1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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恩師と真女王(3)

 

「オフサイドトラップ…」

端正な表情をやや青ざめさせて、沖埜はぽつりとその名を呟いた。

何故?

動揺した彼は、彼女の心中が理解出来なかった。

 

 

あの天皇賞・秋後、勝者のオフサイドトラップの言動が報道や世論から厳しい非難の的にされていたことは、沖埜も勿論知っていた。

 

非難の的となったオフサイドの“笑いが止まらない”発言に対しては、スズカのトレーナーである沖埜自身は、特に何とも思ってなかった。

勝者が喜びを表現するのは至極当然であり、特にオフサイドトラップは長年の故障に苦しみながら(オフサイドがクッケン炎を患っていたことは勿論周知していた)遂に掴んだ栄光である点、スズカの悲劇が起きたとはいえ歓喜するのは無理もないと受けいれていた。

 

ただ、喜びの表現の仕方が少々誤解を招くのではという懸念はあった。

まさかあそこまで大規模な非難を受けるとは、沖埜も思ってなかったが。

 

あの騒動の最中、沖埜は無言を貫いた。

理由としては、第一に彼がスズカの故障のショックに苦しんでいたからでもあるが、そもそも自分が出る幕ではないと思ったから。

騒動の原因となったのはオフサイドの言動であり、彼女がその言動をとったことにはちゃんと理由があるのだから、それを彼女が説明すれば良いだけだと思った。

侮辱された(とされた)スズカのトレーナーとして、あの発言は全然問題ないと発信しようか考えないでもなかったが、それはしなかった。

 

言動についての責任は本人が負うもの、それがG1覇者の責任でもあると思ったから。

 

オフサイドトラップはG1を制したウマ娘になり、このトレセン学園の顔の一人となった。

それは同時に、彼女の一挙手一頭足に対して世間の注目度も大きくなることを意味する。

常に厳しい視線に晒されるだろうし、時には理不尽なバッシングも受けるだろう。

これはオフサイド自身が乗り越えるものだというのが、沖埜の考えだった。

 

 

立場の違いはあるが、沖埜自身もG1ウマ娘を擁するトレーナーになってからはそうだった。

 

彼は天才トレーナーとして決して称賛や栄光だけを手にし続けたわけじゃなく、経歴を重ねる中で理不尽かつ心ない声も随分浴びた。

才能豊かなウマ娘ばかりチームに加入させているから実績あげて当然だとか、強いウマ娘を独占して汚いとか、そのようなことをずっと言われた。

またチームの不調時には、一時的な天才だったとかいい気味だとか、才能あるウマ娘を潰したとかいう声も浴びた。

特に、7年前の天皇賞・秋でのマックイーン斜行降着事件の時は、同僚のトレーナー仲間からも非難を受けた(これは仕方がないことだが)し、世間からもかなり厳しい声に晒された。

沖埜はまだ二十代の若者。

厳しい非難に晒された時はその苦しさからトレーナーを辞めようかと思ったことも何度かあったし、時には耐えきれず一人嘆いたこともあった。

でも、これは超一流の宿命だと、必死に耐えて乗り越え続けた。

 

今回のオフサイドトラップの件も、沖埜は自分自身が受けたバッシングと同じ類いだとみていた。

これはG1覇者の宿命であり、本人(陣営も含めて)が乗り越えなければならないこと。

 

沖埜は、自チームから輩出したG1ウマ娘達にもそう指導していた。

特に、今目の前にいるマックイーンに対してはそうだ。

あの斜行降着事件後、その影響でチームもマックイーンもしばらく不調に陥った。

だが沖埜は必死に耐えて、マックイーン達を励まし続けた。

マックイーンも周囲からの厳しい声を宿命と受け入れ、それを乗り越えて復活した。

 

だから、オフサイドトラップの心が折れてしまったということが、沖埜には不可解だった。

 

「あの天皇賞・秋の勝者は間違いなくオフサイドトラップだ。世論や報道がどんなに理不尽なことを言おうと、それは紛れもない事実だ。なのに、何故そこまで絶望する?」

沖埜は愕然とした表情で、首を傾げた。

 

 

トレーナー…

現役時代、彼と深い関係にあったマックイーンには、沖埜の疑問が分かっていた。

勝ち方に文句をつけられるのも、勝者の宿命だと彼は思っているのだ。

彼が輩出したG1覇者ウマ娘の中には、その勝ち方に文句をつけられた者は少なからずいた。

マックイーンだって大舞台で勝ちまくったにも関わらず、『名勝負なき王者』『勝てるレースでしか走らない』『相手が弱いから』とか文句つけられた。

サイレンススズカも、連勝中に幾つかのレースで内容に懐疑的な見方をされたりすることもあった。

 

だから、今度のオフサイドトラップが『低レベルな天皇賞覇者』とか『スズカの故障の恩恵の勝者』などと言われているのも、勝者の宿命だと思っているのだろう。

そういった理不尽な声に対しては、次のレースの内容で答えればいい。

沖埜はマックイーン達にはそう指導していた。

それがG1覇者の姿勢だと、彼は信じているに違いなかった。

 

だが、マックイーンはそれを否定するように言った。

「私やスズカが勝ち方に文句をつけられても大して気にしなかったのは、強さを証明出来る次のレースがあったからですわ。ですが長年故障に苦しみ、年齢も6年生と高齢のオフサイドトラップには、もう次がないんです。彼女はあのレースで、全ての力を捧げきってしまったのですわ。」

 

それに今回の場合は、文句の規模が従来のそれと違い過ぎる。

「沖埜トレーナー、本来ならあなたの発言は、特に問題はありませんでした。」

敗者側が悔しさのあまりタラレバを言うことは今回の沖埜に限らず前例も結構あったし、それを聞く側もそこまで大々的に受け取らなかった。

ただそれは、何のアクシデントもなくレースが終わってた場合だ。

 

「今回に限っては、あなたの発言は状況的にオフサイドトラップにとって負の面に大きく作用しました。」

本来なら、丈夫でいることも実力のうちである点、故障によりレースで完走すら出来なかったウマ娘側は勝負を語る資格など無いに等しい。

だが今回は、それまで故障とは全く無縁で、強さも人気も圧倒的だったウマ娘がそうなったことにより、その観念が大きく揺らいだ。

そこに拍車をかける一因となったのが、沖埜の発言(本人にその意志は全くなかったとはいえ)だった。

 

「…。」

マックイーンの言葉に、沖埜は再び黙った。

重たい空気が、また室内に立ち込めた。

 

数分程経った頃。

「オフサイドトラップは、今どこにいる?」

沖埜は意を決したように席から立ち上がり、マックイーンに尋ねた。

「彼女と会いたいのですか。」

「ああ。直接会って、彼女に謝罪する。」

沖埜は冷静な表情と口調で、答えた。

 

聡明ですね…

「分かりました。」

マックイーンは頷き、彼女の居場所を教えた。

 

それを聞いた沖埜は、すぐに生徒会室を出ていった。

 


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