”自分が死ぬということを、若いうちから考えないといけない・・・・”
この言葉は、鬼平著者がとあるインタビューの際、著者が若者に向けて、発言した「生きる」上でのアドバイスでの発言である。
とある著書でこの一遍を読み、「生きているのに、死ぬことを考える?何を矛盾したことをいっているのだろう?」と印象に残っている一遍。これは以下にこう続く
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四十年、五十年なんて言ったってあっと言う間だからね。
人生の常識から言っても、一番わかっていることなんじゃないか。自分が、
「死ぬところに向かって生きている・・・」
ということだけが、はっきりわかっている。
あとはわからないんだよ。何がどうなのか。
わかっていることは、自分が死ぬだけ。そこまでの何十年間というのを生きるわけだ。そしたら、どういうふうに生きたらいいかということを、当然考えるようになるわね。
「そんなこと言って、あんた、たまんないでしょう・・・・生きているのが苦しくて」
というわけだ。そういう人もいるんだよ。
だけど、人間というのは、僕なんかそういうことを三日も空けずに考えているが、考えるというよりも、ただ漠然と思っているだけで生きかたが、違ってくるということだよ。
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生きる上で死をほんの少し意識する。これが、人生において大切なことである。
中々難しいことである。そして、話は前後するがこの一遍の前にこんなことを著書は話している。今回は最初に紹介した後半部分がとても印象に残っていたので敢えて先に紹介してみた。
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男をみがくにも、みがき時というものがある。
というのは、自分が苦境に達至ったときは磨かざるを得ないんだよ。
男を磨くか、下へ落っこちちゃうかどっちかなんだよ。
今自分は三十であるとしよう。
「いつまで生きられるか・・・」
ということをまずかんがえないとね。
そこから始まるんだよ、根本は。
三十歳だったら、本当に生きていて仕事が出来るというのは、うまくいっても七十までだね。それ以上生きても、五年か十年でもって結局は、間もなく死ぬわけだから、あと自分が生きていける年数というものは何年か、それをまず考えなきゃならない。それが全部の基本になるんだよ。
われわれの時代というのは二十一、あるいは、十八か十九で、それを考えなくきゃならなかった。ぼくだけじゃなくて、だれしも。
というのは、戦争というものがあって、よっぽどの病人でない限り、戦争に出なきゃならないんだからね。そうすれば、生きて帰ってくる、あるいは戦死するという率は七:三ぐらいかもしれないけど、うまくいって五分五分ですよ。
そしたら一応「死ぬ」ことは考えきゃならないんですよ。
今まで、ぼくがここまで来たのは、やっぱりそれが根底にあって生きているわけ。
ところで、君たち、自分が死ぬということを一度でも考えたことあるの?
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著書のエッセイ集で度々テーマに上がる「人生」のテーマ。
これいがいにも、まだまだ著者独自の人生観に触れられてのでまた別の機会に紹介したい。
「食」・「住」・「男の生き方」様々なエッセイ集で何度も取り上げられる3つのテーマ、次回は「住」について。紹介していきたい