1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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青信号の悲劇(9)

 

「何事ですか。」

ルソーの声が外に聞こえたのか、何者かが扉を開け、室内を覗き込んできた。

 

…ミホノブルボン先輩?

大息を吐いているルソーも打ちひしがれているスペも、その姿に驚いた。

現れたのは、昨晩からここに訪れているブルボンだった。

 

「ホッカイルソー、スペシャルウィーク。何をされてるんですか。」

二人の様子を見てただごとで無いと思ったのか、制服姿のブルボンは室内に入ってきた。

「別に、大したことでもありません。」

ルソーは額の汗を拭った。

「それより、何故ブルボン先輩が療養施設にいるんですか?」

「所用です。」

「何の所用ですか?」

「お答えは致しません。」

 

ブルボンは詳しくは答えなかったが、ルソーは考えながら薄々察した。

所用か、そういえばライス先輩もここに来てたな。

多分オフサイド先輩の件で、生徒会が動いてるのかしら。

 

あー、そうかそうか。

ルソーは合点がいったように一人頷いた。

オフサイド先輩の決意を知った〈死神〉闘病仲間の私達が暴走しないように、見張りを強化したのか。

スズカを守る為に。

ルソーは、口元にふっと笑みを浮かべた。

 

「スペ、」

ルソーは、松葉杖をついて立ち上がると、うずくまっているスペを見下ろしながら言った。

「さっき私が言ったこと、するかしないかはあなたの自由だわ。立場を考えて、どうするか決めな。この世界で、サイレンススズカを最も愛している者の立場としてね。」

 

「…?」

その言葉を傍らで聞き、ブルボンは表情を動かした。

「今の話は、どういう意味ですか。」

「スペに聞いて下さい。」

ブルボンの質問をいなすと、ルソーは彼女を押しのけるように室内を出ていった。

 

 

心身共に、極めて不安定ですね…

部屋を出ていくルソーの、その乱れた表情や足取りから、ブルボンは彼女の状態を眼でそう分析した。

これは、生徒会長か椎菜医師に報告すべきでしょうか…

 

そう考えつつ、ブルボンは床にうずくまったままのスペの元に歩み寄り、ハンカチを差し出した。

「大丈夫ですか。」

「…。」

「ホッカイルソーと、何の話を?」

「…。」

ブルボンの質問に、スペは膝を抱えてうずくまったまま何も答えなかった。

 

 

 

 

スペの部屋を出たルソーは、痛む脚をやや引きずりながら自分の病室への道を歩いていた。

 

スペシャルウィーク…

サイレンススズカが救かる為には、私達全てを消して騒動を隠蔽するか、あるいはこの世界を書き換える位のことでもしない限り不可能だわ。

過ちを受け止めて、その結末を見届けるしかないの。

それが、あなたに出来る最大の贖罪だわ。

 

スズカだって、真実を知らされ絶望を突きつけられる相手があなたなら、少しは救われた思いで帰還出来るんじゃないかしら?

「アハ、アハハ…」

ルソーはつと脚を止めて、歪んだ微笑を浮かべた。

 

「アハハハ、ハハ…う、うう、う…」

歪な微笑は、やがて泣き顔に変わった。

 

馬鹿だよ、本当に馬鹿だよ。

スズカも、スペも。

二人とも純粋で曇りない、最高のウマ娘だったのに、なんでこんなことになっちゃったのさ。

 

誰もが、スズカの故障を真摯に受け止めていれば、

あの天皇賞・秋は彼女の為だけのレースだという観念を消していれば、

レースの尊厳を守ってくれてれば、こんなことにならなかったのに。

悲劇が起きた時はいつだって、人間は悲しむだけで、犠牲になるのは我々ウマ娘ばかりだ。

 

ルソーは溢れる涙を抑えながら嘆いた。

 

 

脚を引きずりながら病室に戻ると、ルソーは涙を拭いながら、窓の外の暗い空を見上げた。

 

スペ、今夜まで待ってあげるわ。

もしあなたがスズカに何も伝えないのなら、それでいい。

そうなったら私が即座に、遮る者全てを押し退けて、あなたの代わりにスズカに全てを伝えてあげるわ。

 

或いはせめての慈悲で、スズカを絶望させない為に何も伝えず、その場で即座に彼女を帰還させてもいい。

その時は勿論、私も折り重なって一緒に還るから…

 

心身ともに憔悴した表情のルソーは、松葉杖を強く握った。

もしかして、それがサイレンススズカにとって一番の救いなのかもしれないな。

彼女に、この世界の理不尽な地獄を見せた末に帰還させる位なら、いっそ…

 

涙に濡れた瞳が、紅く光った。

 

 

「…。」

松葉杖を握りながら、ルソーは懐からシグナルの写真を取り出した。

生前の笑顔溢れた彼女の姿を見た。

 

シグナル、どうやら私も、みんなの笑顔を奪っちゃうみたいだわ。

口元で呟きながら、ルソーはその写真を小刻みに破り始めた。

 

バイバイ。

破った写真の破片を、ルソーは窓の外に散らした。

向こうの世界でも、再会出来そうにないね。

「さよなら、シグナルライト…」

 

写真の破片は、寒風に煽られ曇り空に舞っていき、消えていった。

 


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