ARIA The PIACERE 3 その素敵な出会いの先に 作:neo venetiatti
その女性客はひとりだった。
女性ひとりが特別珍しいという訳ではなかったが、灯里はなんとなく、そのことが気になっていた。
その女性は、灯里がすすめる場所を、と頼んできた。
四十代ぐらいだろうか、落ち着いた物腰だが、それとは反対にてきぱきとした口調で、背筋がしゃんとしていて、毅然としている様子だが優しい雰囲気も漂っていた。
灯里は、なんとなくその女性の印象からイメージした場所をめぐることにした。
ネオ・ヴェネツィアを代表する観光スポットの他に、灯里自身が日々の中で見つけた意外と思えるような場所なども巡った。
その女性の様子からは、おおむね満足しているように見えた。
だがその一方で、何か灯里の中で引っ掛かるような部分もあった。
「素敵な観光案内だったわ。ありがとう」
「いえ、こちらこそお客様に楽しんでいただけて何よりです」
「ただ・・・」
その女性はそういったまま、黙ってしまった。
「あの、お客様?何かありましたでしょうか?」
灯里は、その女性の反応に戸惑いを隠せずにいた。
「ウンディーネさんにこんなこと言うの、失礼かもしれないけど」
その女性はためらっていた。
「あの、お気遣いなさらずにおっしゃってください」
灯里は、その女性が本当のところ、何を思っているのか知りたかった。
自分の観光案内がどんなものだったのか、率直な感想を聞く必要があると感じた。
「わかったわ。それなら言うわね」
灯里は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ウンディーネさんはどうだったのかしら?」
「私がですか?」
灯里は、その以外な問いかけにキョトンとしていた。
「そう。ウンディーネさん自身、楽しかった?」
灯里は、すぐには言葉が出なかった。
「あなたが自分なりに工夫して、私に案内する場所を考えてくれたことはとても伝わったきたし、うれしかったわ。ただ、それをあなた自身が楽しいと思えたのかということなの」
「お客様に楽しんでいただけたのでしたら、それは私にとってもうれしいことですけど・・・」
灯里はその女性の真意が計れずにいた。
「ごめんなさいね、ウンディーネさん。唐突にこんな失礼なこと言って」
「いえ」
その女性は前を向いたまま、灯里に背中を向けていた。
その背中が、灯里にとっては、何かを突きつけられているような姿に見えた。
「あの、すみません。もしよろしければ、どういうことか聞かせていただけないでしょうか?」
灯里の真剣な問いかけに、その女性は少し微笑むと、海に目を向けたまま話し始めた。
「実はね、あなたがシングルのときに、一度だけ乗ったことがあるの。あなたのゴンドラに」
「そうだったんですか?それは失礼いたしました」
「別に覚えているかなんて、そんなバカなことをいうつもりじゃないわ。ただ、私にとって、とても思い出深い経験だったから」
「思い出深い、ですか・・・」
「ええ」
その女性客は、昔を懐かしむように、そして記憶をたどるように話し始めた。
「仕事の関係もあって、昔からネオ・ヴェネツィアには来ることが多かった。その時いつも、ゴンドラを優雅に漕いでいるウンディーネたちの姿に魅了されていたの。そのうち、そのゴンドラにも乗るようになり、いつしかネオ・ヴェネツィアのファンになっていた」
女性は無邪気な、若い頃の姿に戻ったかのような表情だった。
「そしてある時、そのウンディーネに遭遇した。誰よりも優雅で誰よりも美しく、誰もが振り向くような存在。それがアリシア・フローレンスだった。でも私がそれ以上に惹き付けられたのは、彼女のゴンドラに乗っているお客さんたちの顔だった。みんなとてもしあわせそうで、このネオ・ヴェネツィアを巡ることを本当に楽しんでるようだったわ」
灯里自身にも想像ができるような話だった。
「是非彼女のゴンドラに乗ってみたい。そう思ったのだけど、やはり無理だった。彼女は水の三大妖精とまでいわれている存在で、予約を取ることすら困難だった。でもそれだけではなかった、彼女に驚かされたのは。彼女の所属するお店、ARIAカンパニーは、彼女ひとりだということだった」
その女性客は、軽くため息を漏らすと、少しトーンを落として話を続けた。
「私その頃、少し仕事に行き詰まっていて、このまま仕事を続けるかどうか迷っていたの。そんな時だった、彼女を知ったのは。ひとりで会社を切り盛りしながら、ひとりで立派にウンディーネをやっていた。どうしてあんなに笑顔を絶やさず、優雅にゴンドラに乗ってられるのか。ますます、彼女のゴンドラに乗りたくなった。そうすれば何か答えがわかるんじゃないかってね」
「それでどうだったんでしょうか?」
「結果的に乗ることはできたわ」
「結果的に?」
「そう、結果的に。普通なら無理だったと思う」
「はあ」
「だから」
「はい」
「コネを使いまくった!」
「ええ~!!」
「ハハハハ」
「す、すみません」
「今まで仕事を頑張ってきたのは、このためだったと言わんばかりに、知り合いから知り合いへと辿っていって、やっと頼み込んだ」
「そうなんですか・・・」
「それでも予約が取れたのは三ヶ月先だった。私のコネってこんなもんなのねって痛感させられたわ」
「いや、それでもすごいと思いますけど・・・」
「でもね、答えは出なかったわ」
「はぁ」
「違うわよ。彼女の観光案内は最高だった。これは確か。答えが見つからなかったのは、もちろん私の方。彼女は私と違って特別な存在なんだと思って納得しようとした。でもそれも違ってた」
「どういうことでしょうか?」
「気になる?」
「はい」
「どうしようかなぁ・・・」
「ええ~!あっ、すみません」
「ハハハハ」
灯里は、話を聞いているうちに、自分もその女性と同じ立場に立っているような気分になっていた。そして、その時のアリシアとの出会いがどんなものだったのか、気になって仕方がなかった。
「実は、それからしばらくは、ネオ・ヴェネツィアに来る機会がめっきり減っちゃって。そうなると、自然と足が遠のいてしまった。でもまた、仕事の都合でここへ来るようになった。そうしたら、偶然にもアリシアさんのゴンドラと遭遇したの」
「はい」
「でも、いつもの彼女の姿ではなかった」
「いつもの姿・・・」
「彼女は座席に座っていたの。そして、そのゴンドラを漕いでいる別のウンディーネを楽しそうに眺めていた」
「えーと、それは、つまり・・・」
「そう。つまりそれは、あなた」
「今度はスムーズに予約が取れたわ」
「は、はい。そうだと思います」
「楽しみだった」
「私の観光案内が、ということですか?」
「そうよ。ARIAカンパニーはアリシアさんひとりだったわけでしょ?それが誰かのゴンドラに同乗していた。つまり、後輩を指導していたということでしょ?」
「そういうことになります」
灯里はちょっと照れ臭そうに答えた。
「あのアリシアさんが育てている後輩。すぐに手を確かめたわ。グローブは片方だけ。だからすぐに予約を入れたの」
「それでそのぉ~、どうだったでしょうか~?」
「結論から言って」
「はい」
「とっても楽しかった!」
「ああ~それは~なによりですぅ~」
「その時のことも忘れられないわ。アリシアさんがそばにいて、あなたがゴンドラの上に立っていた。そうしたらアリシアさん、なんて言ったと思う?」
「なんて言ったんでしょうか?」
灯里はなんとなく察しがついたが、一応聞いてみた。
「もしかしたら、観光案内をさせて頂いたことありますかって」
「はぁ」
「本当にあの時は驚かされたわ。でもね、思い出深いのはその後のことだった」
「あと、ですか?」
「アリシアさんは、あなたが観光案内をする姿を見て、本当に嬉しそうに、そして楽しそうにしていた。それに指導らしいことは何も言わなかった。ただ一緒になって、観光案内ができることを、本当に喜んでいるようだった」
「アリシアさん・・・」
「私もいつの間にか、一緒になって楽しんでた!」
「はひっ!」
「あんな経験、後にも先にもあの時だけだった。とても素敵な経験をさせて頂いたと思ってるの」
灯里は、ARIAカンパニーの船着き場でその女性客に手を差しのべた。
階段を上がり、正面のカウンターの前まで来ると、カウンターの上の小さな植え木鉢と小さな花に目が止まった。
それを見たその女性は、優しい笑みを浮かべた。
「かわいいお花ね」
そう言って、灯里の方に振り返った。
「これはあなたが?」
「はい。私が植えました。でも時々、シルフのウッディさんが届けてくれるんです。季節が変わるのがすぐにわかるからって、一番早く咲いた花を持ってきてくれます」
「そうなんだ。いいお友達がいるのね」
「はい!とってもいい人なんです!」
灯里は、本当に心から嬉しそうな笑顔をみせた。
その女性は、その笑顔を見て、にっこりと微笑んだ。
「今日は本当にありがとう。余計なことを言ってしまって、不愉快な気分にさせてしまったなら、ごめんなさいね」
「あ、いえ、そんなことありません。いいお話を聞けたと思っています」
「いい話?」
「はい。実は最近、ちょっと停滞気味だったんです。仕事は、それなりに順調だったんですが、何て言うか、こう、うまく言えないんですけど・・・」
「大事なものが見えなくなってしまったような感じ、とか?」
「えっ、なんでわかるんですか?」
「なんとなくそう感じただけよ」
灯里は、ハッと我に返った。
「す、すみません。お客様に馴れ馴れしくお話をしてしまって」
「大丈夫よ。別に気にしてないわ。私だって、ただの客の分際で、偉そうなこといったわけだし。ここは、おあいこということで。ね?」
「はい」
「そういえば、彼女元気かしら?」
「えっと、誰のことでしょうか?アリシアさんですか?」
「アリシアさんにも会ってみたいけど。彼女ではなくて、姫屋の、あの元気印の娘」
「元気印・・・もしかして、藍華ちゃんのことでしょうか?」
「そうそう。オーナーの娘さんの藍華さん」
「藍華ちゃんとお知り合いなんですか?」
「お知り合いというほど知り合いではないけどね。彼女覚えてなかったみたいだし」
そう言って、その女性はトホホといった残念そうな仕草をして見せた。
灯里は、目をまんまるくして見ていたが、その仕草に思わず吹き出してしまった。
「この前、ここで久しぶりに会ったんだけど。私としては、偶然とはいえ、ちょっと嬉しかったんだけどね」
と、もう一度トホホと泣いてみせた。
そして、顔を上げると、ふたりはお互いの顔を見て笑いあった。
だが、灯里の顔色が変わった。
「えっ、ちょっと待ってください。この前ここで会ったんですか?」
「そうなの。すっかりウンディーネ姿が板についてたから、驚いたけどね」
その懐かしそうに話す女性の顔を見て、灯里は不思議そうに尋ねた。
「あのー、すみませんが、お客様っていったい、どなた様でしょうか?」