1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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生存者(4)

 

トレセン学園所属・チーム『スピカ』トレーナー・沖埜 豊。

 

まだ30代に到達していない彼は、或いはスターウマ娘以上の人気と知名度をもっているといっていい、トレセン学園を代表する名トレーナー。

 

沖埜が新人トレーナーとして『スピカ』チームをつくったのは10年以上前、まだ10代の時だった。

新人当時から彼は、稀代の天才トレーナーとして学園内外から注目を集めていた。

 

そして彼は見事にその期待に応え…いや、期待以上の成績を上げだした。

1年目から重賞ウマ娘を輩出させ、更には新人トレーナーの最多勝利記録を更新。

2年目にはクラシックを制したウマ娘を輩出、10代にしてG1ウマ娘を誕生させると言う離れ業をやってのけた。

その後も次々とG1ウマ娘を輩出し、沖埜は瞬く間に超一流トレーナーの仲間入りを果たした。

 

彼の天才的かつ冷静緻密な指導や戦略、ウマ娘達の長所を見抜く慧眼はトレーナー史上でも類がなく、その端正な容貌や魅力的な人柄も相まって、彼は一トレーナーの枠を超えた注目と人気を集め始めた。

 

当時ウマ娘界はオグリキャップを中心とした超スターウマ娘達によるブームが巻き起こっており、沖埜は彼女らと並んでそのブームの中心といえる程の存在となった。

その後、引退間近のオグリが『スピカ』に加入し、ラストランの有馬記念で奇跡の優勝を遂げると、沖埜の人気は頂点に達し、ウマ娘界の枠を超えて国民的スターと言える存在までになった。

 

沖埜はその後も、チームから次々とG1ウマ娘やスターウマ娘、また重賞活躍ウマ娘を誕生させ、期待に違わぬ結果を残し続けた。

まだ30歳手前でありながら既に歴代トレーナーの歴代記録の多くを更新し、いずれウマ娘史上最高のトレーナーとして伝説になることは間違いなかった。

 

もはや国民的スターであり、同僚のトレーナーからは先輩後輩関係なく一目置かれる存在で、ウマ娘達からも多大な尊敬を集めている存在。

それが『スピカ』トレーナー、沖埜豊だった。

 

 

今、生徒会長であるマックイーンも、現役時代は『スピカ』に所属し彼のもとで競走生活を送った。

メジロ家悲願の『天皇賞三代制覇』を成し遂げ、現役最強王者としてターフに君臨し続けられたのは沖埜の指導のおかげだと、マックイーンは今も彼に対して感謝と尊敬の念を抱き続けている。

また、彼がまだ若いながら人間としても非常に優れていて、ウマ娘に対する愛情も人一倍強いトレーナーであることも、共に生きてきて分かっていた。

長年の実績や知名度も加え、沖埜トレーナーは現ウマ娘界の象徴的存在であるといっても過言ではないと、マックイーンは思っていた。

 

 

 

そんな、彼程の人間が。

 

〈「スズカがあんなタイムにバテる訳がない。やっぱり千切ってた」〉

マックイーンは報道紙に記された彼の発言を見て、唇を噛み締め続けた。

 

何故、何故こんな発言をしてしまったのですか?

マックイーンは信じたくなかったが、これは事実だった。

実際、天皇賞・秋後のインタビューで彼がこの発言をしたのを、マックイーンは見聞きしていた。

 

確かに、沖埜はあまりにも天才トレーナーだった故、チームに加入するメンバーが非常に優れた素質のウマ娘が多いので、ウマ娘を見る眼がシビアであったり、弱いウマ娘をやや下に見てしまいがちな傾向はあったが、それでもこんな発言をするような人物ではなかった。

 

ウマ娘界に携わる人間の中では実績も人気も別格で、国民的スターでもあるあなたが、ただでさえ不穏な結末を迎えてしまったあの天皇賞・秋の後にこのような内容の発言をしたらどれだけの影響を及ぼすのか、それくらい分かっていた筈なのに。

 

それだけ、あなたにとってサイレンススズカは、特別な存在だったのでしょうか。

 

間違いなくそうだろうと、マックイーンは報道紙を引き出しにしまいながら溜息を吐いた。

沖埜トレーナーがサイレンススズカに対してどれだけの夢と希望を乗せていたか…それは当然マックイーンだって知っている。

 

 

 

ですが、やはりこの発言は口にしてはいけなかった。

 

全出走ウマ娘が何事もなく無事に走り終えたレースでの発言なら、敗者の弁なのである程度流せる発言だが、あのレースでは異常事態が起きてしまったのだから。

ジンクエイトの日経新春杯・メジロデュレンの有馬記念・ダンツシアトルの宝塚記念と同じく、勝者の栄光が翳されかねない事態とレース展開。

そこに、この発言は完全な追い討ちをかけてしまった。

 

 

『 オフサイドにとってあの天皇賞は、長年の闘病を経てようやく辿り着いた、競走生活最後になるであろう大舞台…彼女は文字通り、全てを懸けて挑んだ。それなのに、ウマ娘の生き甲斐である、“ターフの勝利と栄光”を、完全に否定されたんです』

『スズカの悲劇は悲しんで然るべきですが、勝者への配慮が余りにもなさ過ぎです』

『仮想タイムを持ち出して勝者の栄光を否定するって、これは果たしてウマ娘に関わる者達のする所業ですか?』

『あの天皇賞・秋に限っては、スズカは完全な敗者で、しかも他走者の妨害までしてしまってるのに、そこからも全く目を逸らして…どれだけ愚かなのですか?』

 

オフサイドトラップを長年支えてきたフジヤマケンザンの、怒りとやるせなさが爆発したような言葉の数々が、マックイーンの耳に蘇った。

 

そして、

『もう何も考えられません。疲れました』

オフサイドの絶望した表情も、脳裏に蘇った。

 

オフサイドの言葉を聞き、既に以前から分かっていたことだがマックイーンは確信していた。

彼女が絶望してしまった一番の要因は、『笑いが止まらない』発言によるバッシングではなく、勝利の栄光が否定されたことが要因だと。

 

 

やはり、責任は重いですね…

 

ケンザン、オフサイド、そして自らの恩師でもある沖埜の姿を思いつつ、マックイーンの胸中は様々な葛藤に張り裂けそうだった。

 


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