柏木家の夏   作:多手ててと

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第3章
第17話:優しい風


私が遅い晩御飯をたべていると、めずらしく耕ちゃんがやってきた。

「ねえ伯母さん」

「耕ちゃん、なあに?」

「俺ね、バイトがしたいんだ」

「アルバイト?」

こっくん、耕ちゃんはうなずく。

「あら耕一、中学生がアルバイトなんかしていいの?」

静子さんがたずねる。

 

「そうだけど家業を手伝うならいいらしいんだ」

「家業、確かにそうね」

静子さんは私の御飯の相手になってくれている。

「ということは鶴来屋でバイトするということなのね」

私はしばし箸を止める。

こっくん。なんとなく楓に通じるしぐさだ。

 

私が帰ってきた時は律義に千鶴が出迎えてくれた。

その千鶴も他の三人のように寝てしまったようだ。

静子さんによると今日もみんなで海へ行ってきたらしい。

 

「でもねえ耕ちゃん、うちでは中学生のアルバイトは使っていないのよ」

耕ちゃんはうつむいてため息をつく。

「高校生ならこういう長期休みの時は雇うのだけど」

それも完全な裏方でだ。やはりきちんと従業員教育されていないとお客様の前に出すわけにはいかない。

 

「耕一、あなたなぜバイトをしたいの?」

「それは買いたいものがあるからだよ」

「何なの?」

静子さんも不思議そうだ。詳しくは知らないが静子さんがお小遣いをけちっているということはないだろう。必要なものならある程度のお金は出すはずだ。

 

耕ちゃんはしばらくためらってからぼそっと言った。

「プレゼント」

「もしかして女の子に?」

とりあえずお約束のツッコミを入れる私。

耕ちゃんはうつむきかげんのままうなずく。なんとなく顔が赤い。

「でも、そんなのじゃないよ。俺ももらったからお返しにね」

ぶっきらぼうな言い方。

私と静子さんは微笑しながら目配せする。

「どうせそんなに高い物は無理だから、自分で稼いだ方がいいかな・・と。」

 

耕ちゃんは居辛くなったのか席を立つ。

「しょうがないから、新聞配達でもする。あれもOKらしいんだ。世に職業の貴賎なし」

最後の一言だけが妙に浮き上がって聞こえる。

「あなたも早く寝なさいよ」

静子さんが背中に声をかける。

「おやすみ」

そう言って耕ちゃんが居間を出て行く。

 

仕事が一段落した。最近は景気がいいので夏休み中はいつも満席だ。心地のよい忙しさと疲れ。秘書の娘に息抜きをすると言って私は旅館内を見回った。

 

屋上に行くと賢治さんがいた。左手に缶コーヒーをもってフェンスにもたれている。

屋上にいる賢治さんを今までも私はたびたび見つけた。

こんなに暑い日でも飲んでいるのは多分ホットコーヒーなのだろう。

「そうですか、耕一がバイトでプレゼントですか」

俺も年をとったな、そんな言い方だった。

「そんなにしみじみと言わないで下さいよ」

賢治さんは低く笑ってまた缶に口をつける。

私はフェンスごしに海を眺めた。

海風が涼しい。

 

私はためらったが聞いてみた。

「今夜も帰らないんですか?」

賢治さんは毎晩社長室に鍵をかけ、誰も入れさせないことが多い。

結果として夜通し仕事をし、昼間仮眠している。

賢治さんはフェンスにもたれたまましゃがみこむ。

風がまた通りすぎる。

 

こわいんです。

 

かろうじて聞こえる程度の声で賢治さんが答えた。

「恐ろしいです。自分が変わっていくのが。そしてそれを知られるのが」

私にはすごくよくわかる。あの人、高志さんを間近で見つめてきたから。

「静子さんにはもう伝えたのですか?」

私にできるだけの優しい声でたずねた。

賢治さんは黙って首を振る。

 

賢治さんは何度か静子さんに自分の”病気”のことを伝えようとしたらしい。

が、その度にためらってできないらしい。

東京で初めて発病した時、たまたま静子さんは耕ちゃんを連れて実家に帰っていたのだ。

それ以来満月の夜はできるだけ徹夜するようになったという。

満月の夜が危ないというのは高志さんに聞いて知っていたという。

それからこの屋敷へ来るときも伝えようとしたらしい。自分だけが隆山に来て二人を東京に置いていこうとも考えたという。でも結局告げるのをやめた。

 

ある夜、私も会社にいたのだが、社長室に行った。秘書の子は既に帰っている。

私がノックしたが反応がない。しつこくノックすると荒々しい声がする。

「誰だ!」

その声を聞いた時私は高志さんを思い出した。高志さんが苦しんでいた時の声にそっくりだったからだ。

紀子です、私が答えると静かになった。しばらく物音すらしなくなったので立ち去ろうとした時、ドアが開いた。

 

「こんばんは」

やつれた顔で賢治さんがドアを開ける。やつれた顔に無理に浮かべられた微笑み。兄弟なのだから当たり前だが、その表情は驚くほど高志さんに似ている。部屋は灯りが消され、満月の光も入らないようにブラインドが閉じられていた。

 

ここで一人で椅子に座って沸き上がる衝動を押え込んでいたという。

もう満月の夜は仕事で忙殺することもできなくなったという。

賢治さんは静子さんや耕ちゃんに教えたくないのだ。たった一人で抱え込もうとしている。

 

病気を”うつす”可能性のある耕ちゃんが離れに移っても賢治さんは家に帰らない。

 

都会で生まれ育ち、大学に行き、耕ちゃんを産むまでの間公務員をしていた。

そのような静子さんは”鬼”を理解することができるだろうか。

もちろん理解できるだろう、”あの姿”を見せさえすれば。

 

だから賢治さんの苦しみを今現在理解できるのは私だけなのだ。千鶴も鬼のことはある程度知っているはずだが、賢治さんの状態までは気づいていていないだろう。

 

「あまりに帰らないから、静子さんも耕ちゃんも皆心配してますよ」

それに不審に思っている。

私はまたフェンスの向こうに目をやる。海と空と太陽と海鳥。

 

耕ちゃんについては私はまだまだわからないことが多い。

ある時静子さんにさりげなく聞いてみた。

耕ちゃんの環境は大きく変わったけど大丈夫かしら、と。

「そうですねえ。前より構ってくれなくなりましたね」

静子さんはそう言って笑った。

 

離れに移ってからは、普段何をやっているのかわからないようになりました。

でも成績は上がったし、勉強も自分からするようになったみたいです。

学校ではクラスを仕切っているらしいですよ。先生の冗談でしょうけど。

クラスの誰よりも子供っぽく誰よりも大人っぽいそうです。

言葉使いは乱暴になったし大人っぽい口をきくようになりましたけど、年頃ですからね。

いくつか気になる点や不満は当然ありますが、特に心配していません。

 

「それに千鶴ちゃん達もあの子によくかまってくれますから。姉妹ができてあの子も張り合いがでてきたのじゃないかしら」

 

姉妹。

はたしてそうだろうか。私にも弟がいるが少し違うような気がする。

あの子達の距離感は私がとても心配していたことの一つだ。

千鶴たちの耕ちゃんに対する態度はどうもおかしいような気がする。

 

休日に、学校の友達ではなく皆で海や何処かへ出かける。

耕ちゃんが何処かへ出かける用がある、と聞いてから自分達も出かけるのを決める。

考え過ぎかもしれないが一度千鶴に釘をさした方がいいだろう。

 

耕ちゃんの方は娘達と一定の距離を保とうとしているように見える。

彼女かどうかはわからないけど親しい女友達もいるみたいだしそれを隠そうとしない。

もしこの状況で耕ちゃんの態度が変わったら要注意と言わざるを得ない。

 

賢治さんは眠そうに目をこすりながら立ち上がった。

「これから観光協会に行ってきます。あとよろしくお願いします」

僕は大丈夫ですよ、というふうに賢治さんは笑った。

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