「人が想像できることはすべて、人が実現できることであるのだよ。」
フランスの小説家、ジュールは自らの書いた本にそのように記しているけれど、実際それはどうなんだろうと僕は考えたことがある。
たしかに想像力が偉大なことである、というのには同意できるけれど、だからと言って僕らが考えうるものがすべて実現することのできるものだとするのは行き過ぎじゃないかと思うからである。
例えば、永遠の命なんてものはどうだろうか。
いつまでも、寿命なんて気にしないで生きていける人生。
誰もが一度は考えたことのあるものではないだろうか。
実際、あったらすごいものじゃないかと僕も思う。
まあ、永遠の命を持った人間がはたして僕たちと同じ価値観を持って、同じように毎秒毎秒、一瞬一瞬を謳歌できるのかというのは一抹の疑問が浮かぶのだけれど。
しかし、そんなものは実在しないのだ。
古今東西、あらゆる文明の、あらゆる天才たちがいくら考えて、いくら想像しても創り出せなかったのである。
確かに、僕はただの学生で、そこまで賢いというわけではない。
しかし、人間がなんの劣化もなく生き続けるというのは不可能だということは分かるのである。魔法なんてものがない限り。
他には、瞬間移動なんてものも考えられる。
人間がいったん消えて、別の場所で同時に現れる。行きたい場所に、いつでもどこでも向かうことができる。
夢のような話だが、これもまた想像可能なことである。
ジュール曰く、これもまた実現可能というのである。
無茶苦茶な話じゃないか。
例えば、ここで消えた人間が、別の場所で現れる。そんなことが実在するとする。
しかし、それでは消えた一瞬、世界からその人が消えたその瞬間、その人はどうなっているのだろうか。
現れたその人は、前の人物と同一と言えるのだろうか。
あるいは、その移動に必要なエネルギーはどこから生まれているのだろうか。
やはり、どう考えても、どんなにこの足りない頭をこね繰り返しても、そんなことは不可能だと考えてしまうのだ。結論が付くのだ。
想像できることがすべてできるのなんて嘘っぱちだ。不可能なのだ。夢は何時までも叶うとは限らない。現実はどこまでも現実だ、魔法なんてものがない限り。
魔法。そう、魔法。魔法なのだ。ここで本来、ぼくが語るべきなのはそこであった。
ちんけなフランス人の小説家なんていうのはどうでも良かった。本題に入ろう。
本題:魔法は実在するか否か。
笑ってくれていい。
罵ってくれていい。
嘲笑してくれて構わない。
魔法なんて存在しない。これこそ当たり前だ。
みんな知ってる。
サンタクロースみたいなもんだ。
子どもの前では居るといっても、あるのだと嘯いても、頭では絶対にいないと確信している。
もしかしたら、子どもたちだってどこかで分かっているのかもしれない。
見過ごしているのかもしれない。
大人の顔に免じて、騙されてやっているだけかもしれない。
だって、魔法なんて見たことがないのだから。
家の中でも、学校でも、幼稚園でも、神秘的な神社でも、どんなに自然豊かな場所でも、そんなものは見たことがないのだから。
だから、存在しない。
証明は必要ない。
十分すぎるほど与えられた、現実という証拠が明らかすぎるほどに示してしまっているから。
自明だから。
だが、ここで僕はあえてその論理に否を突きつけたい。
では、この世界のどこにも魔法なんてものが存在しないということは、どのように証明するのか。
所謂、悪魔の非存在というものである。
悪魔の非存在。
君たちは悪魔などいないと証言する。
私とてその証言に反対などしない。
しかし、悪魔は本当に存在しないのか。
この世界のどこにも、どの時代にも、どのくらいの大きさでも存在しえないと君たちは証明することができるのか。
そのために君たちはあらゆる場所を同時に巡り、あらゆる時代を完全に把握し、未来に悪魔が突発的に誕生しないことを論理的に保証できるのか。
不可能だ。
君たちには不可能なのだよ。
もしもそんな方法が存在するのなら。
そんな方法を生み出すことのできる存在が居るとしたら。
そのような理屈ではなしえないことをなしえた存在こそを、人は悪魔と言ったのではないか。
問題はこのように僕たちに疑問を投げかけた。
しかし、僕の論題の中に悪魔の非存在の論理は関係しない。
魔法が非存在であることを僕は証明しない。
むしろ、むしろ僕はあえてこう断言したい。
魔法は存在する。
悪魔の非存在は確かに難問だ。
しかし、悪魔の存在を証明することは簡単で、そこにはたった一つの手順のみが必要とされる。
単純に、悪魔を見つければいい。
悪魔がここに存在するのだというのは、悪魔を一匹見つけるだけで簡単に証明されるのだ。
当たり前かもしれないけれど、これだけ。
そして、これは魔法の存在にも言えた。
なくて当たり前だと考えられていた魔法という存在はたった少しの事実で、ほんのちょっとの非常識で常識へと変わる。
日常は非日常に転換する。
だからこそ。
ここで僕は情報を提示する。
君たちの当たり前を打ち砕くだろう、そして僕の当たり前すらも打ち砕いた情報を開示する。
三月六日、あの春の日に、僕は魔法と遭遇し、そして僕は魔法使いになったのだ。
馬鹿だと思う人は見逃してくれていい。
だが、興味を持ってくれた冒険好きの君たちにはある不思議な話を聞かせよう。
この世界を何倍にも広げる事実を知る機会を。
そして、つたない僕が魔法に魅了されていったあの日々の話を。
僕はしゃべり下手だから、まずは印象的なあの一言から始めるとするか。
マホウトコロで会いましょう。
魔法の始まりはその一言からだった。
次回、「ハジマリ」
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