「ブルボンさん。」
ライスは椅子から立ち上がり、入室したブルボンと向かいあった。
やはり、あなたもここに来ましたか。
ブルボン特有の感情ない両眼を、ライスは蒼眼で見返した。
双方の視線が交錯して、室内に一気に張り詰めた空気が流れた。
「どうしたの?」
親友であるはずの二人の緊迫した様子を見て、椎菜は怪訝そうに尋ねた。
「いえ。」
ブルボンはチラッと椎菜を見、気にしないで下さいと目線を送った。
それから再びライスを見て、言った。
「少し、お話を宜しいでしょうか。」
…。
ライスは少し迷ったが、黙って頷いた。
ブルボンとライスは椎菜の病室を出て、施設の外に出た。
冬の夜空の寒風が吹く中、二人は遊歩道のベンチに並んで座った。
「マックイーンさんから、何の要件ですか?」
座るなり、ライスはすぐに尋ねた。
ブルボンはマックイーンの意志伝達役&ライスの見張り役で、本人の意志で行動してないことは分かっている。
ライスの問いに、ブルボンは相変わらず全く感情を見せない表情で答えた。
「状況が急変したとのことです。」
「状況が急変?」
「詳しくは、こちらをご覧下さいとのことです。」
ブルボンはスマホを取り出し、先程マックイーンから届いたメールを見せた。
「…?」
ライスはスマホを受け取り、それを読んだ。
メールの内容は、オフサイドが有馬記念を最後に帰還の決意を固めていことが分かったという内容だった。
オフサイドトラップが帰還する?
ライスも、それは予想してなかった。
一体どういうこと?
「これを読みましたら、連絡を下さいとのことです。」
「はい。」
ブルボンの言葉に、ライスは深刻な表情で頷いた。
ライスは、そのスマホでマックイーンに電話をかけた。
「もしもし、マックイーンさんですか。」
『ライス。メールは読みましたか?』
「はい。あの、あれは本当なんですか?オフサイドさんが…」
『本当です。本人の口から直に聞きました。』
マックイーンの口調には、いつもの冷徹さがなかった。
マックイーンはライスに詳細を伝えた。
現在オフサイドはメジロ家の別荘におり、そこで彼女から前述の決意を聞いたこと。
その決意は同じく別荘にいる彼女の先輩のケンザンですら諦めるくらいの固いものであること、を伝えた。
『状況は、最悪に近づきつつあります。彼女の悲壮な決意をなんとか翻意させたいと模索してますが…非常に厳しいです。』
「…。」
マックイーンの話を聞き、ライスは唇を噛んだ。
最悪の結末がどのようなものか、彼女にも想像出来た。
黙っているライスに、マックイーンは続けて言った。
『あなたにお願いがあります。どうか、サイレンススズカに騒動のことを伝えるのは、待って頂けませんか。』
“待って”?
これまでのマックイーンの要求は“伝えないで”だったが、そこが変わっていることに気づいた。
「伝えるな、ではないのですか?」
『…はい。オフサイドトラップがこのような決意を固めてしまった以上、もう隠し通すのは無意味ですわ。ですが、今すぐにそれを彼女に伝えるのは、やめて頂きたいのです。』
「どうしてですか。事態が急迫した以上、一刻も早くスズカに現状を知ってもらうべきだと思いますが。」
ライスの疑問に、マックイーンは答えた。
『それはその通りですわ。ですが、今いきなり全てをスズカに伝えた場合、彼女が受けるショックの大きさは計り知れません。一気に最悪の状態になることも考えられますわ。医師や『スピカ』トレーナーとも相談し、慎重に慎重を重ねて伝えなければなりません…』
「分かりました。」
マックイーンの言葉に、ライスは従うことにした。
「私は療養施設にいます。伝える時が来ましたら、連絡を下さい。」
恐らく明日明後日になるだろうと予測しながら、ライスはマックイーンにそう伝え、電話を切った。
マックイーンとの電話を終えると、ライスはスマホをブルボンに返した。
「ブルボンさん、大変なことになってしまいましたね。」
闇夜の中、ライスは蒼瞳が光る表情で唇を噛みながらぽつりと呟いた。
全く予想外の事態になってしまった。
もし、オフサイドが本当に帰還してしまったら、それはスズカにも間違いなく連鎖する。
自らの怪我が原因で先輩が帰還したと知ったら、彼女も絶対に後を追うだろう。
遂に、事態は来るところまできてしまったのか…
このままではどうなってしまうのか。
多分、オフサイド・スズカの二人の帰還で、ようやく世の中は犯した罪に気づくだろう。
だが、1億の人間がどんなに後悔しようと、罪を詫びようと、オフサイドもスズカも帰ってこない。
永遠の後悔と罪悪感を背負うことになってしまうだろう。
でも、或いはそれが勝者の栄光を理不尽に貶めたこの世界への、相応な罰なのかもしれない。
「…。」
自身の心が絶望に染まりそうになってると感じたライスは、それを振り払うように首を二、三度振った。
そして、ずっと黙っているブルボンを見、心を奮いたたせるように言った。
「絶対に救わねばなりませんね。オフサイドトラップもサイレンススズカも。『祝福』の名に誓って…」
すると。
「救えますか?」
ライスの言葉を聞き、ずっと黙っていたブルボンが視線を向けずに、無機質な口調で言った。
「少しでも永く生きることを優先しないあなたに、同胞を救うことが出来るのですか?」
「え?」
「…。」
思いがけない言葉に、ライスが思わず声を洩らすと、ブルボンは無言でライスに視線を向けた。
普段は無感情なブルボンの瞳に、言い知れない悲しみの色が湧き上がっていた。
*****
メジロ家の別荘。
ライスとの電話を終えたマックイーンは、先日まで極秘にライスの身体の容態のことを調べさせていた使用人の報告を思い出していた。
〈ライスシャワーの左脚はもう限界が近く、彼女の余命はもってあと一ヵ月程だということです〉
ライス…
精神的にかなり疲れた様子のマックイーンは、ソファーに倒れ込むように座りつつ、無二の親友である彼女の姿を思い浮かべた。
サイレンススズカに事を伝えることは約束するわ。
だから、あなたはもうこれ以上無理しないで下さい。