盲目の提督と艦娘の物語   作:Hetzer愛好家

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早速評価が来てビックリしました。前回を投稿したときは評価バーに色すら付いてなかったのですが、多分この二日間ぐらいで一気に六つぐらい評価が新たに来たと思います()


第八話

クルリと後ろを向いた提督は、誰にも声を掛けることなく鎮守府へ入る。その後を慌てて艦娘が付いていくが、何故だか近付きにくい。

 

それもそのはず、提督の顔に流れる液体が雨粒だけではなかったからである。手術からそこまで時間が経過していないからだろう。彼の瞳からは、血の混じった涙が流れていた。

 

お通夜にも近い異様な雰囲気。それを気に留めない提督は何処を目指しているのか。

 

そんなの決まっている。夏美の元だ。

 

時雨と明石の手によってひとまず鎮守府の入り口近くにある医務室のベッドに寝かされた夏美の顔色はこの世の者とは思えぬほど青い。しかも指先がホロホロと雪のように崩れ始めていた。

 

「……夏美」

「聖くん、か。……ごめんなさい、もうダメみたいだよ」

「そう、か」

 

提督がヲ級の姿を見るのは初めてである。彼からすれば初対面の女ということになる。しかし、長年の勘なのだろうか。彼は目の前に横たわる女が自分が愛した女であるとしっかり認識していた。

 

遠からずやって来ると知っていた、夏美の身体が自壊する日。その日はあまりにも早くやって来た。

 

何時かは来ると覚悟していたからか、提督の心が受けたショックは比較的小さい。だが、それでも左目から流れる血涙は止まらなかった。

 

それに気がついたら夏美は、彼の頬に手を当てて涙を拭う。その手も雪のように形を崩していくため、彼の涙が止まることはなかったが。

 

「見えてる?」

「見えてるよ」

「そっか。手術、ちゃんと成功したんだ」

「悲しいぐらい完璧にな」

「ほら、泣かないで。聖くんが泣いてたら、私も安心して逝けない」

 

形状崩壊は止まらない。ベッドに雪が積もるようにハラハラと破片が散乱し、それが進む毎に夏美の心音は弱くなっていく。

 

変えることが不可能な事実。そうだとしても、提督は心の何処かで「きっと助かる」と思ってしまう。視力が失われた状態なら心音の強弱で単に「死んだ」と割り切れてしまうが、こうして見えてしまうと死ぬ前にしては魅力的すぎる笑顔が目に入ってしまうため、どうしても信じられなくなる。

 

「分かってるんだ。君の命の終わりがもうすぐなのは、分かってる。だが……」

「……うん。視界があると信じにくい、か」

「……再会してすぐに、こうして君と別れなくてはならないとは何という皮肉なんだろうな」

「また出会ってしまったこと自体が皮肉なのかもね。貴方と再会できたこと。そして視力が戻ったことを私は嬉しく思う。でも同時に、再会したが故に必ず避けては通れない“別れ”が私はとても悲しい」

 

二人の思っていることは悲しいぐらいに一致している。それが一層、別れたくないという気持ちに拍車をかけた。

 

しかし、時の女神というのは残酷なものだ。夏美の死を少しでも遅らせるという形で慈悲の手を差し伸べることはない。手の形は完全に崩れ、提督の手を掴むものもなくなる。慌てて彼は夏美の腕を優しく掴むが、それもゆっくりと崩れていくため長くは掴んでいられなかった。

 

血涙が止まらない提督を、ひどく優しい顔で見つめる夏美。あまりにも対極的な二人の姿が見守っている艦娘の涙を誘う。

 

「ねえ、約束して?」

「……確約ではないが」

「それでも良い。それに貴方の言う『確約ではない』が本当はどんな意味なのか。それを私は知っているから」

「そうかい……」

 

笑みを深くする夏美に悲壮な面持ちの提督。もう撫でることはできなくても、夏美は腕を上げて断面で彼の頬に触れる。

 

「私の事を覚えてくれるのは嬉しい。大切に思ってくれるのも嬉しい。でも、これからは引きずらないで貴方の事を心から思ってくれる人と一緒になってよ」

「他の誰かと、か」

「ここには貴方の事を心から思ってくれる人が沢山いる。その人たちの思いを受け止めてあげて。これまで支えてくれたんでしょう?」

 

艦娘と幸せに暮らして欲しい。出来るなら時雨や曙と結ばれて欲しい。それが彼女の最後の願いだ。

 

悔しいが、自分は提督の運命の人ではなかった。その事実が彼女の心を蝕んでいくのが普通なのだが、それ以上に提督の事を思う気持ちが強く妬みや恨みをも乗り越え、純粋に彼の幸せを願う。

 

「……それこそ確約できない。第一に俺はまだ、やる事がある」

「分かってるよ。だから、貴方のやるべき事が全部終わってからで良い。それに私は貴方がこれから何をしようとも文句は言わないし否定もしないよ」

「それが人殺しだとしても?」

「貴方が人を殺めるのは誰のためなのか。それを知っている私が否定すると思う?」

「……相変わらずだな」

「貴方の思うように進めば良い。既に一度死んで、これからまた死ぬ私が否定することは何もないよ。死人に口なしとも言うからね」

 

頬に触れていた夏美の腕も粉雪のようにベッドに舞う。残っているのはもう胴体と顔だけだ。脚も腕と同じく崩れており、達磨のような状態である。

 

それでも悲壮感を一切感じさせないのは彼女の笑顔と優しい声の御蔭だからだろうか。

 

むしろ悲壮感を感じさせるのは提督の方かもしれない。痛々しい血の涙跡と、血が滲むほど握り締められた左拳。そして肩を震わせている様子は誰が見ても「悲しいに違いない」と分からせるものだ。

 

ついさっきまで、鬼神のように人間を殺戮して平然としていた提督の面影は何処にもない。迷子のような表情を浮かべている提督を見て、きっと誰しもが提督も普通の人間なんだと感じるだろう。

 

「ねえ。ぎゅって抱き締めてくれないかな」

「……こうか?」

 

夏美の身体を抱き上げる提督。その手つきは非常に優しい。

 

夏美はクスリと笑って提督の事を見上げた。これから死ぬ者とは思えない純粋で真っ直ぐな瞳で提督を見つめる。その顔はあまりにも綺麗で、そして儚くて。死の間際の人間を見てなんてこと考えているんだと自己嫌悪しながらも、提督は夏美の顔から目を逸らすことが出来なかった。

 

頬もハラハラと雪になって落ちていく姿でさえ、今は美しい。そう提督は感じた。

 

触れたら壊れてしまいそう。そんな笑みを浮かべて、夏美はヲ級としての声ではなく夏美本来の声帯で声を残す。

 

ハッとした提督は、夏美の事を強く抱き締めた。

 

「何時までも変わらない貴方で居てね」

「……ん」

「私の事、忘れないでね」

「……ああ」

「幸せになってね」

「ああ」

「お嫁さんを沢山愛してあげてね」

「んぐっ、それは……」

「長生きしてね」

「……もちろんだ」

「大好きだよ」

「ッ、それ反則」

「ふふ、ごめんね。でも、これでもう最後だから……」

 

うっすらと夏美の目に涙が浮かぶ。提督の目からは紅い雫が落ちる。

 

夏美が提督に伝えたい言葉は数知れない。これでもまだ言い足りない。もっと話したいし、もっと肌に触れていたい。そしてそれは、一番近い距離に居た提督も同じ気持ちであった。しかし、時間の神様はそれを許してくれなかった。

 

壊れるぐらい強く夏美を抱き締めた提督は、崩れていく胴体と頬が生み出す雪を掴む。その雪は掴んでも掴んでもすり抜けてベッドに落ちていく。

 

夏美は崩れ行く顔で最高の笑顔を作る。目を細め、涙を零し、それでも笑顔だけは崩さなかった夏美の顔はほんの一瞬だけ形が変わった。

 

強烈な既視感に目を丸くした提督に送られた言葉は、これから永い人生を過ごさなくてはならない彼が一生忘れない言葉でになった。

 

「貴方の心に降る雨が、何時か止みますように」

 

提督が何か声をかけようとした時にはもう遅かった。

 

まるで風が吹いたかのように、夏美の身体は雪となってベッドに落ちてしまった。

 

 

ザァザァと降っていた時雨がピタリと止む。空からは沈みかけの夕日と夕焼雲が現れる。

 

夕日は優しく、そして残酷に鎮守府を照らす。医務室も漏れなく照らし、優しく、哀しく提督を包み込む。そして、現実を無情にも照らし出す。

 

 

鎮守府内に一つの慟哭が響き渡った。

 

 

壊れたように「夏美」と名前を呼び、ベッドに散乱した雪を掬い上げては握り締めて涙を流す。そんな提督の姿を見て艦娘たちも涙を零した。

 

 

夕日が完全に沈むまでの間、悲痛な慟哭が止まることはなかった。

 

───────────────────

 

ひとしきり泣いた空は、今では憎らしいほど晴々としている。雲一つ見当たらず、そこかしこに星が煌めき月が暗い夜の海を照らす。

 

時雨が降る初冬なだけあり、夜の空気はピリッと刺すような冷たさを持つ。空に輝く星々は、乾燥した空気によって普段の三割増しで明るく綺麗に光っていた。

 

提督は鎮守府近海に特製ブーツを履いて空を見上げた。

 

「あれがオリオン。そして大犬と子犬。牡牛はそこで、双子は……」

 

指で星座をなぞり、一つずつ名を上げていく。実に五年来に見上げた夜空の星々は、最後に見たときと何一つ変わっていない。

 

変わっているのは、星座の名を声に出す提督の隣に夏美が居ないことだろう。

 

夏美は星空が好きだった。よく夜に提督を連れ出しては遅くまで空を眺め、肌寒さを防ぐために抱き合いながら星々に願いを口にしていた。

 

潮風が吹き、提督は身を震わす。昔と今は違う。肌寒さを防ぐために抱き合うことはもう出来ない。

 

「……悲しいものだな。永遠の別れというのは」

 

ポツリと呟いた提督の声は波音に掻き消される。空を見上げて星を眺めても、懐かしい星座の名前を声に出しても、寂しい思いは一向に晴れることはない。

 

心ここにあらずという状態だったからなのだろうか。提督は、自分に向かって二つの気配が静かに近付いてくる音にすぐには気がつかなかった。気がついたときには、もう手が触れられる距離であった。

 

「クソ提督。まだ外で星を見ていたの?」

「このままだと風邪引いちゃうよ」

「……曙。それに時雨か」

 

声質。そして口調から何となく名前を言い当てた提督は星空から目を背けて振り返る。

 

曙と時雨は、何時までも帰ってこない提督を心配して足の艤装だけ装着し外に出てきたのである。その二人は後悔していた。提督の視力が戻るようにと願ったことを。

 

超然とした提督の精神力があったので壊れるという最悪な事態こそ避けられたが、それでも提督が傷付いたには違いない。

 

ずっと、彼が慟哭している間彼女たちは心の中で謝っていた。

 

ごめんなさい、と。

 

後悔していた。

 

目覚めさせるべきではなかった。世界を見せるべきではなかったと。

 

運命を呪った。

 

彼が提督になってしまったことを呪った。艦娘が生まれてしまったことを呪った。

 

深く願った。

 

もう提督が傷付いてほしくないと。

 

しかし同時に察していた。

 

世界で一番優しい提督は、きっとこれからも夏美のために自分を傷付けると。自分たち艦娘のためにも己を切り刻んでも止まらないと。

 

「ねえ、提督。これからの予定は?」

「……鎮守府を片付けたら、深海棲艦の本拠地を目指す。ヲ級の目を移植されたからなのか、感覚的にだが場所は分かっているんだ。そこを襲撃して、まずは夏美をヲ級に変えた深海棲艦を統率する人間を殺す」

「で? クソ提督の事だからその後にも何かするんでしょ?」

「統率する人間を殺せば、深海棲艦が絶滅するのも時間の問題だ。だが仮に深海棲艦が絶滅すれば、その後に間違いなくやって来るのは人類同士の覇権争い。それを全人類が滅びることになるとしても私が止める。静かな海を取り戻すためにも、私がやる」

 

並大抵の決意ではない。復讐の道を進むということもそうだが、何より人類を滅ぼしてでも争いを止めるという尋常ならざる決意を固めていたのだ。

 

だが、非常に固い決意をしたのは曙と時雨、そして彼の元に集まる艦娘全員も同じだった。

 

「そう。なら、アタシも手伝うわ」

「僕も。提督に付いていく」

 

提督は「無理するな」と言おうとした。しかし、それは二人の言葉によって遮られる。

 

「アンタが行くならアタシも行くから」

「貴方が逝くなら僕も逝く」

「……そう、か」

 

最後の時まで付き合う。地獄の底まで付き合う。二人の言葉が提督の心に刺さる。

 

「艦娘って適切な整備をしていれば永遠の時を生きられるらしいのよ。だから、アンタが死ぬでの百数年は全て捧げるつもりだから。もし深海棲艦の目を移植したことで寿命が延びたなら、その年数だけ付き合うわ」

「曙……」

「僕も、そして鎮守府に居る艦娘全員がそう思ってる。提督と、この憎たらしいほど永い命が果てるその時まで一緒に生きていきたい」

「時雨……」

 

提督は苦笑する。どうやら自分は思っている数百倍は大切に思われていたらしいと知り、苦笑しか零れ落ちないのだ。

 

覚悟は受け取った。ならば自分もそれ相応に応えよう。それが提督の出した答えである。

 

言葉は出さず、しかし力強く首を縦に振る。

 

決意を宿したからなのか、提督の左目は神々しい蒼色に輝くのだった。




提督vs深海棲艦vsその他の人類という構図です。ちなみに今回で初回の冒頭部分を回収してます。台詞回しは多少変えてますが、大体同じニュアンスの言葉を選択したつもりです。
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