柏木家の夏   作:多手ててと

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第4話:まどろむ者

「でも鬼は何匹もいるんだよね」

「そうだ。だから次郎衛門は領主、天城忠義のもとに行く。みたび遠征隊を派遣させるためにな。」

私達は話しながら道を下ってきた。意外にも耕一はこの話を楽しんでいるようだ。

その時私はさりげなく道を変える。

 

「ねえ、来た道はそっちじゃないよ。この辺りはまっすぐに来たんだもの」

「いやまだ時間があるみたいだからな、ちょっと寄り道をしよう。こっちには水門があるんだ」

「水門? 去年梓達と釣りをしたところかな」 やはり耕一は自分のことを覚えていないらしい。

「ああ、たぶんそうだろう。池のほとりですこし涼もう。ところでその時忠義はもう乗り気ではなかったのだ。2度も失敗すると誰だって慎重になる」

私と耕一は並んで水門へと向かう。耕一は私の話に耳を傾けている。

いったい私は何をしようとしているのだろう。

私をつき動かしているのは義務感なのだろうか、いやむしろ逃避と言うべきだ。

私がしなければならないこと、しかしできないこと。それらを全部この孫に押し付けようとしているのだ。

 

「先生の話だと親父はもってもう半年というところらしい」

「見たところそんなに悪くなさそうだけどな」

「ああやって自由に歩き回って仕事をしてるのは奇跡みたいなもんだと」

沈黙が流れる。

息子達は私がもう寝たものだと思っているのだろう。私の人間ばなれした感覚を彼らはよく知っていた。事実ついさっきまでは寝ていたのだ。

「俺のほうはもうやばい、限界だ」

私の前では高志は弱音をはいたことがない。あの高志が泣き言を言っている。

「兄貴・・・」

「お前の方はどうなんだ」

「俺はまだ”発病”して2年程だからな、まだまだ大丈夫だよ」

再び沈黙が流れる。重苦しい空気はすでに家全体を包んでいる。

 

なに。なんだって。賢治が発病?

賢治は高校から寮生活をし(できれば中学から家を出したかった)東京の大学を出て東京で就職した。こちらに帰ってくることはまれであったし、私たちも彼に帰ってこいと言わなかった。

結婚前に賢治は今の嫁を連れてこちらに挨拶に来たことがあった。その次に来たのはもう去年のことだ。(耕一が生まれた時に私が東京へ行ったことはある) つまり10年以上もここに立ち寄らなかったのだ。

あの時、私が高志の獣を呼び起こした時、賢治はまだ11才だった。あの時の賢治の表情が忘れられない。兄に対する恐怖、そして自分もそうなるかもしれないという恐怖。その恐怖はますます大きくなっていったはずだ。

 

その賢治が去年、今年と間を一年もおかずにここに来ている。しかもこれといった用事もないのに。賢治にはもうここを避ける必要がなくなったのだろうか。

それでは耕一についてはどうなのだ。すでに”発病”した自分と一緒にいれば東京でもここでも同じだと判断したのだろうか。

 

「賢治、俺はなあ、自殺しようとしたことだって両手でかぞえきれない。

昔はな、自分の意志で思いたったんだ。だがな、今はもう俺の意志じゃない」

高志の声が大きくなる。沈黙のたびに酒を注いでいるのかもしれない。

「三ヶ月ほど前の夜だが、どうやら千鶴に見られた」

「・・・」

「とうとう来たかってとこだな。まあ、前からうすうす気づいてはいただろうが」

「・・・・」

「夜中にな、首をくくったんだ。でも死ねなかった。ひきちぎってしまうんだ」

「・・・」

「最近俺はなビルの屋上に立つ度にぎりぎりのトコまで行くんだ。自分で飛び降りられないことは分かってる。誰か突き落としてくれないかってな」

「兄貴・・・」

高志は弟に殺してくれと頼んでいるのだ・・・・・・・

 

私は木陰で草に腰を下ろした。耕一は魚を見つけようとしているようだ。

「耕一、お前に頼みたいことがあるんだ」

物語を急に打ち切って私は本題を切り出す。これ以上迷っていてもしかたがない。

耕一は黙って私の方を振り向く。そう、千鶴よりはお前の方が頼みやすい。

「私はね、家族みんなをできるだけ幸せにしたいんだ」

耕一は相変わらず黙って聞いている。雰囲気が変わったことをこの子は気づいたのだろうか。

「高志も賢治も苦しんでいる。その苦しみを終わらせてやりたいのだが私にはできない」

いぶかしげな耕一の視線が心配そうなものに変わる。

「耕一、私の代わりに家族みんなを幸せにしてやって欲しいんだ」

 

『殺してやってくれないか』

 

「それは・・僕もそうしようと思うけど・・・」

「千鶴にはこれからもいろいろと苦しいことがあるだろう。お前が支えてやってくれないか」

「僕が?」驚いたような耕一の声。

「そうだ、お前しかできないことだ」

今のこの子にはおそらく分からないだろう。いや永遠に分からないかもしれない。

 

今の私は狂ったように次々に脈絡のない言葉を耕一にあびせる。

「耕一、私には高志と賢治以外にもう一人息子がいるのだよ。名前は柳川裕也。今18歳だから、お前より6歳年上だ。今は千葉で母親と住んでいるはずだ」

それがどういうことなのかも今の耕一にはわかるまい。

私は興信所による写真でしか裕也を知らない。まだ見ぬあの子もいずれ血と戦わなければならないだろう。

 

裕也よりも早く自らの血に向かい合うことになる孫は今や私におびえていた。

異様な雰囲気が辺りを包んでいる。

気が狂ったとでも思っているかもしれない。いや実際に狂っているのかも。

私は生涯最後の賭けに出る。

 

耕一の中で眠っている者よ。お前は去年の今ごろ一度目覚めた。

今もまだまどろみの中にいるはずだ。もう一度目覚め私に力を貸して欲しい。

そして耕一は再びお前を押さえることができるはずだ、去年そうであったように。

 

私はゆっくりと立ち上がり、そして慎重に己の心の鬼を開放させていく。

うるさいほどのセミの声がピタリと止むのがわかる。

生物ならばすべてこの異様な事態に気づくだろう。

今は姿まで鬼に変える必要はない。私は外見をできるだけ変えることなく鬼を呼び覚ました。

 

ビクン

 

それでも体がギシギシ悲鳴をあげているのが分かる。

 

耕一は呆然と私を見ていた。呆然と私の方を見ていた。

瞳孔は開いたままで身動き一つしない。

 

既に深い眠りについてしまったのか?

 

ビクン

 

私のからだが震える。耕一の体が跳ねる。

そしてついに開ききっていた瞳孔が猫のように縦長のものに変わる。

 

ビクン

 

ふいに耕一に表情がもどった。悲しそうにこちらを見ている。

「じいさん、こんな事に命をかけなくてもいいのに・・・」

その声もすごく悲しそうだった。

 

体中からゆっくりと力が抜けていくのがわかる。鬼だけではなく私の力のすべてが抜けていくのがわかる。

 

耕一が私の体を支えてくれるのがわかる。地面にゆっくり横にしてくれるのがわかる。

 

やはり今の体では耐えられなかったのか。確かに命を懸けていたつもりだったが、それでも楽観的に考えすぎていたようだ。

 

力が抜けきる前にまだ言わなければならないことがある。伝えなければならないことがたくさんある。それなのに声が出ない。いや出ているのだが言葉にならない。

 

不意に耕一が駆け出すのがわかる。なぜだ。私の声を聞いてくれ。

耕一の足音が遠ざかる。 すべての音と光が遠ざかっていく。

 

せめて「ありがとう」とだけは伝えたかったのに。

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