1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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終焉序曲(6)

 

*****

 

昼過ぎ。

療養施設では、この日のリハビリを終えたスズカが、病室で身体を休めていた。

 

ちょっと疲れたな…

ベッド上でスズカは、水を飲みながら疲れた身体をゆらゆら動かしていた。

リハビリの内容は昨日と同じだった。

昨日も疲れたが、今日の方が疲れた感じがする。

入院生活で体力が落ちたせいだろうが、今日はスペさんがいなかったからでもあるだろうなと、スズカは思った。

 

それにしても。

スズカは水を飲み終えると、ベッドに横になった。

今朝のスペと担当医師とのやり取りのことが、彼女の頭の奥にずっと引っかかり続けていた。

 

天皇賞・秋を制したオフサイド先輩に、何かあったのだろうか。

医師の先生はネットの掲示板での中傷程度と言ってたが、そんなのを全く見ないスペさんがそれを知っていた。

ということは、ネット掲示板程度の中傷じゃないということでは?…

 

そもそも、何を中傷されたのだろう。

スズカは首を傾げた。

確かスペさんは…オフサイド先輩が私の怪我のことを云々(思い出すのも不快なので略した)とか言ってた。

推察するに、オフサイド先輩が優勝して喜んだことに難癖でもつけた人達でもいたのかな。

 

そんな中傷が起きることなんて全く考えてなかったスズカは、ちょっと表情が翳った。

起きるのかな、そういう中傷って。

もし自分が怪我したせいでそんなことが起きてたとしたら、凄く申し訳ない。

今度会ったら、オフサイド先輩に謝らなきゃ。

考えただけで、スズカは胸が痛んだ。

 

同時に、左脚にも痛みが走った。

痛、心が落ち込むと、怪我にも響くんだ…

スズカは分厚い包帯に巻かれた左脚をさすりながら思った。

 

 

 

一方。

来訪者専用の宿泊部屋の一室では、この日は朝から体調不良で休んでいるスペが、ベッドに腰掛け昼食を摂っていた。

 

…。

スペは黙々と、ニンジンを食べていた。

体調を崩しているものの、食欲はやはりあるらしい。

でも表情はかなり暗く、ニンジンを咀嚼する口の動きにも元気がなかった。

 

コンコン。

食事中、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「どうぞ。」

「入るわね。」

「!」

入室してきた者を見て、スペはドキッと震えた。

来室者はルソーだった。

 

「あら、食事中だったかしら?」

松葉杖をつきながら入室したルソーは、特に感情のない口調で声をかけた。

「い、いえ。」

スペは食べかけのニンジンを慌てて口の中に押し込んで飲み込むと、改めてルソーを見た。

「何の御用でしょうか、ルソー先輩。」

「別に、昨晩の続きであんたを責めに来たんじゃないわ。」

許した訳じゃないけどね、と言いながら、ルソーはスペの側に歩み寄った。

「隣、座っていい?」

「どうぞ。」

ルソーは、ベッド上のスペの隣によいしょと腰掛けた。

 

「どう、体調は?」

「あまり元気がないです。」

いつもなら頭上でピンと張っているスペの両耳は、ペタンと萎れていた。

「昨晩あの後、椎菜先生から色々聞いたらしいじゃない。その影響かしら?」

「…。」

スペは答えず、ただ俯いた。

表情に罪悪感が滲み出ていた。

 

その様子を見ても、ルソーは可哀想とは思わなかった。

無知だったことを差し引いても、これは彼女の浅慮かつ軽薄な言動が招いた自業自得だ。

罵詈雑言を浴びたオフサイド先輩の辛さに比べれば大したことはないだろう。

「今朝は、椎菜先生と会った?」

「いえ。体調が悪くて、今朝は会えませんでした。少し落ち着いたら、お話の続きを聞きにお伺いしようと思ってます。」

「オフサイド先輩のことを?」

「はい。先輩は、本当はどんなウマ娘なのか、私はその真実を知らないといけませんから。」

 

そ、てっきりもう耳を塞ぐのかと思ってたけど、流石はダービーウマ娘ね。

ルソーはふっとそう思った。

もっとも感心した訳じゃない。

何故それを先にしなかったのさ。

スズカへの想いが強すぎたから、判断を誤ってしまったのか。

 

まあ、なんでもいいや。

ルソーは首を軽く振り、それから改めてスペを見た。

「私がここに来たのは、あなたに伝えたいことがあったから。」

伝えたいこと…

「オフサイド先輩のことですか?」

 

「…。」

ルソーは答える代わり、懐から一枚の写真を取り出した。

 

「あなた、私の隣に写っているこのウマ娘は知ってる?」

「あ…はい。」

差し出された写真を受けてそれを見ると、スペはすぐに答えた。

「シグナルライトさんですか?」

「あら、知ってたの?」

「いえ、昨晩、廊下に落ちてたこの写真を拾った時、椎菜先生からお名前をお聞きしたので…。」

「あなたが拾ってくれたの?」

「ええ。」

「そう、ありがと。」

 

軽く礼を言った後、

「でも、シグナルがどんなウマ娘かは聞いてないでしょ?」

「はい。」

頷いたスペに、ルソーは言った。

「シグナルライトはね、私の同期でかつて『フォアマン』のメンバーだった仲間よ。」

「そうなんですか。」

「そして、今回の天皇賞・秋の出来事に大きく関係のあるウマ娘だわ。」

 

「え?」

ルソーのチーム仲間だということは予想していたのか反応は薄かったが、その後の内容に対しては即座に反応した。

「シグナルライト先輩が、天皇賞・秋に大きく関わっている?」

「具体的には、オフサイド先輩の言動にだけどね。」

 

「どういうことですか?」

さっぱり分からないスペは、写真を持ったまま食い入るように尋ねてきた。

 

「答える前に、」

ルソーはスペに尋ね返した。

「あなたは、オフサイド先輩の天皇賞・秋後の言動を心ないものだと責めたらしいわね?」

「はい。」

そのことは、昨晩ルソーと衝突した時にも言った。

「あの後、…椎菜先生からオフサイド先輩のことを色々と聞いて…先輩への認識は大分変わったとは思うけど、それでも言動についての疑問は残ってるんじゃない?」

 

「はい。」

スペは正直に頷き、ぽつりぽつりと続けて言った。

「もしオフサイド先輩が…椎菜先生が仰ってたように長年命がけの日々を送ってきて、命の重さを深く知っているウマ娘ならば、何故あんな発言や言動をしたのか、尚更理解が出来ません。〈クッケン炎〉から復活した喜びの表現だとしても、或いは闘病を共にされてきた仲間を励ます表現だとしても、あの言動にはそういった思いが感じられないんです。何か、どうしても別の思惑が感じられるんです。」

 

スペの言葉を聞き、ルソーはふっと息を吐いた。

「“別の思惑”、ね。その通りだわ。」

「え?」

スペは驚いたようにルソーを見た。

「あなたの感覚は正しいわ。オフサイド先輩のあの言動は、闘病仲間を意識して出たものじゃないの。と言っても、スズカの怪我を笑ったわけでもない。意識にあったのは、彼女のことだわ。」

ルソーは、写真のシグナルを指した。

 

「何故、シグナル先輩のことを?お二人に、どういう関係があるんですか。」

スペの質問に、ルソーは虚空に視線を向けながら答えた。

「シグナルライトはね、もうこの世にいないの。」

 

「え?」

「彼女は2年前、レース中に大怪我を負い、帰還したの。その一部始終を、チーム仲間だったオフサイド先輩は目の当たりにしてた。その忘れ難い記憶が、スズカの悲劇が起きたあの天皇賞・秋後の言動に繋がったの。」

「…。」

スペは愕然とした表情で、言葉を失っていた。

 

その様子を横目で見つつ、ルソーは言葉を続けた。

「あなたが知らないのも無理はないわ。何故ならシグナルの悲劇が起きたレースは、記録が残っているだけで映像は公に残されておらず、メディアも決して触れない出来事だから。その理由は、あまりにも悲惨な故障だった上、ウマ娘界を揺るがしかねない内容でもあったから。」

 

「一体、何があったんですか?」

愕然とした表情のまま、スペは食い込んできた。

その表情を見返し、ルソーは冷徹な口調で言葉を返した。

「知ると後悔するかもしれないよ。今からでも耳を塞いでも遅くないわ。」

 

「後悔しても構いません。真実が知れるのなら。」

スペは慄えながらも、はっきりと答えた。

 

「そう。」

スペの覚悟を感じたルソーは頷きながら、懐からスマホを取り出した。

「さっきも言ったように、レースの映像は公には残されていないわ。でも、レースの記録は残るから全て消えた訳じゃない。そのレースの勝者の手元にだけは、勝者の証として映像は残されているの。最も、公にしないという条件つきだけどね。」

 

「勝者の手元。」

言いながらスマホを開いたルソーを見て、スペはそれが誰だかすぐに分かった。

「まさか、ルソー先輩が?」

「そ。そのレースの勝者は、シグナルライトと同じ『フォアマン』チーム仲間のこの私、ホッカイルソーだったの。」

 

「付け加えれば、」

愕然としているスペを見つつ、ルソーはふっと、なんとも言えない微笑を浮かべて続けた。

「私とシグナルの仲は、あなたとスズカの仲と同じものだったわ。」

 

ルソーの手元のスマホの画面に、2年前の日経賞の映像がアップされた。

 


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