「頭からケツまで全部吐き出せ」
「ケツからは流石にキツイぜ、お嬢様ァ」
吹けば飛びそうな痩身の少女はその外見に似つかわしくない、乱暴な仕草で目の前の男の胸倉を引っ掴むとドスの効いた声音で言い放つ。
物騒な脅し文句を軽くいなした男は燕尾服が乱れるのにも構わず、大人しくソファーに押し倒されたまま腹の上にのしかかるリランを呆れたように見つめた。
「随分と積極的なお誘いだけど、生憎ピーブズは男色嗜好でも少女愛者でもないんだ」
もっとも、サボク・オーがどんな性癖かわからないけどねと、冗談交じりに返したピーブズは、今にも噛みつきそうなリランを片手で制すと軽薄に口を開いた。
「ちゃんと説明するからさ、お前もチョット黙っててよ。そぉ~んなキンキン声で一々口を挟まれてちゃ、
「混乱に落とし込んだ張本人が何を言うんだこのッ! 大体、何でお前がここに居る。ホグワーツはどうしたんだ? 追い出されたのか? え?」
「おんやァ? そのホグワーツのイダイな教授様は、もう一度言わなれきゃ口も閉じれないくらいにおバカさんなのかい?」
「ああ、そうとも。だからバカにも分かるようにキッチリと説明してもらおうか」
「相変わらずクチだけは立派なこって」
ヘンッと鼻先をしかめるピーブズを絶対零度で睨み付けたリランは、メンター家の内情を知ったあの日のことを思い出していた。
真夜中の廊下で遭遇したマリアの秘書、サボク・オー・エアクイルが見せた怪しげな嘲笑はやはり、身体を乗っ取ったピーブズによるものだった。
不幸に苛まれるリランにとって、突然の元凶襲来という出来事はオーバーキルにも等しい惨劇だった。
結局、恐怖と混乱のままに一睡もせず朝を迎えた彼女が、現時点ではピーブズが一応味方であるということを知ったのは数日後のマリアがお茶会に出掛けた午後……つまり今である。
マリアによる絶食生活に耐えるリランは無駄に神経をすり減らされ事実に爆発しそうだった。
実際に耐えられ無かったからこその冒頭なのだが。
(嫌味でも飛ばさなきゃ、やってられないぞ全く……!)
ジョセフがいない今、圧倒的に増えた自由時間を満喫していたのにいきなり現れられたこっちの身にもなってほしい。
恐怖でしかないだろうが。ネタ晴らしならもっとセーフティにやりやがれ。
誰にいうわけでもない切実な想いをひとしきり心中で叫んだリランは、何やら本題を話し出しそうなポルターガイストに思考を移した。
「だから、何度も謝っただろぉ? しつこい奴は嫌われるぜ?」
「誠意が微塵も感じられない謝罪と素敵なアドバイスをありがとう」
言外どころか全身に嫌味と殺意を滲ませたリランに、ピーブズは肩を竦め言葉を紡いだ。
「まずは、お前の現状から話そうかと思ったけど、説明しにくいしなァ……まぁお前も薄々気づいてるだろうしここはもう言わなくても、———あーハイハイちゃんと言うから! ソレ辞めろ!」
ピーブズの横暴で適当な言い訳にリランが問答無用に肺へ体重をかけ続きを促す。対して重くもないだろうにぶちぶち文句を言いいながらピーブズは話を続けた。
「センセイのご明察通り、クィリナス・クィレルの魂は年齢と性別以外はそのままに過去へと転生した。いや、厳密には全く同じ世界の過去をなぞった並行世界での時を遡った……ありたいに言えば
「あるに決まってるだろ」
【クィレル】としての自我を取り戻したあの夜からなんとなく想像はついていたが、流石に今生きているこの世界が一度生きてきた過去であり、並行世界であり、尚且つこれからの未来であるとは夢にも思っていなかった。
かなり衝撃にピーブズの眉毛を数本引き抜いてしまったが、この現状はコイツの仕業だったと思えば罪悪感も何もない。むしろザマァみろと高笑いしたいくらいである。
「即答かよ。……ええっとじゃあ何でお前が逆行なんてしちゃったのか。まあピーブズのせいだね! って、ああもう! 後で気が済むまで謝ってやるからその拳を収めろ! 金的にあてるんじゃあないよ? いいね?」
「はあ……ピーブズはね、他のゴーストとは違う混沌とした存在、
混沌だの、魂だの、情報過多に戸惑いながらもリランはクィレルの最期の記憶で見た不穏な闇を思い出す。
まるで生き物の食道のように蠢いているのに鼓動など微塵も感じなかった気色の悪い『無機物の圧』は、成る程、ポルターガイストの持つ独特の雰囲気に似通っていた。
生前はあまり気にしてはいなかったが、そもそも物理に干渉できる時点で侮れないやつだった。感覚の麻痺とは恐ろしいものだなと頷くリランに、ピーブズは自身も確かめるように言った。
「ピーブズはずぅと、それこそやっとホグワーツの一期生が卒業したころに出てきた。と言っても『ピーブズとしての自意識が』だけれどね。きっとそれ以降に
「さっきも言ったけど
「とにかくだ、魔術学校にはなーんにもしなくても、『向こう側』から精霊とか亡霊がわんさかやってくる。最高の場所だ。でも連中は魔力の塊みたいなモンだから、例え敵意が無くてもお前ら人間にとってはそこそこ有害! 創設者達もそれを知っていたんだろうね」
「それはつまり、お前は居心地の良い餌場を得る代わりに、生徒を害するような存在を排除する条件をつけられたってことだな?」
「その通り! 五〇〇年以上守ってやってるんだから是非とも感謝してほしいぜ」
思った以上にピーブズが重要な存在であることに、リランは驚愕と恐怖で震えた。この恐るべき真実を知っている教員等はいるのだろうか。いや、きっといない。教員どころか魔法省も知らないのだろうか。危険極まらない『向こう側』とやらを放置するとは保守的な政府らしくない。
「既に管理されてんだよ。ホラ、アー、神秘部の奴らが研究してるアーチみたいなヤツがあるじゃん。あれもピーブズの持ってる『裂け目』と同じく、『向こう側』の世界と繋がってる。あそこは始まりの世界だから、ピーブズはその力を持つことが許されてる」
リランが尋ねる前にピーブズがまたもやショッキングな暴露をぶちまけた。リランは大変動揺していた。だって、まさかこのチャランポランなエクトプラズム野郎が魔法界の神秘の一端を握っているだなんて。魔法省が知れば間違いなく血涙を流すほどの特級品の暴露に吐き気すら覚えてしまう。
「……随分あっさりネタをバラすんだな。悪趣味なお前にしてはヤケに親切だ」
なんとか虚勢を張るリランを面白そうに見やり、愉しそうにピーブズは続ける。
「そうだろ? 優し~いピーブズ様がお前みたいな呪いの塊、ほとんど『向こう側』の魍魎らと変わんねぇー馬鹿を無視できると思う? なーのにお前ときたら! 制約通りに喰ってやろうと思ってたのに、闇の帝王なんて化け物背負って悪霊化しかけてるし! 信じられないねえ!」
こんなのとっととバラした方が楽しいよ! と悲劇的な台詞に下衆を織り混ぜ語るポルターガイストを無視してリランは浮かび上がった疑問を投げかけた。
「ちょっと待て。聞く限り無敵そうな口ぶりだが、お前、血みどろ男爵や闇の帝王を恐れているじゃないか。本気を出せば、例えば『向こう側』にだって連れていけるだろ? お前も裂け目を作れるんじゃないか」
創設者の契約があってもこれだけやばい奴なのにというリランの見解にピーブズは思いっきり眉根を寄せてぼやくように呟いた。
「血みどろ男爵様は……なんか取り込んだ魂がめちゃくちゃ怖がってて、おれもつられてって感じで……。ていうか、闇の帝王は論外だから! アイツは文字通りの規格外! 魂が何個もあって『向こう側』になんてつれけてないね! その前にピーブズが消される!」
「は? 魂が何個もある……? はぁ!?」
激しい身振りで訴えるピーブズの言葉にリランは思わず声を上げた。魂が複数あるだって? そんな魔法聞いたことがない。元レイブンクロー生として、そして魔法学校所属の教授として聞き流せない事実にリランはピーブズに食い下がった。
「なにお前? 自分がなってた癖に分霊箱のこと、知らなかったわけかい?」
「なんだそれは? 私がなっていた……?」
唖然とするリランを同情的にしかし確実に厭けざったピーブズは、カワイソウだねと溢した。
「分霊箱ってのは死を代償に魂を分ける闇の魔術さ。分けたら最期、二度と輪廻転生なんて望めない。悪魔だって手に余る絶望のシロモノだよ。お前、闇の帝王に取りつかれてたろ? アレも疑似的な分霊の一つだ」
手短に分霊箱の仕組みを話したピーブズは、おもむろに懐中時計を取り出すと紅茶の瞳を瞬かせ、少し早口に語りだす。
「大分脱線したからちょっと省くけど、要はお前がヤバくて生意気なクソガキなせいでとんでもねぇ化け物になってたから、おれが喰らった。そうしたら思った以上に腹にイチモツ含んでて、結構しんどかったから、『向こう側』に向かって適当に吐き出した。『向こう側』で時を遡って生まれ変わったお前が、今クソみたいに過酷なのはユニコーンの呪い! 以上、そういうことだ!」
「おい、待て。なんとなく『向こう側』にこっちの常識や理屈が通らないのはわかったが、あのとき再演だのなんだと喚いていたお前は、一体どうやって私が生まれ変わったことを知ったんだ?」
「いっただろ、ピーブズはピーブズだよ。個じゃなくて概念なんだ。どこにでも有る。お前を喰って幕を開けたピーブズと、今ここにいるピーブズは全く違う存在で、全く同じ存在だ。消失した物体が全てにあるように、程度、少しだけ繋がりがある。ただそれだけだ」
「はぁ、言いたいことは色々あるが……ぶっ殺すぞお前ッッ!! アレか? お前の脳内万年ポルターガイスト状態なのか? こんの! 危機も把握出来ない!! 能無し悪霊!!!」
なんという壮大な話なのだろうか。全く飲み込める気がしない。机上の空論にも程がある。まず並行世界の仕組みが理解できそうになかった。キャパシティをぶっちぎったリランは、器用にも小声で怒鳴り散らし思いつく限りの罵詈雑言をピーブズへぶつけた。
だってこんなのあんまりだ。
確かに、呪い事態は自業自得だし、危険だから排除されるという言い分も一応納得できる。それがコイツの役割であるなら尚更だ。
だが、『しんどいから適当に吐き出した』これには全く同意出来ない。
魂喰らいが生きる上での常套手段ならもっと慎重にやれと言いたいし第一、【クィレル】が危険人物だと多少なれど気づいていたのなら、ダンブルドアなり他の教師に伝えておけばいい。
そもそも、完全に自分の愉快目的な行動原理が理解できない。制約を守る建前とはいえ、ピーブズは確かに命を弄んでいる。それどころかその範疇すら飛び越えた思想だ。あまりに闇に満ちている。
「……状況はだいたい分かった。要するに自業自得ってことだろう?」
「そうだね〜、受け入れが早くて助かるよ」
「……一つだけ聞きたいことがある」
「おんやァ? 一つだけ? なんだっていうのさ」
「———この身体の、本当の持ち主はどうなっている?」
意外も意外と片眉を上げる悪霊は、本当に人間に近しいようで程遠い存在だ。
リランは痛みも苦みもまっぴらごめんだった。しかし、魔法使いの一人として人間として。前世の業を、己の不始末を、甘んじて受け入れるくらいの気概はあるつもりだった。
しかし、地獄に堕ちる前に新しい生命を受けてしまった。いや違う、無理やり奪ってしまったのだ。
「お前の言葉が全て真実なら、この子は、
段々と昂る感情に任せ、今までの思いを振り絞るような叫びを言い終わるか終わらないうちに突然、リランの視界がひっくり返った。
反射的な瞬きの後に背中に伝わる弾み。押し倒されたと理解すると同時に眼前に広がったピーブズの顔はゴミでも見るかのように白けていた。
「いきなり聖人気取りとは……心までお嬢様になったのかい? 大体、そういう自己犠牲だの間違ってるだのってお前に言われる筋合いおれにはないんだけど」
随分と偉く成ったものだねと一蹴したポルターガイストは、その大きな掌を、掴めるほどに小さなリランの顔の横に置いたまま問いかけた。
「それともなにかい? このまま殺してほしいの?」
なんてこともないような声色はまさしく悪魔の囁きそのものであり、リランの背筋がヒクンと強張る。
木漏れ日の差す寝室の和やかな午後の空気が、一瞬で張りつめる。
一触即発というに相応しい雰囲気はともすれば少女の喉元が惨たらしく掻き切られてもおかしくない有様だった。
覆いかぶさる死の気配。まともな感性をもつ第三者がここに居ればまず間違いなく最悪の未来図を思い描くだろう。
リランは諦めたように瞼を閉ざし、そして静かに見開いた。
▼▽▼
「何を言っているんだお前は」
———今コイツなんて言った?
見当違いな大外れをぶちまけたつまらない奴に割く時間などない。少し惜しい気がしないでもないが、高々数ヶ月の関係性なのだ。大人しく次を探せば良いのである。
そこそこに楽しめたのだからここの狂った住人ではなく、せめて自分が殺してやろうと、ピーブズが細い首に手をかけようとしたその刹那、目下の獲物が何やら呟いた。
あまりにも場違いな唇に一瞬思考が止まってしまう。少女に一言言ってやろうと顔を見れば、じっとりとした視線を浴びせる茶水晶がこちらを真っ直ぐに見つめていた。
双子のペテルギウスのような瞳は、子供らしいその煌めきの中に確かな保身を映しておりピーブズは更に目を見開いた。
骨と皮しかないちっぽけな少女は、やたらと覇気に満ちた痩身を持ち上げる。覆いかぶさったピーブズを邪魔だと子猫よりも弱い力で叩いたリランは続け様に言い放った。
「……誰がいつ死にたいなんて言った?」
「私はな自分の犯した罪なら受け入れるとは言った。ああ言ったとも!!」
「でも、現在進行形で受けてるユニコーンの呪いはお前がこの世界に私を放り出したからだろうがァ!! 勝手にお前がやったことだろ? なぁ!」
「————頼んでもない
いけしゃあしゃあと、怒涛の勢いで溢れたどこまでも自己中心的な主張に、ピーブズはポカンと呆けてしまった。
何だか回りくどいが、つまりクィリナス・クィレルは、『今の不幸は全部お前のせい』『器になった少女の恨みまで自分が受ける羽目になったらどうするんだ』と言ってきたのである。
罪を受け入れるだのと偉そうに宣ってはいるが、ただ単に『受け入れる』といっているだけでその後の責任はとるとは言っていない。完全に他人任せなある種の『逃げ出し宣言』はいっそ清々しいくらいだ。
これはひどい、酷すぎる。偽善以下のとんでもない発言だ。
「というかお前ホントに何のためにここにいるんだ。あと普通に責任をちゃんと取れちゃんと!」
己の精神の欠けを自覚しているのかは知らないが、リランの予想以上に屑な思考回路に笑顔が止まらない。ピーブズはにっこりと笑い、今度はとびきりの猫撫で声で答えた。
「勿論ちゃーんとアフターフォローはするつもりさあ!」
「ふむ、ならさっきの殺害予告はどういう意図だ?」
「この世界で死んでも、呪いは続くよって言い忘れてたから」
目ざといリランを適当に誤魔化しながらピーブズは言った。
「ピーブズはダンブルドアに怪しまれないギリギリのタイミングでサボク・オーに乗り移って分身したからリランを助けるのにちょおっと手間取ったの。別に忘れてたわけじゃない」
「お前分身とか出来たのか!?」
勿論、ど忘れ仕掛けていたし、助けるつもりもなかったが気が変わった。やたらと驚くリランは相当に自分を見くびっていたのだろう。蔑む癖が染み付いてるのが実に負け犬で、いやはや大変に愉快である。
こいつは滅茶苦茶そのものの極まりない存在だ。こいつの死んだ世界でも面白そうな出来事が沢山起きそうだったが、今はこのリランの行く末が気になって仕方がない。
(マリアが帰って来るまで、どこまで話せるかな?)
楽しげに企むポルターガイストは愉悦に目を細めやはり悪霊らしく笑うのだった。