ARIA The PIACERE 3 その素敵な出会いの先に 作:neo venetiatti
午後の予約のお客様は、ひとり旅をしているという男性だった。
マンホームからやって来て、現在アクア中を巡っているという。
「このネオ・ヴェネツィアは、必ず来ようと思ってたんだ!」
「そうなんですか。何か特別な理由でもあるんでしょうか?」
「まあ、そうだね」
二十代半ばと思われるその男性は、髪を肩の辺りまで伸ばしていて、精悍な顔立ち、笑うと白い歯が印象的な明るい人柄を思わせた。
灯里の問いかけにも気さくに応える素振りは、人懐っこい性格のようだ。
「なんかとっても美人のウンディーネさんがいるって聞いたもんだから、これは絶対来なきゃって思ってたんだ!」
「そ、そうなんですか・・・」
「そしたら、こんなかわいいウンディーネさんと出会えた。今日のオレ、ツイてる!間違いない!」
「はひっ!」
そう言って、その男性客は笑い声をあげた。
灯里は、なんだかペースを崩された感じになっていた。
「あっ、ウンディーネさん。気にさわったらごめん。半分冗談だから」
「ああ、そうなんですか・・・」
「でも、ウンディーネさんがかわいいのはホントだよ」
「わかりました」
灯里のリアクションを見て、男性客はまた笑い声をあげた。
ゴンドラは、カナル・グランデを縦断するかたちで、ゆっくりと進んでいった。
「いい眺めだ」
「この大運河は、逆S字のかたちでネオ・ヴェネツィアを縦断してます。そのため、ボートや遊覧船、ゴンドラが行き来していて、とても賑やかで、ネオ・ヴェネツィアを象徴する場所といえます」
「なるほど。活気があっていいね。この街の暮らしがとても感じられる」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、うれしいです」
「ウンディーネさんがうれしいの?」
「はい!」
男性は思わず振り返って灯里の顔を見上げた。
灯里は、嬉しそうな表情でオールを漕ぎ続けていた。
「あれは何?ゴンドラが運河を横切ってる!」
「お客様、あれはトラゲットといって、渡し船なんです」
「そんなのがあるんだ」
「はい。この街で暮らす人々の生活の足なんです。この大きな運河の両岸を行き来する大事な交通手段となってます」
「なるほど」
男性は感慨深げにその様子を眺めていた。
「ウンディーネさん?」
「はい、なんでしょうか?」
「オレ、ここに来た理由、最初に言ったよね」
「美人のウンディーネを捜しに、ですね」
「そうそう。半分冗談だって」
「はい。そうおっしゃいました」
「その、残りの半分を聞いてくれますか?」
「あ、はい。私でよければ・・・」
ゴンドラはカナル・グランデを南へ出ると、そのまま西へ進み、サン・マルコ広場へと向かった。
すると、広場を象徴する大鐘楼がその姿を現した。
「立派な建物だね」
「はい。ここは特に人気の観光スポットとなっています。最上階まであがると、ネオ・ヴェネツィア周辺が一望できます」
灯里たちは、その大鐘楼を右に見ながらゆっくりと進んだ。
「実はオレのおやじがこのサン・マルコ広場で、母ちゃんにプロポーズしたらしいんだ」
「そうなんですか?」
灯里は思わず声をあげた。
「失礼しました・・・」
「ハハハハ。別に気にしてないよ、ウンディーネさん」
「もしかして、先程のお話の残り半分というのは、そのことなんでしょうか?」
「そう、そのこと。ここは、オレにとっては思い出の場所ではないけど、おやじと母ちゃんのことを思い出す場所なんだ」
「思い出す・・・」
「もういないから。小さい頃に死んじまったから。はっきり記憶もないんだけどね。ただ、ここで結婚することを決めたらしいんだ。だから今のオレがいる。ここは、オレにとってそういう場所なんだ」
「そんなことが・・・」
「だから一度は見ておこうと思ったわけなんだけど。なんせ、貧乏旅行の身では来るのが大変!」
「はあ・・・」
男性は灯里の反応に笑いだした。
「ハハハハ。ウンディーネさん、ウソのつけない人だね」
「えっ、今のお話はうそ・・・なんですか?」
「違う違う。話はホント。そうじゃなくてさ、こんな話、誰にも話したことなかったんだよ。だって重いでしょ?」
灯里は真剣な眼差しで言葉を返した。
「いいえ、私はそうは思いません」
「そうなの?」
「はい。だってこんな素敵な話はないです。お父様とお母様がここで結婚を誓い、そしてそこがどんなところかを、お客様は確かめに来られた。ここは間違いなく、お客様にとっても大切な思い出の場所だと思います」
「ウンディーネさん・・・」
その男性は灯里の、その大鐘楼を見上げる横顔を見つめた。
「あっ、すみません。わかったようなことを言ってしまって」
「いや、ウンディーネさん」
「はい。なんでしょうか・・・」
「ウンディーネさん、うまいこと言うね!」
「はひっ!」
「両親が生きた証を、その息子が確かめにやって来た。いいよ、その感じ!」
「はあ」
「さすがだね、ウンディーネさん。ネオ・ヴェネツィアを代表するウンディーネさんだけのことはある!」
「はぁ・・・えっ、だ、代表する?」
「違うの?なんかすごいらしいじゃない?すべてパーフェクトになんでもできちゃうんでしょ?」
「ああ~~それは~~たぶん~~アリシアさんのことかと~~」
「えっ、あなたのことじゃないの?確かARIAカンパニーだと聞いたんだけど」
「ARIAカンパニーに間違いはありませんが、私のことではないかと」
「別の人だったんだ。なんだ、そうだったのか・・・」
灯里は男性の反応を見て、ガックリうなだれてしまった。
「でもよかった」
「はあ」
「ウンディーネさん、あなたでよかった」
「えっ?」
「オレの話を素敵だなんて言ってくれて、うれしかった。人にそんなふうに言ってもらえるとは思ってなかったから」
男性は眩しそうに大鐘楼を見上げた。精悍な顔立ちが満足げな笑顔で満ちていた。
「お客様?」
「何?」
「今日は本当にいいお天気ですね」
「そうだね」
「こんなにも晴れ晴れとしたお天気の日だと、私には、このアクアがお客様を祝福しているように思えてならないです!」
そう言って灯里は空を見上げた。
その男性客は、灯里の言葉につられるように振り返って灯里の顔を見上げた。
そして、灯里の見る方向に目線を向けた。
青い空と流れ行く雲。陽の光がどこまでもやさしく降り注いでいた。
「ほんと、いい天気だ!」
「はい!」
そのひとり旅の男性はゴンドラを降りる際、灯里の手を両手で握り締め、何度も何度も上下に振って、感謝を表した。
その力強さに少し顔をしかめた灯里だったが、男性の最後の「ありがとう」の言葉が、胸にジーンと伝わってくるようだった。
灯里は、遠くマンホームにいる両親のことが頭をよぎった。
もし何かあっても、すぐには会えない。
仕事のこと、ARIAカンパニーのこと、信頼してくれているアリシアのこと。
いつも気にかけてくれる藍華のこと。さりげなく心配をしてくれるアリスのこと。
いつもそばで見守ってくれているアリア社長のこと。
そして、そして・・・
今の灯里には、このアクアが、そしてネオ・ヴェネツィアが、何にも替えることの出来ない居場所となっていた。
自分を必要としてくれる。そして、自分にやるべきことがある。
灯里は、その男性が人混みの中に消えて行くまで、その背中を見送った。
「また来てくださいね。いつでもお待ちしています」