1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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迫来時刻(2)

 

*****

 

 

時刻はやや遡り、19時過ぎの療養施設。

施設は夕食の時間になっていた。

 

 

最上階の特別病室にいるスズカも、夕食を食べていた。

 

喉を通らないな。

一人黙々と夕食を食べているスズカの表情は冴えていなかった。

スペのように大食いではないが、スズカも食事はしっかり食べられるウマ娘だ。

でも、この日は朝からあまり食べていなかった。

胸騒ぎがずっとあるせいだった。

 

結局、半分くらい残してスズカは箸を置いた。

「すみません。」

食事のトレイを下げにきた担当医師に、スズカは謝った。

気にしないでと、医師はトレイを下げた。

スズカが元気ないことには医師も気づいていた。

 

「スズカ、伝えることがあるわ。」

トレイを下げた後、再び病室に戻ってきた医師はスズカに言った。

「なんでしょうか?」

「明朝、沖埜トレーナーとメジロマックイーン生徒会長が、あなたに会いに来るわ。」

 

トレーナーと生徒会長が一緒に?

スズカは清廉な表情は、不安に曇った。

「何の御用件でですか?」

「それは、会ってから話すということだったわ。」

予め用件の内容を伝えられている医師は曖昧に濁したが、スズカは更に尋ねた。

「生徒会長も来るということは、非常に大切な用件なんですね?」

「うん、そうだろうね。」

スズカの眼は誤魔化せないと思った医師は、濁しつつも正直に頷いた。

「そういうことだから、宜しくね。」

「はい。」

医師の言葉に、スズカは胸騒ぎを一層大きくさせながら頷き返した。

 

胸騒ぎの正体が分かるのか。

医師が去った後、スズカは一人ベッドに横になりながら、不安に翳る表情を虚空に向けていた。

一体、何を知らされるのだろう。

多分、天皇賞・秋に関することではないかな。

だとすると、少なくとも良い知らせではないことは確かだった。

 

怖い…

得体のしれない大きな不安が目前に迫ってきていることに、スズカは震えた。

怖気つくな、私はグランプリウマ娘だぞ。

彼女らしくない自答で、不安に揺らぐ心を保たせようともした。

しかし、どうしても徐々に胸騒ぎは抑えられなかった。

いつものようにスペさんが側にいれば、こんな不安なんてすぐにおさまるのに。

今はスズカ一人。

しかもそのスペが、高鳴る胸騒ぎの一因になっていた。

 

「すみません。」

胸騒ぎが苦しくなり、スズカは医師を呼び出した。

「何か、心を落ち着かせる薬でもありませんか?」

「薬?どうして?」

「明朝の件の為にも、今晩は早く寝ようと思ったんですが、…胸騒ぎがひどくて、とても寝付けそうにないんです。」

 

「分かったわ。」

スズカの頼みを受け、医師は錠剤を幾つか用意すると、病室に来てスズカに渡した。

「それを飲めばゆっくり眠れるわ。身体に何の負担もない薬だから安心して。」

「ありがとうございます。」

スズカは渡された錠剤を一つ口に含み、水と一緒に飲み込んだ。

薬は苦手だったが、この際仕方なかった。

 

数分すると胸騒ぎが少し落ち着いて、同時にほど強い眠気も出てきた。

よく効く薬だなと思いつつ、スズカは傍らで自分の様子を見ていた医師を向いた。

「ありがとうございます。少し落ち着きました。」

「そ、良かった。」

スズカの身体をそっと寝かせながら、医師は安心したように微笑した。

「夜中また胸苦しくなったら、残った薬を飲みな。傍らに置いとくから。」

「大丈夫なんですか?」

「数時間置きなら全く問題ないわ。ただ出来れば一錠ずつね。」

残り数錠だから全部一度に服用しても大丈夫だけど、薬が効き過ぎて朝起きれなくなっても困るからと医師は説明しながら、スズカにシーツを被せた。

「はい。お休みなさい。」

 

やがて、スズカは静かに寝息を立て始めた。

スズカが眠ったのを確認すると、医師はほっと息を吐きながら、病室を出ていった。

 

医務室に戻ると、医師は施設内にいる生徒会役員のブルボンと連絡をとった。

 

 

 

「…はい、分かりました。報告ありがとうございます…。」

施設の外来者宿泊部屋の一室で、ブルボンはスズカ担当医師からの連絡を受けていた。

「何のご連絡でしたか?」

ブルボンが電話を終えると、室内のベッドに横になっているライスが尋ねた。

 

ブルボンはスマホをしまい、表情を変えずに答えた。

「明朝、生徒会長・沖埜トレーナーが重要用件の為来訪する旨を、サイレンススズカに伝えたということです。…あと、」

僅かに、ブルボンの表情が変わった。

「スズカの状態に、かなり変化が起きているとの報告もありました。」

 

「変化…」

眉を潜めたライスに、ブルボンは医師の報告で、彼女が周囲の異変を察知し出しており、その影響からかなり不安になっているようだということを説明した。

 

「既に、スズカは念の為薬を服用し就寝についたということです。」

「そうですか。」

ライスはベッド上で、指先を噛んだ。

スペさんの異変やその他諸々のことも含めて、スズカさんは勘付き始めましたか。

それ自体は構わないのだが、それに対する彼女の心境反応は、やはり先行きの深刻さを感じさせるものだった。

「マックイーンさんには伝えますか?」

「ええ、伝えます。」

ブルボンは頷いた。

最も、このことはマックイーンも推測していたであろう筈なので、緊急的な内容でもないとブルボンもライスも思っていた。

 

寧ろ…

「スペさんの件は、どうしますか?」

「その件につきましては、生徒会長には報告せず、私達の方で善処しましょう。」

ブルボンは無表情に戻った。

スペのおかした言動を今マックイーンに伝えるのは尚早、周知している者が限られているので、出来ることなら内内で解決させたいと、ブルボンもライスも考えは一致していた。

 

だが、それもかなり厳しいことだった。

解決の為の最善策とすれば、いち早くスペをオフサイドの元に行かせ、言動を謝罪させることだろう。

昼過ぎにスペと再度会った際、二人はそのことを提案した。

彼女がそれに従えば、すぐに手筈を取るつもりだった。

 

だが、スペはそれを拒否した。

理由は、ルソーにそれを止められたことと、彼女に謝罪よりもスズカに全てを打ち明けることを要求されていたから。

罪悪感で一杯のスペは、ルソーの言葉を無視することは出来なかった。

それだけじゃなく、スペは拒否の理由としてこうとも言った。

『下心のある謝罪など出来ません』と。

 

「スペさんの言葉、重いですね。」

ライスは、若干蒼芒が洩れている眼元に指先を当てた。

100%オフサイドが許してくれるあろうことを予測しての謝罪になっていることをスペは言ったのだ。

本当に謝罪するならば、少なくともルソーが言ったように自らの言動をスズカに打ち明け、その報いを受けてからでなければいけない。

そうでなければ心の底からの謝罪にならないと、スペは純真に思っていた。

だけど、いくら純真でもそれは絶対にさせてはいけない。

それをしたら、スズカが受けるショックの大きさは桁違いになるから。

といって、スペが謝罪を拒否した理由には反論出来なかった。

 

現状は、スペの行動を抑止させるしかなかった。

二人が静止しているものの、スペはルソーに要求されたように、すぐにでもスズカに言動を打ち明ける意思を固めていた。

それに対し二人は、それを行うのは明朝にスズカがマックイーン達に事を知らされた後にするよう頼んだ。

一応、スペはそれを受け入れてくれていた。

 

「スペシャルウィークのケアも考えないといけません。」

ブルボンは腕を組んだ。マックイーンに伝えるのは彼女の負担等も考えてやめているが、沖埜トレーナーには伝えるべきか。

「スペさんには耐えて頂くしかありません。」

ライスは、マックイーンのような冷徹な口調で静かに言った。

少なくとも、有馬記念が終わりオフサイドが無事であるまでは、スペにはそれを隠すべきだ。

例えどんなに苦痛でもそれは自身の過ちの報いと受け入れてもらう。

「今は、それが最善策と思います。」

「…。」

ライスの言葉に、ブルボンは無言で頷いた。

 

少し沈黙が流れた後、再びライスが口を開いた。

「ホッカイルソーさんのことは、どうしましょう?」

「ホッカイルソーに対しては、我々は触れない方が良いです。」

ブルボンは無表情を顰めて答えた。

昼間、彼女から様々な受けた言葉が、かなりブルボンの胸に突き刺さっていた。

「彼女の状態は、渡辺椎菜医師に任せましょう。」

「そうですね。」

ライスも同意した。

ルソーの心身の状態がかなり深刻だということは既に椎菜に伝えていた。

恐らく既に何らかの対処はしているだろう。

 

話しがある程度まとまると、ブルボンは立ち上がった。

「どちらへ?」

「スペシャルウィークの様子を見てきます。あと、渡辺医師とも少し話をしてきます。」

「マックイーンさんへの報告は?」

「それは後ほどまとめてします。」

 

返答した後、

「ライスは、部屋で安静に休んでて下さい。」

ブルボンは命じるような口調と共に、強い視線でライスを見た。

「はい。」

ライスは蒼芒を閉じ、ベッド上に横になったまま素直に頷いた。

 


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