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岡田と沖埜はメジロ家の車に乗せられ、病院を後にした。
彼と共に病院にいたケンザンも一緒だった。
車中、共に後部座席に座った沖埜は岡田に、午前中にオフサイドと会い、彼女に謝罪した一連のことを話した。
岡田はただ黙って聞き、その後はしばらく何も言わなかった。
やがて、岡田は口を開いた。
「沖埜、」
「はい。」
「お前はトレーナーとして、どんな理想をもってこのウマ娘界を生きている?」
「トレーナーとしての理想ですか。」
予想だになかった唐突な岡田の質問に、沖埜は少し考えてから答えた。
「デビューしてからずっと同じく、『記録にも記憶にも残るウマ娘を輩出する』という理想をもって生きています。」
「そうだろうな。」
沖埜の返答に、岡田は頷いた。
「その理想は、何度も叶えてきたな。」
「いえ、そんなには。」
沖埜は小声で首を振った。
謙遜したものの、沖埜はトレーナーとしてデビューしてから今日に到るまでの十数年のうちに、スーパークリーク・イナリワン・オグリキャップ・メジロマックイーンなど、その理想に値するウマ娘を何人も輩出した。
彼女らの生まれ持った優れた素質も勿論あるが、その才能を開花させる沖埜の手腕は天才と呼ぶに相応しかった。
それだけじゃない。
「お前は、“ウマ娘”に対する愛情が本当に深いからな。」
岡田は、その点を何よりも評価するように呟いた。
「…。」
沖埜は何も答えなかった。
岡田の言う通り、沖埜はトレーナーという立場に関係なく、ウマ娘という種族を愛していた。
彼は幼少期からウマ娘に魅了され、この世界に入った。
トレーナーとしてレースや強弱においてはややシビアな視点(138話参照)をするが、ターフ外ではどんなウマ娘に対しても分け隔てなく接しており、自チーム以外のウマ娘の為に動くことも多々あった。
その為、沖埜は自チーム『スピカ』のウマ娘だけでなく、トレセン学園の全ウマ娘から慕われている存在だった。
それに引き換え…
「『壊し屋トレーナー・非情トレーナー・老害トレーナー』などと言われ、ウマ娘達からも一部白い眼で見られている私とはまるで正反対だな。」
岡田は自虐するように呟いた。
「そんなことはありません。」
沖埜は首を振ってそれを否定した。
前述のように、岡田は数多のスターウマ娘を輩出したトレーナーでありながら、そのチームの内実に対して批判の声が多く、沖埜のような名声は得てなかった。
だが、沖埜は同じ超一流トレーナーとして、岡田のトレーナーとして在り方に理解を示し、かつ敬意を表していた。
確かに岡田には、所属するメンバーを多々故障に苦しませている点はあった。
だがその多くは、元来脚部不安を抱えていた者が殆ど。
そしてその故障に苦しむメンバーのうちで、無実績のまま学園を去った者はほぼ居ない。
どんな弱点を抱えるウマ娘でも、ターフに確かな実績は残させていた。
そこが、沖埜が敬意を表する点だった。
ウマ娘は、実績を挙げなければ生き残れない。
その厳しい現実を、岡田は誰よりも理解していた。
彼がトレーナーとしてウマ娘界に足を踏み入れたのは約30年前。
その後、数多の実績を旗頭にチーム『フォアマン』を発足させるまでの十数年間、彼はチームも持たないヒラの一トレーナーとして、この業界で生きてきた。
デビュー当時から天才と謳われ1年も経たずにチーム『スピカ』を発足させた沖埜とは対照的だった。
ヒラの時代、岡田は*総合チーム*の一トレーナーとして、血統・素質・将来性共に乏しいウマ娘達と数多く接してきた。
デビューからしばらくの間、自分が指導にあたったウマ娘達は、その殆どが無実績のまま学園を去った。
1勝も挙げられなかった者も、故障などの影響で思うように走れなかった者も数多くいた。
無実績かつ血統も乏しいウマ娘の行く末は何か、岡田も当然分かっていた。
どんな無名のウマ娘でも、その走る姿は本当に幸せそうで、美しかった。
岡田はそれが好きだった。
沖埜と同じように彼もまた、ウマ娘に魅了されてトレーナーになった人間だった。
でもどんなに美しかろうと、ウマ娘は強くなければ、勝てなければ生き残れない。
無名のウマ娘は、レースを去った後は消息記録が途絶える。
華やかさの裏にあるその厳しい現実に、彼は向き合わなければならなかった。
彼女達が生き残る為には、その笑顔を好きになってはいけない。
トレーナーとして歳月を重ねていく中、岡田はそう戒めるようになっていった。
岡田が無名のトレーナーから少しずつ名前を上げていったのは、トレーナーになってから10年を過ぎた頃からだった。
依然、総合チームの一トレーナーだった彼は、指導にあたった者の中からOPウマ娘を輩出するなど、徐々に実績を挙げていた。
当時の彼の指導はかなり厳しく、無理に近いくらいのトレーニングをウマ娘達にさせていた。
OPに勝ち進むウマ娘も輩出する一方、ハードなトレーニングによって故障するウマ娘も多く出していて、それが原因でターフを去る者もいた。
そのことについてトレーナー仲間から批判を受けることもあったが、岡田は構わず厳しい指導を続けた。
…自分がどんなこと言われようが、ウマ娘はレースで勝たなければ生き残れない。
ましてや、指導するのは半ば将来の希望がないとされたウマ娘達なのだから。
その後、岡田は重賞ウマ娘なども誕生させると、総合チームを離脱。
定員などの条件を満たし、遂にチーム『フォアマン』を結成した。
「あの当時、私には理想とかなかったな。自分に未来を託してくれたウマ娘達をなんとか勝たせてあげて、未来を掴みとって欲しいという思いだけだった。」
岡田は回顧するように語った。
「…。」
岡田と全く異なる経歴を送ってきた沖埜は、ただ黙って聞いていた。
勝てなければ生き残れないというウマ娘界の厳しさは、彼も当然分かっていた。
「では、理想を持ち始めたのは、いつ頃からですか?」
沖埜の質問に、岡田は答えた。
「理想というものを抱くようになったのは、メンバーが走った2つのレースからだ。」
「2つのレース?」
「『フォアマン』発足2年目の秋に行われた、JCと有馬記念のことさ。」
「ああ…」
沖埜は、その片方のレースは知っていた。
*総合チーム*
チーム選考から落ちたウマ娘が所属することになる学園管轄チーム。チームを持たない無名トレーナー達が管理する。設備待遇実力とも、個人チームと比べて低い。