恩師と真女王(1)
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12月24日、早朝。
まだ夜が明ける前に、マックイーンはメジロ家の別荘を出て、学園へと向かった。
約一時間後。
学園に到着したマックイーンは、まだ誰も来ていない生徒会室に入った。
室内にある来訪者応対用の席に座ると、マックイーンはスマホを取り出し、誰かに通知を送った。
『私は生徒会室にいます。他の役員はいませんので、いつでもお越し下さい』
通知を送ってから十分程経った頃。
ガチャ。
生徒会室の扉を開ける音と共に、一人の人間が来訪した。
「お久しぶりです。トレーナー。」
「久しぶりだな、マックイーン。」
来訪者は、『スピカ』トレーナー・沖埜豊。
「体調の方は如何ですか?」
沖埜を席に促し、淹れたてのコーヒーを差し出すと、マックイーンは尋ねた。
「もう大丈夫だ。」
沖埜はコーヒーを飲みながら、爽やかな笑顔で答えた。
「トレーナー業の方も問題なく出来てる。お前にも随分と心配をかけたな。」
天皇賞・秋でスズカが大怪我を負った後、沖埜はそのショックからか体調を著しく崩し、スズカが一命を取り留めた後は一時期安静の為にトレーナー業を休んでいた。
スズカが快復するにつれ沖埜も体調を戻し、今は無事にトレーナー業に復帰している。
今の彼の様子を見ても、もう心配はなさそうだった。
「良かったです。」
かつての恩師の元気な姿に、マックイーンもほっとしたように微笑した。
微笑したものの、それは一瞬のことで、マックイーンはすぐに真剣な表情に戻った。
「用件について、お話しします。」
「ああ。」
沖埜は頷き、コーヒーのカップをテーブルに置いた。
マックイーンは、彼女特有の冷徹な翠眼で、沖埜を見つめて言った。
「実は今、学園上層部では、あなたが本学園トレーナーとして不適切な言動をおかした点について、処分をとるか検討しています。」
「不適切な言動?」
唐突な内容に、沖埜は怪訝な表情を浮かべた。
「先の天皇賞・秋のレース後に、勝者のオフサイドトラップを貶めかねない発言をしたことですわ。」
「ああ…」
思い当たったのか、沖埜は少し表情を翳らせながら頷いた。
マックイーンは鞄から、持参してきた天皇賞・秋のレース後の沖埜の発言を記した報道紙をいくつか取り出し、テーブルの上に出した。
〈「優勝タイムを見ても、スズカが怪我しなければ圧勝していたことは明白」〉
〈「スズカがあんなタイムにバテるわけがない。やっぱり千切ってた」〉
〈「無事なら、10バ身以上の差で大レコード勝ちだった」〉
「あなたの発言としてこのような内容の報道がなされていたことは周知ですね?」
「周知している。…だが、」
「勿論、これがあなたの発言の全てではないことは調べてありますわ。」
何か言いかけた沖埜に、マックイーンは分かっていますと頷いた。
マックイーンは事前に、沖埜の発言の全てを記録した資料を手に入れていた。
「全部はこちらですね。」
マックイーンはそれを記した資料を取り出し、それを読み上げた。
「『スズカが競走中止した事実は受け入れなければいけない。無事ならばオフサイドトラップのタイムを遥かに上回ってゴールしていたとは思うが、それはタラレバでしかない。トレーナーとして、(スズカが)このようなことになってしまった責任は重く受け止めるべきだし、大記録を期待してたファンにも申し訳なく思う。今はスズカの無事を祈るだけ。』。以上で間違いないでしょうか?」
「多分、そんな感じだったと思う。」
沖埜は額に手を当て、なんとか思い出そうとしていた。
「はっきりとは覚えていないのですか?」
「正直、何を言ったのかすらよく覚えていないんだ。すまない。」
沖埜は額から手を離し、小さく謝した。
そうでしょうね…
マックイーンは内心で、沖埜の心境を思い遣った。
あの天皇賞・秋の直後、スズカの大怪我に対する沖埜のショックの受けようは尋常じゃなかった。
彼と親しいトレーナーによると、スズカの容態が危険な頃は自殺しかねない位の精神状態だったというし、スズカが一命を取り留めた後も珍しく酒に溺れたりして結果体調を崩すなど、従来の彼とは思えない混乱した行動をしていた。
そんな、意識も朦朧とした状態で飛び出したのがあの一連の発言なのだろうと、マックイーンは同情的に思った。
だが、
「あなたらしくない、不適切な発言でしたわ。」
マックイーンは同情を口調に表さず、厳しい口調で言った。
この発言が、切り取られた形とはいえ全国に報道され、世論を扇動することになってしまい、あの天皇賞・秋後の騒動の一因となった。
無論、全文を読めば沖埜がオフサイドの勝利を否定した訳では決してないのだが、彼の影響力を考えればこうなることは当然想像出来た筈だ。
例え、スズカの怪我で憔悴していた点を考慮しても、だ。
「…。」
沖埜は口元に両掌を結び、黙ったままマックイーンを見つめていた。
端正な容貌に、僅かに苦悩の色が見えた。
「無論、あの騒動の大きな責任があなたにあるなどとは言ってません。」
黙っている彼に、マックイーンは淡々と言った。
騒動があれだけ膨大なものとなった理由は、オフサイドのレース後の言動に世論が激昂したのが大きな理由であり、沖埜はオフサイドのことを何も批判していないので、そこまでの責任はない。
だが、沖埜の発言がオフサイドを攻撃する連中の後押しになったのは確かだった。
なので少なくとも、沖埜が公に出てあの発言を撤回すれば、オフサイドへの攻撃は減っていた筈だ。
だが、彼はそれをしなかった。
しなかった理由は、色々あるだろうと推察します。
私が7年前の天皇賞・秋で降着処分になった時も大変でしたし。
沖埜の心中を慮りつつも、マックイーンは続けた。
「あの一連の騒動で、『フォアマン』の岡田トレーナーが学園を去り、オフサイドトラップは心身共に追い詰められ、チームは崩壊状態となった。無論、一番悪いのは今なおオフサイドトラップを理不尽に責める報道と世論ですわ。でもその連中達を咎めるより前に、内部で誤ちをおかした者達の責任を問わねばなりません。」
マックイーンは翠眼を光らせ、冷徹な口調で恩師にそう告げた。