1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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青信号の悲劇(6・過去話)

 

「岡田トレーナー以外は、外へ。」

岡田から書類を受け取ると、医師は室内にいるメンバー達に退出を促した。

 

「うっ、うっ…シグナル先輩!」

「…行くぞ。」

大泣きしているタッチとコンコルドを伴って、ブライアンが退室した。

続いてローレルも。

二人とも目元を抑えていた。

 

「ルソー、出よう。」

ケンザンは、床に座り込んだまま嗚咽を洩らしているルソーの元に歩み寄り、彼女の腕をとって起こした。

「…。」

そのまま、彼女を抱き支えて退室しようとしたが、ルソーは動かなかった。

彼女の視線は、依然ベッド上のシグナルの注がれていた。

 

「トレーナー、」

ルソーは涙を拭いながら、岡田に言った。

「私も、シグナルの安楽帰還の執行に立ち会わせて下さい。」

「…何?」

「私、それを見届けなければならないと思うんです。」

 

「バカなことを言うな!」

ケンザンが、ルソーの腕を引いて声を上げた。

「これは、私達が見てはならないものなんだ!見たら最後、一生重い傷として残るものなんだ!」

「残ったって構いません。シグナルが帰還する以上の傷なんてありませんから。むしろ、傷として刻みつけさせて下さい。シグナルのことを永遠に忘れない為にも…」

 

「トレーナー、先生。ルソーの願いを聞き入れてあげて下さい。」

ルソーの言葉を聞き、ずっと沈黙していたオフサイドが、ルソーの側に歩み寄りながら懇願した。

「オフサイド。」

反論しようとした岡田と医師を、オフサイドは心底から願うような強い視線で見据えた。

「私にはルソーの思いがよく分かります。帰還する同胞の記憶を刻みつけたいという思いが。」

オフサイドの頬にも、涙がつたっていた。

 

「…駄目だ。見せる訳にはいかない。」

オフサイドの懸命な願いに対し、岡田は断固と首を振った。

「ケンザン、二人を連れて出ていってくれ。」

「トレーナー…」

「従え。これは命令だ。」

岡田は冷徹な口調で命じると、それ以上は何も言わなかった。

「…はい。」

オフサイドは従うしかなかった。

「…シグナル、シグナル…」

泣きじゃくるルソーをケンザンと共に抱き支えながら、オフサイドは医務室を出ていった。

 

 

 

ウマ娘のメンバーがいなくなると、医師は他の助手達と共に、安楽帰還の処置の準備に取りかかった。

 

「では、執行します。」

ベッド上のシグナルの身を固定させた後、医師は注射を用意し、岡田に問いかけた。

「はい。」

岡田は、険しい表情で頷いた。

 

医師はシグナルの腕に注射を当てた。

それを打つ瞬間を、岡田は眼を見開いて見届けた。

 

「終わりました。あと10分程で、シグナルライトは帰還します。」

処置が終わると、医師はベルトを外し、岡田に告げた。

「ありがとうございました。」

岡田は静かに頭を下げた。

 

 

 

そして、5分程経った時だった。

 

意識を失っていたシグナルの身体が、僅かに動いた。

「!」

「…トレ…ナー…」

シグナルの瞳が、薄らと開いた。

「シグナル!」

岡田は思わず声を上げた。

 

 

「!」

岡田の声が聞こえたのか、室外に待機していたメンバー全員が再び入室してきた。

「シグナル⁉︎」

誰よりも先に、ルソーが枕元に駆け込んだ。

「…ルソー…さん…」

「シグ…ナル…」

微かに意識が戻った彼女を見て、ルソーの眼から涙が溢れた。

もう、安楽帰還の処置をした後だということは分かっていた。

 

意識を戻したシグナルは、自分の身体の状態と集まった仲間達の様子を見て、全てを悟っていた。

「…私…還るん…ですね…」

 

「済まない、シグナルライト。」

岡田は、床に膝をついて謝った。

両手は膝元を、破りそうなくらいの力で握り締めていた。

「私のせいだ。私のせいで、こんなことになってしまった。…本当に済まない。」

シグナルの故障は決して彼のせいで起きたわけではないのだが、岡田は謝罪せずにはいられなかった。

「…謝らないで…下さい…謝るのは…私の…方です…」

シグナルは殆ど動かせなくなった身体を懸命に動かし、岡田の方を向いた。

「…ずっと私の…未来のために…身を削って…指導して下さったのに…こんな結末に…なってしまって…」

 

「シグナル、ごめん!」

ルソーは涙を溢れさせながら、シグナルの頭を抱きしめた。

「私、あなたの怪我に気づきながら、何も出来なかった。レースを続けることしか出来なかった。あなたを助けられなかった…」

「…いいんです…ルソーさん…それが正しいんです…」

シグナルはルソーの耳元で、声を振り絞った。

「…レースの結果は…どうだったんですか?…」

「…勝ったよ。」

「…ああ…良かったです…」

シグナルの頬に、僅かに微笑が浮かんだ。

「良くないよ。私、あなたと一緒に喜びを分かち合いたかったのに…」

ルソーはシグナルから顔を離し、涙を拭った。

 

「…でも…笑って下さい…」

悲しみの涙に溢れているルソーの表情を見上げ、シグナルは祈るように言った。

「…ルソーさんは勝ったんです…喜びの笑顔を…見せて下さい…」

「シグナル…」

「…最期の…お願いです…あなたの笑顔…見せて…」

最期の力を振り絞って伸ばされたシグナルの腕が、ルソーの頬に当てられた。

 

「……」

シグナルの最期の願いを叶えようと、ルソーは懸命に表情を動かした。

 

だが。

「ごめん、笑顔になれない…」

ルソーは表情に手を当てて嗚咽し、床に崩れ落ちた。

「こんなになってしまったあなたを前に、笑顔になんてなれないっ…」

 

「…う…」

崩れ落ちたルソーを見て、シグナルの眼から涙が滲んだ。

涙を浮かべたまま、彼女の眼はゆっくりとルソーからその傍らの岡田、そしてベッドを囲んでいる仲間達を見回した。

「…ごめん…なさい…」

悲しみに満ちている仲間達の姿に、シグナルは泣きながら、消えかけるように叫んだ。

「…みんなの笑顔…私が奪っちゃったんだねっ…」

 

その言葉を最後に、シグナルは力尽きたように眼を閉じた。

 

「…シグナル⁉︎…」

ルソーが身体を揺すって叫んだが、もうシグナルは反応しなかった。

彼女の閉じられた眼からは、溢れた涙が筋となって頬を伝い落ち、シーツを濡らしていた。

 

 

16時40分。

トレセン学園3年生・チーム『フォアマン』所属のシグナルライトは、その生涯を閉じた。

 


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