1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉に散ったウマ娘達(2)

 

その後時間は経ち。夜になった頃。

マックイーンが、別荘に訪れた。

 

来訪後すぐ、彼女は別荘の一室で、ケンザンと会った。

今朝、オフサイドからの手紙を読んだマックイーンは、緊急事態だと判断してすぐにケンザンに連絡してここに来てもらい、オフサイドの真意を確かめるよう頼んでいた。

 

「オフサイドトラップは、還る決意を固めています。」

「本当だったのですか。」

ケンザンの報告に、マックイーンは絶句した。

オフサイドの心境状態を常に憂いていたマックイーンでも、まさかそこまで追い詰められているとは思わなかった。

「有馬記念に出走すると聞いた時は、天皇賞・秋で受けた汚名と屈辱を晴らす為だと思ってましたが、オフサイドにはもうその気力はなかったようですね…。」

長年、オフサイドのチーム先輩として学園生活を共にしてきたケンザンは、重たい口調だった。

「彼女の決意を変えることは」

「不可能でしょう。」

ケンザンは即答した。

「決して〈死神〉に屈しなかったオフサイドが、この決意をしたんです。覆せるとは考えられません。」

そんな…

現役時代、『精神力のウマ娘』と評され、引退まで『フォアマン』リーダーを務めていたケンザンとは思えない諦めたような言葉に、マックイーンは深刻な表情で口元に手を当てた。

 

「でも、こうなることは充分考えられた筈です。」

ケンザンは、怒りよりも無念さの方が強い表情でマックイーンを見つつ、口を開いた。

「ウマ娘の生き甲斐である、“レースの勝利と栄光”、それが完全に否定されたんです。ましてや、オフサイドにとってあのレースは、〈死神〉との長年の激闘を経てようやく辿り着いた、恐らく競走生活最後になるであろう大舞台。彼女は文字通り、全てを懸けて挑んだのですよ。それなのに周囲は…スズカの悲劇は悲しんで然るべきですが、勝者への配慮が余りにもなさ過ぎました。称賛するどころか、仮想タイムを持ち出して勝利の栄光を否定するって…これは果たしてウマ娘に関わる者達のする所業ですか?スズカを惜しむ気持ちは分かりますが、あの天皇賞・秋に限っては、スズカは完全な敗者で、しかも他走者の妨害までしてしまってるのです。そこから全く目を逸らして、勝者を貶してスズカを称賛するなんて、どれだけ愚かなのですか?」

言ってる途中から、ケンザンの口調はかなり荒くなっていた。

 

「…。」

ケンザンの言葉に対し、マックイーンは黙って首を垂れ、その言葉を受け入れていた。

マックイーンもケンザンと全く同じ考えなのだが、今の彼女はまるで罪人のように、ケンザンの言葉を受けていた。

 

ケンザンは、溜まっていた思いを爆発させるように、更に続けた。

「インタビュー問題だってそうです。なんで彼女の言動の意味をろくに考えもせずにあんなに責めたんですか?2年前の日経賞でシグナルライトが散った時、勝者のルソーは盟友の悲劇に悲しみながらも必死に笑顔になってました。観客の人達も彼女の心境とその意味を理解して、シグナルの悲劇を悼みながらもルソーを称賛してたのに。…今回の天皇賞でオフサイドが笑顔になれなかった場合、最も苦しみを背負うのは誰になるのか。それすらも考えられないとは一体どういうことなんですか?」

 

「反論の余地もありません。全てあなたの言う通りですわ。」

じっとケンザンの言葉を受けていたマックイーンは、僅かに唇を噛み締めながら頷いた。

「このような事態になってしまった責任は、我々にもあります。」

 

 

ここ十年、ウマ娘の人気は非常な増加傾向にあった。

理由として、オグリキャップ・トウカイテイオー・ナリタブライアン・マヤノトップガン・そしてサイレンススズカらといった人気実力共に抜群のスターウマ娘の出現。

メジロマックイーン・ヤマニンゼファー・ビワハヤヒデ・サクラローレルといった冷徹な最強ウマ娘の存在。

メジロパーマー・ダイタクヘリオス・ライスシャワー・ノースフライト・サクラバクシンオーといった個性的な強さを誇るウマ娘の奮戦。

その他ナイスネイチャ・ツインターボなどといった実績は劣るが時にはスター以上の輝きを見せる脇役達などの活躍。

彼女達のようなウマ娘による絢爛豪華なターフの闘いが、観るものを次々と強く惹きつけていたからだ。

 

また、ウイニングライブの進化により、ウマ娘とファンの距離も縮まってきており、レース以外でのウマ娘の人気も非常に高くなっていた影響も大きかった。

 

それらにより、ウマ娘界は空前の隆盛を迎えていた。

 

 

だがその一方で、懸念があった。

人気が高まるにつれウマ娘の世界の明るいところばかりが知られ、残酷な部分が忘れられていくことだった。

 

ウマ娘の世界は、決して綺麗で楽しいことばかりじゃない。

目を背けたくなるようなことだって多々ある。

しかもそれは、突然起きることだってあるということを。

 

「ターフの闘いを観る為に必要な“覚悟”が、ウマ娘界の隆盛と共に希薄になっていました。」

マックイーンは重たい口調で言った。

覚悟とは、レースの最中の不幸・或いは望まない結果になったとしてもそれを受け入れる心構えのこと。

ウマ娘のターフの闘いは、ゲームやアニメの世界のようにやり直しがきいたり都合良く主人公補正があるわけではない。

レースでは誰にでも不幸が起きうる、厳しく非情な面もある世界なのだ。

 

かつてウマ娘の人気がさほど高くなかった時代は、ファンの多くがそれを分かっていた。

だが、今は。

 

 

「人気が高くなったことは非常に喜ばしい、感謝すべきことですわ。ですが…あまりにも明るい世界ばかりをクローズアップし過ぎました。その結果、ファンだけでなくウマ娘界に深く携わる者達まで、覚悟が希薄になってしまいました。」

それが、今回の天皇賞・秋で一気に露呈した。

 

「どんなに後悔しても、もう遅いです。」

マックイーンの言葉に対し、ケンザンは額に指を当て眼を瞑って呟いた。

「現実を直視せずに残酷なことから目を逸らした結果、勝者を蔑ろにするという一番やってはいけないことを、この世界はやってしまった。その報いは、オフサイドトラップ一人の帰還で終わらない。」

「…。」

「サイレンススズカも、還ることになるでしょう。」

 

かつてオフサイド・スズカのチーム先輩であったケンザンの表情は真っ暗だった。

 


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