ARIA The PIACERE 3 その素敵な出会いの先に 作:neo venetiatti
「もしかして、アサカさん?」
濃紺のジャケットと折り目のしっかりとついた黒色のパンツ姿のアサカ・マリアーノは、声のする方に振り返った。
「お久し振りです、アリゲリータ婦人」
アサカ・マリアーノに声をかけたのは、白髪の老婦人アリゲリータ・グレースだった。
「お仕事?」
「はい」
「お忙しくして、何よりね」
二人がいるのは、マルコ・ポーロ国際宇宙空港のロビー。
アサカは、今しがたマンホームへ帰る旅行客を見送ったところだった。
「アリゲリータ婦人はご旅行ですか?」
「当然よ」
「一体何度目ですか、ネオ・ヴェネツィアは?」
「さあ、何度目かしら」
そう言って、アリゲリータは笑って見せた。
「そうだ。丁度いいところで会うことができた」
「なんですか?」
「アサカさん、あなたに相談したいことがあるんだけど。時間よろしいかしら?」
「はい、時間なら大丈夫ですけど・・・」
アサカとアリゲリータ婦人は、マルコ・ポーロ国際宇宙港にあるVIPルームにいた。
アドリア海を一望できる大きな窓から見える風景に、アサカはゆっくりと息をついた。
「まるで別世界のようですね」
アサカにとって、アリゲリータ婦人は長年の付き合いのある特別なお客様だった。
婦人は、ある財閥一族の出身で、いくつものグループ企業を抱える存在だった。現在はその立場を後身に譲り、退いてはいた。
旅行好きの婦人は、アサカと知り合うようになってからは、アサカを信頼し、多くの客をアサカに紹介してきた。その多くはアリゲリータ婦人のつながりのある、資産家や起業家ばかりだった。
そんな関係のある婦人が相談を持ちかけてくるなんて、一体どんな話なのか。
「お時間を取らせてごめんなさいね」
「いえ、お気遣い無く。ところで、婦人が私に相談なんて、何かあったんですか?」
「そんな深刻なことではないのだけど。実は私の孫のことなの」
「アラトリアさんですよね。確かミドルスクールに通ってらっしゃるとお聞きしています」
「そう。アラトリア。あの娘は今十五歳で、ネオ・ヴェネツィア国際学院に通ってるんだけど」
「名門校ですね」
「アラトリアは小さい頃から私と気が合ってね。何があっても私はいつもあの娘の味方でいたの。でも最近になって、将来について話すようになって、考え方の違いが出てきて、少し衝突することもあって」
「衝突ですか・・・」
アリゲリータ婦人が理知的で何でも論理的に話す性格だと、アサカは十分に理解していた。その婦人と話で衝突するなんて、アラトリアが勝ち気な性格なのは知っていたが・・・
「あの娘、突然ウンディーネになるって言い出したの」
「ウンディーネにですか?」
名門の家柄の令嬢が、いかなる理由があったとしても、よりによってウンディーネになりたいって、一体どういうことなのか。
アリゲリータ婦人が自分に相談したいという理由を、アサカはそれで理解できた。
「でもまたどうしてウンディーネを希望されたのでしょうか?」
「実はアラトリアは、将来起業したいらしいんだけど、このネオ・ヴェネツィアで何かしたいと考えていてね。そのためには観光都市であるネオ・ヴェネツィアのことをもっと知る必要があると」
「それでウンディーネということですか?」
「まあ、そういうことらしいのだけど・・・」
アリゲリータ婦人は少し困惑した表情を見せた。
「このネオ・ヴェネツィアで活躍しているウンディーネを身をもって経験すれば、何かを感じ取れるのではないかとね」
アサカは悪い考えではないと思った。
ただ憧れでウンディーネになりたいと言ってる訳でなく、ネオ・ヴェネツィアを知るためにウンディーネになる。
だが、観光の世界に身を置いているアサカとっては、ウンディーネが見た目以上に厳しい世界でもあることも十分に理解していた。
「それでね、実は先日、改めてゴンドラに乗ってみたの」
「婦人がですか?」
「もちろんよ」
旅行好きの婦人とはいえ、年齢的なことを考えても、また安全面を考えても、あまり勧められる話ではなかった。
それでも孫娘のためには、行動せずにはいられなかったのだろう。
「アサカさんが心配するのも無理もないと思う。でも結果からすると、乗ってみてよかった。かなり久し振りではあったけど、思った以上に楽しめたわ」
「そうだったんですか。それは良かったです」
「それに、私の中に少し偏見があったことも認めなくてはいけないと思ったの」
婦人のような現実的な考え方をする女性には似つかわしくない言葉に、アサカは戸惑った。
「ネオ・ヴェネツィアって、こんなにも素晴らしいところだったと、改めて感じさせてくれたわ。考えを改めるいい機会になった思う」
「それでウンディーネになることをお認めに?」
「そうなるわね。ウンディーネになることは、あの娘にとっていい人生勉強になるだろうし、そこでやりがいを見つけてくれたらすばらしいことだと思う」
「確かにいい経験にはなるとは思いますが・・・」
「何か問題でもあるのかしら?」
「そうですね。実のところ、水先案内店に所属してウンディーネになること自体は、それほど難しくはありません。ただ、そこから一人前のウンディーネになれるのはごく一部の人間だけで、最上位の称号であるプリマになるにはとても難しいのが実情です」
「そうなんですか。そう聞いてみると、確かにそうなんでしょうね。納得できるところがあります」
婦人は少し考え込むように目線をおろした。
「それでピクニックなのね」
「ピクニック?」
「ええ。アサカさん、ご存知ない?」
「ピクニックって車に荷物を積んで・・・」
「そうじゃないの。ある日突然先輩が後輩を誘うそうよ。ピクニックに行かない?ってね」
「どうしてまたピクニックなんかに?」
「それは口実で、本当は試験なの」
「試験なんですか?」
「そう。昇格試験。知らなかった?」
「知らなかったです」
アサカは、無邪気に話す婦人の顔を唖然と見つめていた。
「ありがとう、アサカさん。お時間を取らせて申し訳なかったわね」
「いいえ、あまりお力になれず、申し訳ありません」
婦人は先日のゴンドラで観光した日のことを楽しそうにアサカに話して聞かせた。
孫娘が希望するウンディーネに対して、考えを改めるのにいい機会になったようだった。
「それに、評判も上々だと聞いたので、少し安心しているの」
「評判ですか?」
「ええそうよ。アラトリアにも、就職するのならそのお店にするように話したの」
「そうなんですか。よかったらその店の名前を教えていただけますか?」
「ARIAカンパニーよ」
「ARIAカンパニー・・・」
アサカは婦人の口から出た名前に、意外すぎる印象を感じずにはいれなかった。
「アサカさん、ご存知ないの?」
「いえ、ARIAカンパニーならよく知っています」
「そうなの?素晴らしいウンディーネがいるという噂だけど。アラトリアの教育にうってつけなんじゃないかしら」
アサカはどう返事していいのか迷っていた。
「その評判なんですが・・・」
「何かあるの?」
少々ためらいながら、アサカは話始めた。
「ARIAカンパニーの評判が高かったのには理由があるんです。ウンディーネの世界において、第一人者として名高いグランド・マザーと称えられていた方が、そのARIAカンパニーの創設者でして。その後を受け継いだアリシア・フローレンスは、類い希なる素質を持ったウンディーネでした。アクアを代表する水の三大妖精のひとりとして称えられていたくらいなんです。だからだったんですが・・・」
「それなら尚更そこに行かせないと」
「違うんです」
「どういうこと?」
「アリシアはもう一年以上前に引退しています。ですので今のウンディーネは、全く別のウンディーネでして・・・」
「そうなんですか。つまり、昔と今とは違うと言いたいのね」
「そう申し上げた方がいいのではないかと」
アリゲリータ婦人は、アサカの言葉に少しうつむくと、ふっと笑みをもらした。
「違うのよ、アサカさん」
アサカは余計なことを言ってしまったのではないかとうつ向いていたが、婦人の言葉に思わず顔を上げた。
「私が決めた一番の理由は、そのウンディーネさんだからなのよ」
「それは先日観光されたときの、ということですか?」
「そうよ。さりげない心遣いや私たち年老いた夫婦にも当たりまえのように接してくれたやさしさは、どれだけ安心してゴンドラに乗っていられたことか。それに、そのウンディーネさんがこのネオ・ヴェネツィアをどれだけ愛しているかは、彼女の案内する様子を見ていれば、十分に伝わってきたわ」
アサカは、先日自分でも経験したARIAカンパニーの、つまり灯里の観光案内に感じたものとは、まるで違うものを聞いているような印象だった。
「私はその評判が高かった頃のARIAカンパニーをよく知っているわけじゃない。もしかしたらそんな評判とは知らずにそのゴンドラに乗っていたのかもしれないわね。確かな記憶がある訳じゃないわ。ただ言えるのは、ARIAカンパニーのゴンドラでの観光はとてもよかったということ。そして、あのウンディーネさんがいる水先案内店ならアラトリアを行かせてもいいと思った」
アサカは、窓の外のアドリア海の方に視線を移した婦人の、その笑みをたたえた横顔を見つめていた。
以前にも同じような光景を見た記憶があった。
アリゲリータ婦人には、自分には見えない何かが見えてるのではと、アサカは思わずにはいられなかった。
アラトリアはいい話が聞けたと、ニンマリとしていた。
彼女は屈託のない現実派と言うべきか、利用できるものは躊躇することなく利用する性格だった。
そしてそれは、15歳とは思えない行動力を発揮していた。
街角のカフェで、アラトリアはテーブルを挟んでひとりの女性を前にしていた。
その女性はコーヒーの入ったカップを皿の上に戻すと、上目遣いでアラトリアを見た。
「あのぉ」
「何かしら?」
「本当にお願いしますね」
「わかってるわ」
「内緒ですから、この話は」
「大丈夫。安心して。大事な情報は人に聞かせたりしないから」
アラトリアが目の前の女性から聞き出した話は、最近アリスが頭を悩ませているナイトパーティーのティンカーベルの件だった。
そして目の前の女性は、オレンジぷらねっとの企画室の社員でり、グレース財閥の関係者の娘でもあった。
つまり、オレンジぷらねっとの内情を知っていると同時に、アラトリアの頼みを断れない立場の人物であった。
アラトリアにとっては、最近のアリスの動向を探ろうとしていたら、この件を知ることになったというわけだった。
「あくまでもお嬢様だからですので。こんなことがばれたら、私の社内での立場が危うくなってしまいます」
「アムネジア?その時は破格の待遇で私の会社に迎えてあげるから」
15歳の女の子が、何の根拠があってそこまで自信満々で言ってのけるのだろうか。
アラトリアを前にしたアムネジアと呼ばれたその女性は、なんとも言えない気分になっていた。
ただ、アラトリアは確かに実行力のある女の子だった。だから、妙に真実めいた話にも聞こえてしまうのだった。
「でも、アリスさんは、どうしてそこまで拒絶しているのかしら?」
「おそらく、衣装をご覧になられたことが原因ではないかと思います」
「衣装?そんなにひどいの?」
「いえ、ひどいというほどではないと思うのです。企画室全員の満場一致で決定したことですし」
「満場一致?一体どんな衣装なの?」
アラトリアは目を輝かせて聞いてきた。
その女性はアリスに見せたときの衣装を説明した。
「きっと可愛いらしいでしょうね。アリスさんですから。見てみたい気もしますが・・・」
「ただ・・・」
アムネジアは気まずそうに言った。
「ただ、何かしら?」
「今回の企画自体がどうなるか、少し危うくなってきたのです」
「危ういの?」
「はい。実はそもそもこの企画のきっかけとなった、そのカップルの女性の方が、もしかしたら仕事の都合で参加できないかも知れないとなってきまして」
「何それ?オレンジぷらねっととあろう会社が、意外に詰が甘いのね」
アラトリアは怪訝な表情になっていた。
「アリスさんに取り入るチャンスかと思ったのだけど・・・」
アラトリアはすっと立ち上がると、「また連絡するわね」と言って、さっさと店を出ていってしまった。
「あ、あの、お嬢様。これを最後に・・・」
アムネジアは、アラトリアの背中に声をかけてみたが、そのままテーブルに視線を落とすと、深いため息をついた。