柏木家の夏   作:多手ててと

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第28話:慟哭

叔父ちゃんが事故で行方不明になってからもう二週間、お兄ちゃんの様子は一見変わりないように見える。

 

前と変わらない笑顔でわたしに朝の挨拶をしてくれる。前と変わらないように梓お姉ちゃんとじゃれあってわたし達を元気にしてくれる。叔母ちゃんが眠りながら逝ってしまった時もこんなふうになんでもないようにふるまっていたよね。

 

でもお兄ちゃんが落ち込んでいること、わたしにはわかるよ。わたしはお兄ちゃんと生れる前からずっと一緒にいたんだもの。

 

エディフェル姉さんの思い出を幾晩も二人で語り合ったよね。姉さんの事で泣いてる姿を見るのは正直辛かったけれど、でも私の前で泣いてくれなかったらもっと辛かったはずだよね。わたし達の最初の男の子を殺しちゃった時も、二人でずっと一緒に泣き続けたよね。だからお兄ちゃん、わたしには泣き顔を見せたっていいんだよ。

 

悲しいことがいっぱいあったけど、出会ってそして一緒に暮らす事ができた。私ね、すごく幸せだったんだ。今度またやり直すことができたらもっと幸せになれると思うんだ。

 

叔父ちゃんが巻き込まれた事故は大々的に報道された。崖が大きく崩れ落ち、叔父ちゃんは道路ごとそれに巻き込まれ転落。車もバラバラで見る影もなかった。みんなで叔父ちゃんを捜したけれど体の一部もみつからなかった。だから公式には行方不明ということになっているけど、恐らく生きていないだろうということを皆が気づいている。遺体は谷川から海へ流れ出てしまったのではないか、テレビのアナウンサーがそう言っていた。

 

近年希に見る惨事、天災だ、いや人災だ。お兄ちゃんに取材しようとする人たちもいっぱいいた。あまりのしつこさに側にいた私は泣きながら怒ってしまった。

「みんなお兄ちゃんを静かにしてあげてよ。お兄ちゃんは、お兄ちゃんは」

去年にお母さんも亡くしているんだよ。お兄ちゃんにとって叔父ちゃんはホントにかけがえのないひとだったんだ。平気そうなのは顔だけなんだよ。

でも私のほうが泣きじゃくってしまい言葉にならなかった。

 

そんな私をお兄ちゃんは優しく抱きしめて、ありがとう、って言ってくれた。

 

叔父ちゃんがいなくなり、騒ぎが一段落するとまたお母さんは帰ってこなくなった。叔父ちゃんの分も働かなきゃいけないから大変なんだ。

 

わたし達と一緒にいる時、お兄ちゃんは以前よりも元気そうに見える。でも離れに篭りがちで前よりも母屋には来なくなった。夕御飯の間はお兄ちゃんがいてくれるから食卓もそれなりに楽しいのだけど、お兄ちゃんが離れに引き上げると叔母ちゃんがいないことがとても痛く感じられる。受験が近いはずだから、お兄ちゃんを居間に引き止めることもできない。だからわたしもお姉ちゃん達も早々とそれぞれの部屋に引き揚げるようになった。ただでさえこの時期夜が長いのに、それがますます長く感じられる。

 

そんなある長い夜、突然鶴来屋から電話がかかってきた。ベルの音が止んでしばらくすると千鶴お姉ちゃんの声が部屋の中まで聞こえてくる。

「みんな、こっちへ来て」

千鶴お姉ちゃんがたまに見せる真剣な声。わたしが部屋から出るのに前後して楓お姉ちゃんと梓お姉ちゃんも部屋から出てきた。

 

お姉ちゃんはまだ受話器を持ったままだ。どうかしたの?と視線で梓お姉ちゃんが尋ねる。わたし達が揃ったのを見て千鶴お姉ちゃんは受話器の口を押さえる。

「お母さんが、遺書を残して鶴来屋からいなくなったんだって」

千鶴お姉ちゃんの声は小さく震えていた。

 

遺書。

 

どうして、どうしてお母さんが?

 

何かがあったんだ。わたしの気づかない何かがあったんだ。

 

どうしよう。お母さんいったいどうしたの。

 

千鶴お姉ちゃんはもう少し話してから受話器を置いた。

 

お母さんが鶴来屋からいなくなった。皆は会長は単に帰宅したのだろうと思ったのだが、秘書の一人が日頃から母さんの様子がおかしいことに気づいていた。そして引き出しを開けてみたところ千鶴お姉ちゃん宛ての遺書が残されていたという。

 

他の人達が今、会社の支配人さん達や、警察などへと電話しているという。

 

そこまで千鶴お姉ちゃんが話した。すると

「あたし耕一に報せてくる」

梓お姉ちゃんがそう言って台所の方に走って行く。お勝手から家の裏へ回るつもりなのだ。

 

そしてお姉ちゃんが出ていった瞬間に玄関の戸が開く音がする。

「ただいま」

お母さんの声だ。わたし達三人が玄関へと駆け出す。

 

お母さんは微笑んでいたけれど、顔が青白くかえって不自然に見えた。

「お母さんどうしたのよ」

千鶴お姉ちゃんはわたしと違ってホッとしたところを見せない。

 

「えっ、どうかしたの?」

お母さんはまだ靴を脱ごうとしない。

「今、鶴来屋から電話があって、お母さんが何処かへ行ったって」

母さんは小さく笑う。

「まったく大袈裟ねえ。こうやって家に帰ってきただけなのに」

 

その言葉に私はまた不安になった。お母さんはどこか変だ。

 

「叔父ちゃんも行方不明だし、お母さんまでいなくなっちゃったら・・・」

私の言葉にお母さんが大きく反応した。

 

「行方不明ですって? 賢治さんはもう死んでるわよ」

みんなが解っていながらも言い出さなかったことをお母さんが言う。

「そうね、死んだって言うよりも殺されたって言った方がいいわね。耕ちゃんに」

 

「お母さん!」

楓お姉ちゃんの叫びにお母さんはさらに興奮したみたいだ。

青白かった顔が紅く染まっている。

「そうよ、賢治さんは耕ちゃんに殺されたのよ。賢治さんだけじゃないわ。高志さんも、もしかしたらお義父さんや静子さんだって耕ちゃんに殺されたのかもしれないわ!!」

 

「お母さんいったいどうしたの」

「お母さんどうしちゃったの、いきなりそんなこと言い出すなんて」

 

その時お母さんの向こうから梓おねえちゃんとお兄ちゃんが現れた。

私達の引きつった顔と視線でお母さんは二人に気がつく。

 

「耕ちゃん、ほんの少し私に付き合ってくれないかしら?」

お母さんはものすごい形相でお兄ちゃんを睨み付ける。

「どうしたんですか伯母さん。こんな夜更けに」

耕一お兄ちゃんは困ったような顔をしている。

「時間なんてどうでもいいでしょう! 付いてきなさいよ!」

お兄ちゃんは無言で頷く。それに続いて千鶴お姉ちゃんも靴を履こうとする。

 

「ついてこないで!」

お母さんはわたし達に向かって強く叫んだ後、今度は弱々しく付け加えた。

「お願いだから付いてこないで。大丈夫だから」

 

わたしが見ても大丈夫じゃない。

「お母さん、でも・・」

私達の声にお母さんは声にならないような声でついてこないでと繰り返した。

 

二人が出ていった。このまま放っておくことはできない。

「あたし二人の様子を見に行って来る」

梓お姉ちゃんは三和土から上がらずにそう言った。

「私も行くわ」

他の三人も口々に続こうとするが、梓姉さんが止めた。

「千鶴姉は家にいて。鶴来屋にも電話かけなきゃいけないし、向こうや警察から電話がかかってくるかもしれない。その時はせめて千鶴姉がいなきゃ」

千鶴お姉ちゃんは、でも、と言いかけて、そして「頼んだわよ、梓」と繋げた。

「うん、見つかったらすぐに連絡するから。楓、あんたは私と来て。初音、あんたは千鶴姉を手伝って」

楓お姉ちゃんは何時の間にか三和土に降り靴に履き替えていた。

 

それを確認すると梓おねえちゃんと楓お姉ちゃんは戸も閉めずに出ていった。

 

私と千鶴お姉ちゃんだけがあとに残された。千鶴お姉ちゃんはスリッパのまま三和土に降りると戸を閉めた。そして居間に戻り鶴来屋に電話をかける。

 

それから千鶴お姉ちゃんとわたしは最近出したばかりの炬燵に入った。

お姉ちゃんは真剣な顔のまま無言で、私も何を言えばいいのかわからない。

 

どこからも連絡がないまま時がどんどん流れていく。

 

そして沈黙に耐え切れなくなったわたしが千鶴お姉ちゃんに何かを話そうとした時、梓お姉ちゃんの慟哭と楓お姉ちゃんの悲鳴がわたしの頭に直接響いた。

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