Q or…?   作:涛子

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【5】Mad empress(気狂いの女王様)

 既にピーブズが部屋に訪れてから、時は二日経過していた。

 

「……ハァ」

 

 ベッドの枕に背中を預けたリランは、疲労が馴染んだため息を溢しながら、両の足首に取り付けられた枷に目をやった。

 目下、彼女を悩ませているのはこの重苦しい拘束具なのだが、頭痛の種の8割は先日のカミングアウトが原因だった。

 並行世界だの、養父だの当主交代だのと好き勝手脳内をひっかきまわし、さっさと姿を眩ませた憎きポルターガイストのピーブズ。ただの迷惑な雑魚と思いきや、その正体は長きに渡りホグワーツに蔓延る混沌を糧にした老獪の化け物だったのだ。

 記憶の中では、直接被害を受けたことがないことを抜きにしても、人騒がせな馬鹿という印象しかなかった故に大変驚いた。どうやらマリアの下で上手く執事を演じているらしく、独自で彼なりに動いているようだが、今までの言動からしてリランは心臓が縮む思いだった。兎に角胃が痛い。

 穴でも空いているのかと腹部を摩っていたリランは、こちらへやって来る足音に身をこわばらせた。小さく舌を打ちスゥッと表情を殺した瞬間、勢いよく扉が開いた。

 

「エンジェル! お行儀はよろしくて?」

 

(そろそろこいつの相手も限界だ……!)

 

 リランは貼り付けた無表情の裏で、喉まで出かけた悪態を堪え何やら喚くマリアに身を任せた。マリアはジョセフが完全に廃人となった今、新たな当主として忙しく働いていた。様々な事務に時間を支配される彼女に当然、今までのようなリランとの『オメカシ』が出来るはずもない。

 これは幸運だと当時ほくそ笑んでいたリランの思惑は、マリアの『寝室に監禁する』という暴挙でしかない解決策に爆発四散し、こうして鉄のアクセサリーと一日中過ごす羽目になっている。狂人の考えなんて誰が分かるか! リランは過去の自分を何千回と殴り飛ばした。

 

「ジャジャーン! 今日はこのドレスよ! どう? 気にいったかしら?」

 

 マリアは返事など求めていない。彼女は己が満足ならそれが答えなのだ。 元成人男性とか、元禿げ頭とか、元教師だとかそういうことは考えてはいけない。モラルなど今世の母親の腹に置いてきたのだ。だから、これ以上突っ込んではいけない。リランは空色のパニエを死んだ目で見つめると思考を放棄した。

 

 ──こいつもまだ仕事が残ってるんだ。たった数十分耐えればいい……。ああ、早く終わってくれ!! 

 

 毎日執り行われるこの苦行に精神を抉られつつも、リランは持ち前の流されやすさと忍耐力で順応していた。慣れとは恐ろしいものだ。リランはされるがままに為りながら、しみじみと頭の隅で考えた。

 傍から見れば、気が可笑しいやり取りだがここにはベッドも暖かい部屋もある。全裸でリンチや野ざらしよりは遥かにマシだ。明らかに狂った空間でもリランにとっては楽園同然。むしろ一種の安らぎすら覚えてしまっている。

 これが済んだら思う存分に眠ってやるぞと、リランは意気込んだ。

 ……だが、彼女の珍しい気の緩みは、次の瞬間ギュッと引き絞られることとなる。

 

「ねえ……エンジェル? あなた最近、ちょぉっと大きくなったんじゃなあい?」

 

 文字通り着せ替え人形よろしく、目を開けたまま微睡みかけていたリランは、マリアの言葉を聞いた途端、石のように硬直した。

 いつかのような毒々しい声色にどっと脂汗が湧き上がる。目に見える狂気に冷たくなったリランの身体を、マリアは無遠慮に弄りヒステリックに叫んだ。

 

「……ああ、やっぱり! 腰回りが太くなってるわ!! 道理で服が入らないわけよ!!」

 

 溢れる憎悪に当てられ、一瞬思考回路が滞るもリランは冷静に己の身体へ視線をやった。

 浮き出るあばら骨と肋骨、ズタボロの創傷まみれの乾燥肌に夥しい暴力の痕跡。いつもと変わらない、我ながら目を背けたいくらいの痩せ細った肉体だ。 

 何を見て言っているんだこの女は。お前のお気に入りの、脂肪一つない鶏ガラだぞ? 

 リランは肩透かしをくらったように胸中で小首を傾げたが、思い当たる節があったのかサアッと青ざめた。

 

(ま、まさか……!?)

 

 リランはジョセフからの食事が途絶えても、生命維持の魔法で何とか意識を保っていた。だが、魔法を使うのにもエネルギーは必要だった為に限界は直ぐにやってきた。まさしく餓死寸前の有様だったが、あの日の会合以来隙を見てはやって来るピーブズによって彼女は殆ど毎日食にありつく事が出来ていた。

 勿論、食事と言っても衰弱しきった身体では固形物など到底取れる筈もなく、東洋の『オモユ』という米の煮汁をリランは食べていた。ピーブズによれば栄養価が高い病人食で、出産後の妊婦などが食すモノらしい。 聞いた当初は無駄に博識だなと、ピーブズをアメーバほど見直したが今はそれどころではなかった。

 

(まだ食い始めて一週間だぞ!? 魔法じゃあるまいし、そんな急激に肉がつくわけあるかクソったれ!!)

 

 本物の化け物だったかと慄いていたリランは、髪を振り乱し発狂するマリアの姿に今度こそ完璧に固まってしまった。

 

「なんてこと!! 一体誰が食事をやったの!? ああああああああッッッ!! ダメよ、お人形はいつでも美しくなくっちゃ……変わるなんて許さないッ、ぜえぇぇぇったいに許してなるものですかァ!!!」

 

 鬼の形相で甲高い怒号をあげた貴婦人は、おもむろに部屋の箪笥を漁り始めた。生きた心地のしないリランは突然の奇行を見ることしか出来なかった。やがて目当てのものを見つけたのだろう。ガウンにそれを押し込んだマリアは、無邪気に笑いながらズンズンとリランに押し迫った。

 

「──ぅッ」

 

 声を上げれば更にマリアの機嫌を損ねてしまう。眼前のギラつく猟奇的なアイスブルーにリランは必死に悲鳴を飲み込んだ。

 

(落ち着けッッ……! 絶対に声を出すなッ、体を動かすな……。大丈夫、いつもみたいに大人しくしてれば直ぐ治まる。だいじょうぶ、おちつくんだ……!!!)

 

 言い聞かせるように、祈るように何度もリランは唱える。緊張はピークに達し、今すぐここから逃げ出したい。だが下手なことを打てば確実に殺される。覚えこまされた苦痛は正直だった。

 耐えろ、耐えろ、耐えろ。目を見開き、驚くべき鋼の精神力でリランはひたすらに悪夢が去ることを願った。

 ──けれど、呪われた彼女の現実はいっそ清々しいままに無情だった。

 

「!?」

 

 いきなりベッドへ縫いつけられたリランは、驚く間もなく手錠をかけられ、先程引き出したであろう鋏で服を引き裂かれた。冷たい金属に肌が泡立つも気丈にリランは口をつぐむ。どこまでも人形じみたリランに、蕩けた吐息を吐きかけたマリアは恍惚と少女の顔に手をかけた。

 痩せこけた輪郭をなぞりながら、彼女は吐き気を催す醜悪さで口を開いた。

 

「もう二度とあなたがヒトに堕ちないように」

 

 唇同士が触れ合うギリギリのところで、鋏を握った化け物は扇情的に囁く。

 

「今後一切あなたが薄汚いメスに成り下がらないように」

 

 リランはビシバシと感じる悪寒に嫌悪の震えを覚えた。彼女の非常に敏感な察知能力は、物の見事に最悪を捕らえてしまう。否、捕えてしまった。

 スルスルと下半身を這いずっていた蛇の掌が、ピタリとある一点で止まる。

 

「この可愛いクチビルを切り取ってあげるわ」

 

 理解の範疇を超えた、禍々しく凄惨なシナリオに少女は竦みあがることしか出来なかった。

 

 

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