あなたが私のマスターですか?─RE:I AM─ 作:つきしまさん
人工的に生み出された空も空には違いない。天窓の青い空を覗き、温かみのない光を受けてリズエラは湯気の出るシャワー室から水気を切って表に出た。
コロニー市街を一望できる一面窓の部屋はリビングだ。
急遽、住人のために用意された高級家具はアンティーク価値の高いものであったが、室内の雰囲気に調和すること無く冷たい質感の床に置かれているのみだ。
素足が水気を含んだ足跡を残して窓際に立つ。その身にタオル一つ巻きつけずに裸身を晒す。
栗色の髪はまだ生乾きだ。空気は乾燥しているから自然に乾くだろう。
細いシルエットに整った顔をガラスが映してリズエラは下と真上にも広がる街を眺めた。
地球でしか暮らしたことがない人間からすればひどく慣れない光景だろう。重力が存在し、回転する力で安定しているといっても地球とはまったく環境が異なる。
スペースコロニーという円筒の中の世界は凝縮された空間だ。構造上、建物は地球の摩天楼ビルほど高いものは存在しない。
自転するコロニーの性質上、この建物の高さが限界だと言えた。
コロニーは天候は存在するが、すべて自動管理されたシステムで晴れたり雨が降ったりもする。雪も降るが自然が生み出した荒々しさはここには一切存在しない。
自分たちが「貸し切り」している高級マンションはいったい誰のために用意されたのかはわからないが、いずれ入居する人たちがいるのかもしれない。
サイド7はいまだ建造中のコロニーだ。建設途中で一度放棄されていたが、連邦政府とアナハイムが行うMS開発の実験場としての今の性格を持つこととなった。
世界的に知られるヤシマ・カンパニーが入札に名乗りを上げて建造に着手しはじめ、通常のコロニー同様の運営も再開しようとしているところだ。
連邦政府からすればカモフラージュのための移民促進であることを知るのはほんの一握りの人々だけだろう。
秘密を雲に隠す住民たちであるが、彼らには彼らの生活があり、仕事が存在する。それは隠されることのない真実として人の営みが日々行われている。
メラニー・ヒュー・カーバインの養女として連邦のMS開発計画に携わる役目を帯びたリズエラはそれを知る一人だった。
「服を着ろ。風邪を引くぞ」
「はい、マスター」
そう答えたリズエラの後ろで買い物袋を両手に抱えたウォン・リーが荷物をキッチンのテーブルに置いた。
買い物は代理人がするが、階下まで受け取りに行くのはウォンが請け負っている。食材の注文はリズエラがした。
着替えを手に取って着慣れた服を身に着ける。ここでは工専の制服は着なくていい。ゆったりとした上衣を羽織り、リズエラのスタイルが完成する。
マンティック・モード数着分が用意されそれを普段着として着ている。リズエラのための専用デザイナーが雇われている。
胸元には身分証がある。その位置を直して身だしなみを整える。
「ラボ」に入るためのカードは必須アイテムです。アナハイム工専のインターン生を示す証明はあくまでも表向きものでしかありません。
ただの学生が機密の軍事施設に配属されることなんてありえませんからね。
「薬だ」
ウォンが出した錠剤の詰まった白い容器は数種類ある。リズエラの体質に合わせたもので、虚弱体質をカバーするために調合されている。
補填されたそれを手に取って無造作にリズエラは水と共に飲み込んだ。毎日の検診も欠かすことはない。
この下の階にリズエラのための医師団と医療設備が用意されている。
表向きはすぐに戻ることになっていた月への旅だが、計画は変更され、長期滞在のためにこの区画が用意された。
メサイアを引き渡してしまえばリズエラの仕事は終わりであったが、インターン生扱いで残れるようマーサに働きかけたのはリズエラの強い意思でだった。
「あなたの体のことを考えるとあまり勧められないわ。健康のケアと調整にはそれなりの設備が必要だし、インダストリアル7並の研究施設はサイド7にはないのよ」
「薬に頼ります」
あまり薬が好きではないリズエラの自らの申し出は最大限の譲歩である。
「メサイアと別れたくないのかしら? 二号機も手放したくないのね」
「いけませんか?」
あえて否定せず、マーサの誤解は解かずに返した。執着のある態度の方が彼女を動かせると計算してのことだ。
「インターン生としての実績も成績として就職活動に影響します。今後のキャリアを積むのに必要なステップと判断します」
「会長の養女であるあなたがそんなこと気にする必要はまるでないけれど、キャリア向上は悪いことではないわね。社会進出する女の先頭に立って社交界デヴューも果たしてもらいたいし」
「お望みならばドレスも着ます」
通常の人々の範疇から外れた上流社会との関わりもリズエラに求められているものだった。今は特殊な立場にあるので社交界は免れているが、いずれ関わることになるだろう。
「工専が規定する最低期間で構いません」
「すぐに戻りたがると思っていたけれど……あなたの姉妹たちに会いたいのではなくて?」
意外ね、というマーサの探る視線にリズエラは鉄面皮で応じた。姉妹という言葉に揺れる感情を瞳に映すがすぐに平常に戻る。
「必要なことと判断しました」
「いいでしょう。あなたが計画にいた方がナガノ博士も何かとやりやすいでしょうから。会長には話しておくわ」
普段、それほど強い意思を示すことがないリズエラのお願いをマーサは引き受けた。
アナハイム工専のインターン手続きを行い、サイド7に残ることとなったのだ。
表向きはコロニー公社が関連する研究施設へのインターン配属ということになっている。
養父であるメラニー・ヒューに直接お願いすることはリズエラには許されていない。常に誰かを介して言葉は伝えられる。
それはリズエラがメラニーと契約を交わした後も徹底していた。親子の情は一切介在しないものであった。
「ただし、一か月の間です。メサイアのデータをRX-78に引き渡した後は工専の学生として卒業してちょうだい」
「感謝します」
マーサとのやり取りを思い出し、新造のコロニーの壁面と工事中の重機の姿を車の中から眺める。運転しているのはウォンだ。
我儘を通してでもサイド7に残りたい理由がリズエラにはあった。
「アムロ……」
アムロ・レイ。その名を持つ少年がサイド7にいる。彼の父親はテム・レイ。
これは偶然の一致? いや奇跡的ともいえる確率の仕業か。記憶にあるアムロの顔は青年のものだ。それはビジョンの中で見た顔。
それを幼くした顔をテム・レイが持つ写真の中にも見た。リズエラがマーサに強く頼みごとをしたのは彼がここにいるからであった。
コロニー公社の巨大な壁と門が見えて、リズエラを乗せた車が建物の中に吸い込まれて見えなくなった。
◆
閃光が迸って敵の群れが一掃される。「敵」は次から次へと湧いてくる。このステージの一番の難関だ。
(アムロ君、ご飯とかちゃんと食べてるの?)
ああ、そういやまだだったっけ……
世話好きなクラスメイトに言われたことを思い出しながらアムロはキーを激しく叩いた。
吐き出された弾幕が散らばって、正確にあふれ出た敵の一群を全滅させる。まだまだこんなのは序の口だ。
暗い部屋にはゴーグルをつけたアムロが一人きりだ。モニターから目を離すことなくキーボードすら見ずに正確にキーを操作し続ける。
侵略してきた敵をただひたすら打ち落とすようなゲームだ。ゲームセンターにあるような昔ながらの内容。
「ミギ、ミギっ! ツギ、シタっ!」
ベッドの上でハロがピカピカ目を光らせる。その言葉を聞く前からアムロはそれに対して弾を撃っている。
ハロにつけられたワイヤレス端子はアムロのゴーグルと連動している。脳波の送受信を行い緑色のランプを点滅させた。
「挟まれるかよ!」
キーを連打して仕掛けられたトラップを突き抜けて潜り抜け、その後にくるラスボスを倒したら遅まきの夕食を食べることにする。
別にフラウ・ボゥがうるさいからじゃない。自分に言い訳して最後のボスを撃破する。
「ふわ……あぅ……疲れたな」
「クリア」の文字が浮かんでゲーム用のゴーグルを外し、うん、と伸びをしたアムロは新居の一階に降りて食材を見繕う。
サイド7に越してきてから変わったことといえば、前以上に父親の帰りが遅くなったこと。たまに帰ってこない日もあるというくらいだ。
個人的な変化と言えば、中学のクラスメイトのフラウ・ボゥが何かと声をかけてくること。
中学に上がってからこれまで取り立てて女の子にはもてたことはなかった。
フラウ・ボゥのことをどう思っているか? ご近所の女の子以上に特に思うことはない。世話を焼くのは係か何かなのかもしれないし。
女の子ってよくわからないよなあ……
一階は大方の家具は配置してあるがいくつかダンボールが残っている。
二人で住むには広々とし過ぎている。それというのも父親のテムの不在が長いせいだ。
家屋としては一般的なコロニー基準の住宅で高級な部類の家だ。それも住む人間次第ではオンボロアパートと変わらなくなる。
この散らかり具合は生活圏の維持ギリギリ。いつも限界寸前になるまで片づけられない。
「別に何も変わらないけどね……」
塩コショウを温めたパスタに振ってアムロはリビングを眺めた。家具は揃っているが寒々しいほど空っぽに感じる。
母さんがいた頃の家の中じゃない。それは母さんがいなくなってからずっと見てきた家の姿だ。
すっかり慣れたといえば慣れた。地球に残った母親の思い出は写真立ての中にあるのみだ。
「何これ?」
冷蔵庫の扉に封筒がマグネットで止めてあった。「アムロ」とテムの字で書いてある。
封筒を開けばテムの知人のモスク・ハンが訪ねてくることと、空き部屋を宿として提供することが記してあった。
「何でいつも直接言わないかなあ……明日、フラウ・ボゥも来るとか言ってたよな……少し片づけようかな」
ダンボールをいくつか畳んで使っていない部屋に放り込む。落ちているものを全部拾って同じ部屋に投げて入れた。
丸い掃除機を起動させ、自動清掃モードで送り出す。
洗濯物は……明日まとめてやればいいさ。
片付けたというより面倒を放り込んだだけだが一応満足する。
「これで良し……」
冷蔵庫から飲み物を取り出しゲームの続きでもするかと階段を上がる。
先ほどやっていたゲームはテムが中古品を買い取って修理しアムロに与えたものだ。
元のゲームにずいぶん手を加えていて、ゴーグルはテムのお手製でマシンに繋げて使う。
そのせいで大仰な見た目だが、中身は昔ながらのシューティングゲームと古臭い。
最初は手間取ったものの、今では慣れてきて最高の点数まであと一歩というところまで来ている。
アムロが思ったように動き、ここぞというタイミングでせん滅するのが最高だった。こうしたゲームに才能があるのか、いつも没頭しては時間の経過を忘れてしまう。
マシンのアップデートをするからハロに脳波端子を繋いでおけと言われている。
なんでこんなゲームにこだわるのか大人はよくわからない。
「父さん……また開けっ放しじゃん」
ボクには家のことをしっかりしろ、という割に自分だって適当じゃないか。
わずかに開いたテムの部屋を閉めるつもりだったが、段ボールの山を見て中に踏み入る。
「段ボールから全然出してないじゃないか。あの人、ボクがいなかったら生きていけないかもね」
あまりにもだらしなさすぎる。自分のことは自分でちゃんとやれよ、と内心ぐちりながらダンボールの中身を一つ整理する。
「何だこれ? ディスク……機密?」
テムの仕事用のものだろうか? 手にしたディスクに書かれた文字はテムのものだ。日付は二年前になっている。
机の上のコンピュータと引っ越しで再配置されたサーバーがかすかな音を立てている。
ふとした好奇心からモニタを付けてディスクを再生させる。ログインパスは相変わらずでザルのままだ。
「マシン? モビル……ワーカー? これって本物なのか?」
モニタの中の女性研究者が嬉々として語る内容はアムロにはよくわからないが、アナハイムが作っているMSに関わる何かであることは理解できた。
父親の仕事と結びついているとは考えにくい。コロニー開発の事業でサイド7に越してきたのだから。
階下で呼び鈴の音が聞こえたような気がした。再度鳴らされてどうしようか迷うが、ディスクを取り出してすぐに下に降りた。
「こんな時間にフラウ・ボゥじゃあないよな……」
階段から下を伺うがこの位置からでは玄関までは見えない。
「どちら様ですか?」
「夜分すいません。こちらはテム・レイさんのお宅ですよね? 私は連邦科学局の局員でモスク・ハンと言います」
インターホンの向こうから男の声がそう名乗った。先ほど見た名前だ。
「あれ、聞いてませんか? 君のお父さんのテム・レイさんが私を呼んだんです。しばらくこちらのお宅に厄介になるということで」
「いえ、聞いていますけど……」
「ええ、お父さんとは一緒に仕事をすることになったんですよ。IDカードを見せるから確認してください」
小さなモニタに大きな顔が映りカードが提示される。港湾局を通るときにも認証されるもので本物のようだ。
「どうぞ、散らかってますが……」
ドアを開ければ見上げるような大男がいた。研究員というよりレスラーのようだ。
もじゃっとしたヘアスタイルに、皮のジャケットに、ジーンズというラフな出で立ちだった。
手荷物の大きな鞄がその後ろにある。
「君がアムロ君だね、改めましてモスク・ハンです」
その大きな手とがっちりと握手してアムロはモスクを居間に通す。
「父は職場です。この時間まで帰らないとたぶん泊りです」
「ああ、お忙しい方ですからねえ」
「あの、空き部屋は今は物置状態なんですが……」
「あー、構わんよ、これがあればね」
モスクがソファを指さしてドカッと座った。座り心地を確かめた後、大きなカバンをソファの横に寄せた。
「何か必要なものはありますか?」
「シャワーを浴びたいが、疲れてるからまずはソファで一眠りさせてもらうけどいいかい? 何せ長旅だったもんだから」
「ええ、どうぞ。構いませんよ。ボクは上にいますので。毛布持ってきます」
「助かる」
用意した毛布をモスクに手渡してアムロは家の中での役目を終える。
「ありがとう、お休み!」
「お休みなさい」
明かりが消えたリビングを見返すと、ソファから突き出た足が見えた。巨躯が横たわれば頭も足もはみ出るのだが、鞄を台にして足を乗せていた。
旅人の知恵かと眺めた後、程なく規則正しい寝息がすぐに聞こえてくる。
「寝るのも早いんだな……」
階段の手すりに置きっぱなしにしていたディスクを思い出して回収すると、アムロは足を忍ばせて自分の部屋に戻るのだった。
◆
──その翌日のサイド7開発区エリア。開発とは表向きの施設に足を踏み入れて、モスク・ハンは連邦の制服を着た警備兵を横目に重要エリアに入った。
彼を出迎えたのはテム・レイだ。
「モスク・ハン君、よく来てくれた」
「お招きいただき感謝します。私ごときの論文に目を止めていただいて……」
テムから差し出された手を握り返し、ようやく科学畑の顔に会った気がした。
「君のマグネット・コーティング理論は素晴らしいものだ。我々がまさに必要としていたものだよ」
「まさか、発表したばかりで技術査定されていない論文に注目されるとは思ってもいませんでしたよ。それもアナハイムと連邦軍の事業に採用されるとは……一体何を開発しているんですか?」
招聘されたが詳しい内容は着くまで全く知らされることはなかった。連邦の仕事だというが、ここまで口が堅いとかなり重要な事柄であろうと推測できた。
その説明をテムがしてくれるものと、案内されて着いた大きな鉄の扉をモスクは見上げた。
さてはここが連邦の機密が詰まった秘密工場か何かだろう。
「モビルスーツだよ」
「モビルスーツ?」
「さあ、どうぞ」
扉のセキュリティを解除して扉が開く。飛び込んできた光景にモスクは目を瞠った。
開けた空間は天井がかなり高い。最先端の機器がいくつもあった。破格な設備が揃っている。
働いている作業員と動いているものすべてに目が行く。
正面の壁のハンガーに直立して立つのがモビルスーツだ。その姿形はまるで西洋の甲冑を着たロボットであるかのように見えた。
威容に圧倒されるが好奇心が勝る。
「あの角は何だろうな……」
MSの頭部に注目する。モビルスーツは畑違いであるが、それがいかに洗練された美しいマシンであるかは理解できた。
「ひゅー、まさにここは最先端マシンの開発現場というわけですね。あれは?」
白衣姿の研究員たちが作業している。広い空間の中央に安置されたものはエンジンのようだ。むき出しになったマシンの鉄の心臓の前に白髪の老人と若い女性が立っている。
モスクが誰であろうか、と顔を向けると、テムが手を挙げて老人が同じ動作で返した。
「紹介しよう。こちらは私が呼んだモスク・ハン博士です。マグネット・コーティングは彼が」
「ああ、君が……」
「トレノフ・Y・ミノフスキー博士です」
「ミノフスキー博士、光栄です!」
両手を差し出してモスクとトレノフが握手を交わす。
「あなたの技術が私の研究の根幹部分をなしています。尊敬しております、ミノフスキー博士」
「ああ、そうかね」
モスクの賛辞にまんざらでもなくトレノフは微笑んで応える。
「で、こちらが……」
「クリスティン・マリア・ナガノです。よろしく」
差し出された手。その美貌に思わず気を取られてモスクは慌てて手を出すとその柔らかな手を握った。
「ああ、よろしく……これはエンジンですよね?」
二人の後ろにあるのはサイズ的にモビルスーツのものに違いない。
「モビルスーツのものです。今から中を開けるところですよ」
「ははあ、興味深いですね。これはミノフスキー博士が造ったものですか?」
「いやミス・ナガノだ」
モスクの質問にトレノフが答える。その返答にマジマジとなってモスクはクリスを見つめた。
彼女は……あまりにも若い。女性の年齢を当てることは全く自信がないが、まさかまだティーンエイジャーであることまでは予測がつかなかった。
「すいません。このラボはどうやら天才揃いのようですね……」
「謙遜するな。君も呼ばれた人間だろう? 君が思うように確かに若いがな。わしなど一番の年寄りだよ」
「平均すればみんな若返りますよ。割を食うのはミス・ナガノだが……」
テムのフォローにならぬフォローが入る。
「皆さんから見れば私は年少の身です。拙いながらもこのエンジンの中核をなす部分について説明させていただきます」
クリスが端末を操作してスクリーンにエンジンの見取り図を二つ映す。
「二つありますね」
「こちらはザクのものになります。比較対象として検証してください」
二つ並んだエンジンの図形の一つにMS-05とある。これがザクのエンジンかとモスクは眺める。
「大きさ自体はメサイアのものとたいして変わりません」
小型核融合炉。もっと大きなものをモスクは想像していたが、意外なほど小さい。
「流体パルスシステムですね。博士の理論にあった」
モスクは学生時代に読んだミノフスキー論文を思い出す。
「エンジンから発生したエネルギーをパルス状圧力に変換し、各駆動系パワーシリンダーに伝達します。炉内に発生させたIフィールドを電磁誘導させてプラズマを安定化」
「つまり超圧縮されたミノフスキー粒子が……」
「この中を回転しているというわけです。炉内そのものがIフィールドの塊です」
エンジン二つが稼働した際のエネルギーの流れを画面に映す。
「質問よろしいですか? この粒子変換機の部分ですが、ザクのものは一つなのにこちらは三つありますが、同じ部品なのですか?」
畑違いの専門家だがそれが正確に粒子変換機であることをモスクは指摘した。
「似ていますし、こちらの部品は第二のエネルギー増幅装置です。エネルギーはさらに純度を高められてこの円形の筒部分を巡回します」
通常のエンジンからのエネルギーの通路とは別に∞状の筒の中を色違いのエネルギーが廻る。
「純度が高いということは出力も上がっているということですか?」
「上がります。この三つ目の粒子変換機がモビルスーツ各動力へのエネルギーを送り出す機能を持っています。安全性については、通常の小型核融合炉ではわずかながらエネルギーのオーバーフローが起こることが知られています。つまりエネルギーの使い漏れが若干生じます。安全装置が働き、エンジン出力はわずかながら不安定化します。といっても滅多なことで事故は起こりません。そのためにリミッターがあるわけです」
クリスがホワイトボードに数千億回転分の確率値を書きだす。
「現行のエンジンでは解決できなかった部分について、私が導き出したのがさらなる器官を取り付けることでした」
「それが第二、第三の部品ということですか?」
モスクが∞状の筒を指さす。
「この器官があることでエネルギーのオーバーフローによる不具合を減らすこともできます。第二の部品が機能することでより安定したエネルギーを発生させるのです」
「事故が減るということですか?」
「その通りです」
「でも実際こうやって動かしているわけですよね? 事故が起きないという保証はあるんですか?」
「確実にとは言い切れませんが、安全性は確保できています」
言い切ったクリスの肩にトレノフが手を置く。
「そして従来の三倍以上のエネルギーを運用することに成功している。まさにこの装置は画期的だと言える。わしも脱帽せざるを得ない」
「すべてはミノフスキー博士の研究があってのことです。博士の粒子論文を小さな頃に拝見してからその可能性の未来を信じていたからです」
ザクに用いられる小型核融合炉はトレノフも試行錯誤の末に完成させたものだ。
それと同時期に開発されたメサイアのエンジンの基本性能はトレノフの開発したエンジンと同クラスのものだ。
それはまさに稀有なことだ。二人の天才が同時期にその才能を尽くしてエンジンを完成させていた。
しかしメサイアにあってザクにないものが両者の立ち位置を決めることとなった。エンジンに取り付けられた新しい粒子増幅装置の存在だ。
「ミノフスキー博士、ザク型のエンジンをさらに開発してこの器官を追加した場合、メサイアを上回る出力を得ることはできますか?」
テムの質問に思考を巡らせてトレノフが答える。
「かなりの改良を要するが、予算次第か。何せ費用がかかる。この部品の使用に耐える材料も用意せねばならん。問題は耐久性だ。ジオニックでMS開発に用いられた素材はすべて把握しているが、技術転用で部品のコピー品を用いたとして半分も出力は上がらんだろうな。安全性をクリアできる保証もない。ヅダの大惨劇の再来になりかねん」
「ジオンがもしメサイアを手に入れたとしても技術転用で同様の出力は得られない……それも諸刃の刃になりかねないということですか?」
「そういうことだ。五年後、十年後はわからんが。ミス・マリア、この素晴らしい器官の名前を教えてもらえるか?」
「この装置をエーテリアル・キャタライザーと名付けました。着想に至るきっかけはアナハイムが回収した未知のマシンとの遭遇です。しかし、その件について語ることは禁じられています」
モーターヘッドの解析から得られた情報を漏らすことは一切できないとクリスは口をつぐんだ。
四人の間に沈黙が落ちてモスクは少し気まずさを覚える。入ったばかりで自分は部外者に等しい。
「みなさーん、お茶の時間ですよー!」
博士たちの談義を断ち割ったのは赤毛のポニーテールのメイドだ。
ニムエが押すカートには銀食器とポッドが乗せられ、場違いな場所に甘い匂いを運ぶ。
「ハロ、ハロ! お茶、お茶!」
その後ろからハロ二号が弾みながら止まったニムエのお尻にぶつかって反動で転がっていく。
「エンジンはこのくらいでお茶にしましょう」
テムが促して、「甘いもので頭をフレッシュにせんとな」とトレノフがモスクの背中を軽く叩く。
「リズエラ、そろそろ起きなさい。お茶にする」
メサイアの通信をクリスが開いてモスクはメサイアのコクピットハッチが開くのを見た。そこからほっそりとした少女が現れる。
手に持つ紫色の球体はハロだ。色違いのハロがここにもう一つ。
「彼女がパイロット?」
メサイアとのシンクロを中断して下に降り立つと、リズエラは一目散にカートまで駆け寄った。
放り出したハロが自制御で空中回転してその後に続く。
「リズ! リズ!」
「かしましい職場で嬉しい限りですねえ」
それも美少女揃いとくれば、こんな辺境のコロニーでの仕事も悪くはない。
「理想的である。ニムエ、砂糖は三個くれ」
「はい、どうぞ」
ニムエはトレノフのお気に入りとなっている。月での救助の後、病院での検査にもニムエが付き添って面倒を見ていたのだ。
ニムエからすればおじいちゃんのように感じているのか、二人は仲が良い。
生クリームの乗った生地に赤い果実が彩りを添えて、ブレンドされた紅茶の熱い液体がカップに注がれる。
「ではケーキ入刀はリズ様にお任せします」
「任せられる……」
真剣な顔になったリズエラが人数分のケーキを寸分たがわぬ分量で切り分ける。
その背後でハロ二号機と紫のハロがリズエラの周囲で戯れる。
ハロはサイド7に来る前にフォン・ブラウンで入手した。テムのハロを見てリズエラが欲しがったのだ。
「モスク君、家はどうかね? アムロと会ったろう」
テムがモスクの隣に座った。
「はい、いい息子さんですね。テムさんによく似ています」
「引っ越したばかりで片付ける余裕がなくてね。散らかっていて済まない」
「問題ありません。自分はどこでも寝られるもんで」
お気に入りの紫ハロを抱え、甘い世界に心を飛ばしていたリズエラは『アムロ』という単語を聞いて無意識に二人の会話に注意を向けていた。
「では君の歓迎会をしなくてはな」
「歓迎会ですか? いや、いいですよ」
「君は必要な人材だ。こんなところまで無理を言ってきてもらった」
「それは仕事ですから……」
「でかい図体のわりに謙遜だな。君を歓迎させてくれんというのか? 年長者権限で歓迎会はさせてもらうぞ」
正面のトレノフが会話に加わる。
「あー、その問題はありませんが……」
「そんな大仰なものじゃない。うちで食事なんてどうかな? 各自食べ物を持ち寄りで、うちはうちで用意する」
「食事会ですか? それならいいですよ。私も料理を用意しますよ」
「それは楽しみだな」
テムとトレノフが決定事項という顔をしてモスクはほっと息をついた。
「ナガノ博士も参加だ」
「構いません」
ケーキを頬張ったクリスが即答する。
「食事会への参加を希望します」
そしてもう一人。リズエラが手を挙げて参加を表明するのだった。
◆
この日、ドズル・ザビは暗澹たる気持ちであった。
軍靴を廊下に響かせて執務室の前で立ち止まる。扉を見上げてから秘書に面会を申し込んだ。
「ドズル様が──」
秘書が確認を取る間にドズルは大きく息を吸い込んだ。「どうぞ」と促され制服の襟を正した後、ドズルの巨体が執務室に吸い込まれて消えた。
兄ギレン・ザビの背中にドズルは敬礼する。
「ギレン兄」
「言い訳は無用だ、ドズル」
開口一番、ギレンは弟に告げた。ギレンが執務の椅子を反転させて二人は相対し合う。
「報告はすべて読んだ。連邦のモビルスーツが我々の先を行っていただけのことだ」
「だけ……とは?」
その言葉の意味をドズルは推し量るが、ギレンの顔には何の感情も浮かんでいない。
この兄の考えることは自分には想像もついたことがない。政治や策謀にはとんと疎いのだ。
スミス海でガンキャノンと呼ばれる連邦のMSを敗退させたが、その後に現れた一本角のMS二機に完膚なきまでに敗北した。
その責めを受けることを覚悟しての面会だ。ドズルが用意していた言い訳のいくつかはギレンの反応でくじかれた。
「ミノフスキー博士をむざむざ連邦に取られたことは……」
「そんなことはもはや些末なことだ。ミノフスキー博士にもう価値はない。次の手を打つことが肝要だ」
「次の手? どんな策が?」
ギレンが立ち窓の外を眺める。その背中をドズルは息苦しい思いで見つめる。
「博士は亡命前に我々の情報を連邦に流していたが、それは元より織り込み済みの行動だ。連邦にもたらされた情報はキシリア機関がすべて管理していたからな。連邦が開発したMSはミノフスキー博士経由の技術ではない。失ったザクはこちらの読みが甘かっただけだ。だがな……お前にはこの失態の責任を取ってもらう」
ドズルは内心肝を冷やす。執務室にある見事な刀が目に入って思わず腹を抑えた。
「せ、切腹するのか?」
「腹を切るというのは時代錯誤だな。お前の腹ですべて収まるならそれでいいが。斬るか?」
ギレンが手を伸ばして太刀を手に取る。
古代地球の日本の武士が持つ刀はギレンのコレクションの一つだが、この美しい刀には武士が責任を取るときその刃で腹を切るというしきたりがある。
「い、いや……腹は切らん。時代錯誤だしな!」
「ならば手に入れればよいだけのことだ」
「は?」
「お前が無能な将官でいるのは構わんが、我々にもメンツというものがある。ザビ家の男なら汚名を返上したかろう」
「もちろんだ! しかし、何を手に入れるというのだ? 兄貴」
「お前の指揮で例の白いモビルスーツを奪え」
その一言にドズルはごくりとつばを飲み込んだ。
一本角を手中にできるかはジオン起死回生の手となるだろう。現場を知るドズルからすればそれがよく理解できた。
ミノフスキー博士を取り返すために月に絶対の自信で送り出したが、持ち帰ることができたザクはたったの二機でしかなかった。
四人の部下を失い、七機を失った痛手はでかい。
その上に最重要人物と目した博士を奪われたとなれば免職を覚悟するほどだ。ザビ家の人間でなければとっくに首が飛んでいることだろう。
「奪う、あの一本角をか?」
「そうだ」
「それが作戦か? だが、どうやって?」
「月の作戦で生き残った者たちがいるな?」
「ああ」
「名誉を回復する機会をお前たちに与えようというのだ。ドズル、やれるな?」
失敗は許さぬという目がドズルを貫いて心胆を震わせた。もはや後がない。
「この命に代えても成功させてみせるっ!」
「よかろう。追って作戦を伝える。それまで待機しておけ。いいな?」
「はっ!」
踵を合わせてドズルが敬礼する。肩をいからせたドズルが退出するのを見届けてギレンは執務室の隣に声をかける。
「キシリア」
ドズルが退室した後、執務室の向こうから妹のキシリアが姿を現した。ジオンの上級将校の姿だ。
「はい」
「ドズルの作戦を援けてやれ」
キシリアは微笑んで執務テーブルに両手をついて兄の顔を正面から見た。
「兄上は本当に寛大ですね。ミノフスキー博士を奪われた挙句、七機のザクを失ったドズル兄に助け舟を出すなんて、お優しいこと」
「私が兄弟愛でドズルを助けるとでも?」
「さあ、どうでしょう?」
ギレンの視線を受け止めた後、あいまいな言葉を兄に投げる。
「しくじればドズルも左遷だ。しかし、今は身内を切り捨てている時期ではない。一族が一丸となって難事に立ち向かわねばならない」
「おっしゃる通りですね。下らぬ失態で兄が脱落するのは見たくありませんから」
「例のアナハイムのネズミ、何と言ったか?」
「マーサ・ビスト・カーバインですか?」
「子殺しのビスト家か。宗主のサイアム・ビストは表裏比興の男だ。侮れん」
「今は孫のカーディアス・ビストに当主の座を譲っているようですが……」
「知っている」
「この件は父上にはご報告を?」
「些事にすぎん。公王陛下は知らぬことだ」
キシリアが水を向けた話題にギレンは刀を台に戻して答える。
「そうですか。兄上はジオンの総領ですからね。いちいち父上の認可は必要ありませんね。私の諜報機関もほぼ独断行動が認められていますし」
兄の背中に視線を投げたキシリアの口元に自身の皮肉への冷笑が浮かぶ。
妹に一瞥を返したのみでギレンはキシリアに向き合うと言葉を継いだ。
「例の一本角……我々が総力を挙げて開発したザクをはるかに上回る性能だというが、報告書を見ても腑に落ちん。連邦よりも前に開発を進めてきたこちらの技術をしのぐモビルスーツを造り出すことは本当に可能か? 現にアナハイムが出したMSは木偶の坊に等しいものだ」
ギレンの手元の報告書には月の戦場となったスミス海の戦いが子細に記されている。
「キシリア機関は二年半ほど前まで遡ってアナハイム内の人事と移動の記録を調べました。材料工学の権威やその他モビルスーツ開発に役立つと思われる人材がとあるコロニーに集中的に配属され、木星の輸送船団からの搬送物も届けられたようです」
「その内容物は何だ?」
「そこまでは、わかりかねます」
アナハイム内部からのリークと諜報部隊の集めた情報を吟味すれば、辺境のコロニーでMSの開発建造が秘密裏に進められていたことは明らかだ。
「それがインダストリアル7だと? 月に拠点があるアナハイムを差し置いて、なぜあの程度のコロニーに重点を置いた? ビストの本山があるといってもだ。何か秘密があるはずだ。とてつもない大きな何かが……」
「連邦もアナハイムも一枚岩ではありません。一本角を渡すというビストのネズミの意図は私にはわかりませんが、あの女はただの尻尾にすぎません。例のものを手に入れれば事は済みます」
思案顔になった兄の横顔を眺めながらキシリアは任務指示の水を向ける。
「ネズミを餌に食いつかせろ。放置は愚策。我々の計画に狂いがあってはならない」
「では、奪いましょう。私たちの計画のために──」
机から身を離してキシリアは宣告するのだった。
◆
同日夕刻、アムロ・レイは学校帰りにフラウ・ボゥのご機嫌斜めと遭遇していた。一日中話しかける機会がなかったのだ。
アムロからすれば稀有なことだ。自分から積極的に女の子に話しかけに行くなんて!
「フラウ・ボゥ、フラウ・ボゥってば」
アムロからの呼びかけを無視していたフラウ・ボゥはようやく振り向く。吐き出されたため息とともに。
「どうしたの? 呼んでたのに」
「別に何でもないわ。聞こえなかったの」
アムロを一瞥し唇を尖らせてフラウ・ボゥは言いかけた言葉を引っ込める。
「え? 何……」
「何にも」
フラウ・ボゥのムスっとした顔を前にアムロのなけなしの勇気はひるんでいた。
怒ってるじゃないか?
「あの、さ。怒ってるの」
「怒ってない」
「声が怒ってるよ……何かあったかな……?」
ぐいっとフラウ・ボゥがアムロの顔を覗き込んで、思わず二歩後退する。
「昨日はお招きありがとう。アムロ君って結構モテるんだね」
「モテるって……なに?」
「モスクさんの歓迎会でリズエラさんって人とずいぶん仲良くしてたじゃない」
明らかにトゲを含んだ響きがあるが、なぜそれがフラウ・ボゥの機嫌に関係するのかがわからない。
「会ったばかりだよ。親父の会社のお偉いさんの娘なんだってさ。うちに来たのは付き合いみたいなもんで……」
「ふうん?」
信じてない。そんな顔だ。なぜボクがフラウ・ボゥの機嫌取らなきゃいけないんだろう……
父さんの職場の人たちがたくさん来て、珍しいくらい家に人がいた。料理もたくさん食べたっけ。
リズエラはその中にいた客の一人だ。
アナハイムの会長の養女が家に来るなんてなんの冗談かと思ったし、ひどく見下されるんじゃないかと思ったけど違った。
気づけばじっと見つめられていたり、ちょっと変わった子だとは思ったけれど……
紫色のハロを連れていて、自分よりも年上なのに好みが子どもっぽいんだな、としか思わなかった。
良く喋っていたのは連れの赤毛の女の子の方だったっけ。
「クリスマス」
不意に立ち止まったフラウ・ボゥに追いかけていた足を止める。
「クリスマス? まだ先だよね」
クリスマスは一月先のイベントだ。地球で母と一緒に住んでいた頃はアムロにも意味のある祭日だった。
神と決別した世紀とか言っても親子にとって特別な日であることは変わらなかった。
そんな思い出も今はずいぶん昔に感じる。
「クリスマス・ケーキ、美味しいの。私の手作り」
「うん?」
「持っていくから一緒に食べてよね」
スクーター乗り場でヘルメットをかぶりフラウ・ボゥは走り出す。一人残されてアムロは遠ざかる背中を見つめる。
「ケーキが何? 女の子ってわからないなあ……」
あまり自分に縁がないイベントを思い出してアムロはスクーターに跨るのだった。
アニメは6話目の展開
俺、ガンダム二次の1シーズン投稿し終わったらFSS17巻と水星の魔女見るんだ
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水星の魔女は許す、FSSは許さん
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FSSは許す、水星の魔女は許さん
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両方許されない 二次作を完結するまでな!
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好きなだけ堪能していいぞ