曇天模様の心中とは裏腹に、九月一日の空は晴れ渡っていた。
「……色だけなら気が会うかも知れない」
「うわ……大分キてるねぇ」
真っ青な顔で皮肉を吐くリランに、ピーブズがトランクを運びながら呟いた。
クィレルと横丁に赴いてから、早くも一ヶ月半がたち、リランはホグワーツの入学日を迎えていた。
正直、どうやって日常を送っていたのかは朧げだ。
あの日、精神を大いに破壊されたリランは、醜態を記憶諸共『なかったこと』にすることで今日までを耐えていたのだ。
杖を買ったあと、リランはペットショップもよらず早急に帰った。クィレルはリランの様子に戸惑いながらも、当日は九と四分の三番線に乗ることと、キングズ・クロスへの行き方を伝え、特急券を渡すと大人しく帰ってくれた。今思うとリランはかなり不自然に帰ってしまったが、初めての魔法に疲れてしまったと言うことにしたので、あまり気にしないでおこう。
(だから思い出すなってば!!)
嫌な回想にかぶりを振ったリランは、タイミングを見計らいレンガの壁に歩き出した。硬い壁の中で覚える、水中に浮かんでいるような不思議な感覚は『前世』同様変わりなかった。
「わお! キングズ・クロスってこんな感じなんですね!」
「
ピーブズと親子なんて何度聞いても鳥肌が立つが、もうここは魔法界なのだ。猫を幾重被っても足りない。
まだプラットホームには人が少なかった。この分ならコンパートメントを独占出来そうだと、リランは足を速めた。
杖と制服の入ったカバン以外の荷物をのせ、リランはさっさと紅の汽車に乗り込んだ。惜しむ別れなど微塵もない。
「ああ、リラン! お前と離れるのはとても寂しいです……!」
「私もです……」
「しっかりおやりなさい。向こうに着いたら手紙をくださいね」
(クッソ……とんだ茶番劇だ!)
号泣するばかりか、とうとうハンカチを取りだしたピーブズにカチンとくるが、座ってしまえば問題ないだろう。相手にしてはいけない。
折れろと邪念を込めて全力で握りしめたピーブズの手を離し、リランは空席を探し車内を歩き出した。全身全霊で演技をするポルターガイストとは、いっそ本気でおさらばしたいが残念なことに分身が待ち構えている為、逃げられない。
丁度よく空きのコンパートメントを見つけた。窓から死角の位置に座りワンピースを整えたリランは、カバンからヒョイと杖を取り出し天井に向ける。
「
途端、狭い室内にシンと不相応な静けさが訪れた。それに満足気に頷き更なる安寧のため、続けざまに呪文を唱えた。
「
明かりが消え、薄暗くなったコンパートメントに陽の光が差し込んだ。少々弱い魔法だが、これで誰もここに入りたがらないだろう。何せこんな不気味な場所なのだ。自分が新入生なら絶対に近寄らない。
「後ろの車両だし、車内販売もすぐには来ないよな」
ようやく落ち着ける。束の間の自由を満喫しようと、リランは緑茶片手に息を吐いた。
だが、最近のお気に入り『玄米ポン菓子』の袋を開けた時、ガラリとコンパートメントのドアが開いた。
「あ、ごめん! 人がいるとは思わなくて……ねえ、もしよかったら相席してもいいかい?」
黒髪とグレーの瞳をした整った顔立ちの少年は、ポカンとするリランに申し訳なさそうに告げた。
冗談じゃない。あの悪霊がいない今!! 汽車の旅を存分に楽しみ、今後の為の心の栄養を取ろうとしていたのだ。
断ってやろうとリランは口を開こうとしたが———
「ホント、ゴメンね……」
「……ええ、どうぞ。お入りください」
———別に仔犬みたいな目に負けたわけじゃない。別に浄化されかけたわけじゃない。
少年のあまりにも純粋過ぎる眼差しに溶かされ、リランの休息は早くも幕を下したのだった。
▼▽▼
「わあ! このポンガシってとても美味しいんだね……! ありがとうリラン!」
「いえ、口に合って良かったです」
無邪気に喜ぶ少年———セドリック・ディゴリーにリランは穏やかに答えた。
列車の進む振動を聞きながらセドリックをコッソリと観察する。
柔らかそうな黒髪に穏やかな灰色の瞳。背丈はリランよりやや低いが、幼いながらも洗練された雰囲気がアンバランスを醸し出し、将来が楽しみな少年だった。
(腹立たしいが、
ぶっちゃけこんな現実が充実したような人間の相手など真っ平ごめんだが、このセドリック少年はとても誠実だった。名乗る時も今の会話も常に相手を思いやっている。十一歳とは思えない程のジェントルマンだ。
ピーブズのクソ野郎ぶりや、イかれた義母、洗脳済みの使用人たちと過ごしてきた弊害か、セドリックというまともな人間にリランは圧倒されかけていた。敗北感すら抱いていたと言っても良い。
「リランはどの寮に入りたいんだい?」
小動物じみた仕草で、ポリポリ菓子を食べていたセドリックが話題をふってきた。先程の自己紹介でマグル生まれだと告げていなかったことに気付いたリランは素直に答えた。
「すみません。私、マグル出身でして……自分なりに調べたのですけれど、寮のことはよくわからなくて」
「え! 君マグル生まれだったの!?」
セドリックはリランの言葉に目を真ん丸にして驚いたが、直ぐに不躾だったねと謝ると丁寧に各寮のことを教えてくれた。やはり紳士的な子供だ。
「———ハッフルパフは劣等生が多いって言うけど、僕はそんなこと思わない。だって、優しくて誠実な人が沢山いるってことはとても素晴らしいじゃないか」
「そうなんですね……説明ありがとうございます。あの、こんなこと言ってはナンセンスですけれど、どの寮もかなり偏見が多いですね」
「うーん、まあ特にスリザリンとグリフィンドールはね。どっちもいい所があるのに勿体ないよ」
「……セドリックはハッフルパフに入りたいんですね」
公平で率直な意見を交えたセドリックの説明に頷きながらも、リランは彼の眩しさに燃え尽きそうになっていた。天然イケメン怖い。こいつは聖人かとひるむ、リランの問いかけにセドリックは頬を染めて言った。
「うん! どの寮も素敵だけどやっぱりハッフルパフがいいなぁ!」
爽やかな笑顔にリランは死を覚悟した。くたびれた人間に純粋無垢だの青春だのはダメだ。いたたまれなくて絶命する。キラキラとリランも是非どうだいと告げるセドリックに何とか返してやる。
「レイブンクローかハッフルパフで悩んでいたので、それもいいかもしれません」
「やったぁ! あ、まだ気が早かったね。ハハハッッ!」
嬉しそうなセドリックに、リランは久しく感じていなかった米粒ほどの罪悪感が悲鳴を上げたのを感じた。
———お前を隠れ蓑にするとか思っててすまない……
啜った緑茶は嫌に渋かった。
▼▽▼▽▼▽▼▽▼
列車を降りた新入生たちは、暗闇とハグリッドと名乗った森番の巨体さに一様に驚き、呆けながらも、四人ずつ水辺の小舟に乗りこんだ。
城につくまでの間、健気に話しかけてくれるセドリックに対して灰になりかけていたリランは相槌をうつことしか出来なかった。
一緒に乗り込んだ二人の生徒が男か女かどころかケンタウロスでも気づかないくらいに緊張しきっていたのだ。
暫しの船旅は聳え立つ大きな古城を前に終わった。ボートから降り中へと進んだ先には、落ち着いたエメラルドグリーンのローブを着た厳格そうな女性がスッと背筋を伸ばして立っていた。とても見覚えがある。
(ミネルバ・マクゴナガルだァ……!)
かつての師の姿にビビるリランだが、今の自分はヒョロ長いハゲ野郎の面影など一ミリもない美少女なのだ。臆することはない。
強固な石造りの城をせわしなく見渡す生徒達にならうことにした。マクゴガナルはリランを気にすることもなく生徒達を石畳のホールを抜け小さな空き部屋に案内した。
「ホグワーツ入学おめでとうございます」
粛然とした一喝から始まったマクゴナガルの組み分けと寮の話と言う名のお説教を半ば聞き流しながら、リランは固く瞼を閉じた。
視界の端に映るピーブズなど知ったことではない。今は精神統一が最優先なのだ。
「まもなく全校列席の前で組み分けの儀式が始まります。待っている間、出来るだけ身なりを整えておきなさい。学校側の準備が終わり次第戻ります。静かに待っていてください」
「緊張するねリラン」
「……ええ、そうですね」
そっと話しかけてきたセドリックは緊張と興奮が入り混じった顔をしていた。ドキドキ、ワクワク、そんな擬音が聞こえてきそうなほどに好調とした顔色はかつての自分と同じように希望に満ちていている。
キュっと僅かに軋んだ心に気づかぬふりをして、リランは再び目を閉じた。
思い出に浸っているどころではない。何せ今後の生活、否、今後の人生を決める瞬間がもうすぐやってくるのだ。
———絶対に負けられない戦いが、今始まろうとしていた。
(とりあえずウィーズリー双子と同じ寮だけは御免だ)
ピーブズ:先にホグワーツにいる
リラン:緊張感MAX
セドリック:誠実さの化身