1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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連載再開します

今話は回想録で、次話より本篇再開です


『第5章・下』
オフサイドトラップ回想録(2)


 

(87話の回想録(1)より続く)

 

 

私の懸命の説得で、サクラローレルは諦めることを踏みとどまった。

そして僅かな可能性に懸け、両脚の手術を受けた

 

手術の結果、奇跡が起きてくれた。

両方の折れた脚が、繋がった。

帰還もやむを得ない程の重傷だったが、ターフに復帰出来る可能性も出てきたのだ。

 

勿論すぐにじゃない。

復帰は早くても1年以上後だと宣告された。

でも、ローレルはそれを受け入れた。

奇跡が起きたことで、消えかけていたターフへの想いが再び灯っていた。

 

 

そして手術後間もなく、ローレルも療養施設で生活を始めた。

私やマイシンザン先輩と違い彼女は怪我だったが、チームは一緒なので同室での療養生活となった。

 

競走生活は繋がったものの、ローレルの気力はまだしばらく落ち込んでいた。

当然だ、何度も故障を乗り越えいよいよ花開くという所まで来ての大怪我だったのだから。

ブライアンと天皇賞春で闘うという大きな夢も消えた。

この大きな挫折から立ち直るのは、容易いことではない。

 

私は、ローレルを励ましながら、自分も〈死神〉との闘病を続けた。

毎日毎日、焼けるような痛みとの闘い。

闘病中、同じ闘病仲間達が、一人また一人と〈死神〉に心折られ、いなくなっていく。

絶望が蠢く中、私はその絶望と闘い続けた。

 

〈死神〉に再度蝕まれ、一度心が折れかけた私だけど、今は絶望と闘うだけの理由があった。

…ローレルの為だ。

ローレルの絶望は、私より大きい。

まだ自由に動ける私と違い、ローレルは脚を動かすことすらままならない生活を送っていた。

それが、どれだけ辛く苦しいことか…

その姿を見る度に、私は涙が出そうだった。

 

でも、涙は胸内に留めた。

泣く代わり、私は同胞として親友としてチーム仲間として、ローレルを何が何でも支えてやりたかった。

今の私に出来るのは、自分の心が折れない姿をローレルに見せることだけ。

だから必死に、絶望と苦痛に抗い続けた。

治療の痛苦にのたうち回って、悲鳴をあげて、もう嫌だと泣き叫んで…それでも屈するものかと闘い続けた。

 

 

 

そして、一月近くが経った、3月の終わり頃。

全く予想しなかった、新たな悲報が飛び込んできた。

 

チームの後輩のフジキセキが、〈死神〉の魔の手にかかった。

 

昨年の朝日杯を制して1年生王者となり、弥生賞ではチーム仲間のホッカイルソー以下相手に快勝して4戦4勝とし、クラシック最有力候補だったキセ。

そんな彼女が、まさかの〈クッケン炎〉を発症した。

しかも重度のもので、復帰には一年以上要するとのことだった。

 

キセは、トレーナーらと熟慮を重ねた末、引退という苦渋の決断を下した。

彼女は非常に成績優秀で血筋も良く、引退後の仕事や進路も拓けていた。

キセはその仕事に尽くす為、引退を決断したのだ。

 

とはいえ、3冠の可能性も高いとされていた中でターフを去ることは、やはり相当に無念だった。

実際、キセが引退を表明した時、彼女は悔しさからか涙を流していた。

ルソーも泣いていたし、シグナルライトに至っては号泣していた。

トレーナーやチーム先輩の私達も非常に無念の思いだった。

同時に、〈死神〉の恐ろしさも一層感じ、絶対に折れるものかと心に誓い直した。

負けるものか、絶対に負けるものかと…

 

 

 

だが、キセ引退のショックから日も経たない4月始め、またしても悲報が舞い込んだ。

天皇賞・春を目前にしたナリタブライアンが、股関節に故障を発生させてしまったのだ。

結果、天皇賞・春への出走は断念せざるを得なかった。

また、その故障もかなり重いものであり、ブライアンも療養施設で生活を送ることになった。

 

ブライアンは非常に落ち込んでいた。

史上最強のウマ娘への道を駆け上がっていたブライアンにとって、この故障は大きな挫折だった。

いや、挫折だけならまだ良い。

故障が股関節だったことが、ブライアンにとって重大だった。

ブライアン独特の、重心をぐんと低くしてスパートする走法が、この故障によって出来なくなってしまう可能性が高かった。

自分の走りが失われる、そのことへの危機感がブライアンを苦悩させていた。

 

共に療養生活を送るように以後、私達同期のチーム仲間三人は、お互い支え合いながら療養生活を送った。

史上最強の称号を手に入れる寸前で挫折したブライアン。

幾多の苦難を乗り越え華開く寸前で地獄に叩き落とされたローレル。

〈死神〉から復活したのに再び〈死神〉の魔の手にかかった私。

一人だけだったら、多分絶望に呑まれていただろう。

共に苦しみを分かち合える仲間がいた。

そのことで、私達は心折れずにいられた。

 

勿論、私三人だけじゃない。

〈死神〉と闘病を続けるマイシン先輩の存在も大きかった。

マイシン先輩は私達後輩の前では、決して気弱な所は見せなかった。

それだけでも私達は元気つけられた。

チームの岡田トレーナーも、何度も施設に足を運んで私達の見舞いに来てくれた。

相次ぐチーム所属メンバーの故障で、トレーナーは世間の厳しい声に晒されていた。

でもトレーナーも、苦しい素振りは全くみせなかった。

他のチーム仲間達も、チームの苦境の中で奮闘してくれた。

フジヤマケンザン先輩は、後輩の私達が故障で離脱する中もリーダーとしてレースで奮闘を続け、チームの支柱的存在として頑張ってくれていた。

セキテイリュウオー先輩も、後輩のチーム仲間達の面倒をよく見てくれた。

後輩のルソーやシグナルも、クラシック戦線で闘いながら、見舞いによく来てくれた。

特にシグナルはいつも明るい笑顔を振りまいて、私達の心を癒してくれた。

仲間達に支えられながら、私達は療養生活を続けた。

 

 

 

そうした中。

6月に開催された宝塚記念で、〈死神〉との闘病を乗り越えターフに復帰したダンツシアトル先輩が奇跡の復活優勝を果たした。

〈死神〉闘病仲間達はその快挙に沸き、勇気づけられた。

勿論私もその一人だ。

シアトル先輩とは、1度目の療養生活の時に闘病を共にしており周知の仲だった。

シアトル先輩は外国の偉大な三冠ウマ娘の血筋を引く身でありながら、相次ぐ故障に苦しみターフにも中々立てなかったが、必死に闘病し遂に〈死神〉を破って栄光を手にした。

信じられないことを成し遂げた先輩の勇姿に思わず涙が溢れた。

 

でもその後残念なことに、シアトル先輩は再び〈死神〉の手に罹った。

先輩は決して口にしなかったが、宝塚記念を制したのに称賛の声が少なかったショックがあったのだと思う。

あのレースでは、道中でライスシャワー先輩が重傷を負って倒れた。

その影響で、シアトル先輩のことはあまり省みられなかった。

仕方ないことなのかもしれないとはいえ、やはりそれはショックだったのだろう。

結局、シアトル先輩は間もなく引退した。

また、同レースで久々に復帰したナリタタイシン先輩も〈死神〉を再発症し、シアトル先輩と共に引退した。

時期を同じくして、昨秋の天皇賞ウマ娘のネーハイシーザー先輩や、宝塚記念で3着だった同期のエアダブリンも重賞3勝を挙げたスターマンも、次々と〈死神〉の魔の手に罹った。

まるで、灯された希望の光を全て覆い消すように、〈死神〉の嵐が吹き荒れた。

 

吹き荒れる〈死神〉の猛威に、闘病仲間達は再び暗い雰囲気の中に落とされた。

一時希望の光が灯されかけた分、未来への絶望も大きかった。

重症者の引退、帰還も相次いだ。

 

でも、私は決して諦めなかった。

栄光が翳されたとはいえ、シアトル先輩の走りはレコードタイムであることが示すように、文句のつけようのない勝者に相応しい走りだった。

あの走りは、確かに〈死神〉を打ち破っていた。

〈死神〉は決して乗り越えられない悪夢ではない。

それをシアトル先輩は証明したのだから。

 

そしてもう一人、私以上に打倒〈死神〉を掲げ、奮闘していた先輩がいたから。

シアトル先輩と同期のマイシン先輩だ。

 

マイシン先輩の同期のスターウマ娘は、シアトル先輩も含めほぼ全員が〈死神〉の魔の手によってターフを奪われていた。

先輩は自身が〈死神〉を打倒することで、同期の無念を全て晴らすと決意し、鬼気迫る雰囲気で闘病を行った。

そんな先輩の姿を目の当たりに、私も絶対に諦めるものかと誓った。

〈死神〉がどんなに絶望を振りまこうが、ウマ娘の夢と希望は絶対なのだと、心を奮い立たせて。

 

 

 

そして季節は流れ、夏から秋に変わった。

 

8月が終わる頃、マイシン先輩の病状が良くなり、学園への復帰が決まった。

マイシン先輩は天皇賞・秋に目標を定め、すぐに復帰戦に挑もうとしていた。

先輩は天皇賞・秋を絶対に獲る気でいた。

一方で、股関節の怪我による療養生活を送っていたブライアンも、天皇賞・秋を復帰戦と定め、間もなく療養生活を終えようと考えていた。

だが、マイシン先輩と違いブライアンは少々無理をしているのではと感じた。

まだ故障が完全に癒えた訳でもなかったから。

トレーナーも難色を示していたが、ブライアンは断固としてその意思を変えなかった。

結局、天皇賞・秋の一月ほど前に、ブライアンは私やローレルより一足先に療養生活を終え、学園に戻った。

 

その後、マイシン先輩が復帰戦の重賞レースでレコード勝利し見事な復活をみせたのと対照的に、ブライアンの調子は一向に上がっていないようだった。

彼女が危惧していたように、股関節の怪我でこれまでの走法フォームが失われていた。

正直、天皇賞・秋での復活は無理だと思われた。

それでも、ブライアンは出走の意志を変えなかった。

三冠ウマ娘の誇りにかけて、これ以上休むことは許されないと思ったのだろうか。

 

 

そして迎えた、第112回天皇賞・秋。

正直、思い出したくない悪夢ばかりだった。

 

レース前日に、マイシン先輩が〈死神〉再発症し、何もかも奪われた。

そして天皇賞・秋のレースでは、ブライアンは直線全く伸びず、12着と惨敗した。

私もローレルもレースをTVで観ていたが、ブライアンが馬群に沈んでいく様を、ただ唇を噛み締めて見つめるしかなかった。

 

その後、〈死神〉を再発症したマイシン先輩は引退した。

ブライアンは、天皇賞・秋に次いでJCにも出走したが、6着と再び惨敗した。

秋になっても、『フォアマン』に暖かい風は吹かなかった。

 

 

一方、〈死神〉との闘病を続けていた私も、年内の復帰を目指していた。

大分治ってきたとはいえ、〈死神〉に侵されている右脚の状態はまだ芳しくなかった。

でもこれ以上休み続けてはいられないという危機感があった。

マイシン先輩の悲劇と引退、復帰するも試練続きのブライアン、

そして、厳しい逆風に晒され続けている『フォアマン』。

苦しんでいる仲間達の為に、なるべく早く復帰したかった。

 

 

そして11月末、私は学園に戻った。

1度目の復帰の時と違い、脚の状態はそこまで良くなかった。

痛みは依然残っていたし、患部のケアにもかなり労力を使った。

でも、あとは耐えてなんとかするしかないと思った。

ウマ娘として最も成長出来るであろう期間を、私は〈死神〉に殆ど奪われた。

これ以上、奪われてたまるかと思った。

 

そして12月、私は10ヶ月ぶりとなる復帰戦に挑んだ。

結果は3着。

まずまずの出来といえた。

 

だけどレース後に、脚の異変を感じた。

それも、〈死神〉に侵されている右脚だけじゃなく、無事である筈の左脚にも。

 

検査の結果、右脚の異変は〈死神〉再発の恐れが出た為によるもの、そして左脚の異変は〈死神〉に侵されている右脚を庇う生活を長くしていた為に起きた脚部不安併発だった。

右脚だけでなく、左脚にまで故障が発生してしまった。

現状のままこれ以上レースに出るのは危険だと、ドクターストップがかかった。

結局、復帰から一月も経たずに、私は3度目の療養生活を余儀なくされることになった。

 

すごいショックだった。

いよいよ、自分にも終わりの時が迫ってきたのかなと感じた。

 

…それでも、心は決して折れなかった。

だって、私以上に苦悩と闘っている仲間がいたから。

走りを失いながらも必死に頂を目指すブライアン、再起不能寸前から這い上がろうとするローレル。

必死にもがきながら闘い続ける盟友の姿を前に、心が折れる訳にはいかなかった。

閉ざされかかる未来への扉に身体を挟み込み、痛苦に歯を食いしばって、私は3度目の療養生活に入った。

 

 

 

そして、私が3度目の療養生活に入った直後。

ずっと逆風続きだった『フォアマン』に、朗報が入った。

 

リーダーのケンザン先輩が、昨年に続いて出走した海外の大レースで、日本代表のウマ娘として30数年ぶり優勝という快挙を達成した。

日本チーム所属としては史上初という快挙であり、日本ウマ娘の歴史に新たなページを刻んだ。

 

私は、ケンザン先輩が盟友のトウカイテイオー先輩と『海外の大レースで優勝する』という誓いを交わしていたことを知っていた。

これまでにも2度、海外大レースに挑んでいたが惨敗し、その挑戦を冷笑する声も多かった。

でもケンザン先輩は諦めなかった。

そして、引退しても不思議でない6年生にして遂にその夢を叶えた。

それも、チームが本当に苦しい状況の中で。

リーダーの歴史的快挙に、チームは久々に歓喜に沸いた。

 

 

 

その後、年末の有馬記念(ブライアン4着)を最後に、この1年は終わった。

昨年までとはまるで違う、私にとっても『フォアマン』全体にとっても苦しい苦しい1年だった。

それでも、最後の最後で未来への希望が幾つか見えた。

夢を叶えたケンザン先輩は、来年も現役続行を表明した。

故障や調整難もあり今年は殆どレースに出れなかったリュウオー先輩は、来春で引退すると表明した。

 

後輩では、ルソーとシグナルはクラシック戦線で活躍を続けたものの、栄冠は掴めずに終わった。

それでも、苦しい時期に明るくチームを牽引した二人は、来年へ向かってかなり気合が入っていた。

新メンバーのフサイチコンコルドとロイヤルタッチは、コンコルドは体質もありデビューは持ち越しになったがタッチの方は1年生重賞で勝つなど来年への大きな期待を抱かせた。

 

 

そして、同期の2人。

故障に苦しんだブライアンは、復帰後3戦していずれも勝てなかった。

だが最後の有馬記念は4着だったとはいえ、以前の手ごたえが戻ってきた感覚があったようだった。

ケンザン先輩の快挙も心に大きな刺激を与えたのだろう。

ブライアンは来年の王座奪還へ向け、再び闘志を滾らせ始めていた。

 

依然、重度の骨折による療養中のローレルは、来春には復帰すると目標を掲げていた。

当初はしばらく動くことすらままならない生活を送っていたが、今は歩行にも支障をきたさない程に脚の状態は快復していた。

ローレルは今年叶わなかった春の盾への夢を、必ず叶えると心に決めていた。

 

 

そして私は。

二人と違い、目標も何も定められなかった。

故障に蝕まれた両脚を前に、いつ復帰出来るのかも見通しが立ってなかった。

 

それでも心折れずに、夢と希望を失わずに生きていこうと誓った。

 

〈続く〉

 


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