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時刻は数時間前に遡る。
メジロ家別荘でオフサイドと会った後、沖埜は岡田と会うことを決め、彼の自宅へ向かっていた。
岡田の自宅に着いたのは午後。
だが、岡田は外出中なのか在宅していなかった。
沖埜は彼の帰りを待つことにした。
待っている間、学園の法的措置断行のニュースも知った。
自分にも処分が下されるだろうと思いつつ、沖埜は岡田の帰りを待った。
しかし、しばらく経っても岡田は帰って来なかった。
何度か電話をかけてみたが、それも繋がらなかった。
郵便受けを見てみると、かなり郵便物が溜まっているのが分かった。
沖埜は違和感を覚え、岡田と親しいトレーナー仲間に連絡をとり、彼の現状について尋ねた。
すると、岡田は現在体調を崩して某病院に入院していることを知った。
沖埜はその病院を聞くと、すぐにそこへ向かった。
そして、夕方頃にその病院に着いた時、沖埜は偶然一人のウマ娘と鉢合わせした。
『フォアマン』元リーダーのフジヤマケンザンと。
「沖埜豊トレーナー。」
病院の入り口前で、沖埜の姿を見たケンザンは驚きの表情を浮かべていた。
沖埜も少々驚きながら、彼女がここにいる理由が岡田の看護をしているからと推察し、言った。
「私は岡田さんに会いに来た。会うことは出来るか?」
「トレーナーは今検査中です。今すぐ面会はできません。」
「今すぐでなくても構わない。」
「分かりました。」
ケンザンは、沖埜に対して言いたいことが沢山あったが、それは胸の内に留めた。
「待合室の方でお待ち下さい。面会可能になりましたら私が案内します。」
「ありがとう。」
沖埜も彼女の心中を察しつつ、静かに頷いた。
その後、更に数時間待った今、沖埜はようやく岡田と面会した。
***
「入院されていたとは存じませんでした。」
ベッドの傍らにある椅子に腰掛け、沖埜は言った。
「今月上旬に身体の具合が悪くなってな。大したことはないと思ってたが、検査受けたらかなりの病気で、即入院さ。今はもう落ち着いてるがね。」
「無事で何よりです。」
「ハハ、まだ死ぬ年齢じゃないからな。」
岡田はそう言うと笑った。
病気の為か、その表情は以前と比べ大分老けて見えた。
岡田正貴。
彼は30年近く前に、トレセン学園の一トレーナーとしてデビューした。
しばらくは鳴かず飛ばずだったが、地道に実績を挙げていき、16年前にチーム『フォアマン』を結成。
すると翌年にメンバーのキョウエイプロミスとリードホーユーがそれぞれG1を制し、一流トレーナーの仲間入りを果たした。
その後もミホシンザンやオサイチジョージなどのG1ウマ娘、更にはトウカイテイオーやナリタブライアンなどといったスターウマ娘を輩出し、学園でも屈指の実績を挙げるトレーナーとして名を馳せた。
沖埜と岡田は年齢差もありそこまで親しい仲ではなかったが、互いにトレーナーとしての手腕は認めあっている関係だった。
「フジヤマケンザンがいましたが、彼女はずっと岡田さんの看護を?」
「いや、ケンザンは昨晩からここに来た。病気で入院していることは彼女に伝えていたのでね。私が入院中と知ってるのは彼女とメジロマックイーン、その他ごく僅かの友人だけだ。」
マックイーン。
その名を聞き、沖埜はすぐに察した。
「ということは、もう…」
「ああ、聞いたよ。ケンザンからも、午前中に訪れたメジロ家の使いの者からもな。」
オフサイドトラップの決意を、と岡田は頷き、夜になった窓の外に顔を向けた。
「謝罪しなければいけません。」
沖埜は椅子に座ったまま、再び深々と頭を下げた。
先の、天皇賞・秋後の騒動。
優勝後の言動で最も世間から糾弾を受けたのはオフサイドトラップだったが、彼女のトレーナーである岡田も相当な糾弾を受けていた。
理由は、優勝トレーナーとしてのインタビューだった。
以下、その内容。
〜オフサイドトラップの優勝について
『とてつもない、大変なことを成し遂げたと思う。私は何もしていない。彼女がここまで折れずに頑張った結果。おめでとうと、そしてありがとうと伝えたい。』
〜レース内容について
『スタートが良く、本人の想定通りにレースを進めていたと思う。サイレンススズカの故障にも動じず上手く捌いて内に入ってくれた。直線は本当に長かったと思うが、良く粘りきった。』
〜サイレンススズカの故障について
『気の毒とは思うが、これも勝負。レースの世界では起きうること。』
〜スズカが故障しなくてもオフサイドは勝てたと思うか?
『無事でいることも戦力のうち。最後まで走らなければレースにならない。』
以上の受け答えが、オフサイドと同じくスズカの故障に対するいたわりが全くないとして、岡田は大きな非難を浴びた。
超一流と言っていい実績をあげているものの、岡田は沖埜のように国民的な人気はなく、業界でも毀誉褒貶のあるトレーナーだった。
前述のように、彼のチーム『フォアマン』は何人ものG1・スターウマ娘を輩出する一方、所属するメンバーの多くが故障に苦しんでいた実態があった為だ。
メンバー達に過酷なレースローテーションを組ませているという指摘もあり、自己の功績の為にメンバー達を酷使しているという非難も多かった。
特に2年前、某メンバーのローテーションを巡った問題には世間・業界からも多くの非難が上がり、それ以降岡田の名声は下がった。
そういった経歴もあった故、スズカの故障に対する岡田のコメントはオフサイドに劣らない程の非難の的となった。
スズカがかつて『フォアマン』に所属していたが離脱したという前歴からして、岡田もスズカの怪我をいい気味と思ったのではという中傷すらあった
もっとも、岡田の元で競走生活を送った『フォアマン』メンバーの中で彼に対してそのような印象も抱いてるウマ娘は一人もいない。
彼の同僚である超一流トレーナーの仲間達も同じだ。
そして勿論、沖埜も。
だが、凄まじい非難の嵐の中、岡田はトレーナーを退職した。
それは学園から要求されたのではなく、本人の意思だった。
ここまで逆風に晒された以上、自分が責任を取らない限り事は収束しないと判断したから。
学園上層部(特にマックイーン)からは強く慰留されたが、それは変えなかった。
『フォアマン』のメンバーについては、生徒会や同僚に交渉し新たな受け入れチーム先を用意して貰った。
また生徒会長のマックイーンには、オフサイドトラップに一切処分を科さないようにという頼みもし、岡田は学園を去った。
以後彼の消息は、僅かに連絡をとってる者以外知るものはなかった。
退職後間もなく、岡田は心労からか病を患い、入院生活を送っていた。
命に別状がある程のものではなかったが、岡田はケンザンやマックイーンらにそれを伏せるよう頼んだ。
『フォアマン』のメンバーに(特にオフサイドに)心配をかけさせたくなかったから。
入院中も、岡田は『フォアマン』メンバーの現状を把握する為、前述の学園関係者と連絡を取りあっていた。
特に気にしていたのは、自身の退職後も他のチームに属せず、『フォアマン』の旗を掲げているオフサイドとステイゴールドのこと。
二人が学園生活で不自由がないよう、マックイーンに再三頼んでいた。
なんとか騒動沈静化後は、オフサイドに対する攻撃もなくなった現状報告も受けており、安心していた。
だけど。
「昨晩遅くに駆けつけたケンザンから全てを聞いて、正直言葉が出なかったよ。」
岡田は、窓の外に目を向けたまま言った。
「あいつの絶望は、人間の私が想像した以上に大きく、消しようのないものだったのかと。」
「どうか、オフサイドトラップの決意を、翻意させてください。」
彼女を絶望させた一因である自分がそれを言える立場ではないことを自覚しながら、沖埜は言った。
「岡田さんでしたら、彼女の行動を止められる筈です。」
「それは、そのつもりだ。」
岡田は腕を組みながら即答した。
沖埜に頼まれるまでもなく、彼はオフサイドの元トレーナーとしてそれを果たさなければならなかった。
だが…
「正直、この私でも、オフサイドの決意を変えるのは厳しいな。」
岡田は、淡々と言った。
「何故ですか?」
「オフサイドが生きる意味を失っているからだ。あいつにとって、あの天皇賞・秋の結末は、それだけ重大なものだった。人間である我々が感じるより遥かにな。」
岡田がそう言った時。
「失礼します。」
病室の扉をノックする音と共に、一人の人間が入室してきた。
午前中からここに来ていたメジロ家の(マックイーンの)使用人だった。
「岡田様、ただいま病院からも外出許可が出ました。既に車も用意してありますので、ご用意をお願い致します。」
入室した使用人は、岡田にそう告げた。
「分かった。」
岡田はその報告を聞くと、すぐにベッドから起き上がり、着替え始めた。
オフサイドに会いにいくのか。
沖埜はすぐに分かった。
「沖埜、お前も一緒に来い。」
身支度を整えながら、岡田は言った。
「お互いウマ娘の未来の為に人生を捧げる者同士、久々に話をしよう。」
「はい。」
沖埜は、素直に従うように頷いた。
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「今、岡田トレーナーは病院を出た…了解ですわ。沖埜トレーナーも一緒ですね?…フジヤマケンザンも?いえ…彼女でしたら大丈夫ですので構いませんわ。…ええ、沖埜トレーナーは途中で…はい、そうお伝えください。…では。」
メジロ家の屋敷。
帰宅したマックイーンは自室で、岡田の元に派遣した使用人と連絡をとっていた。
それを終えると、今度はオフサイドを保護しているメジロ家別荘に連絡をとった。
「オフサイドの動向は…特に変わり無しですか…。ビワハヤヒデと話を?分かりました。後でビワに伺います。それと、夕方頃にそちらに向かった彼女は、オフサイドに会いましたか?…会って、既に別荘を後にし、帰路についた…了解ですわ。…ええ、岡田トレーナーが向かっていることは、オフサイドに伝えてください。…では。」
諸方への連絡と確認を終えると、マックイーンはすぐに部屋を出た。
マックイーンが他の生徒会役員達より一足先に帰宅した理由は、今回の断行についてメジロ一族に釈明する為だ。
既に一族の主な者は、このメジロ本家に集まっていた。
その集まっている場へ、これから彼女は行こうとしていた。
廊下を歩いていると、窓から外の光景が見えた。
学園と同じく、このメジロ家の門前に多くの報道陣が集まっている。
騒々しいですわね。
マックイーンは冷ややかな視線でそれを眺めた。
と、窓枠に門前の光景でなく、亡き盟友の銀髪姿が映った。
…。
マックイーンは足を止めた。
一度胸に手を当てて、再び窓枠を見ると、その姿は映ってなかった。
ふーっと大きく深呼吸すると、マックイーンは再び歩き出した。
クラスニー…もうあなたのような悲劇は、絶対に起こさないから。
時刻は、20時を回っていた。
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