時の流れとは早いもので、入団から二年の月日が経過していた。当初は300名あまりいた訓練兵はこの二年で三分の一弱が成績が足りずに追い出されたり、自ら開拓地行きを志願したり、はたまた訓練中の事故で死亡する等で脱落していった。だが、残った者達は最初の一年で行われたひたすらの体力作りにより少しずつ、確実に屈強になっていき、二年目になると立体機動訓練も本格的に始まり、この頃には成績の優劣が大分決定していった。
ウォール・ローゼ南方面駐屯地・練兵場。そこでは現在、対人格闘訓練が行われていた。対人格闘訓練とは読んで字のごとく、“人間との戦闘を想定した訓練”であり、二人一組のペアを作り、一方がならず者の役をやって襲いかかり、もう一方がそれを制圧するという形式で行われる。しかし、戦う相手が人間ではなく巨人であるため、この訓練に必要性を見出している者は少ない。この訓練が点数にならないということもあり、多くの者は過酷な訓練の骨休めとして臨んでいるのだった。だが、こんな訓練でも真剣に取り組んでいる者も極少数だが確実にいる。ユリウスとクリスタは、その中の一人だった。
「やあああっ!!」
木剣を持ったならず者役のクリスタが突進して来た。ユリウスは彼女の一つ一つの動きを冷静に観察しながら、紙一重でナイフを躱す。通り過ぎ際にクリスタは動きを急転換して再び木剣を繰り出すが、ユリウスはそれも焦ることなく躱し、突き出されたままの彼女の手を掴んで引っ張った。
「きゃっ──」
体勢を崩したクリスタの手から木剣を奪い取り、そのまま彼女の足を後ろから払う。クリスタは受け身が取れず、尻餅をついた。
「い、いたた……」
「っと、悪いクリスタ。怪我はないか?」
地面に座り込んだままのクリスタに手を伸ばすユリウス。彼女はその手を取って立ち上がると、いつものような柔らかい笑顔を作った。
「うん、全然大丈夫。でも、やっぱりユリウスは強いな〜」
「そうか? 俺なんかよりミカサやアニの方が断然格上だと思うが……」
ミカサは同期の訓練兵の中では頭一つ抜きん出た実力を持っているし、アニも本人にやる気がないためあまり目立つことはないが、格闘技の心得があるだけあって相当強い。ユリウスもこの二人には未だに勝負をして勝ったことがなかった。アニには何とか互角に持ち込めたが、ミカサにはもう勝てる気がしない。
「そんなことないよ! ミカサもアニもユリウスのこと褒めてたもん!」
「うあ!? ち、近──」
むぅ、と頬を膨らませて上目遣いでぐいっと顔を近づけたクリスタに、ユリウスは慌てて一歩後ろに退がる。
すると──。
「クリスタから離れやがれユリウスゥゥゥゥ!!」
「ぐはっ!?」
ユミルのボディーブローが飛んで来た。それは見事にユリウスの鳩尾にメリ込み、ミシッという嫌な音を響かせる。ユリウスは腹を押さえてうずくまった。
「な、なにすんだユミル……」
「なにすんだ、じゃねえよ! ったく、少し目を離すとすぐイチャイチャしやがって」
「けっ!」と唾でも吐きかけるような侮蔑の込もった顔で、ユミルはユリウスを見下した。
「……あれのどこがイチャイチャしてるように見えたのか詳しい説明を聞きたいぐらいだよ」
「そ、そうよ、ユミルったら! 変なこと言わないでよ! イ、イチャイチャだなんて……わ、私はただユリウスと訓練をしていただけで……」
と、口では否定しつつ、「えへへ」と嬉しそうに頬を赤らめているクリスタを舌打ち混じりにスルーして、ユミルは彼女の手を取った。
「とにかく! 次は私がクリスタと組むんだ。テメエはどこか行ってろ!」
そうしてそのままクリスタの手を引っ張ってユミルはその場から離れていく。手を引かれながら、心配そうな顔で振り返っていたクリスタに大丈夫だと手を振って伝えると、安心したように息を吐いて、彼女も手を振り返した。
「よう、ユリウス。今日もクリスタと訓練か?」
クリスタとユミルが離れて行ってからしばらく、休憩がてら鳩尾のダメージを癒すために隅に外れて地面に腰掛けていると、そんなユリウスの傍に一人の少年が近寄って来た。色素の薄い茶髪の刈り上げ、そして険のある顔が特徴の彼は、ユリウスの隣に腰掛けると、大げさに肩を組んだ。
「なんだジャン、お前も休憩か?」
ジャン・キルシュタイン。第104期訓練兵の中では立体機動の操作技術がずば抜けて優秀であるが、自分に正直すぎる性格が他者との軋轢を生みやすい人物でもある。兵士に志願したのも『憲兵団に入って安全で快適な内地に行くため』と公言しており、そのためかエレンとの仲はすこぶる悪い。
「ま、教官に見つからない程度にな。しっかし、相変わらずお前は真面目だなあ」
「そういうお前は相変わらず適当に流してるな」
「当たり前だろ。こんな点数の入らない訓練なんか、真面目にやる方が馬鹿らしい」
遠回しに馬鹿にされているような気もするが、それが癪に障るほど短気ではないつもりだ。まあしかし、これがエレンならばとっくに取っ組み合いになってもおかしくはないだろう。それくらいに、ジャンとエレンの仲は悪いのだった。
ユリウスは肩に組まれているジャンの腕を除けた。
「そうかもしれないが、やって意味無いなんてことはないだろ。もしかしたら、将来役に立つ時が来るかもしれないしな」
「まあそうかもな。だが、だとしたらそりゃいつだ? オレ達の敵は巨人だ。巨人に対人格闘なんざ何の意味もねえ」
ま、オレは憲兵団に入るから関係ないがな。と、そう鼻を鳴らしたジャンにユリウスは呆れを含んだ息を吐いた。別段、彼との仲は悪いわけではない。かと言って素直に友人と言えるほど仲が良いわけでもなく、こうして訓練や座学の授業前後に多少話をする程度の仲だ。だから贔屓目なしに彼の言葉を聞くと、なるほど、これでは他者との間で軋轢も生みやすいわけだ、と納得した。
はあ、とユリウスはもう一度ため息を吐いてジャンから視線を外し、離れた所でユミルと訓練をしているはずのクリスタに目をやった。元来の性格が大人しい彼女がいなされながらもユミル相手に懸命に組み合っている姿を見ると、自然と笑みが溢れた。それを見たジャンが、ニヤリと口元に弧を描く。
「そういやあ、お前とクリスタは随分と仲がいいな」
「え?」
「お前ら、いつも二人でいるだろ。まあ、たまにその間にユミルやらサシャやらが入っちゃいるが、基本的にはお前とクリスタってセットじゃねえか」
「ああ……」
そう言われてみれば、とユリウスはジャンの言葉に頷いた。確かに、入隊式の時に親しくなって以来、クリスタとはほとんど一緒に行動している。こうした対人格闘訓練でも然り、立体機動訓練や座学でも。ユミルやサシャが入ってきて三人、あるいは四人という時もあるが、クリスタとは就寝時以外ではいつも一緒だった。
「……なんでだろうな?」
「いや、オレに聞くなよ……仲が良いのは一向に構わないが、精々気をつけろよ?」
「は? 何で」
「何でってお前……クリスタが他の男共に人気があるからに決まってるだろ。奴らからすりゃあ、クリスタとあんなに仲がいいお前が羨ましくて仕方ねえんだ」
クリスタは、その容姿と優しい性格が相俟って男子訓練兵の中ではダントツの人気を誇っているらしい。一部では『女神』や『結婚したい』などと言われているとか何とか。
「奴らからすりゃあ、お前は敵……いつ背中から闇討ちされてもおかしくねえぜ?」
「闇討ちか……俺、それ覚えあるな。この前の対人格闘訓練で後ろからいきなりライナーに襲撃された」
まあ、あの時は何とかライナーを返り討ちにすることで難を逃れたが、エレンとベルトルトに引っ張られていくその時のライナーのユリウスを見る顔は、まるで親の仇を見るかのような形相だった。あの時は何事かと思ったが、そういうことだったのか。
「まあ、オレから見てもお前らは本当に仲がいいもんな。まるで恋人同士みたいだ」
「別にそんなんじゃねえよ。なに言ってんだ」
「ハハハッ! 冗談だよ。だが、実際のところお前はクリスタのことどう思ってんだよ?」
「どう思ってるって……」
本当に、どう思っているのだろうか。確かにクリスタは綺麗だ。それは入隊した時にも思ったし、この二年でそれが更に顕著になってきたと思う。
上質の絹のようにサラサラした金糸の髪に空を映したような碧の瞳、雪のように白い肌や瑞々しい唇。誰かが渾名しているように、『女神』という言葉が相応しい少女になった。先ほど彼女が顔を近づけてきた時なんかは胸が大きく高鳴った。それに、今まで当たり前のように過ごして来たから気づかなかったが、彼女といると心が安らぎ、自然と笑顔になっている自分がいた。
「(もしかしたら、俺は──)」
と、そう思ったユリウスの思考は、
「──ハウザー訓練兵、キルシュタイン訓練兵。貴様ら、一体何をしている?」
静かな憤りを含んだその声に中断させられるのだった。
「「えっ?」」
声を上げるのも束の間、次の瞬間にはぐわしっと頭をわし掴まれ、ミシミシメリメリと万力にかけられているかのような締め付けが激しい痛みと共に襲ってきた。
「いたたたたたたっ!!?」
「あ、頭がぁぁっ!!!」
「訓練中に無駄話をするなど良い度胸だ! 覚悟はできているのだろうな!?」
「キ、キース教官!? ち、違うんです! これはジャンが話しかけてきたんです! 俺は悪くありません!」
「なっ!? ユリウスてめえ! 何一人だけ逃げようとしてんだ! 元はと言えばお前がサボってたんじゃねえか!」
「サボってねえよ! 休憩してたんだ!」
「どっちも同じだろうが!」
「ええい、黙れ!! 責任の押し付け合いなどと醜いことをするんじゃない! もういい来いっ! 貴様らのその腐った性根、遊んでいたブラウス訓練兵とスプリンガー訓練兵と共に叩き直してくれる!!」
ズルズルと、必死の抵抗虚しく頭をわし掴みにされた状態で引きずられて行くユリウスとジャン。教官の向かう先には教官室があり、その中にはユリウス達より前に既に連行されたサシャとコニーがいるそうだ。そして、上手投げでその教官室という名の地獄に放り投げ入れられた二人。しばらくして、ゴンッ、という硬い何かと何かが衝突する鈍い音が四つと、四人の悲鳴が練兵場に木霊した。
◇
結局、頭突きという名の体罰が終わった後も教官による説教は続き、ようやく解放された頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。額を赤く腫らし、幽霊のような足取りでふらふらと教官室を後にするユリウス、ジャン、コニー、サシャの四人。特にサシャなんかは今日の夕食を食べていないので、まるでこの世の終わりのような顔をしていた。ジャンもコニーも、サシャほどではないにしろ教官の説教が精神的に効いているようで、終始無口で静かに兵舎の中に入って行った。
「はぁ……すごい疲れた……」
大きく息を吐き、ユリウスも彼らの後に続こうとした時だった。
「ユリウス……」
聞き慣れた声。振り返ると、そこには心配そうな顔をしたクリスタが立っていた。
「クリスタ……? 何してんだこんな所で。もう就寝時間はとっくに過ぎてるぞ」
「うん、分かってる。でも、ユリウスが心配だったから……」
そう言ってからクリスタはユリウスに近寄り、スッと懐からあるものを取り出した。この展開、いつか見た憶えがある。
「あの……夕ご飯、まだ食べてないでしょ? これしか持ち出せなかったんだけど、良かったら食べて……」
そうして差し出されたのは、一つのパン。確かあの時も、そうやって死ぬ寸前まで走らされて倒れ込んだサシャにパンを渡していた。もう一方の手にはあの時と同じように水の入った袋があって、それを見たユリウスは思わず噴き出してしまった。
「くっ……ははは!」
「え? え? ど、どうしたの?」
頭に疑問符を浮かべながら首を傾げる彼女を見て、ユリウスはまた噴き出した。大声を出さないように右手で口を押さえて、左手で腹を抱えてしゃがみ込む。クリスタはますます訳が分からないと言ったような表情をしていた。
「ははは……悪い悪い。少しツボに入って……」
笑いが落ち着いてからユリウスは腰を上げ、笑い過ぎて涙目になった目尻を拭ってそう言った。しかし、堪えきれずまた「くくくっ」と小さく噴き出す。すると、クリスタは不貞腐れたように頬を膨らませて背中を向けた。
「もう、折角ユリウスのために持ってきてあげたのに……もう知らない!」
そう言ってそれきり口を閉ざしてしまった彼女に、ユリウスは少し笑い過ぎたかなと苦笑い。
「ごめんごめん、悪かったよ」
謝るが、クリスタはふんっ、と不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。そして、小さくボソッと、
「……パンもあげない」
参ったな、とユリウスは頬を掻いた。クリスタは存外頑固者である。特にこうして一度不機嫌になってしまうとなかなか機嫌を直してくれない。二年間という決して短くはない時間を彼女と共に過ごすことで知った一面である。しかし、だからこそどうやったら彼女の機嫌が直るのかも、ユリウスはもう知っていた。
スッと、ユリウスは右手をあげ、
「────ぁ」
次の瞬間には、ユリウスの右手はクリスタの絹のような金糸の髪を撫でていた。
「嬉しかったよ。ありがとう」
髪を撫でながら、感謝の言葉。しばらくしてクリスタが振り返った。その顔は、夜の暗闇でも分かるほどに赤い。
「……はい」
眼前に差し出されたパンを受け取り、一口かじる。味のついていない質素なパンだが、今のユリウスにはとても美味しく感じた。
「うん……美味い」
「そっか。ふふ、喜んでもらえて良かった」
クリスタが微笑んだ。その笑みは、とても一言では言い表せないほどに美しく、夜の闇を吹き飛ばすほど綺麗に輝いていた。
トクンと、心臓が跳ねる。
──ああ、そうか。
「(やっぱり、俺は──)」
対人格闘訓練の時にジャンと話して気付いたこの感情。すぐ喉元まででかかっているこの感情の正体は──
「くたばれぇ!」
「がはっ!?」
が、その思考はまたもや突然飛んできたドロップキックに強制的に遮断されるのだった。
真横から飛んできた脚。それは見事にユリウスの横腹に直撃し、ゴキッ、という割と洒落にならない音を発して数メートル吹き飛ばされた。
「ったく! ホントに油断も隙もあったもんじゃねえなぁ、ユリウスさんよォ!」
ドロップキックを炸裂させた犯人は、やはりというかユミルだった。彼女はまるで汚物を見るかのような目でユリウスを見下していた。
「ユ、ユミル!? 何やってるの!? サシャはどうしたの!?」
「サシャのバカなら兵舎のベッドに放り込んでやったよ。んで、あまりにクリスタの帰りが遅いからもしかしてと思って様子を見に来たら、案の定ユリウスがクリスタに手を出してるもんだからつい勢い余って殺っちまった」
「手を出すって、べ、別にそこまでされてないよ! あ、頭は撫でられたけど、でも、あれは全然嫌じゃなくてむしろ嬉しかったっていうか……」
「お? まだ息があるな。よし、じゃあトドメを……」
「ダ、ダメーッ!! ユミルやめて! 本当に死んじゃったらどうするの!?」
「むしろ好都合だ」
だからダメだってばー! と、必死でユミルを止めるクリスタ。そしてユリウスはというと、なんかもういいや、と半ば投げやりな感じで地面に仰向けに倒れていた。やはり教官の罰と説教が効いているらしい。起き上がって反撃する気も反論する気も失せていた。
「(……まあ、でも)」
小さく呆れを含んだ息を漏らしたユリウスの表情は、しかし柔らかく。
たまにはこういうのもいいかもな、とこんな日常 を楽しく思う自分がいるのに気が付いて、また小さく笑うのだった。