Fate/√knight  【ムラサキノウエ】   作:わが立つ杣

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アインツベルン城外における激戦の翌日。


第23話 ~9日目①~ 「◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆」

 E turn

 

 

 朝になり、玄関を出たオレは正門脇の郵便受けを確認する。

 可能性は高いと思っていたが、そこには一枚の便箋が入っていた。

 宛名は衛宮士郎。

 裏を確認すると差出人を記載する左下には、【穂群原学園弓道部】と書かれている。

 切手は貼ってあるが、消印はない。

 誰かが直接投函したものだった。

 

「良かった」

 

 心の底から安堵する。

 ライダーを助けるチャンスがあるということだからだ。

 逸る気持ちを抑えて、封を切り、中の便箋を取り出した。

 そこには予想どおりの内容が書かれていた。

 

 

 

 今日から学校は再開された。

 まだ、体調の優れない生徒はいるようだが、無理のない範囲での登校が促されている。

 オレは体調が優れないという理由で、休むことにした。

 指定の時間まではだいぶ間があり登校することも可能だったが、今は登校する意味があるとは思えなかったし、出来うる限りの準備をするつもりだった。

 勿論、誰にも手紙のことを伝えるつもりはない。

 葛木も桜も学校に行っており、残っているのはオレとキャスターだけだ。

 昨日は、聖杯戦争に纏わる話を聞いた後、イリヤスフィールを遠坂とアーチャーが教会に連れて行った。

 

「衛宮君。きっとライダーを取り返すチャンスは来るわ。その時のために今は心身を休めておきなさい」

 

 去り際の遠坂の言葉は思いのほか、優しかった。

 そう。チャンスはあるのだ。

 このチャンスをオレは、万に一つも逃すつもりはなかった。

 キャスターは工房で作業をしているようだ。その邪魔をしないように、オレは午前中、道場で鍛錬を続けた。キャスターはオレの体調が本当に悪いわけではないことは、勘付いているだろう。

 その後、少し体調が戻ったことにして、キャスターと軽い昼食を一緒に作った。

 オレはこの時人生で初めて、塩と砂糖を間違えるという大失態を演じた。

 

「落ち着いて、坊や。あなたは、私のお料理の先生なのだから」

 

 キャスターが静かに嗜めてくれた。

 いつもは滑らかに会話をするキャスターだが、今日は極端に口数が少なかった。

 そうだ。落ち着かなくてはいけない。

 

 

 

 その時刻が近づき、オレはキャスターの目を盗んで外に出た。

 勿論、向かうのは手紙で指定された場所だ。

 その場所は、間違っても迷ったりするような目的地ではない。

 目的の屋敷に到着し、門柱にある呼び鈴を鳴らしたが、一向に返事はなかった。

 そのまま門を押すと、抵抗なく開いたので敷地内へと入っていく。玄関にも鍵はかかっていなかった。

 

「勝手に入ってこいということか」

 

 と自分勝手に解釈して、誰にともなく呟きながらドアを開き、中へと入る。

 大きな屋敷内を彷徨うようにして、一つ一つ部屋の扉を開けて、中を確認するが誰もいなかった。

 屋敷内は全般的に彩光には無頓着な作りになっており、日が傾きつつある時間帯であることと相俟って薄暗い。

 さらに進んでいくと外に出る扉があったので、そのまま押し開ける。敷地全体から想像すると、位置としては裏庭に該当するのではないか。そこは、様々な草木が生い茂っており、本格的な植物園と言ってもいい程だった。

 あいつはそこにいた。

 そして、その後ろには彼女がいた。

 

「慎二。来たぞ」

 

 元々、大勢に好かれるようなタイプではなかった。

 斜に構えた態度、人を小馬鹿にしたような言動も相俟って、友達は少ない。だが、ここまで非道な事をやってのけてしまえるような人間ではなかった。

 そのはずだと思っていた。

 

「本当に衛宮は律儀だね。今まで生きてきて、約束の時間に遅れた事なんて一度もないんじゃないか?」

 

「そうかもな」

 

 実際にはそんなことはない。しかし、先ずは肯定から入る。

 先日、桜を人質に取った時と同様、下手に刺激しないことが重要だった。

 

「ふん。それにしても、今回は本当に来るのか半信半疑だったよ。まさか、こんなヤツのために身体を張るなんてね」

 

 慎二は顎先で後方を示した。

 そこには血塗れのライダーが両手、両足を縛られて、太い木に括り付けられていた。

 おそらくライダーを縛っている縄も何らかの魔力を帯びたものだろうが、彼女の傷は、以前、オレと契約していたセイバーにやられた時と同等のかなりの深手であり、とても動くことはできそうにない。

 

「女性が危険に晒されているとなれば、慎二だって助けに来るんじゃないか?」

 

 こんなヤツという言葉には怒りを覚えるが、そこは堪える。

 

「馬鹿言うなよ。コイツらは人間じゃないんだ。人間の女と同じ括りで考えるなんて、ナンセンスじゃないか。本当に衛宮の考えは常識外れもいいところだよな」

 

「オレが少し変わっているのは認めるさ」

 

「そもそもコイツは僕のサーヴァントなんだ。僕がどうしようと勝手だろう?この前の学校でもそうだったけど、なんで敵のはずの衛宮が庇うんだ?本当に意味がわからないよ」

 

 ここまでの会話から、今回の件が慎二自身の考えで実行されたことでないことは明らかだった。

 実行犯である慎二自身が不可解に感じていることがよくわかる。

 

「慎二。正直、何故なのかはわからないが、お前はオレが憎いんだろう?彼女はお前のサーヴァントなんだから、ここで消耗させるのは不利益なはずだ。オレだけを煮るなり焼くなりすればいい」

 

 彼女の状態は深刻だ。一刻も早く解放してやりたかった。

 一縷の望みに期待して、ライダーを解放することにメリットがあることを慎二に訴える。

 

「何言っているんだ。この前もそうだったけど、聞いた話じゃもうお前とコイツはデキてて、偽臣の書を使ってけしかけても、とても思い通りには動きはしないんだろ?」

 

 聞いた話・・・か。

 いったい誰からだ?

 

「完全にマスターに対する裏切りだよね。そんなサーヴァントには制裁が必要だし、衛宮への抑止力になるなら使わない手はない。勿論、本来、僕がお前に負けるわけがないんだけど、魔術師としての実力には知謀も含まれるわけだしね」

 

「あのアサシンはお前の爺さんのサーヴァントだな?」

 

 敢えて会話の流れとは違う質問をしてみた。

 しかし、慎二はキョトンとした。

 

「は?アサシン?なんのことさ?」

 

 素の反応が返ってきた。慎二はアサシンのことを全く知らないことは確かだ。

 

「・・・そうか。だが慎二、オレは今回の件について、お前以外の間桐家の者が考えたと思ってここまで来たんだ。そいつと戦うつもりで来ただけで、お前と対峙するとは思ってなかったし、ライダーがどうなろうと興味はない」

 

 手紙に書かれていた内容は、ライダーを拘束していることと、午後3時に間桐邸に来いということだけだった。

 

「強いて言えば友人であるお前のサーヴァントが消えれば、お前自身の身が危うくなるから、それを回避したいという思いはある。前回、ライダーを庇ったのもそのためだ」

 

 慎二はオレとライダーのことは、誰かから伝聞で断片的に聞いているに過ぎない。つまり、オレとライダーの関係が深いことについて、確証があるわけではないのだ。

 なるべくライダーとオレに関係がないことを伝えて、彼女を慎二の意識から外したかった。

 

「白々しいね。衛宮は。今さら僕のことを友達呼ばわりなんて。まあ、本当にこの女に興味がないなら・・・」

 

 そう言って慎二は手にした偽臣の書を掲げた。

 今にして思えば、三日前に慎二を無力化した時、あの本の消滅を最終的に確認したわけではなかった。

 今更ながら後悔する。

 そしてこの後、起きるであろうことを想像したオレは戦慄した。

 やめてくれ!

 

「こういうことをしても、澄ました顔でいられるはずだよね」

 

「!!」

 

 ギチィィィィッ!

 

「あああぁぁぁっっっ!?」

 

 偽臣の書による戒めの電撃が体を駆け巡り、堪らずライダーは悲鳴を上げた。

 

「やめろっ!!」

 

 思わず、叫ばずにはいられなかった。

 このまま演技を続けるつもりだったが、目の前で彼女が苦しむ様を見せつけられては、感情を理性で抑えきれなかった。

 とても、冷静さを保つことなど不可能だ。

 

「はは、そら見たことか。興味がないなんてあり得ない反応だね」

 

 オレを嘲りながら慎二はライダーに近づき、形の良い彼女の顎に指をかけてその顔を持ち上げた。

 バイザー越しの双眸には辛うじて光があったが、意識はかなり朦朧としているようだった。

 今すぐにでも、オレが干乾びるまで血を吸わせてやりたかった。

 

「・・・し・・・士郎?」

 

 先程までは気絶していたのだろう。初めて認識できたのか、ライダーが掠れた声でオレの名を呼んだ。

 

「はは、『士郎』だって?本当にこいつと衛宮はデキてるみたいだな。全くとんでもない女だよ。本当のマスターである僕のことは碌に守れもしないくせに、敵のマスターとイチャついてるんだもんな」

 

 慎二はライダーの顔を持ち上げていた手を放して横に振るう。彼女の顔に慎二の拳が入り、そのまま美しい顔がうなだれる。

 これ以上傷つけられれば、いつライダーが限界を迎えて力尽きるかわからない。偽臣の書の制御下では本来の状態と比べると、大きく能力が低下してしまう。今の状態から動けるようになるまで、回復するにはかなりの時間を要するだろう。

 

「まあ、衛宮の気持ちはわからないでもないよ。こいつは、サーヴァントとしては三流でも、顔と体は最高で、女としては一級品だ。興味が沸くのも無理ないよな」

 

 ギリ・・・

 

「だけど、こいつの体を本当に味わったわけじゃないだろう。お前にそんな度胸があるわけないもんな」

 

 ギリリ・・・

 

「僕は違う。とっくにこいつの体をいただいているのさ。本当に最高なんだぜ。まあ、もう飽きちゃったけどね」

 

 ガチン!

 

 食いしばっていた奥歯が砕けた。

 怒りが込み上げてきて、想像の中で何回慎二を殴っていたかわからない。だが、それを現実にやろうとすれば、ライダーが本当に消されてしまうかもしれない。

 それに、今回の件を考えたのが慎二でないということは、この状況を観察している者が他にもいる可能性が高いということだ。絶対に感情任せに動くわけにはいかない状況だった。

 オレは地面に膝をついた。

 そして、そのまま両手も地面に着いて、頭を下げた。

 土下座の姿勢だった。

 

「頼む、慎二。どうしたらいいのか教えてくれ」

 

 ここに来るまでに何百回と心に刻んだ。

 何をしても彼女を助けると。

 相手の尻を舐めろと言われれば舐めるし、小便を飲めと言われれば飲む。指を落とせと言われれば落とす。

 だが、今、オレには慎二が何を望んでいるのかが、全く読めなかった。あらゆる行動が、あいつの神経を逆撫でするような気がするし、逆に何もしなければ、それも逆上させるような気がした。

 何もかもが、裏目に出るような予感しかなかった。

 とにかく、譲歩を引き出すか、隙を見出すか、何らかの突破口を探りたかった。

 

「・・・わかったよ。じゃあ、僕の靴を舐めろ。立ち上がらずに、そのまま這いずってこっちまで来いよ」

 

 意外なほどに慎二はあっさりと言った。

 それでライダーが助かる可能性があるなら、迷う必要などなかった。

 オレはゆっくりと膝をついた姿勢のまま慎二に近づいていった。

 目の前には慎二の靴がある。

 いつの間にか慎二の軽口が途絶えていた。

 

「・・・・・・」

 

 オレは、そこに顔を近づけていく。

 

「・・・だから、そういうところなんだよ・・・僕がお前を嫌いなのは・・・」

 

 慎二は拳を握りしめて、体を震わせていた。

 

「なんで、そんなことができるんだよ!」

 

 ガッ!

 

 激昂した慎二がオレの顔を蹴り上げた。

 その衝撃でオレはのけ反った。

 少し唇が切れ、鉄錆のような味が口に広がる。

 

「おかしいだろ!自分の命乞いじゃなくて、他人のために!どんだけ偽善臭いんだよ!お前は!」

 

 それは、理不尽極まりない怒りだった。

 だが、こいつの抱いてきたオレに対する心情なのだろう。

 一方でオレとしても反論したかった。

 それは違う。と。

 オレの行動は、ライダーのためだからこそ出来たのだ。

 誰のためにでもできるわけじゃない。

 今のオレには、彼女は唯一無二の存在だ。

 だから、彼女以外の第三者のために、簡単にこの身を犠牲にできるかと問われれば、否と答えるだろう。

 だが、それは慎二には伝わらない。

 

「お前を見ていると、イライラするんだよ!お前は、他人を、僕を見下しているんだ!どうしようもない奴だってな!」

 

 言っていることはこれっぽっちも理解できなかった。

 オレは、自分とは性格は全く違うが、お前のことを大切な友達だと思っていた。

 

「自分はできるけど、人にはできない。自分は違う人間だ。そう思っているからお前は他を憐れむように助けるんだ!」

 

 だが、お前にとってはオレと共にした時間が辛かったということなんだろうな。

 いずれにせよ、今、語られることはあいつの本心の吐露だ。

 受け止めるしかない。

 

「おまけに何なんだよ!魔術が使えるなんてさ!どんだけ優越感に浸ってるんだよ!」

 

 そうなのか。

 この言葉を聞いて、慎二の思いがようやく少しわかった。

 たしか遠坂も言っていた。

 慎二はきっと特別な人間になりたかったのだ。

 そして、優越感を得たかった。

 間桐という古くからの魔道の家に生まれたのは、本来なら特別なことだ。だが、魔術師としての素質を持たなかった慎二は、魔術の知見はありながら、魔術師でないという中途半端な状態に置かれた。

 得られたはずの『特別』には、永遠に届かない。

 

「・・・オレに対する憤りは、羨ましかったってことの裏返しだったのか・・・」

 

 思わず零れた言葉が、さらに慎二の感情に油を注いだ。

 

「羨ましい?ふざけるなっ!」

 

 ガッ!

 

 慎二の蹴りが再度オレの顔を打った。

 

「お前みたいな何も知らないまま偶然にマスターになったような奴に、正当な魔道の名家に生まれた僕が何で羨ましがる必要があるんだよ!」

 

 支離滅裂だった。

 言っていることは、明らかにオレに対する嫉妬、劣等感に溢れたものだ。だが、慎二はそれを肯定することだけは絶対にできないのだろう。

 それは、こいつの最後の砦なのだ。

 

「見せてやるよ。僕にも魔術が使えるってことをな」

 

 そう言って、慎二は手にしていた偽臣の書を掲げる。

 

「切り刻んでやるよ!衛宮!」

 

 その声と共に、三条の漆黒の刃がオレと慎二の僅かな空間を走った。

 

 ジャッ!

 

「なっ!?」

 

 魔力でできたその刃で体を刻まれたのだ。

 なす術もなかった。

 予想外だったことと、慎二との距離も近かったため、躱しようがなかった。

 

「士郎っ!!」

 

 ライダーが悲鳴に近い声を出した。

 

「は。どうだ衛宮。こんな魔術も僕は使えるのさ。衛宮にはできないだろう?」

 

「・・・ぐ・・・」

 

 オレは、今の攻撃で倒れた体を何とか持ち上げるが、左肩から胸にかけて大きく傷を負い、血が滴っていた。

 

「さて、これで僕の力もその目に刻み付けてもらったし、そろそろ幕引きと行こうじゃないか」

 

 再び慎二は後方で木に縛り付けられているライダーに歩み寄っていき、親指で指し示す。

 

「衛宮。こいつをお前が殺せ。そしたら、お前を殺さないでおいてやる」

 

 そう言って、オレの足元に一本の短剣を放ってきた。

 

「その短剣は礼装だ。サーヴァントも傷つけることができる。死に損ないのその女なら、急所を刺せば簡単に殺せるさ。僕はお前が自分の命惜しさにこの女を殺すところを見たいんだ」

 

 慎二の妄言を一切耳には入れず、オレは足元の剣を拾い、重くなった体を持ち上げて立つ。

 そして、ライダーに向かってゆっくりと近付いていく。

 ()()()()()()()()

 そう。

 どうするかは、ここに来る前からとうに決めていた。

 

「・・・し・・・士郎・・・」

 

 ライダーはその双眸に涙を浮かべながら、オレの名前を口から紡ぎ出す。

 

「申し訳ありませんでした。私の不始末で、あなたをこんな目に遭わせてしまうなんて・・・」

 

「ライダー。傷に響く。何も言わなくていい」

 

「・・・私を刺してください。私はサーヴァントです。ここでの死は本当の死ではない」

 

「安心しろ。ライダー、オレはお前を愛している」

 

「・・・・・・私もあなたを愛しています」

 

 オレは彼女の甘美な言葉に、刹那、恍惚とした。

 

「ライダー、()()()()()()()()

 

「五月蠅いんだよお前ら!早くしろよ!」

 

 ああ。

 わかったよ。

 

「・・・・・・慎二。あの始まりの夜・・・校庭でお前を助けたのは、オレとライダーだったよな」

 

 あれは八日前になるのか。

 あまりにも濃密で、長く、それでいてあっという間だったようにも感じる。

 

「あの時、お前を助けなければ、こんなことにならなかったかと思うと・・・・・・」

 

 そう言いながら、オレは短剣を逆手に持って振り上げた。

 

「え?」

 

 慎二が戸惑いの声を出す。

 

「・・・オレはあの時の自分をぶっ殺してやりたくなるよ」

 

 振り上げた短剣を振り下ろす。

 

 ッ!

 

 オレの目の前が血飛沫で、埋め尽くされる。

 もしかしたら、目の中に入ったものもあったのかもしれない。

 ゆっくりと膝を突く。

 視線が段々と落ちていき、視界が地面の土色で埋め尽くされる。

 

 ドサッ・・・

 

 そのままオレはオレ自身から流れ出た血の池の中に、崩れ落ちていった。

 

「・・・な・・・?」

 

「・・・士郎・・・?」

 

「・・・・・・・な・・・・・・何やってんだよ、衛宮!?本当にお前って奴は!!」

 

 微かに残っている意識の中で、ライダーと慎二の声が耳朶を打つ。

 ここまでは予想どおりだ。

 そう。

 想定どおりだったのだ。

 だが・・・

 

「・・・・・・いやあああぁぁぁっっっっっっ!!!!」

 

 

 

 全く予想していなかった人物の悲鳴が、樹木に満ちたこの空間に響き渡った。

 その直後、辺り一面に黒い幾つもの鋭い棘を持つ、小さな球体が浮かび上がる。

 

「・・・桜?何でここに?」

 

 戸惑いながらも、悲鳴の方向に慎二が問い掛ける。

 そう、先ほどの声の主は桜に他ならなかった。

 オレ自身は倒れたことが幸いして、近くに黒い球体は出現していなかったが、慎二のすぐそばには複数個の黒い球体が浮かび上がった。

 そして・・・

 

 

 R turn

 

 

 ザザッ・・・

 

 ノイズのような音が慎二の体から発せられた。

 

「え?」

 

 惚けたような声が静寂が支配した庭内に流れた。その体からは黒い棘のようなものが、突き出ていた。

 私達の周囲の至る所に、突如として現れた黒い球体は、鋭い棘を刹那のうちに伸ばした。

 その一つが慎二の身体を貫いたのだ。

 

「え?」

 

 そして、もう一つの戸惑いの声が流れた。

 それは、先ほど悲鳴をあげた桜のものだ。

 彼女は、私から見ると左手の方向に立ち尽くしていた。

 この庭内はどこでもそうだが、鬱蒼とした樹木に覆われている。

 彼女はその陰に隠れて、おそらく士郎と慎二のやり取りの一部始終を見ていたのだろう。

 

「・・・なんで・・・僕が死ななくちゃいけな・・・」

 

 ドッ

 

 慎二が涙を浮かべながらその場に倒れた。

 自分に何が起きたかもわからなかっただろう。

 呆然としたような表情を浮かべながら前のめりになってゆっくりと崩れ落ちた。

 私の足元には、自分自身を刺した士郎が倒れており、そして今、慎二が倒れた。

 私は、何より士郎の手当てを願うべく桜に呼びかけようとした。

 

「・・・さ・・・さくら・・・」

 

 すんなりと動かない口を無理矢理動かそうとする。

 だが、桜の様子を見た私は、それ以上喋ることが出来なくなってしまった。

 

「・・・あは・・・」

 

 なぜか桜が奇妙な笑みを浮かべたのだ。

 

「あは・・・あハ・・・アは・・・アハハハ・・・・・・」

 

「桜?」

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 

 桜の奇妙な、というよりも、もはや狂ったようなと表現するほうが近い嗤い声が延々と庭内の木々に木霊した。

 

 ──────ハハハハハハハハハ──────

 

 それは既に人の声ではなかった。

 だが、突如としてその嗤いは止まり、静寂が訪れた。

 

「一体これは何なのよ?」

 

 間桐桜のはずのその少女は、顔を俯かせたまま問うた。

 誰に問いかけたのかは、私にはわからなかった。

 

「可哀想なくらいどうしようもなかった兄さんは、自分が何をしたいのかもわからないままに、先輩を傷つけるし・・・」

 

 ──―ザザザ──―

 

 桜の影が木々の隙間を縫って注がれる夕日に照らされて、途方もなく長く伸びていた。

 その影がざわめくように震えて、桜の体に少しずつ纏わりついていく。

 

「姉さんは姉さんで、何でも持ってるくせに、私の大事な思い出を横取りして、先輩の同情と関心を引こうとするし・・・」

 

 ──―ザザザ──―

 

 異様な光景だった。

 桜の怨嗟の声が続く中、黒い影が桜を徐々に覆っていく。

 

「私のサーヴァントはマスターである私の気持ちを知っていながら、その相手を・・・私の大事な先輩を、(たぶら)かして掠め取っていくし・・・」

 

 私には何も言えるはずもなかった。

 反論の余地は微塵もない。

 

 ──―──―ザザザザザザ──―──―

 

「そして先輩ときたら、私に思わせぶりな態度をとっていたくせに、次から次へ女が寄ってくるし、そいつらに節操なくいい顔するし、大事な(うち)にも連れ込むし・・・」

 

 桜を覆った影はやがて桜と一体になった。

 

「挙句の果てに、私のことは全くお構いなしに勝手に死んじゃうなんて・・・」

 

 少しずつ上げた桜の顔の半分には赤黒い(ひる)のような紋様が張り付いており、それは彼女の身体中を覆い尽くしていた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆◆◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「あなた達は私のことをいったい何だと思ってるのよ!

 

 何でこんなに好き放題やれるのよ!!

 

 何で私ばっかり我慢しなくちゃいけないのよ!!!」

 

 

 聞く者の殆どいない虚ろな空間に、桜の嘆きが木霊する。

 

「あ」

 

 桜であったものは突然呆けたような声を出した。

 

「・・・誰もいなくなっちゃったと思ってたけど、そう言えばあなただけは生きてたわね。ライダー」

 

 桜の体からあの黒い影が伸びる。

 

「許さないわ。絶対に」

 

 桜の変貌の原因はわからない。

 しかし、私に責があることもよくわかった。

 

「・・・承知しました・・・さくら・・・」

 

 でも、どうしようもなかったのです。

 あなたのほうが、苦しんでいるとわかっていながら、それでも私だって幸せが欲しかった。

 ただ、それだけなのです。

 

「申し訳ありませんでした・・・」

 

 桜には本当に申し訳ないけれど、ほんの僅かだったけれど、途方もない至福の時間を得られた。

 私は、懺悔しながらも、後悔はなく。

 最期の瞬間を受け入れようとした。

 その時だった。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 私の足元から、か細いが、しかし、力に満ちた声が湧き上がってきた。

 

「え?」

 

「・・・せ・・・先輩?」

 

 そう。

 血溜まりの中に沈んでいた少年は、ゆっくりと、白と黒の双剣をその手に携えて立ち上がった。

 自身が刺した胸からも、慎二の魔術によって傷つけられた肩からも血が滴り落ちている。

 致命的と思われるものだ。

 

「・・・し・・・しろう?」

 

「ライダー。オレは何があろうと、お前を助ける。たとえ・・・桜を敵に回しても」

 

 ザグ・・・

 

 そう言うと、士郎は私を拘束していた縄を剣で斬り裂いた。

 体が自由になったが、とても自力で立つことはできず、士郎に抱き着くようにして、体を預ける。

 

「オレの血を飲め。今なら飲み放題だ」

 

「・・・いただきます」

 

 言われるまでもなく、我慢できる状態ではなかった。

 噛みつく必要もなく、士郎の体から流れる血をむしゃぶりつくようにして啜る。

 少しずつだが、体に力が入るようになる。

 

「・・・先輩。生きてたんですね。てっきり死んじゃったと思いましたよ」

 

 桜が未だに唖然とした面持ちで、言葉を発する。

 私とて桜と同様の思いだ。

 即死というわけではなかったかもしれないが、明らかに出血が多過ぎた。

 ここまで動けて、あまつさえ魔術も使えるなどとても信じられない。

 

「何とかな」

 

 士郎はその理由は明かさず、簡潔に答えた。

 

「でも、いくら先輩でも勝手されちゃ困ります」

 

 気を取り直した桜が敵意を示す。

 あの黒い影が鎌首をもたげ、こちらに狙いを定めた。

 

「その女には私がお仕置きをいないといけないんですから!」

 

 ジャッ

 

 黒い影が一気に伸びて、私へと襲い来る。

 今の私に避けられるものではなかった。

 

 ギンッ!

 

 だが、士郎が私を庇うようにして、剣を振るい、影を弾き飛ばした。

 

「逃げるぞ。ライダー」

 

 私に肩を貸しながら、士郎は言った。

 

「はい。士郎」

 

 私は、私だけの士郎に頷いた。

 




ここで桜が闇落ちしました。
筆者もそうですが、読者の皆様も「そりゃそうだろ」って感じるでしょうね・・・
桜の暴言は溜まりに溜まった不満の発露です。
やはり、自身の感情が剥き出しになるときこそ、キャラクターが輝くものですね。

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