るベンチの隣に腰を下ろす。他所の鎮守府では見られない、曙と時雨が隣り合わせに座って読書をしている様子は一部界隈を賑わせるような絵面である。
「二人ならここでゆっくりしていると思ったんだよ。予想は大正解だ」
「ふうん。で、翌朝に手術を始めるんだっけ?」
「そうだな。明日いっぱいはかかるんじゃないかな?」
「……僕、ちょっと心配だよ」
「なに、明後日には何時ものように元気な顔を見せるさ。そんなに心配するな」
肩に乗った小鳥のさえずりを聞きながら、提督は努めて軽い調子の言葉で時雨を安心させる。なお、この二人は、夏美に「目を移植することを何とか了承させてほしい」という願いを聞かされていたのだが、提督が即決してしまったので肩透かしを食らっている気分で若干複雑だったりする。
もっとも、曙も時雨も提督の視力が戻ってほしいと心から願っているため、夏美からお願いされなくても懇願するつもりだった。
「目が見えるようになったらこれまでのように書類を点字に直す必要はなくなるわね」
「ああ。片目しか使えないから疲れやすくなるとは思うが、それでもこれまでの数倍の書類をこなす事が出来るだろうな」
「これまで捌いてた書類の量もバカにならないのにもっと増やすの? 提督は相変わらずだね」
「お偉いさんにはバカにされてるから見返すには丁度いい機会なんだよ。頭がお花畑な連中はまず見かけで提督の器量を判断する。その工程で障害があると分かれば叩きたくもなる。流石にそれを聞き流せるほど私は強くないさ」
「最前線に立っているアンタを見た目だけで判断している上層部には反吐が出るわね。ま、昔から上層部なんて変わらないけどさ」
「曙が言うなら間違いないだろうな」
フッと笑みを零す提督。彼の顔は夕日に照らされ、とても魅力的な様子である。曙と時雨の心臓はドキリと跳ね上がり、頬が夕日にカモフラージュしていく。何処か儚い表情の提督は、二人の好感度を更に上げていくだけであった。
「……なあ、二人とも。外の景色は綺麗か?」
「へ、へ? 外の景色って……この夕焼け?」
「多分そうだよね。うん、とても綺麗な夕焼けだよ。提督にも見せてあげたい」
「そうか、やっぱり綺麗なんだな。そんな景色を、明日以降から見れるかもしれないのか」
ベンチから立って夕焼けが見えるであろう方を向き、顔の前に真っ直ぐ手を伸ばして光を握るようにする提督。目には映らない光を掴みたい。そんな願望が見え隠れする彼の行動に曙は思わず質問した。
「怖くないの?」と。いきなり視力が戻るのは怖くないのかと彼女は聞いた。これまでしてきた生活がいきなり変わってしまうのは恐怖を感じないのか。それでも本当に手術を受けるのか、と。
「こんな質問するのも悪いけど……でも、如何しても気になって。気を悪くしたらごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。気になったなら仕方ないだろう」
「確かに怖いな」と前置きをして、提督は質問に答えた。怖いという感情は確かにあるのだが、それ以上に全盲の自分を見て悲しむ夏美を見たくない。これ以上悲しませたくない。だから手術を受ける。
勿論、それだけが理由ではない。これまで顔を知らなかった艦娘や鎮守府をしっかりと見てみたいし、何より書類の文字を点字に一々直す作業を艦娘にやらせたくない。
「こんなところ、だな。自分本位な理由ばかりで申し訳ないけど」
「……何処が自分本位な理由ばかりよ。このバカ」
「提督は、やっぱり優しいんだね」
「優しくなんかないさ。自己満足のために手術を受ける私より優しい人は幾らでも居るよ」
そう言い残して提督は立ち去った。
曙も、時雨も、それぞれ一つの大きな決断をした。
「提督が帰ってきたら、この想いを彼に真っ向からぶつけよう」
と。そして、鎮守府に所属するほぼ全員の艦娘が同じ決断をしているのであった。
───────────────────
翌朝になり、早速手術が始まった。
提督と夏美は手術開始前にほんの一瞬だけ顔を見合わせてから頷き、そしてそのまま全身麻酔によって意識を闇の中に落としていった。
執刀をするのは明石と凄腕の軍医である。成功確率は七割ぐらいである。手術内容は非常に単純だ。提督と夏美それぞれから左目を摘出し、夏美の左目を提督に移植する。そして夏美の目には義眼を埋め込む。そんな手術だ。
所要時間は大体一日必要かどうか、といったレベルだ。かなりの大手術には間違いないため、本日の鎮守府はお休みである。艦娘はそれぞれの部屋で一日待機だ。唯一、秘書艦である時雨と加賀は執務室で作業をしている。
その二人は現在、外に集まった人間に頭を抱えている。
「一体どこから情報が漏れたんだろうね……」
「漏れた物は仕方ないわ。ただ、あの内容は頭に来ますね」
「人類の敵である深海棲艦を匿った提督を出せ、だっけ? 物理的に不可能なんだけど」
そう。外には、提督がヲ級を匿っていると聞いて押しかけてきた人間が集まっているのである。全員が何かしらの武器を手にしているのが厄介だ。
そもそも提督とヲ級は現在手術の真っ最中である。出せと言われても不可能だ。それを知っているわけがないので仕方ないと言えば仕方ないのだが……。
「憲兵さんが今は何とか抑えてるんだよね? でも、それも何時まで持つかな」
「人間相手に手を上げるのは流石に気が引けるのよね。こんな時、提督が居ればあっという間に片付くのですが……」
そんなことを加賀が呟いたその次の瞬間である。
バンッ!!!
「し、時雨殿! 加賀殿! 一大事でございます! 暴徒と化した集団が憲兵隊と交戦を開始しました!」
通信役の憲兵が走り込んできたのは。
次回予告
衝突する暴徒と憲兵。しかし数の差は歴然で遂には鎮守府内に侵入を許してしまう
各個迎撃に当たり、何とか対抗していく艦娘たち
「負けてらんないのよ! アンタたちみたいなクソ野郎に!」
「ここは譲れない。提督をやらせはしない!」
漸くの思いで手術室に辿り着いた暴徒。しかしそれを出迎えるのは、手負いのヲ級だった
それすらも数の暴力で突破し、手術室の扉に手を掛ける。そして提督を殺そうとした、その瞬間……
「……貴様ら。私の大切な家族に何をした?」
鬼神は目を覚ます――。