1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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迫来時刻(3)

 

*****

 

その頃。

スペシャルウィークは、宿泊している自室にいた。

 

私服姿のスペは、精神的に疲れたー表情で、一人室内の椅子に座っていた。

体調こそ朝より幾分良くなっていたが、それでも彼女の心は快復してなかった。

 

苦しいな。

オフサイドトラップへの罪悪感、ホッカイルソーへの罪悪感、そしてサイレンススズカへの不安。

胸中に渦巻くそれらと、スペは闘い続けていた。

 

コンコン。

部屋の扉をノックする音がした。

「どうぞ。」

「失礼します。」

入ってきたのはブルボンだった。

 

「体調はいかがですか。」

入室したブルボンはまずそれを質問した。

「大分良くなりました。夕食もちゃんと食べたので。」

「ははあ。」

本当に快復したのかと、空になってる一人前の弁当箱を見つけてブルボンは内心首を傾げた。

 

「例のことで、あなたにお話があって来ました。」

ブルボンは立ったまま、スペに言った。

 

まず、明朝にマックイーン達がここに訪れ、スズカに天皇賞・秋後の一連について話すことを伝え、それから続けた。

「先程も話したように、あなたがオフサイドトラップにとった言動については、我々(ブルボン・ライス)が云と判断するまで極秘にお願いします。」

「先輩が判断するまで極秘…」

スズカさんが事を知ることになってもですかと聞くと、ブルボンはええと頷いた。

「予測される状況は非常に厳しいです。更なる状況悪化を避ける為にも、ご了承をお願いします。」

「…。」

蒼白な表情で胸に手を当てて黙ったスペに、ブルボンは無感情な口調で続けた。

「辛いことは察しますが、これはあなたがおかした言動への贖罪だと思って耐えて下さい。サイレンススズカが無事である為にも。」

 

…。

その最後の台詞に、スペは反応した。

「スズカさんは、」

泣きそうな眼で、彼女は尋ねた。

「スズカさんは、大丈夫なんですか?」

 

ブルボンは、すぐには返答しなかった。

先程受けた、スズカの身には既に精神的動揺が出始めているとの報告を思い出したから。

「大丈夫です。」

ブルボンは冷静に答えた。

「彼女の身に、特に変わりはありません。問題は彼女が事を知って以降です。その時はスペシャルウィーク、」

つと、ブルボンは碧い眼を光らせてスペを見つめた。

「スズカが絶望に蝕まれない為にも、あなたの存在が不可欠になります。罪悪感に苦しむあなたの辛さも分かりますが、どうかそれを押し殺して、未来のために耐えて下さい。」

「はい。」

スペは、重たく頷いた。

 

頷いた後、スペはもう一つ尋ねた。

「オフサイドトラップ先輩は、今は…」

 

「オフサイドトラップに関しては、私にも分かりません。」

みなまで聞かず、ブルボンは答えた。

実際、ブルボンが任されているのはこの療養施設でのスズカ(とライス)への対応なので、オフサイドの情報はメジロ家の別荘で保護している程度しか知り得ていない。

オフサイドの決意が全く揺らいでないという現状は受けているが、それを言う必要もないと判断した。

 

「あなたは今は、自らの心身の快復に努めて下さい。では。」

ブルボンは最後にそう告げると、部屋を出ていった。

 

 

耐えて下さい、ですか。

ブルボンがいなくなった後、スペは椅子で膝を抱えながら、その言葉を反芻した。

自己としては、ルソーに要求されたことを遂行しなければという思いは変わらない。

だけど、ここで周囲を無視してそれをすることは出来なかった。

そもそも自らの過ちが自己の勝手な判断から出た言動である点、従うしかなかった。

 

オフサイド先輩…。

スペは、自分が深く傷つけてしまった彼女のことを思った。

悲壮な決意を固めてしまった先輩。

あの天皇賞・秋でスズカさんの為に必死に笑顔を振り撒いたのに、誰からも理解されずに責められ名誉を貶された先輩。

更には、スズカさんを最も愛している私から、理不尽な罵倒まで受けてしまった。

なのに。

“オフサイド先輩は、あなたのことを“生まれながらに命の重みが分かっているウマ娘”と言って、決して責めようとしなかった”

昨晩、ルソーと衝突した際に聞いた言葉が、スペの胸に刺さるように蘇った。

 

無知による愚行をおかした自分と違い、オフサイド先輩は私のことを、この世に生を受けた時から消えない私の悲しみを理解していた。

彼女はそれだけ同胞の命と向き合い続けたバ生を送ってきたんだと、椎菜やルソーから彼女の過去を聞いた今は、スペにも理解できた。

オフサイド先輩、本当にごめんなさい。

謝罪出来ない、いや今は謝罪する資格もないと自覚しながら、スペは胸中で謝罪し続けた。

 

「会いたいよ、スズカさん。」

オフサイドへの謝罪をしつつ、スペの胸中には愛するウマ娘の姿が浮かんだ。

スズカさん…多分色々と感じ始めているだろうな。

今日はずっと病室にいたとはいえ、施設内の雰囲気の変化…学園が下した断行に騒然としている雰囲気には気づいているだろうな。

怪我病棟の同胞達が、スズカの身を深く憂いていることも耳にした。

大丈夫だろうか。

今自分は、会うことは出来ない状況になった。

でも、ほんの少しでもいいから会いたい。

明朝、スズカさんは残酷な真実を知ることになる。

その前に、出来れば一目だけでもいいから。

 

自分が耐える為にもと、スペは切望していた。

 

 

 

一方、スペの部屋を出たブルボンは、そのまま椎菜の医務室へと向かった。

 

だが、医務室に椎菜はいなかった。

ルソーの所にいるのかと思ったが、受付で椎菜は外に出ていることを聞き、ブルボンはコートを羽織ると外へ出た。

 

夜の闇に覆われた外は肌に刺さるような寒風が吹いていた。

夜空は雲に覆われており、時折寒風に混じって雪が舞っていた。

ブルボンは寒さを大して気にせず、遊歩道を歩きながら椎菜の姿を探した。

 

椎菜は、遊歩道のベンチにいた。

白衣姿のまま、缶コーヒーを飲んでいた。

「渡辺椎菜医師。」

ブルボンは近くに寄ると声をかけた。椎菜はちらっと彼女の姿を見ると、無言でベンチの隣を空けた。

ブルボンは一礼して、椎菜の隣に腰掛けた。

 

「ホッカイルソーの様子は、どうでしたか。」

ブルボンは、寒風吹き荒ぶ高原を眺めながら尋ねた。

「深刻。」

椎菜も缶コーヒーを片手に夜空を見上げながら、ぽつりと言葉少なく答えた。

 

午後、食堂でライスと相談した後、ブルボンは椎菜と会ってルソーとの一部始終を話し、彼女の状態が極めて良くないことを伝えた。

それを受け、椎菜はすぐにルソーの元に行き、状態を確かめていた。

 

「ルソーは、ずっと辛い立場に置かされて来たから。もう耐えきれなくなったかもしれない。」

椎菜は、彼女自身も疲れきった表情で続けた。

二年半以上、〈死神〉との闘病を続けているルソー。

それだけでも大変なのに、彼女の心の支えであったオフサイドがあのような事になり、所属していた『フォアマン』も分解した。

慕う先輩やチームが受けたそれらの事態に対して、病身の為殆ど何も出来なかった自らの虚しさも相当なものだったろう。

それに追い打ちをかけるスペシャルウィークの言動と、オフサイドの絶望。

折れかけながらも支えていた彼女の心は、もう…

 

病室でルソーと会った際、彼女は殆ど何も話さなかった。

椎菜がかけた様々な言葉にもただ虚ろに頷くだけだった。

その後、医務の合間を縫いながら椎菜は何度も見舞いしたが、ルソーの虚ろな様子は変わってなかった。

全てに絶望してしまったような、そんな状態だった。

 

「今は、私でも手の打ちようがないわ。」

椎菜は二、三度首を振り、表情を歪めた。

今はただ、彼女の心に懸けるしかない。

「彼女の心に、シグナルライトの面影がまだ残っていれば。」

「シグナルライト。」

椎菜の言葉に、反応するようにブルボンも呟いた。

 

また寒風が吹いた。

枯草や枯葉と共に千切れた写真の破片が、寒風に煽られ足元を舞っていったことに、二人は気付く由もなかった。

 

「そういえば、ホッカイルソーもサイレンススズカと一時期チーム仲間でしたね。」

ブルボンが、ぽつりと言った。

「うん。ルソーはずっと療養生活を送っているから、そこまで多く接したことはないけどね。」

ただ、と椎菜は続けた。

「あの天皇賞・秋後、スズカが大怪我から生還を果たした時に、誰よりも一番喜んでいたのはルソーだったわ。」

「そうですか。」

確かにそうかもしれないと、ブルボンは思った。

シグナルライトの悲劇はブルボンも知っていたし、それによって負ったルソーの心の傷の大きさも想像出来た。

椎菜の言う通り、スズカの生還を誰よりも喜んだというのは本当かもしれない。

「だけどね。」

椎菜は、辛そうに溜息を吐いた。

“スズカの快復した姿を見て、素直に良かったと思えなくなってたんです”

十日程前、ルソーが口にした言葉が脳裏に蘇った。

 

「ホッカイルソーも、多くの辛い経験してきたんですね。」

「うん。」

オフサイドのようにその最期まで看取ることはなかったが、ルソーも二年半の闘病生活で数多の同胞との永別を経験した。

彼女と同室の仲間が次々と帰還してしまったこともあった。

「それでもずっと心が折れなかったのは、彼女の精神力もそうだけど、周囲の支えもあったからね。」

椎菜やオフサイドトラップは勿論、他の病症仲間、チーム仲間、そして…多分彼女の心に在る、シグナルライト。

今その殆どが失われかけているから、ルソーは追い詰められている。

 

「どうか、ホッカイルソーをお願いします。」

ブルボンは、心底から願うように言った。

「今、彼女を支えられる方は渡辺医師しかいません。」

 

「…。」

ブルボンの言葉に、椎菜は少し沈黙した後、疲労した表情にふっと微笑を浮かべた。

「どうかな。私もかなり心がきているからね。」

オフサイドへのバッシングそして決意、絶望が立ち込みはじめた〈死神〉闘病者達、ルソーの絶望…。

「ちょっと苦しいな。私にも支えが欲しいよ。」

彼女らしくない、弱気な言葉が出た。

 

椎菜の言葉を聞き、ブルボンも黙った。

しばし考え込むように両眼を瞑った後、意を決したように深呼吸し、静かに言った。

「実は、私もそしてマックイーン生徒会長も、深い悲しみと苦しみの中にいます。」

 

「え?」

「しかし、同胞達の危機を乗り越える為に、今はそれを堪えて行動しています。渡辺医師やホッカイルソーの苦境もよく分かります。ですがどうか、耐えて頂きたい。ウマ娘界の未来の為に。」

 

ブルボンもマックイーンも悲嘆に苦しんでる?

マックイーンはなんとなく察せられることがあるが、ブルボンまで?

 

椎菜は気になったが、ブルボンの無表情のうちに言い難い切羽詰まった覚悟を感じ、それは出来なかった。

 

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