Q or…?   作:涛子

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【7】Farce(茶番劇)

「この可愛いクチビルを切り取ってあげるわ」

 

 リランはマリアの言葉の意味を即座に理解することができなかった。

 デタラメな並びで認識されたアルファベットを無理矢理に完成させた完途端に、ぐるぐると腹の底から吐き気と焦りが込み上げた。恐怖に支配され、パニックに陥った脳みそは正常に働かない。

 何故鋏を持っている? どうして股を開かせる? こいつは今、何をしようとしている?あまりの狂気に、リランの脳内は疑問に埋め尽くされ、最早、生来の冷静な思考回路なぞまともに機能していなかった。

 

「さあ……エンジェル。大丈夫、安心して? なあーんにも怖くないわ……!」

 

 気の触れた女の甘ったるく酩酊した声が、茫然自失の精神を通り抜けていく。痩せ細り拘束された身体では、ただマリアの行為を見つめることしか叶わない。

 茶水晶の凍りついた視界の中で、ゆっくりと怠慢な動きで鋏が開かれる。勿体ぶるように碧眼をトロリと揺らした女の荒い呼吸が下腹部に霜のように張りついた。

 そして、鋭く冷たい鉄の刃がわずかばかりの柔らかな内腿の肉に触れたその時———

 リランの何かが『ぶつんッ』と引き千切れた。

 

「!? あなたッ急になにを———!?」

「ギェア゛ア゛ァ——ッ!!!」

 

 音を立ててぶった切られた限界に身を任せ、リランはあらん限りの力で暴れだした。突然の抵抗にたじろぐマリアの顔面へ、絶叫と共に渾身の膝蹴りを叩き込む。

 

「ッゴは、あぇッ!?」

 

 斜めの角度で抉るように決まった強烈な一撃は、痩身の幼女のものといえど十二分に痛い。思わずのけぞったマリアは暴走したリランに無防備な腹部を晒してしまった。

 その隙を見逃さず、いや、見ているのか見ていないのかわからないほどに狂乱したリランは、容赦なく骨張ったつま先で柔らかな腹を蹴り飛ばす。体重の軽さによる反動でうき上がった自身の背中と尻を反らせ、続けざまに容赦なく脚を振り回した。

 見た目からは想像もつかないほどに乱雑で思う存分に暴れ狂った怒涛の足技に、贅沢尽くしの貴婦人の柔い身体が耐えられる筈もなく。時間にして僅か数十秒後にあえなくマリアは気絶した。

 

「ハアッ……ハアッ……ハァ……!」

 

 崩れ落ちたマリアを見たリランは、荒い息を整え足先で体をつつき、完全に意識が飛んでいるかを調べる。

 口の端に涎と泡をふき白目を向くマリアの顔を、寝そべった視野で確認するとようやく力を抜いた。

 

「…………」

 

 ホッとしたことで頭が少し冷えたリランは、呆然と部屋を見渡した。

マリアを倒した。リランが。蹴りで。興奮に消えた記憶が断片的に蘇っていく。

 都合のいい展開にリランは現実味が感じられなかった。しかし、ひしひしと軋む肉体が真実を主張している。シーツに滲んだ赤色に鋏が擦ったのかと納得するがいかんせん脳内への伝達速度がカタツムリの欠伸よりも鈍臭い。

 気絶したマリア。鉄の拘束具。足元の鋏。

 ぐるりとそれらをもう一度見回したリランは、いくらか目を瞬き顔を伏せ、そのままスンっと真顔になった。それはもう見事なまでの「無」だった。

 

「うえぇッ……ン゛ン゛ん〜〜〜〜ッ!!!!」

 

 数秒後、濁りきった咽び泣きが寝室の中に響いた。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「なァ〜にやってんのおまえ」

「~~~ッッグぅ!! わ、らうなァ……!」

 

 はてさて。ことの顛末を聞いたピーブズの第一声はこれに尽きた。

 幼児の落書きのようにグッシャグシャな顔と酒焼した野郎顔負けのだみ声で叫ぶリランを適当にあやしながら、枷を外しとりあえず爆笑する。

 

「ほ、ほんとに゛っ、こわ゛かったんだぞ!? ~~~い゛つおきるかわかん゛、わかんないしッ、おまえ、ぜんぜんこないしぃぃぃ!!」

「あー……ごめんね。つーか顔ぉ! ドロドロじゃあないか」

「あ゛〜〜〜〜ッ!!!」

 

 しゃっくり上げ羞恥など知らんと言わんばかりのリランにハンカチを渡し、ピーブズはぐずる少女に少なからず安堵する。

 

「ホーント無事で良かった。まさかの物理は驚いたけどね 」

 

『死んでたらめんどくさかったし』という言外のそれを正確に感じ取った拳を躱し、ピーブズはマリアを担ぎ上げ部屋のソファーに投げ捨てた。

 

「……それどうするんだ?」

 

 ようやく平静を取り戻したリランの問いかけに、ピーブズはニッコリと答えた。

 

「ホントはもう少しだけ時間が欲しかったんだけど、お前のせいで早まっちゃったので!! 早まっちゃったのでぇ~す」

「ぶっとばすぞ」

「威勢がいいね泣きべそちゃん」

 

 さっきのアレを一生揶揄うネタにしたピーブズは、リランの呻きを無視してマリアの白目を閉じさせ、瞼越しに視線を合わせる。

 ようやくだ。ようやく本番に入れる。

 ピーブズは、練りに練った細やかな計画の最終段階『マリア・メンターの洗脳』に移れることを喜んだ。

 

「『哀れな孤児を引き取った使用人が使える富豪に訪れる悲劇……心を病み命を落とした夫を慈しみながらも自身を支えた使用人を慮った未亡人の奥様は彼の養子をも手厚く保護してくれた』ってのが一番建前として都合がいいのさ。今頃ジョセフ・メンターも殆ど死んでるだろうし結果オーライ!」

「お前そんなことまで考えてたのか……」

「世間の憐れみは女の方が引きやすいんだよ。ドン引くのは結構だが、一応お前の為だぜリラン」

 作為的な悲劇だろうが書き換えた戸籍は本物。辻褄はあっているのだし、いくらダンブルドアでも警戒レベルに留めてくれるだろう。

 

 ———まあ、ピーブズが分身してることに気づいてない時点で平気か

 

 あの賢者に限らず魔法使いは皆自分達人間以外の生き物の能力を侮っている節がある。きっと自分達だけが特別だと無意識に思い込んでいるのだろう。食物連鎖の頂点に甘じているのであれば致し方のないことかもしれないのだが。

 ……魔法生物の現状などどうでも良い。そんなことは魔法省の仕事である。いや、ピーブズが今やろうとしていることもある種の弱肉強食なのかもしれない。

 着々とchaos(カオス)の力でマリアの精神を汚染していく。魔法使いですら『向こう側』をちょっと見ただけで正気を失うのだから抗う術のない非魔法使いの人間など容易い。

 きっと彼女は地獄の片鱗を味わっているのだろう。せいぜいマグル達が思い描く阿鼻叫喚の景色を十分に味わうが良い。

 弱さ故の驕りが身の破滅を招いたのだ。因果応報、いい気味だとピーブズはスンっと鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「拙者親方と申すは、お立ち合いの中にご存知のお方もござりましょうがお江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をお過なされて、青物町を登のぼりへお出いでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今ただいまは剃髪致いたして、円斉と名乗りまする」

「エンサイドノー!! ぎゃはははッッ!!」

「えげつないなお前……」

 

 泡を吹きながらビクビクと打ち上げられた魚のように痙攣していたマリアは、ピーブズの洗脳らしき行為により異国の言語を流暢に語るようになっていた。

 

「え、何? Oyakata……? Ensai?? えぇ……」

 

 マリアが何を言っているのかはまったく分からないが、ロクな言葉では無い筈だろう。笑い転げるピーブズにリランは慄き呟いた。

 この馬鹿を具現化したような馬鹿オブ馬鹿にしか見えないポルターガイストは、学校でのしょうもない悪戯が嘘のように実に恐ろしい目論見を企てていた。終わってみれば実に鮮やかで合理的な手口だったがいかんせんモラルが皆無な為に素直に称賛できない。

 

「というか私の人権がなかったんだが」

「じんけん? お前が? 冗談はよしてよ!!」

 

 釈然と出来ず、ぽろりとこぼれた不満を耳ざとく聞き取ったピーブズがケラケラとせせら笑ってきた。やっぱり馬鹿だなと、上がった評価をマントルまで引き下げリランはマグカップの重湯を啜った。

 数時間暴れたせいか、微熱を出したリランは洗脳済みのマリアに世話をやかれ、現在ベッドに横たわっている。勿論、別室のものだ。

 部屋を移動する途中、何人か使用人が倒れていたがピーブズが即座に洗脳を施した為、事なきを得た。正直、マリアはトラウマ以外の何者でもないので今後一切関わりたくなかった。さっき着替え持ってこられた時も全く興奮しておらず、弱った子供に向き合う善良な人間そのものの仕草で逆に怖かったのである。

 密かにビビるリランは、今後は自分で着替えを持ってこようと心に決めズズーっと重湯を飲み込んだ。

 

 

 

「食欲があるなら食べとくざます」

「おいピーブズ、語尾がなんだか変だぞ」

「ハイハイ。マリア、お前部屋片付けてこい」

「分かったざます」

「ピーブズ!!」

「ワガママだなあ……折角面白いのに。マリア、普通にして今すぐ行って」

 

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