「おはよう!真」
「谷本さん、おはようございます!」
今日の現場である、西側出口に向かって駆けながら、元気に、大きな声であいさつを返す。
「今日も真ちゃんは元気そうね」
山口のおばあちゃんは目を細めながらにこにこしている。
「はい!元気が一番ですから!」
住居や出店、積み上げられた資材のせいで、駅構内はひどく狭い。
そこを行きかう様々な人の間をかなりの速度で、巧みに躱しながら走る。
「よっと!お先に!」
少し前まで、こんな芸当は到底できなかった。
狭さや人混みもそうだが、この薄暗さのせいだ。
地下なのに、電気の明かりはほとんど点かず、ロウソクやランプのか細い光で多くの人が生活している。
今では十分慣れたが、ここに来た当初は、悪い意味でのサプライズの連続だった。
メトロでの生活は、厳しい。
地上の明けない核の冬は、地下深くまで酷い寒さを運んでくる。
水や空気さえもフィルターでろ過せずに摂取すれば、あっという間に体を蝕み、死に至る。
試行錯誤を繰り返しながら、なんとか少しばかりの養殖に成功した豚と、得体のしれない茸を中心とした最低限の食事。
ただこの駅はそれでも恵まれている部類に入るらしい。
おじさんから聞いた話では、物々交換に使えるものが何もない駅は、住民が解散したり、最悪、全滅してしまったそうだ。
駅というコミュニティの庇護を失った人々には、野盗や暴漢となって他の駅を襲い奪う以外、選択肢がないのだ。
だから、駅ごとに少なくない人員を割いて警備を立てる。
「到着!っと」
うん、寝起きの運動にはいささか物足りないけど、体は暖まった。
シャッターの裏から電車の外装や色々なもので補強した、地上へ繋がる西側出口バリケードの前で、少しだけ上がった息を整えていると、振り返った人影に声を掛けられた。
「お、来たな。おはよう、真」
「悠人!おはよう!今日は早いね」
「俺の部屋すぐそこだしな」
悠人は友達だ、年が近かったこともあり、今では数少ない気の合う人間の一人だ。
背は少し悠人のほうが高いので、いつも見上げる形になるのも、事務所の仲間達と違って、それもそれで面白い。
「今日は僕と悠人だけかい?」
「そうらしいが、仕方ないさ。ホーム側の警備を強化しなきゃあぶねーもん」
僕はバリケードに立てかけてある槍(と言っても鉄パイプを斜めに切って研いだだけ)を手に取った。
悠人は、父親が遺した上下二連式の猟銃を弄っている。
「え?なにかあったの?」
鉄パイプの槍をくるくると回しながら、疑問を投げかける
「あ?お前知らねーのかよ、おやじどもビビりまくってるんだぜ?」
「うーん、最近はどこかの駅が潰れたとか、野盗が出たって話は聞かないけど…」
槍をひび割れたタイルの床につき、指をこめかみにあてながら考える。
その様子を見た悠人が、しばし考えた後に、囁くように言った。
「ホーム側の夜番の奴が…怪物を見たって言うんだ」
悠人のその言葉を聞いた瞬間、体中に寒気が入り、胃を鷲掴みにされたような感覚を覚える。
寒さ、病い、飢え、渇き。そして別の人間によってもたらされる様々な死が、このメトロには蔓延している。
しかし、そのどれよりも悲惨で最も忌まわしい死は、ヒトの知り得ていた領域の外からやってきた。
怪物、突然変異、ミュータント。
何故、彼らが生まれたのか。どこから、いつ来たのか。
そのようなことを考える人間の居なくなった世界では、誰にも真実はわからない。
ただ、醜悪で獰猛で残忍なバケモノが、間違いなく存在するという事実だけは、数歳の子供でも知っていた。
「そんな…その人の見間違いじゃなくて?」
「だと良いんだけどよ、代々木方面からずっと変な音がしてただろ?もしかしたらヤツらに穴を掘られたのかもしれないってさ。そんでさっきまでここの当番だった楢崎のおっさん含めて、動けるやつは全員ホーム行きってわけだ」
このアリーナ駅、元明治神宮前駅は崩落した無人の代々木公園駅と北参道駅に挟まれている。路線トンネルも崩れているから、基本的には安全なんだけど…
「穴は、見つかったのかい?」
「さぁな…多分何人か決死隊募って調査中だろうよ」
「もし、もしもあいつらが駅に入ってきたら、僕はちゃんと戦えるのかな…」
路線が無事で、唯一物理的にも経済的にも繋がりのある渋谷駅―現マーケット駅にとって、このアリーナ駅は生存のための防衛線でもある。
だからこそこの駅の一員として、覚悟は、ある。この世界に来てからずっと、いつかは来ると分かっていたこと。
「その時は俺がこのショットガンでばっちり無双してやるから安心しろって!それに真は俺よりずっと素早いんだ、ミュータントどもになんかお前は殺せないよ」
「うん…ありがとう。悠人」
力強く言い切る悠人に、か細い声でじっと目を見てお礼を言ったら、サっと目をそらされた。なんか、傷つくなぁ…
「さ、さぁ!心配しててもしょうがねぇ!俺たちは俺たちの持ち場をしっかり守ろうぜ!」
「よし!頑張ろう!」
一転、気合を入れなおす。心配しても悩んでても、仕方がない。僕にできることは多くはないんだ。
それからしばらくして、ホームの警備から楢崎さんが帰ってきた。
どうやら、ミュータントが侵入できそうな穴は無かったらしい。
ただ、楢崎さんは去り際にとても、気になることを言った。
――決死隊の一人が、トンネルの向こうで異様に大きな、真っ黒い人影を見たらしい。
それを聞いた時に僕は、凍えるようなナイフの感触を、ハッキリと胸に感じたのだ。
駅内の描写はなるべく実物に近づけます。
悠人、ゆうじん、ユージーン。