時刻は数分遡り、シグナルが故障発生した時のこと。
異様な音と共にシグナルが故障した瞬間を、『フォアマン』のメンバーはいち早く目撃していた。
「シグナル⁉︎」
誰より先に、岡田トレーナーが叫んだ。
「え、シグナル先輩⁉︎」
タッチやコンコルドは悲鳴をあげた。
「まさか!」
「嘘だろ…」」
ブライアンとローレルも、愕然と声を洩らした。
シグナル!
オフサイドもシグナルの故障にすぐ気づいていた。
絶叫を上げて競走を中止した彼女の元に、すぐさま駆け出そうとした。
「待て!」
それをケンザンが間一髪で止めた。
「何故止めるんですか!」
「まだ出走者が目の前のコースを通り過ぎていない。今ターフに飛び込んだら危険な妨害になる!」
「でもシグナルが!」
「駄目だ!あと数秒待て!」
ケンザン自身、駆け出そうとする自らを抑えるように叫んだ。
数秒待つと、出走者達は全員通り過ぎた。
すぐに、オフサイドを含めた『フォアマン』全員がターフに飛び出し、シグナルの元へ駆け出した。
「あ…あっ…あ…」
競走中止したシグナルは、激痛のあまり半ば意識を失った状態で、片足でターフ上をふらついていた。
左脚の膝あたりから重度の骨折をしたのか、そこから下部分が直視出来ない程の無残な状態で、骨折箇所からは鮮血も滴っていた。
その姿は観衆達にもはっきり見え、どよめきと悲鳴の波が巻き起こっていた。
「シグナル!」
一番先に彼女の元に駆けつけたのはブライアンとローレルだった。
二人はすぐさまシグナルを抱き抱え、ターフの上に寝かせようとした。
「…ああっ…痛…うっ…あああっ!」
シグナルは激痛のあまり暴れ、中々寝かせられなかった。
「うわっ!」
「痛!」
弾みで跳ねた泥や血、そして脚が二人に当たった。
「危ない、下がって!」
後から駆けつけたケンザンが二人を退がらせ、背後からシグナルを抱きとめた。
「…あっ…うう…ぐ…ああっ!…」
「シグナル!大丈夫だっ!」
ケンザンは怪我部分が悪化しない様に、暴れる彼女を必死に抑えながら、なんとかターフ上に寝かせた。
ほぼ同時に、救護班(人間&ウマ娘)が岡田トレーナーと共に現場に駆けつけた。
救護班はシグナルに鎮静剤を打ち、すぐに担架の用意をした。
「シグナルライトを担架に乗せるわ!いち早くここから移動させないと!」
「すぐに移動させる⁉︎」
救護班の指示に対してオフサイドが怒鳴り返した。
どう見ても瀕死の重傷なのに、すぐに移動なんてさせられるか。
「すぐに動かすなんてどうかしてるわ!慎重にしないと!ていうか救急車は⁉︎」
「救急車を用意する余裕はない!早くしないとレースの集団が来る!」
反発するオフサイドに救護班は言い返した。
レースの集団…
その言葉を聞き、オフサイドは現場を確認した。
「嘘でしょ…」
思わず震え上がった。
故障の現場は、ゴールの200m手前あたりだった。
「レースを止めないんですか⁉︎」
タッチとコンコルドが叫んだ。
「止める訳にはいかないんだ!」
「でも、今無理矢理移動させようとしたら、シグナル先輩の怪我が悪化しちゃいます!」
「喋っている暇はないわ!言う通りにしなさい!」
ウマ娘の救護員が怒鳴った。
救護員の表情も蒼白だった。
「みんな、シグナルを担架に移動させてくれ。」
岡田が決断したように命令し、自らもシグナルの身を担架に乗せようと抱え上げた。
「…はいっ。」
皆、悲痛な表情で返事をした。
鎮静剤を打たれたものの、シグナルの苦悶はまだおさまっておらず依然暴れていた。
皆、泥だらけになりながら必死に協力して、シグナルの身を担架に移動させた。
その際シグナルの脚が岡田とオフサイドとブライアンに当たり、幾つか傷を負わせた。
なんとか担架に乗せると、救護班は彼女の身をベルトで固定した。
痛ましすぎる怪我の状態を観衆の眼から隠す為、ケンザンは上着を脱いでシグナルの脚に被せた。
「岡田トレーナー!」
生徒会役員として会場に来ていたメジロマックイーンが現場に駆けつけた
緊急事態に、彼女の表情も青ざめていた。
「皆さんはすぐに医務室へ向かわれて下さい!ホッカイルソーには私が伝えますわ!」
「済まない。」
岡田は沈痛な表情で頷いた。
その後、シグナルの身を乗せた担架は救護班&『フォアマン』メンバーの手によって、コースから外へ搬送されていった。
ターフから搬送されるシグナルと、その一部始終を観ていた観衆からは、悲鳴とどよめきが起き続けていた。
レース集団が来たのは、シグナルの身が移動された直後だった。
*****
「ホッカイルソー!」
場内にシグナルライトの故障を伝えるアナウンスが流れた後、ターフで茫然と彼女の姿を探していたルソーは、自分の元に駆け寄ってくるマックイーンの姿に気づいた。
「マックイーン先輩…シグナルは、何処ですか?」
「シグナルライトは、場内の医務室に搬送されました。」
「医務室、ですか。」
「すぐに向かわれて下さい。優勝インタビューやその他のことは生徒会がこちらが対処しますわ。」
「はい。」
ルソーはすぐさま駆け出した。
コースから地下通路を駆け抜け、ルソーはやがて医務室の前に着いた。
みんな…
医務室の扉の前には、泥に塗れた『フォアマン』のメンバー全員が、真っ暗な雰囲気で待機していた。
昨春にローレルが大怪我した時よりも、空気が重かった。
「ルソー。」
彼女が来たのを見ると、岡田が声をかけた。
「お疲れ様。レースの結果はどうだった?」
「…勝ちました。」
「そうか、おめでとう。」
「レース結果なんてどうでも良いです!それよりシグナルは…」
「今、室内で診断中だ。中には入れない。」
「怪我の程度は…どうなんですか?」
「今は、ただ結果を待とう。」
岡田は、唇を噛んでそう答えた。
彼の顔にはシグナルを搬送する際に負った傷があり、血がうっすらと流れていた。
「ひくっ、うっ、シグナル先輩!」
床に座っているタッチとコンコルドが、ケンザンにしがみついて泣き声をあげていた。
二人を抱き寄せているケンザンも、表情が蒼白に硬っていた。
「神様、どうかシグナルを…」
「シグナル…助かって…」
少し離れた場所に座っているオフサイドとローレルは、必死に祈るように口元に手を結んでいた。
その傍ら、唯一人立っているブライアンは、壁にもたれながら腕を組んで瞑目していた。
いつもは威風堂々としている彼女も、口元が微かに震えていた。
三人の制服には、泥だけでなく血も多く付着していた。
そして、10分程経った頃。
医務室の扉が開き、シグナルの容態を診ていた医師が出てきた。
「先生、シグナルは…」
「皆さん、室内に入って下さい。」
答える前に、医師はそう促した。
医師の表情も沈痛な色が滲み出ていた。
『フォアマン』全員は医務室に入った。
シグナルがいるであろうベッドにはカーテンがかかっており、姿は見えなかった。
「シグナル!」
「だめだ!」
思わず彼女の元に駆けていこうとしたルソーをケンザンとブライアンが押し留めた。
『フォアマン』全員が入室すると、医師は岡田に、シグナルの診断結果を告げた。
「診断の結果、シグナルライトの故障は『左中足骨開放骨折』と判明しました。」
「では…」
「予後不良です。治療も不可能、快復の見込みもありません。彼女を苦しみから一刻でも早く解放させる為にも、安楽帰還(安楽死))の決断を薦めます。」