ケンザンとの話の後、マックイーンは別部屋で一旦一人になった。
『もう手遅れです』
ソファに座って紅茶を喫しているマックイーンの表情は、深刻そのものだった。
今の彼女にはソファの柔らかさも香り高い紅茶の味も感じない。
脳裏に、ケンザンから言われた言葉が鈍く響き続けているだけだ。
オフサイドがそこまで追い詰められているなんて思ってなかった。
いや、普通のウマ娘ならその心配はした。
オフサイドだから、その可能性はないと思ってた。
クラスニー…
マックイーンの視界に、銀髪のウマ娘の姿が映った。
クラスニー、私、何をやっていたのでしょうね。
オフサイドが還ってしまっては、自分がたてた計画はなんの意味もない。
…。
深い嘆息をしながら、マックイーンは懐から、今朝オフサイドから渡された手紙を取り出した。
『〈死神〉との闘いに終止符を打つ為です』
『私は栄光も未来も称賛もいりません』
『盟友が待つ場所へいくだけです』
『どうか私に、死に場所を下さい』
手紙に書かれた言葉に、オフサイドの絶望の大きさがうかがえた。
絶望し過ぎ、とは思えなかった。
そんなことを思っていいのは、絶望を知らない者達に対してだけ。
オフサイドは、絶望の世界を生き抜いてきたウマ娘だ。
帰還に繋がる絶望を何度も乗り越えたウマ娘だ。
そんな彼女が、ここまで絶望した。
コンコン。
「失礼します。」
部屋の扉をノックする音がして、使用人が入ってきた。
オフサイドの世話を頼んだ使用人だ。
「なんの御用ですか?」
「オフサイドトラップ様から、マックイーンお嬢様とお話ししたいとの要望がありました。」
オフサイドの方から?
「どうぞ、通してください。」
自分の方から行くつもりだったマックイーンは、暗い表情のまま了承した。
5分後。
オフサイドが鞄を持ってマックイーンのいる部屋にきた。
「オフサイドトラップ。」
「…。」
オフサイドは無言で一礼すると、マックイーンの向かいのソファに座った。
「フジヤマケンザンから、話を聞きましたわ。」
マックイーンは、あまり力のない翠眼でオフサイドを見つめた。
「あなたがそこまで追い詰められていたとは、想像してませんでした。」
「生徒会長が罪を感じる必要はありません。」
いつもの冷徹な雰囲気がないマックイーンをいたわるように、オフサイドは言った。
「むしろ、こんな私の為にずっと手を尽くして下さったことに、感謝しています。」
“こんな私”…
「こんななんて言わないで下さい。あなたはこのトレセン学園の生徒で、誇り高き天皇賞ウマ娘ですわ。」
「誇り高くなんてありません。あの天皇賞のどこに誇り高い要素があるんですか…」
オフサイドの口元に、自らを冷笑するような笑みがもれた。
「このメジロマックイーンにとっては、あなたはそれに充分値するウマ娘ですわ。」
「“サイレンススズカの故障の恩恵を受けた1分59秒3の天皇賞ウマ娘”、なのにですか?」
「タイムなどではなく、あなたはサイレンススズカ故障後のレースを、いや、『第118回天皇賞』を守った。その点のことですわ。」
「守れてません。」
マックイーンの言葉を聞き、オフサイドは口元の笑みを消した。
「守れていたのなら、誰もあそこまで悲しまなかった筈です。」
言いながら、彼女の手が小刻みに慄えだした。
「私はもうターフで走れる時間が殆ど残っていない、6年生の引退目前ウマ娘。あの天皇賞は自らの最後のレースとして全てを懸けて走ったのに、ターフに輝きを刻むことすら出来なかった。私はその程度のウマ娘です。」
「それが、あなたの還る理由ですか。」
膝元に爪をたてたオフサイドに、マックイーンは努めて冷静な口調でそう尋ねた。
「…。」
オフサイドは俯き、すぐには返答せずに少し間をおいてから答えた。
「理由は多すぎて、全ては言えません。まとめていうとしたら、私は〈死神〉との闘いに疲れました。」
〈死神〉…
〈クッケン炎〉のことだとはすぐに分かった。
あなたは〈死神〉に勝ったのでは、と言いたかったが、それは出来なかった。
「どうしても、還るのですか?」
「はい。病症仲間達に希望や未来を示すことも出来ませんでしたから、還るよりありません。」
「ルソーやステイゴールドや他の『フォアマン』仲間達、その他あなたと親しい者達のことは、考えないのですか?」
「もう考えられません。」
そう即答したオフサイドの姿からは、マックイーンもかつて感じたことがないくらいの絶望感が漂っていた。
これが、生き甲斐を否定されたウマ娘の末路…
同胞に対する悲しみがマックイーンの胸を浸した。
「生徒会長。」
黙ったマックイーンに、オフサイドはつと鞄から一冊のノートを取り出し、マックイーンに差し出した。
「これを、受け取っていただけますか。」
「これは?」
「〈死神〉と闘った同胞達の記録です。」
記録…
マックイーンをそれを受け取ると、ぱらっとページを捲った。
…!
内容を一目見た瞬間、マックイーンは即座にノートを閉じた。
「これは…」
「どうか、生徒会長であるあなたには知って頂きたいのです。」
一瞬だけだが、その内容をみて戦慄したマックイーンに、オフサイドは懇願するように言った。
「〈死神〉に罹った同胞達の、未来の為に。」