1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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同胞亀裂(6)

 

10分後。

 

ルソーの病室を出たライスとブルボンは、誰もいない食堂の一席に移動し、向かいあわせに座っていた。

 

「事態は深刻ですね。」

無表情のブルボンを前に、ライスは頭に手を当てて嘆いていた。

スペの過ちを許して貰う為にルソーに会いにいったのだが、ルソーの絶望ぶりがあまりにもひどく、それどころではなくなってしまった。

「オフサイドさんが帰還したら、彼女も帰還しかねないですね。」

「…。」

ライスの重たい一言に、ブルボンは無表情でこくりと頷いた。

「これ、マックイーンさんに伝えますか?」

「いえ、渡辺椎菜医師に伝えた方がいいでしょう。」

「そうですね。」

ブルボンの返答に、ライス呟きつつ頷き返した。

現状、ルソーを支えられるのは椎菜以外はいないだろうから。

ただその椎菜自身も、オフサイドの決意を知ってかなり動揺してるはずだ。

 

オフサイドトラップの帰還決意でここまで事態が深刻になるとは…

思わず嘆息が出そうになり、ライスは胸を抑えた。

 

胸を抑えつつ、ライスは話題を変え、現状についてブルボンに尋ねた。

「今、オフサイドさんはどうされてるのですか?」

「はい、」

ライスの質問にブルボンはスマホを取り出し、届いている生徒会の連絡事項を見つつ答えた。

「先日以降、生徒会長の指示によりメジロ家の別荘で保護されているようです。今はビワハヤヒデが彼女のもとにいます。」

「彼女を翻意させる為の手は?」

「尽くしています。今朝早くには沖埜トレーナーが謝罪に向かわれたようです。あと、岡田トレーナーにもオフサイドの決意を知って貰うよう使いを派遣したようです。そして、海外療養中のサクラローレルにも急報を伝えたとの報告が。」

「ローレルさんに?」

「ええ。まだ移動も困難な状態らしいですが、なんとか彼女をオフサイドに会わせられるよう、会長が手を尽くしているようです。」

 

「そうですか。」

ブルボンの返答を聞き、ライスは静かに頷いた。

岡田トレーナーにサクラローレル…確かに、手は尽くされているようですね。

オフサイドの決意を翻意させられるとしたら、その二人が最有力だと自身も思っていた。

 

とはいえ、その二人だけではかなり厳しいだろう。

まだ、重要な者が数人必要だ。

ライスの脳裏には、その数人がすぐ浮かんだ。

フジヤマケンザン・渡辺椎菜、そして…

「サイレンススズカ…」

「はい?」

「オフサイドさんを救う為に最も重要な存在は、サイレンススズカさんですね。」

ライスは、静かに蒼眼を煌めかせた。

 

 

ライスは、ただ単にスズカに真実を伝える為にここに来たのではなかった。

現実に起きたことをスズカに受け入れさせた後、彼女の手によってオフサイドを世間の理不尽なバッシングから救ってもらうというのが、ライスの描く道筋だった。

今回の騒動は、世間のスズカに対する盲愛から生み出された点が大きい。

ならば、そのスズカが一言オフサイドを擁護するだけでも、一気に風向きが変わると見ていた。

 

問題は、スズカが起きてしまった現実に耐えられるかということ。

誰もが懸念しているように、スズカがそれを知ったら多大なショックを受ける危険性が高い。

ましてや現在、オフサイドの帰還決意やスペの過ちまで加わっている。

この全く想像すらしていなかった現実をスズカが受け止められるか。

 

はっきり言って、ルソーが言った“スズカも帰還”の可能性の方が遥かに高かった。

 

でも、もう時間がない。

有馬記念まではあと3日。

このままではオフサイドだけでなくスズカも絶望的だ。

いや彼女達だけじゃない。

ルソーも、他の〈死神〉闘病者達も、スペやゴールド、更にはマックイーンだって、自らを断罪しかねない…

 

 

ライスは、再びブルボンを見た。

「マックイーンさんは、いつスズカさんに全てを打ち明ける予定なんでしょうか?」

「今夜か、遅くても明朝にと言うことです。」

「明朝?ちょっと悠長では?」

「伝える場では、あなただけでなく会長自身や沖埜トレーナーも同席のもとでとの意向のようです。また、サイレンススズカの容態も懸念しなければならないのでと。」

 

答えながら、ブルボンは僅かに顔を顰めた。

“オフサイド先輩の危機の時とは全く違う対応だなと思ったんですよ”

ルソーに言われた言葉が胸をよぎったから。

 

ライスはその表情の一瞬の変化に気づいたが、その素振りは見せずに言葉を続けた。

「スペさんが、ルソーさんの要求通りの行動をしないようせねばいけませんね。」

現状、スペの過ちだけは隠さねばいけない。

いずれ明らかになるだろうが、それはスズカの身に危険がなくなってからでなくては。

「後で、スペさんにそれを伝えましょう。ルソーさんのことも、椎菜先生にお話しして。」

「そうですね。」

無表情に戻ったブルボンは頷くと、スマホをしまった。

 

 

スマホをしまった後。

少しの沈黙を置いた後、ブルボンはライスを見た。

「あなたは、この後どうされるつもりですか?」

「またスペさんに会いに行きます。その後、椎菜先生とも…」

 

「もうやめて下さい。」

返答を突然遮って、ブルボンは感情を込めた低い声を出した。

「…。」

初めて聞いた親友の口調に、ライスも思わず黙った。

 

…。

ブルボンの視線は、ライスの左脚とその脇に置かれている杖に注がれていた。

これまで彼女が使用してなかったそれが示すように、もうライスの脚が限界に近いことは明らかだった。

一足行動するだけで、彼女の残り少ない命は削られていると、ブルボンには分かっていた。

 

「もう、私は耐えられません。これ以上、あなたが自らの命を無視した行動をするのならば、私はあなたを力ずくで押さえつけてでも止めます。」

感情を極力抑えた低い口調で言ったブルボンの両眼は、紅く光っていた。

 

「…。」

ライスも、眼を蒼く光らせてブルボンの見返した。

「押さえつけてでも、ですか。」

「はい。これは、私の心を守る為でもあります。」

ブルボンさんの心…

無二の親友のその言葉は、ライスの胸に刺さった。

 

しばしの間、二人の視線が無言で交錯した。

 

 

すると。

「ブルボンさん、ライス。」

二人のいる席に、一人の人間が来た。

カメラを腕に提げた美久だった。

 

「どうしたの、二人とも表情が暗いわ。」

美久は二人の様子を見て、心配そうに声をかけた。

…。

二人は無言で、視線を逸らした。

「…どうしたの?」

「気にしないで。それより、あなたの方がなにか暗いわ。」

重ねて尋ねた美久にごまかしつつ、ライスが尋ね返した。

 

すると。

「…。」

何故か、美久はやや俯いて傍らの席に腰掛けた。

「ブルボンさんも、私が暗そうに見える?」

「そうですね。普段と比べかなり悪く見えます。」

「そっか…」

美久はカメラをテーブルの上に置き、大きく溜息を吐きながら両臂をついた。

どうやら二人に言われるまでもなく、彼女自身がそれを自覚していたようだった。

「実は、今朝からずっと辛いの。」

 

「体調悪いの?」

美久の重たい呟きを聞き、ライスは心配そうに彼女の肩に手を当てた。

「体調は悪くない。ただ、何故かずっと胸が苦しいの。」

「胸が苦しい?」

「今回の事…いや、ウマ娘と人間が相対するような事態になってしまったことがショックで。」

 

…。

美久の言葉に、ライスとブルボンは思わず視線を合わせ、すぐに伏せた。

美久は二人の素振りに気づかず、胸に手を当てながら呟き続けた。

「なんで、こんなに胸が苦しいんだろう?胸が痛むことなんてなかったのに。」

 

「美久。」

ライスは、そっと美久の手を握った。

手を握られると、美久はライスを見つめた。

「ねえライス、なんでこんなに悲しいのかな?」

彼女の眼からは、涙がポロポロと溢れだしていた。

「辛いの…人間とウマ娘が相対するなんて…もう私、幸せな写真は撮れないのかな…」

 

「落ち着いて、美久。」

ライスは、泣き出した美久を抱きしめ、そして力強い口調で言った。

「大丈夫だから。人間とウマ娘の未来は、決して悪いものにならないから。」

 

サンエイサンキュー…

あなたが守ろうとした人間とウマ娘の未来、絶対に繋いでみせるから。

美久を強く抱き締めながら、ライスは胸のうちでそう言った。

 

自身、左脚に限界を近づかせる痛みを感じながら。

 

 

 

*****

 

 

 

その頃。

療養施設の最上階の、特別病室。

 

一人病室にいるスズカは、憂げな表情で窓の外を眺めていた。

 

今日は、リハビリはなかった。

連日リハビリを行っていたとはいえ、そんなに身体に負担があったわけではないが、何故か中止になった。

 

何かあったのね。

何も伝えられていないが、スズカは施設内の雰囲気が妙に張り詰めていることを、敏感に感じていた。

 

一体何が起きているのか、全く想像は出来なかった。

でも、何か莫大で不穏なものが身に迫ってきている。

なぜかそんな予感がしていた。

 

世間と隔絶されている自分。

一向に語られない天皇賞・秋のこと。

何故か会いに来てくれないオフサイドトラップ。

そして、昨日から言動に不審なものが増えたスペシャルウィーク。

それらが、全て繋がっているとしたら。

 

痛い…

心境の不安が、左脚の怪我部分に響いた。

怖いな…。

不安に高鳴る胸を感じながら、包帯に覆われた左脚をさすった。

 

スペさん、ゴールド、トレーナー、…オフサイドトラップ先輩。

病室にたった一人のスズカは、親しい者達の姿を思い浮かべて、胸の不安を打ち消そうとしていた。

 

 

時刻は16時前、外は既に夕闇に覆われようとしていた。

 


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