1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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泥沼(9)

 

霊園内にはオフサイド以外誰もおらず、しんと静謐な雰囲気に満たされていた。

 

ブライアンの墓碑の前に立ったオフサイドは、買ってきた花を供えた。

「ごめんね。天皇賞の盾を必ずみせると約束したのに、それが出来なくて。」

花を供えた後、冷たい小雨が降る中、オフサイドは墓碑の前に腰掛けた。

「あなたには、私の決意は気づかれているかしら。」

そっと墓碑に手を触れた。

「でも、許してくれるかな。私、もう疲れたの。」

 

オフサイドは少し俯きながら、亡き同胞に話しかけるように語り出した。

 

4年半前、〈死神〉の魔の手にかかって以後、死に物狂いで生きてきた。

復帰する度、〈死神〉に何度も再発された。

終わりなき苦痛に心身を蝕まれた。

闘病だけでなく、幾多の病症仲間達との永別を経験した。

チーム仲間のシグナルとの永別も。

そして、かけがえのないあなたとの永別も。

 

何度絶望しただろう。

何度還ろうかと思っただろう。

それでも、必死に心を繋ぎ続けた。

時には、繋ぎ止められながら。

 

心を繋ぎ続けられた、私の心にあったもの。

それは、

〈死神〉に追い詰められる病症仲間達に、未来を見せてあげたかった。

『フォアマン』の後輩達に、『不屈』を教えてあげたかった。

私を支えてくれた周囲への恩返しがしたかった。

そして、サクラローレルとあなたに誓った『必ず栄光を手にする』約束を果たしたかった。

 

だけど。

今、自分にあるのは虚しさと、やり場のない思い。

全身を覆う重い疲労。

そして、帰還への嘱望。

 

「生きる目的、なくなっちゃったの。」

 

決死の覚悟で臨んだ天皇賞・秋。

最後まで走りきり、そして栄光を手にして、悲願を叶えた。

なのに、心の底から喜べる状況じゃなくなかった。

 

スズカが助かって、ようやく心から喜べる時がきたと思った。

だけどそれは、間違っていた。

 

「誰も、私の走りを見てくれなかった。スズカとは程遠い凡庸なタイムだから優勝は無価値だと酷評されたわ。スズカの怪我のおかげで勝てたともね。そして優勝後の言動を責められた。物凄く責められ続けたわ。“非情で自己中なウマ娘”ってね。」

 

今はもう慣れたし、心も落ち着いてるからある程度大丈夫だけど、最初は本当に苦しかったわ。

どこに行っても罵声浴びせられ、投書が殺到した。

同胞から冷ややかな視線を浴びることもあった。

何より、チームが滅茶滅茶にされたことが苦しかったわ。

 

私は、どうすれば良かったのだろう。

ダンツシアトル先輩のように、スズカを慮る言動をすれば良かったのかな。

でも、それは出来なかった。

シグナルライトの悲劇に関わり、その最期を目の当たりにしたウマ娘として、私はあのような言動をするしかなかった。

まさか、全く理解されないとは思わなかったけど。

 

でも、一番虚しく苦しかったのは、言動を責められたことじゃない。

絶望したのは、誰も私の走りを見てくれなかったこと。

 

「私の走りと栄光は、スズカの悲劇と凡庸な優勝タイムによって覆い尽くされたわ。」

あのレース、というか故障するまでのスズカの走りを見た誰もが、“故障しなければスズカが圧勝していたレースと断定・評論した。

その結果、あの天皇賞・秋は『オフサイドトラップが優勝した天皇賞・秋』じゃなくて『サイレンススズカが故障した天皇賞・秋』になった。

 

だから、今後何十年経とうと、私の走りが顧みられ称賛されることはないだろう。

仮に顧みられたとしても、タイムの点で“スズカが無事ならば”という観点からは逃れられない。

絶対に、永遠に。

 

次はないと命懸けで走ったレースが、このような結果になった。

4年半〈死神〉と闘い続けた末にようやく掴んだ栄光が、閉ざされた。

「その事実がようやく分かった時、私は生きる気力がなくなっちゃったの。疲れた。本当に疲れた。そして…私は変えてしまった。…もう、還る以外に選択肢はないわ。」

 

一つだけ良かったことがある。

それは、自分が有馬記念に出走出来ることだ。

幸い、こんな私にも死に場所が用意されていた。

「もし償えるのなら、戻せるのなら…最後にそこに懸けたい。それが果たせられれば、もうそれでいい。」

後はもう、自分を終わらせる。

自分の脚の限界は分かってるから、それを超えればいいだけ。

 

「レースで還る時に見える景色って、どんなものだろうね。」

多分、そんな辛い景色ではないと思う。

悲しむ人も少ないだろうし。

「ある意味幸せかもね。誰にも悲しまれずに還れるって。」

 

そこまで言うと、オフサイドは黙った。

しばしの間、小雨の降る音だけが聞こえていた。

 

「ごめんね、ブライアン。」

しばらく黙っていたオフサイドは、ゆっくりと立ち上がった。

「あなたの夢、叶えられなかった。」

 

「もう一度、有馬記念の前に来るわ。そこで、最期のお別れをしよう。」

多分、私はあなたと同じ世界には還れない。

運命って残酷だね。

こんなことになるなら、スズカの脚じゃなくて私の脚を砕いて欲しかった…

 

 

オフサイドは、ブライアンの墓碑から去っていった。

 

 

 

*****

 

オフサイドトラップさん。

私はあなたに何度も救われました。

今度は、私があなたを救う番です。

 

必ず帰りますから、どうか待ってて下さい。

 

*****

 


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