#1
朝が来た。望んでない朝が。
ハウリ・ユーディエントはベッドの中で蹲ったまま、憂鬱な気持ちで窓を見上げた。
寝ても起きても朝は来る。時間は流れる。無情にも。
どれだけ苦しんでものたうちまわっても、太陽はあがって沈んで、お腹もすくし喉もかわく。
当然の摂理だ。
かつて聞いた神話だと、自分の姿に見惚れてそのまま花になってしまった男がいたというが……いっそ、自分もそんな風に草木になり果ててしまえば、この無意味な懊悩から解放されるのだろうか?
そんな事を考えながら、ハウリは仕方なく、身を起こす。
そう、黄昏ていてもお腹はすく。そして食べていくには、お金が必要だ。
貯蓄はそろそろ心もとない。今日こそ、何かしらの仕事を見つけてこなければ。
”彼ら”と違って、自分は。その自由が許されているのだから。
「…………」
無意識に、首の後ろに手をやる。そこに、レイドデバイスの冷たい感触はない。
家畜だ、と聞いていた。
劣等種で、人間未満の存在だと。
何を基準に??
「……誰が決めたんだよ、そんな事」
吐き捨てて、起き上がる。
そして流しに向かった所で……妙な音がした。
それが何か月も鳴っていないチャイムの音だと理解したのは、数舜も呆けてからの事だった。
「ハウリ・ユーディエント元中尉ですね」
一瞬、自分の生死を誤認した。
自分はベッドの中で不摂生故に死に絶えて、その無様な魂を死神が刈り取りに来たのだと、ハウリは本気でそう思った。
勿論、事実は違う。
ハウリはさっきまで寝ていました、といわんばかりの格好で不用心にも来客を迎え、来客はそんな彼に気を害する事もなく、玄関口で佇んでいる。
逆行の中、黒い影を纏う白銀の髪の少女。身に纏うのは共和国の藍色の軍服で……しかし、ハウリにはそれが漆黒の喪服のように見えた。
美しい少女なのは間違いない。だが、それ以上に、陰鬱な……死の濃い影を纏う少女は、ただひたすら恐ろしかった。
ありえない事だ。
レギオンとの最前線を”無人機”にまかせている共和国内にあって。
あの……顔も名前も知らない、”彼ら”と同じ……それ以上の、死を引き連れているなど。
「……はい、確かに私はハウリですが……」
「私は共和国軍少佐、ヴラディリーナ・ミリーゼ。貴方にお話があって参りました。あくまで、個人的な」
そう告げて、少女は可憐な花がそよぐように微笑んだ。
あきらかに作りものの、仮面のような笑顔だった。
「ええと。粗茶ですが……」
「ありがとうございます」
散らかった室内をトラクターでなぎ倒すように片づけて(隅にやっただけともいう)、引っ張り出したテーブルに粗茶を注ぐ。
いつ頃あけたかも覚えてないような茶葉だったが、ミリーゼと名乗った少佐は文句ひとつ言わず、静かに茶を啜った。その所作一つ一つが洗練されていて、なるほど、上流階級の人間らしいとハウリは見惚れるばかりだった。
問題は、そのお嬢様が何故、自分のような退役軍人の元を十ずれたか、という事なのだが。
「……その。ミリーゼ少佐? 本日は、一体どのような用件で……」
「失礼ながら。貴方の”戦歴”を調べさせていただきました」
「っ!」
思わず息を飲む。
……この10年。レギオンの攻勢に対し、防壁と”無人兵器”を配備して以降、共和国軍人が銃弾の前に立って戦ったことはない。表向きは、レギオンとの戦争による被害者も軽微な、平和の内にある共和国。
そんな共和国において、”戦歴”とは、つまり。
「西部戦線第二戦区第三防衛戦隊……通称、”ティルフュング戦隊”。貴方が最後に管制していた部隊。その全滅を機に、貴方は軍を退役した。何か情報に違いはありませんか」
「……なんで、そんな事を」
「必要な事だからです、ハウリ元中尉」
感情を伺わせぬ、硝子のような視線がハウリを射抜く。
「退役の理由は自身に軍人としての適性がなく、別の職に就きたい、というものでしたね。その程度の理由でも、共和国では退役を許される。……けど貴方は、三ヶ月もの間、職も探さず引きこもっているようですね」
「それが、何ですか」
思わず声が硬くなる。そんなハウリの心境を知ってかしらずか、ミリーゼは淡々と告げた。
「虚しくなりましたか? それとも……同情した?」
人ではない存在として使いつぶされる、エイティシックスに?
一瞬激しかけ、しかしそのまま、ハウリは押し黙った。
この共和国で、エイティシックスの肩を持つ愚を悟ったから、ではない。糾弾にしても嘲笑にしても、ミリーゼという少女の声があまりにも、硬く無機質だったから。
それは冷徹さとも、悪辣さとも違う。そう、例えるならば、日に当たる事なく佇むコンクリートの塊のような、徹底的な無感情……。あるいは、歯車仕掛けの絡繰りのそれか。
とうてい、同じ人間の放つ気配だとは思えなかった。一体、どんな地獄を、境遇に対すれば、ここまで削ぎ落されてしまうのか。あのエイティシックス達でさえ、どこか人間らしい感情を残していたというのに。
「ミリーゼ、少佐。貴方、一体、何を」
「……これを、見てください」
ハウリの動揺など知らない風に、ミリーゼは鞄から何かしらの書類を取り出して見せる。渡された書類は、何らかのレポートのようだった。
元がつくとはいえ、ハウリも教育を受けた士官だった。反射的に、その資料に目を通し。
その内容に瞠目した。
「少佐、これ……っ!」
「私の権限で叶う限りの、各戦線におけるレギオンとエイティシックスのキルレシオ。わかっている限りのレギオン側の生産能力と、進行経路から予想される布陣と戦力。恐らくまだ現存しているであろう、連合王国や連邦の戦線を加味した、消費と生産のサイクル。それらから算出した、共和国の”現状”です」
淡々と告げるミリーゼ。だが、資料の告げる数値は、その全てが絶望と破滅を示していた。戦線が保たれているのが可笑しいぐらいの、異常な数値の差。
平和? 防衛線は今の所保たれている?
酷い冗談だ。
この数値が本当ならば、もしレギオンがその気になれば……共和国の防衛線など、一日足らずで突破される。
「こ、この資料の信用性は……?」
「貴方なら理解できるのではないですか? それでもだいぶん、楽観的な予想なのですけどね」
「軍上層部はこの事を」
「上奏はしました。上奏は」
つまり、知っていて放置しているという事だろう。2年後の、レギオン中枢の寿命を顧みて。いや、それとも。
「けど、けど……ミリーゼ少佐。レギオンは、2年後には機能を停止するのでしょう? その影響で、こんな、グラフ通りになる訳じゃ」
「何故?」
「え」
「何故、そう思うのです? レギオンは確かに、無人で稼働する自律型兵器です。人間のように、高度な判断を下せるわけではない……ですが。判断能力がないわけでは、ないのですよ。すくなくとも、原型となったマリアーナ・モデルは資料によれば、ある程度の戦略的判断を下す能力はもっています。そんなレギオンが、自らを朽ちるがままに、まかせると?」
ミリーゼはそう語りながら、別の資料を差し出した。ハウリの希望、否、楽観を叩き潰すために用意していたその資料を。
「なるほど、軍の想定通りにレギオンの生産数や活動が低減したとしましょう。ですがそれは、一日に破壊されるレギオンの総数を遥かに上回る。結局、レギオンは増え続けているのです。それとは対照的に、共和国の防衛線は、日に日に擦り減っていく。いや、擦り減らされているのですかね」
もはやハウリは言葉もない。
ここまで言われれば、ミリーゼの言いたいことはわかってきた。
レギオン中枢の停止まであと2年。たった、2年。
ではない。
”2年もあるのだ”。
現状でも、力任せに共和国の防衛線を突破しかねない戦力が、まだ、あと2年。730日。そのうち、たった一日でもレギオンがその気になれば。
ぐらり、とハウリは足元が崩れるような感覚を味わた。もちろん、錯覚だ。今はまだ。
「どうして、こんな……」
言いがかりと分かっていて、ハウリは恨めし気にミリーゼを見た。そんな彼に、相変わらずの感情の無い目を向けるミリーゼ。
「私に。私にいったい何を求めているのですか、少佐? ええ、そうです。ご存じの通り、私はエイティシックス達を使いつぶす事に耐えられなかった、けどそれをどうにかしようとも思わず逃げ出した、ただの卑怯者です。そんな男に、こんな悪夢のような事実を突きつけて……あなたはいったい、何がしたいのですか」
「悪夢のような事実、ですか」
「そうでしょう。むしろ、何故です? 貴方はなぜ、こんな事実を目の当たりにして平気な顔が……」
「……なるほど。ハウリ元中尉。どうやら貴方とは、話ができるようですね」
「少佐?」
話が通じてないようで、その実。ミリーゼは今度こそしかとハウリを見据えて、死刑宣告を告げる裁判官のように。
「軍に復帰してください、ハウリ元中尉。……これを悪夢というのなら、受け入れられない現実と分かるのならば。私達には抗う用意がある」
一週間、時間を与えます。
答えは、その時に。
そうとだけ告げて、ミリーゼはハウリ元中尉の住居を後にした。若者向けの集合住宅の廊下を渡ると、階段の陰に控えていた護衛と合流する。
顔に、一筋の深い傷を持つ壮年の男。彼もまたはぐれ者なのは、だらりと垂れ下がる中身のない左袖が物語っている。
彼も、ミリーゼが見出した人物だ。やはり、退役軍人の。
10年前のレギオンとの初戦において、精強にして勇敢たる真の共和国軍人は、その大半が戦死し。生き残った者も、戦場から目を逸らす事なく現地に残り、命を散らしていった。生き残ったのは整備員か、あるいは……戦えないほどの傷を負い、身を引かざるを得なかった者ばかりだ。そうした者の中には、現実から目を逸らすばかりに凶行に至った祖国を恥じるも、しかし何ができるわけでもなく暗澹と日々を過ごしている者もいる。
「少佐、お疲れ様です。しかし何も少佐自ら出向かずとも」
「”これ”は私の始めた戦争です、大尉。私一人が始めた、我儘のようなものです」
「だとしても。我々は、起きたままに見る悪夢から、救っていただいたのです」
「それは違いますよ。私は貴方達の弱みに付け込んで、夢で終わらせておけばよいものと直面させたのです。……ハウリ中尉には、念のため監視を。万が一が、無いように」
「了解いたしました、女王陛下」
大尉と呼ばれた男の、ふざけているようでその実心からの敬意に、しかしミリーゼは僅かに瞳を揺らがせるだけで答えない。
ミリーゼの見ている光景を、真に理解するものはいない。
きっと。恐らくは。86区の”死神”さえも、彼女と同じ視点は……持てない。