一寸の虫にも五分の魂と言う。
ならば、渦巻状の上昇気流に魂が宿ろうとなんら不思議ではない。
それは積乱雲より生まれ出た一本の竜巻であった。言い換えるところのトルネード。台風やハリケーンなどと混同されやすいが実際別物である。
《やべぇ、竜巻になっちまった》
竜巻には人の意思が宿っていた。その意思は元は人間のそれであった。
彼は思う。子供の頃より破天荒と言われ続けてはいた。されどよもや破天荒そのものになってしまうとは。
いやはやこれはなんとも――
《目が回りそうだ》
ナイスな比喩である。
竜巻は冷たい下降気流と暖かい上昇気流の衝突地点(ウィンドシアと呼ばれる)に生まれることが多いが、その衝突地点に発生した気流の渦が何故これほどの規模に発達するのかは気象学でも実際よくわかっていない。そう、つまるところ何処とも知れぬ人間の意志力によって渦が竜巻と化しているという可能性も十二分にありうるのだ。
彼は周囲を見渡す。辺りには海原が広がっていた。つまるところ、己はいわゆる
《しかし、これからどうしたものやら》
問:竜巻に生まれ変わったら何をする?
至上の賢人であっても答えに窮する難問であろう。一昼夜かけたところで回答が出せるかどうか疑がわしい。
されど、竜巻はあくまでも突風の一種である都合、低気圧帯そのものである台風などと違って寿命が短い。竜巻の発生メカニズムや中心気圧等に関して詳細が判明していないのもその発生時間の短さが理由の一つである。
つまり、このままでは竜巻としての彼は多分死ぬ。そう、生きた証など何も残せぬまま……。
《コップの中の嵐、ってな……》
なかなか冴えた辞世の句。それはそれとして徐々に薄れていく彼の風速および意識。
ああ、なんと無為なセカンドライフであろうか。このままサードライフに突入してしまうのか。
そう思われた、次の瞬間。
「ドラゴォオオオオオオオオオン!!!!」
竜の咆哮が鳴り響いた。
竜――そう、竜である。
なぜいきなり竜が? 竜巻はともかく、竜が常識的に存在してよいのか?
そう思われた読者の皆様方には説明が遅れたことを謝罪しよう。ここはいわゆるところの剣と魔法のファンタジー世界。科学世界の常識に囚われぬ混沌の巷であり、幻想生物が我が物顔で闊歩する修羅の世である。
この竜は、そんな幻想生物の一種であった。体長は四十メートル。竜巻の彼と比せるほどの巨躯である。
竜はその口に紅々と炎を宿す。肌なき竜巻の彼にもその恐るべき熱量が感じ取れてしまうほどの業炎。それは竜の顎の内でぎゅうっと収束し――海面に向け、放たれた。
爆ぜる海。噴水のごとく巻き上がり、滝のように落ちていく大質量の水。
竜巻の彼の体が一瞬揺らいだ。恐るべき破壊力に、彼の背筋が凍りつく。
されど、巻き上げられた水の中、悲鳴を上げる生物を見て、彼は思わず声を漏らす。
大きな、魚に似た姿。黒光りするヒレに、無数の牙を宿す顎。
そう、竜と並んで有名であろう幻想生物の一種――サメである。
なぜいきなりサメが? 竜はともかく、鮫が常識的に存在してよいのか?
読者の皆様方がそう思うのもごもっともであろう。サメと言えば海を泳ぎ、地を駆け、空を飛び、宇宙を舞う、おそらくは人類が最も畏怖するであろう幻獣である。
そのサメが、竜に蹂躙されている――まるで魚類のように。
竜巻の彼は憤った。何より許せぬのは、その竜がけらけらと火を吹いて笑っていることであった。そう、あの竜にとって、これは狩りですらなかったのである。
命を弄ぶその所業、許してはおけぬ。竜巻の彼は唸りを上げ、己の身に吹き飛ばされたサメを受け止めた。
「シャ、シャーク……」
弱々しい声でサメが感謝を告げる。その痛ましい姿とつぶらな瞳に、彼はさらに風速を上げていく。
元より、竜巻とは強い意思の力によって小さな渦が巨大な螺旋の力を得たもの。ならば、例え衰えていくことが宿命づけられていようとも、意志力さえあれば命をつなぐことは不可能ではない。要は気合である。
彼は竜を討つことを決めた。
自らが巻き起こす風を真空の刃に変え、眼前の竜を斬り、射り、穿つ! 弾け飛ぶ竜の血、そして鱗!
竜は痛みに悲鳴を上げた。そして、おのれ自然現象ごときがと吠えた。
吹き荒れる炎のブレス。竜巻の彼の一部が弾け飛ぶ。災害に匹敵する凄まじい破壊力。衰える風速。されど意思の力を吹かし、風速を上げて腕を振りかぶり、殴る! どこが腕かは不明であるが、とにかく突風により竜の総身を衝撃が襲う!
しかし! 所詮は気体、強靭な竜の生命をうち砕くには能わず!
あらゆる国の神話においては古来より『重くて硬いものを勢い良く叩きつけると強い』という伝承が語り継がれる。最新の物理学的に見ても実際正しい。
逆に言えば、竜巻の彼がいくら空気を勢い良く叩きつけようと空気は空気。重くて硬くない。これでは片手落ちである。
やはり、ダメなのか。竜巻では竜に敵わぬのか。
風が揺らぐ。彼の心に諦観が生まれかけた、その時!
「シャァアアアアアアック!!」
自分の内側で叫ぶものがあった。サメだ!
回転を止めかけた彼の体の中を、サメが泳ぐ! 泳ぐ! 泳ぐッ! 増幅される回転エネルギー! サメが竜巻の回転を強め、竜巻がサメの回転を強めるその様はまさしく
十分な回転エネルギーを得た竜巻の上端が冷たい海水を帯びながら天へと伸び、そのままぐるりと先端を下に向けて竜を上から押し潰す!
「ドッ、ラッ、ゴォオオオオン!!」
されど、それを迎え撃たんと放たれる炎! かわせない、直撃だ! 竜巻とサメに大ダメージ!
だが――聡明なる読者諸兄は既にお気づきだろう!
竜巻の彼からさらにヤマタノオロチめいて八つの竜巻が発生する! これによってパワーは八倍! その中を二百匹のサメが泳ぐことによって二百倍! 竜巻とサメの絆によってさらに倍! 攻撃力は8×200×2の3200を超える!
「グ、ガ、ガァアアアアアアアアアアア…………!!!!!」
重くて硬くないものでも、勢い良く叩きつければ実際強い! 渦巻く風と鮫、高き空より舞い降りる究極の一撃! ダウンバースト! これには竜も死ぬ!
かくして、危機は去った。
竜巻だけでは勝てなかった。サメだけでは勝てなかった。両者が合わさったからこそ――打ち破れたものがあった。
戦いは終わるが、雨は止まない。なぜならば、彼らこそがすなわち嵐。おそらくは、これからも波乱と向かい風に巻き込まれ、巻き込んでいくのだろう。
それでも、彼らの通った後に雲は残らない。
生まれた海に晴れ間を残し、竜巻とサメは、世界の果てへと旅立っていった。