Q or…?   作:涛子

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【24】Valentine&Frog(バレンタインと蛙チョコ)

 

 新たな年を迎え、慌ただしく始まった二学期もようやく落ち着いてきた頃かという某日。胸元に本を抱えたリランは人気のない廊下をそそくさと歩いていた。

 一面がまろやかな夕陽色に染まった城壁は、暖かそうな色味とは裏腹にうっすらと冷気を孕んでいる。

 室内ですら身震いするほどの寒さなのだから、雪が降り頻る外の有様など考えたくもない。ただでさえ、常人よりも熱を蓄える脂肪が少ないリランの薄っぺらな体躯では、きっと五分と持たず文字通り全身が凍りついてしまうだろう。

 しかし、こんな風に苦言を呈しているリランが今まさに向かっている先は、その散々っぱらに否定している中庭である。しかもその目的は読書兼勉強だった。

 断じて気が狂ったわけではない。まだまだ冬真っ盛りな一月末の中庭でやる事ではないことくらいは百も承知している。

 リランだってこんな阿呆極まりないことなどせず、今までのように放課後の自由なひと時を図書館の片隅で過ごしていたかった。

 だがその憩い場は、どこぞの不届き者がクリスマス休暇中の真夜中に抜け出し、図書館に忍び込んだおかげで利用困難になっている。

 ……困難なだけで利用自体は出来る。出来ることには出来るのだが、その際には荒ぶり散らす図書館の女主人、マダム・ピンスと対峙しなければいけないという問題が生じるのだ。

 その校則違反野郎は、無断侵入に加えて閲覧禁止の棚にも手をつけていたらしく、それがまたマダム・ピンスの烈火の怒りにダバダバと油を注いだ。

 生徒よりも蔵書の方が大切であるとヒステリックを拗らせた司書は、今や図書館に訪れるもの全てを犯人と決めつけており、執拗に威嚇と警戒の眼差しを浴びせかけてくるのである。

 たった一冊の本を借りるどころか入室にも一苦労。周辺に立ち寄ることすらも憚られる程の窮屈さ。

 何をするにも野ウサギのようにビクビクとしなければいけないところで、まともに読書など誰が出来るのだろうか。

 どうしても用事がある猛者———レイブンクロー生が殆どである——ですら、立ち読みはせずさっさと貸し借りの手続を終えると素早く飛び出す次第だ。

 暗黙のルールを破り長時間居座るということは、油を売ると同義である。本末転倒だ。図書館の存在意義が息をしていない酷い規程であるが、禿鷹女に常識は通じない。無謀な油淋鶏(ユーリンチー)に皆なりたくないのだ。

 

(ほとぼりが冷めるまでは、あそこには近寄らない方が良いだろうな)

 

 天下のホグワーツに務める職員が、果たしてこんなに横暴で許されるのか。至極同然に抱いた疑問も、今現在で滅茶苦茶に許されている故に無意味な不満だと証明されてしまった。成る程、全くもって理解不能である。

 校則を破った理由が図書館の本目当てという点だけを取り上げれば、マダム・ピンスの対応も間違ってはいないかもしれない。だが、いくら針の先ほどに焦点を絞ったとしても、他の生徒が八つ当たりの対象にされている事実は変えようがない。

 やはりどう解釈しても良い迷惑でしかない現状だ。本好きの生徒諸君は皆一様に怒りを募らせていることだろう。

 リランもブチ切れそうだった。クィレルのころだったら確実に切れていたと思う。

 そんな是が非でも全然クィレルじゃないリランが、未だに捕まらない犯人どもにそれ程怒りを抱いていないのは、率直に言ってしまえば犯人の正体を知っているからだった。むしろマダム・ピンスを若干称賛しているくらいである。

 確かに庇い用がないくらいにイカれポンチのすっとこ女であるとは思うが、たかが一年生にホイホイと秘密を暴かれているザル警備よりもよっぽどマシだ。

 

(……いやまて、マダム・ピンスもザルの一因かもしれない)

 

 事件以降、彼女は鷹の目ならぬ鷲の目を血張らせている。

 だが、その監視の目をものともせずに、毎日のようにやってきては本棚を探る犯人、もとい、ハリー一行に疑問を抱いていない。ザルである。

 彼らの動きが休暇前とは打って変わり明らかに手慣れている様や、限られた時間の中でもきっちりと探す範囲を絞っていることに、マダム・ピンスは気づいていないのだ。

 怒りの炯眼も所詮は一過性。漏れ出した圧力は猛禽類のそれではなく、無駄吠えの激しい瓦鶏だったとリランは先の評価を取り消した。

 つらつらと、ホグワーツに足りないものは総じて観察眼だなと偉そうに呆れ返っているリランであるが、実は、革新的手がかりを見つけたであろうハリー達の動向を危うく見逃しかけていたりする。

 というか、年末のパーティーに参加していなければ、もっというなら妙に大人しかったハリーとそわついたロンを見ていなかったら、前世の記憶があっても絶対に気が付かなかった自信がある。

 決して胸を張ることではない。

 

「……ハァ」

 

 致命的すぎる失態を思い出したリランは歩みを止めた。情けなさのあまりに溢れたため息が、真っ白に霧散していく。鼻の奥まで冷え切れば少しは冷静になれるだろうか。

 言い訳をするならば、リランの脳みそはクリスマス以来、すっかりと溶かされてしまっていたのだ。

 優しいがすぎる獅子寮の面々と別れた後、リランはベッドの中でひたすらに呻いていた。部屋の片隅に残っていた触手キメラそっちのけで、今までの自分が取っていた悪辣な態度を猛省し、罪悪感と苦しみに軋む良心を抑えなんとか夜を越していた。  

 なんとかまだその時は正気だった。だが、翌日のボクシング・デーに届いたウィーズリー夫人からの手紙にトドメを刺されてしまった。破裂寸前だったキャパシティはいとも容易く弾け飛んでしまった。

 

(確かにジュエルソープ(あの贈り物)はいい出来だったが、それにしてもこんな爆速でお礼の手紙を……聖人か?)

 

 態々パーシーのヘルメス(三男坊のフクロウ)を使ってまで、あったこともない———しかも何かと確執のある蛇寮所属である———生徒相手にこれほど心を砕けるとは。未知が過ぎた経験にリランは死んだ。

 これが、文字通り命懸けの運命を見過ごしかけた理由だった。端的に言えば、感情を飲み込むのに忙しく周りに目を配る余裕がなかったのだ。それに尽きる。

 だが、幸運なことにそんな壊滅的な精神状態が功を成した。

 常ならばさらりと躱していたであろう年末パーティへ参加したことである。

 なるべく関わらない方針は何処にやったと聞かれれば何も言えない。だが、招待者が入学当初からリランを肯定し、好みバッチリのプレゼントを贈ってくれたセドリックに誘われてしまったのだからしょうがない。

 上記の通り、リランはどうしようもないくらいバグりにバグっていた。しかし、この心底弛んだ判断のおかげでリランは正気に戻ることが出来たのだ。

 それはパーティ当日の確か花火の打ち上げが間も無く始まる頃だった。

 ポンコツと化していたリランの世話を焼いていたセドリックを、ウィーズリーの双子が揶揄った時に事は起こったのである。

 

『……リラン、随分疲れてるみたいだけど大丈夫かい? 何か飲み物でも持ってこようか?』

『お、見ろよジョージ、流石は彼女持ちクンだぜ、紳士の振る舞いだ! わはは』

『アー、まぁ、オレはちょいとばかし近すぎる気がしないでもないけど、うん、これは殆ど介護だな、彼女にエクスパルソ(爆破)される心配はないぜ王子様』

『はは、大丈夫だよジョージ。その、あの子とはもう別れてるから』

 

 ———その後のことは語るまでもない。菓子や飲み物が置かれた丸机を囲んでいた四人の空間に一瞬の静寂が流れ、そして、その内三人は揃って目玉をひん剥いた。

 

 ⦅セ、セドリック——————!!! ⦆

 

 かくして、リランの狂った脳みそは、完璧超人なあのセドリックが恋人と破局していたというショッキングな事実によって平静を取り戻したのである。

 思い返せば思い返すほどに、外道の下を遥かにゆく回復方法だった。言うなればショック療法、力技というかなんというか、そういう類であることに違いはないが、普通に最低だった。

 ハッフルパフの王子様が、クリスマス前にフラれていた特種スクープに盛り上がる双子を他所に、リランはリー・ジョーダンと入れ替わりでそっとその場を離れた。

 妙なフィルターが解けても、セドリックに対する僅かばかりの想いやりは消えなかった。一方的とはいえ三年もまとわりつかれては情も湧く。

 非常に、力一杯に気になる話であるが、リランは同じ男としての情けで、赤裸々暴露大会の傾聴は辞めてやることにしたのだ。

 そして、まともに開けた視界を取り戻した途端に、リランはあからさまにおかしいハリー・ポッターを見つけた。

 

 ⦅いやスゲェあからさまだわ⦆

 

 リランは花火を見るふりをして、挙動不審な彼らに近づきそれとなく探りを入れた。だが、意外なことにロンもハリーも口を割らず拍子抜けした記憶がある。特に、楽をしがちな印象があったロン・ウィーズリーが率先して頼らなかった事が一番の驚きだった。

 彼らなりにきちんと学習し努力しているらしく、結局、得られた事の流れはリランの想像よりも少なかった。都合の悪い成長である。

 こんなことならば、レモネードに真実薬(ベリタセラム)でも入れてやれば良かったかもしれないとリランは内心で毒を吐いた。

 たがその翌日、年始の挨拶をしようと厨房に向かう途中で、先に述べた校則違反について盛大な愚痴を溢すフィルチを見かけた為に、望みの情報は存外さっくりと把握できた。

 加えて、連日のマダム・ピンスの態度である。ここでピンとせずにいつ閃けというのだろうか。

 

「ハァ……」

 

 結果的には上手くいったとはいえ、何度思い返してもギリギリの展開にリランは再び息を吐いた。肝が冷えるどころの話ではない。

 情けに向かう刃無しとはよく言ったものである。冷たい斜陽が細めた瞳に沁み入った。

 

 

 ▼▽▼

 

 

 外はいつのまにか雨が降り出していた。みぞれ混じりの雨の中で本を読めばマダム・ピンスに殺されるが、その前に凍死してしまう。

 残念だが今日はもう大人しく寮に帰らなければならないようだ。いや、厨房に行くのもいいかもしれない。

 久しぶりに妖精たちに会えると浮き足だったリランがホールに差し掛かった時だった。

 

「やぁ、リラン! 調子はどうだい?」

「……元気ですよ、セドリック」

 

 噂をすればなんとやら。箒を担ぎ、カナリア・イエローのクィディッチユニフォームに着替えたセドリックに遭遇した。

 松明に負けず劣らずの暖かな笑顔が眩しい。ついさっきまで、彼の破局事情を思い返していたからに、謎の申し訳なさを覚える。

 リランはせめてもの罪滅ぼしのつもりで、何やら話したそうなセドリックに少しだけ付き合ってやることにした。

 

「これから練習ですか? かなりの雨ですけれど……」

「うん。でも、一ヶ月後にグリフィンドールと試合があるんだ。首位争いだからみっちりやっとかないと」

 

 肩をすくめつつも、意気込むセドリックは相も変わらず青春を謳歌している。反してリランは、前世においてその試合の後にスネイプに詰め寄られていたことを思い出し、内心で苦い顔をしていた。

 たしか【クィレル】を怪しんだスネイプが自ら監督を買って出た試合だった筈だ。閏年だったこともあり、朧げな記憶中でも鮮明な出来事だったと思案していると、つい話に身が入らなくなってしまう。

 

「? リラン、どうかした」

「いえ、少し寒くて……紅茶が飲みたいなーと」

 

 キャッチボールの放置はいくらなんでも失礼すぎるかと、今度はリランから話題をふることにした。

 

「あぁ、紅茶といえば……セドリック、クリスマスプレゼントのティーセット、本当にありがとうございました。魔法界で和柄模様だなんて探すのが大変だったでしょう? よく見つけましたね」

「はは、喜んでもらえて嬉しいよ! 実はね、父さんの職場の人が少し早めにクリスマスカードを送ってきてくれて、その人はトヨハシ・テング大ファンだったんだ」

「トヨハシ・テングって、あの、マホウトコロの……!」

「そうそう! それで、そのカードと一緒に日本の風景画とかしおりを貰って、思いついたんだ。きっと君は和柄の方が嬉しいだろうなって。だから母さんに頼んで、元々渡すつもりだったティーセットに模様をつけて貰ったんだ」

 

(セ、セドリック——————!!!)

 

 何気ない話かと思いきや、途方もない善性の話だった。耐性がなければどうなっていたかも危ぶまれるくらいの威力である。ウィーズリー夫人しかりディゴリー夫人しかり、世の中の母親というものはこんなにも慈愛に満ちているのか。

 母親にあまり愛された記憶のない三十路にはよく効く攻撃だ。ちょっと泣きそうである。

 これ以上話すと身がもたない。飛躍の年とは言えども、クィディッチ関連で事が動き過ぎではないだろうか。

 

(あー……紅茶よりも白米食いてぇ〜〜〜〜!)

 

 最後にもう一度セドリックを労わったリランは、軽くセドリックに手を振ると厨房へ向かった。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「すみません、夕方のこんな時間に場所を借りてしまって……」

「ひぇ、お顔を上げてくださいお嬢様、滅相もないです!! あ〜〜」

 

 これ以上謝るとアンリーが頭を机に打ち付けかねない。

 紫紺の瞳を溢れんばかりに見開いた顔馴染みのしもべ妖精に従い、リランは再度場所の提供へ礼を述べると、借りてきた本、もとい高等呪文書の守護霊のページを開いた。

 この本を借りるのは初めてでは無い。一年生の時から度々勉強に使わせてもらっている。……というのは半分建前であり、本音としては不幸への対抗手段を一つでも多く身につけたいからだった。

 いくら優等生でも、大人でも習得が難しいとされる守護呪文を習得していては怪しまれる。賢かろうがなんだろうが出る杭はガンガン打たれてしまうのだ。

 

 だからこそ一、二年生の内は控えめに徹していたのだが、今年はハーマイオニー・グレンジャーなる麒麟児が入ってきた。彼女の活躍のお陰でリランの懸念はほぼなくなった。素晴らしい。

 

「ええっと、五章目、二〇六ページ参照、防衛術の応用と発展……」

 

 エクスペクト・パトローナムとは、守護霊を呼び出す呪文であり、魔法族の間で最も強力な防衛術の一つである。吸魂鬼(ディメンター)生ける経帷子(レジフォールド)を唯一退けることが出来る魔法であるが、それ故にとんでもなく複雑かつ難解だ。

 そもそも、守護霊(パトローナス)と呼ばれる部分的に実体のある良いエネルギー———呪文集の説明だ———幸福を基軸とした呪文を作り出すこと自体が大変に難しく、前述の通り成人した魔法使いであろうとも、殆どが実体どころが、霞すら生み出せない。

 裏を返せば守護霊を作れることは、優秀な魔法使いの証となる。リランは自衛と名誉の為に何としてでも守護呪文を覚えたかった。

 クィレルのときは辛うじて霞が出せる程度の実力だった。闇の魔術に対する防衛術を担任するにはやや不十分だったが、元はマグル学専攻であり闇の帝王の隠れ蓑の八割死体野郎にしては充分だろう。

 そんな状態でも才能はあったのだ。今の魔力変換が並外れた完璧美少女ならば、然程苦労せずともスッと有体を出せるに違いない。去年のリランは本当に舐め腐っていた。

 

 ———いや、マジで全く出ないな本当に

 

 リランの目下の悩みは、死に体でも出せていたパトローナスが、微塵も作り出せないことだった。

 杖を振るったところでウントモスントモでない。若干の中毒寸前まで幸せだったあのクリスマスの記憶を使っても駄目だった。

 ……本当はわかっている。幸せな気分になれない理由をリランは知っている。入学当初から常に緊張しきった心と体、間接的な死の要因が側にいる現状、そして常に呪われている今の状態ではとても無理に決まっている。休まるということが根本から出来ていないのだ。

 

(いくらグリフィンドールがいい奴らでも、セドリックが聖人でも、しもべ妖精が可愛くても、それでも無理、無理なのか……)

 

 少なくともクィレルが生きているうちにリランが真に幸せになることはないことは確実だった。奴が死ねばリランの胸の内は軽くなる。しかしそれでは間に合わない。ユニコーンの呪いの性質を考えれば、クィレルが死ぬ時に、必ずリランを殺しにかかるからだ。

 耐えきれない重さにリランはとうとう机に突っ伏した。本当にどうすればいいのだろうか。ぐずぐずと頬を擦り付けていると、ふと机の端に置かれた料理の本が目についた。

 

「……フォンダンショコラ、チョコクッキー、チョコレートサラミ、チョコレートボンボン」

 

 思わず手に取り開いたそれは、美味しそうなイラストと解説が載せられたチョコレートのレシピ本だった。文章は所々ドイツ語とフランス語が混じっていて少し読みにくいが、とても丁寧にまとめられている。 

 

(そういえば、吸魂鬼にはチョコレートが気付け薬に使われるよな……。恋愛成分だの幸福成分だの根拠はよくわからないけど)

 

 チョコは美味しい食べ物だから幸せが詰まっているのだろうか。きっとそうに違いない。美味しいとは幸せの象徴なのだから。食の喜びを嫌う人間などこの世には存在しない。

 

 ———もしかしたら食べ物に関する幸せでも、守護呪文は成功するのではないだろうか? 

 

 幸せの密度は人それぞれなのだから案外的外れでもないだろう。だって手のひらに収まるくらいの小さな本が3センチの厚みを増すまで情熱を捧げる人物がいるのだから。

 偶発的な思わぬ接点に、少しだけ解決の糸口が見えた。足掛かりをくれた本を好奇心のまま終いまで捲ると、裏表紙の隅に著者の名前を見つけた。

 

「『Henri(ヘンリー)』……?」

「はい、お呼びでしょうかお嬢様?」

「え、アンリー?」

 

 何気なく呟いた名前に何故かアンリーが返事をしていた。ヘンリーではなくアンリー。

 ヘンリー、アンリー、フランス語、ドイツ語……。リランは無垢な顔でこちらを伺うしもべ妖精に向き合いながら急速に頭を回した。

 

「あ」

 

 時間にして数十秒。スーッと細く息を吸い目を閉じてリランは天を仰いだ。どうやら自分はとんでもない勘違いをしていたらしい。

 今まで名前の綴りを目にしていなかったことや、彼女、否、()の顔が可愛かったせいでわからなかったのだ。言い訳はよそう。リランは常になく潔かった。

 戸惑うアンリー、否、ヘンリーにそっと微笑みながらリランは深々と頭を下げ、謝罪を述べた。

 

「アンリー。アンリーはヘンリーで、女の子で男の子だったんですね……!!!」

「え、? 、あ、ハイ、———え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、あっという間に一月が過ぎ去り、二月も幾分か馴染んだ頃である。結論から言えばリランの守護呪文は一切進歩していなかった。

 否、好きだと宣った相手の名前と性別を間違えていた、愚か者の謝罪をアンリーが受け入れてくれたこと以外にリランの進歩は全くなかった。

 それも、アンリーの、『アンリー』という名を愛称として気に入っていることや、歴代の主人達がフランス人やドイツ人だったというフォローがなければ、歩むどころか爆発四散していた始末であるから救いようがない。

 だが、リランが爆発しようがなんだろうが世の中はお構いなしである。現に、先程受けたマグル学は、もう直ぐバレンタインデーだという理由だけでリランに縁が無さすぎるイベントの講義が延々と行われていた。

 曰く、バレンタインデーの歴史はローマ帝国の時代に遡るとされるだの、かの有名なマグルの詩人ウィリアム・シェイクスピアの戯曲が起源であるだの、キリスト教圏の祝いであるだの、毎年二月十四日に行うとされるカップルが愛を祝う日だのなんだの!!! 

 リランはブチ切れた。クィレルのころでも確実に切れていたが、クィレルでなくとも普通にキレた。慷慨憤激(こうがいふんげき)怒髪衝天(どはつしょうてん)、マダム・ピンスに負けず劣らずの激怒であった。

 童貞の虚しい過去はさておき、今のリランは女である。超絶美少女である。腫れ物扱いであるが超絶美少女である。つまりそれは調子づいた野郎どもから、肥やしにもならない贈り物があるということである。決して自意識過剰ではない。二年生時に経験したからこその恨み節だった。

 

(どうせならマグルを見習え野郎ども! ほんの二、三年前から奴らはチョコレートを渡してるぞ! 友達同士で贈りあってるぞ!! そのセンス皆無な花束を用意するより寂しく野郎同士でチョコを渡せ!! オラ!! しろよチョコレートに!!!!!)

 

 悲しいかな、いくら外見が麗しくとも中身が野糞(うんこ)である。

 クィレルの後釜を務め、健気にマグル学を教鞭しているシカンダー教授が、その豊かなブラウンの髪と髭を毟られなかったことは幸運と言えるだろう。

 二月とは本当に水の出やすい季節である。雪も涙も止まらない。

 そうして、怒りと虚しさに苛まれたリランがその感情を昇華しきる前に、バレンタインデーは全速力でやってきた。

 

 

 ▼▽▼

 

 

 二月十四日、金曜日。ホグワーツの校内は甘い恋の色めきでキラキラと沸き立っていた。リランと言えばいつも以上に目尻を吊り上げ、校内で最もカップルが少ないであろう図書室に向かっていた。

 胸元にアンリーから貰ったチョコレートの菓子がなければ、朝方に燃やした不特定多数からの気色の悪いカードに対する殺意が漏れそうである。

 

 ———いっそのことマダム・ピンスを怒らせて学校の空気を凍らせてやろうか

 

 夜が迫るほどに甘ったるくなる空気に嫌気が差し、いっそう歩みを早めたリランが図書館まであと一つと、角を曲がった時だった。

 

「———ッッッッッ!?」

「う、あば、ヒョワァッ!?」

 

 危機一髪の紙一重、勢いよく踏み出したブーツの爪先はなんとか足元の塊を回避した。

 

「……あの」

「……うえぇ、ああ、ああの、その、ぼ、僕」

「……大丈夫です、か?」

 

 口から出たのはチープな言葉だった。だが、兎跳びの姿勢で半べそをかく少年に遭遇したとき、一体、心配以外にどんな言葉をかければいいのだろうか。正解があるなら是非とも教えてほしい。

 とりあえずこの状況は大変宜しくない。字面も絵面もヤバさそのものだ。

 

フィニート・インカンターテム(呪文よ終われ)。さ、これでもう大丈夫ですよ」

 

 つい三秒前まで、丹念に被った猫を自ら切り裂くような危険思想を抱いていたとは露ほども感じさせない微笑みで、リランは少年にかけられた呪文を解いてやった。

 震えながら立ち上がった少年のネクタイとローブの裏地はグリフィンドール生の真紅に染まっていた。体格からして一年生だろうか、随分と弱々しい。

 きっとスリザリンの誰かにやられたのだろう。初級呪文の、足縛りの呪いを使うあたり、相手は同じ一年生の可能性が高い。馬鹿な上級生の場合もあるが。

 それにしても潤んだ瞳が生まれたてのネズミより情けない。変に怖がられても余計に面倒だと判断したリランは、戸惑う少年の手の中にチョコレートを乗せた。

 

「うぇ? あの、コレ」

「その痺れた足では上手く歩けないでしょう。宜しければ寮まで送りますが、どうでしょうか?」

「はぇ、でも、その……い、いいんですか? ホントに? グリフィンドールなのに……あ、えと、じゃあ、お願いします……あ、ぼ、僕はネビル、ネビル・ロングボトムです……!!」

 

 丸い顔のヘリまで真っ赤に染めたネビルの弱気な態度に苛立ちながらも、ここまでのチョロさはやりやすいとリランは内心でほくそ笑んだ。

 最初は呪文を解いてそのままとんずらしようかと思ったが、スリザリンの上級生もいない今なら、グリフィンドールに近づいても問題ないだろう。

 

(アイツらと同級生なら、少しは動向を知っているかもしれないだろうし、さっきの邪魔はチャラにしてやるよロングボトム)

 

 

 ▼▽▼

 

 

 人目につかない道順を選んだ割には、すんなりとグリフィンドール寮に到着出来た。尚、この道中で得られたものは何もない。

 そもそもが駄目元の企みであるから仕方がないことだが、いかんせんネビル・ロングボトムによる精神疲労が大きかった。

 適当にあやしていて分かったが、ネビルは本当に気弱な性格で、リランが居なければ兎跳びでグリフィンドールの塔まで行きかねないくらいにくらいに鈍臭かった。一体何度足を踏まれかけたことか。

 

「さぁ、ロングボトム君。寮につきましたよ。私が耳を塞いでいるうちに合言葉を」

「あ、ありがとうリラン、僕、なんてお礼を言えばいいか……」

 

 まごつくネビルに目配せをしたリランは宣言通り耳を覆った。合言葉など遠の昔に知っているが、次に会った時を考えれば彼の警戒心を解いて損はないだろう。幾分かわざとらしい気がしないでもないが、律儀なリラン先輩の像はいくらあっても問題ないのだ。

 訝しげな太った婦人(レディ)から目を逸らしたリランはネビルが肖像画の穴に入り込むのを手伝ってやった。リランは知っている。おとぼけた子供を相手どるとき最後の最後まで気を抜いてはいけないと言うことを。

 案の定、何がどうしてそうなったのかは分からないが、穴の縁に引っかかったらしいネビルの足がリランのローブの袖を巻き込んだ。

 

「うわぁぁあっ!???」

 

(最早ミラクルだろうこのうっかりは!!!)

 

 ドスンという鈍い音とどよめきにリランは唇を噛んだ。転がり込んだネビルの尻越しに見える戸惑った寮生達の顔があまりにも気まずい。

 

「ネビル! それにリラン! 二人とも一体どうしたの?」

 

 いつまでも穴に顔を突っ込んでいるわけにはいかない、兎に角退散しなければ。さりげなく首を引込めようとするが、その前にハーマイオニーに声をかけられてしまった。

 駆け寄る彼女を無視するわけにもいかず、渋々と寮に入ったリランはネビルを立ち上がらせると、ハリーとロンの側の椅子に座らせた。

 談話室にいるのが一年生ばかりでよかった。年末パーティの時よりも人は多かったが、この程度の野次馬なら我慢できそうである。刺さる視線を努めて無視したリランは、これ以上は目立つまいと事の成り行きをハーマイオニーに任せることにした。

 

「マルフォイに図書館の外で、それで、その、誰かに呪文を試してみたかったって……それでリランが助けてくれたんだ」

「ネビル、マクゴナガル先生のところに行った方がいいわよ! マルフォイがやったって報告しなきゃ!」

「〜〜〜ッこれ以上の面倒はイヤだなんだ……僕みたいな弱虫がグリフィンドールにふさわしくないなんて、言わなくてもわかってるよっ、うぅ」

「立ち向かわなきゃ駄目だ! そんなんじゃアイツが調子に乗るだけだよ」

 

 黙って聞くに徹していたリランは、ここで初めてネビルに共感を覚えた。ハーマイオニーの言い分もロンの言い分もわかる。相手を付け上がらせない為にも、屈服せずにやり返すことは大切だ。

 しかし、それは充分な自己肯定感があってこその手段である。自分に自信がない人間は心の疲労が激しいのだ。

 声を詰まらせながら嗚咽を溢すネビルを見たリランは、打算を抜きにしても何故彼を無碍に出来なかったのかが分かった。

 ネビルは、邪気の無さと肉付きの良さを除けば、昔の自分にそっくりなのである。

 

「マルフォイが十人束になったってネビルには及ばないよ。君は組分け帽子に選ばれてグリフィンドールに入ったんだ」

 

(やっぱりみんな落ち込むとチョコを食べるんだな)

 

 折角の良いシーンも台無しである。後輩の美しい友情を前にこんな酷い心中であるリランを知れば、ハリーから貰った蛙チョコを嬉しそうに開けるネビルも気弱さを克服出来るだろう。

 涙の跡を頬に光らせながらリラン達に礼を述べたネビルは、蛙チョコの付属品である「有名魔法使いカード」をハリーに渡すと寝室へ向かっていった。

 リランも早く寝室に行きたい。ネビルに習い部屋に戻る寮生達を見るからに、もう帰ってもいいだろう。

 

「では、私もこれで失礼しま、」

「———みつけた」

 

 刹那、リランのどさくさ紛れの挨拶をハリーの声が遮った。

 激しい興奮と静寂の合間を掬ったような囁き声に、リランの背中がゾクリと震えた。見つけた? 何を? 

 殆ど帰ろうとしていたことも忘れ、リランは堪らず穴にかけていた手を離し振り返った。

 

「———ッは」

 

 カードの裏を凝視しながら英雄は笑っていた。朗らかに、満足げに笑っていた。

 眼鏡越しでもはっきりとした爛々と輝く緑の瞳に、リランは動くことが出来なかった。

 ドクン、ドクンと耳の奥で鼓動が跳ねる。運命の流れを前にした緊張感が血潮を巡った。

 順繰りにロンとハーマイオニーの顔を見やったハリーは、最後にリランを見つめるとポツリと、だが、確実に言葉を紡いだ。

 

「———フラメルを、ニコラス・フラメルを見つけた」

「どこかで名前を見たことがあるって言っただろう? ホグワーツ特急のときだったんだ。ダンブルドアのカードの……ホラここ、『……パートナーであるニコラス・フラメルとの錬金術の共同研究などで有名』って」

「ねぇ、リラン。僕達とうとう見つけたよ……!」

 

 

 

 

 





ネビルが好きです。ネビルくんはいいぞ

リラン:通常運転に戻った
妖精:男の娘。発音の有無による勘違い。名前に拘りはない。
ネビル:運勢シーソーボーイ
セドリック:セドリック———!!!!(爆発)
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