1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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迫来時刻(4)

 

*****

 

一方。

ブルボンがスペ達の元へ向かった後、ライスは一人になった宿泊部屋のベッド上で横になったまま、手帳に書き物をしていた。

 

コンコン。

扉をノックする音がした。

「どうぞ。」

ライスは書き物をしていた手を止め、手帳を片付けながら答えた。

「入るわね。」

入室してきたのは三永美久だった。

 

「ライス、具合はどう?」

入室した美久は、ベッドの側に寄ってきた。

「少し良くないけど、問題はないわ。」

ライスが答えると、美久はそう、と微笑した。

「コーヒー淹れるわね。」

「ありがとう。」

 

ライスは、一昨日の体調不良がぶり返した為、午後からずっと休んでいた。

というのは表向きで、実際は彼女の脚の状態を憂慮したブルボンの命令の為だった。

ライスの脚部状態を知らない美久は、それを知る由もなかった。

 

「ブルボンさんは今どこに?」

淹れたコーヒーを一緒に飲みながら、美久が尋ねた。

「ブルボンさんは、所用に出ているわ。」

 

所用ねえ…

美久はその返答に少し考える仕草を見せた後、再び尋ねた。

「大丈夫なの?スズカに真実を伝える為の準備は。」

「え。」

ライスは、ビクッと反応して美久を見た。

美久はその眼を見返し、静かに言った。

「もう私も分かっているよ。あなたがここに来た目的を。」

 

一昨日、報道からの取材を受けた後のライスと会いに行った美久は、体調不良になっていた彼女から療養施設に連れていって欲しいとの頼みを受けた。

その理由は、スズカと会う為だということのみ聞いただけで、その詳細に関しては美久は知らなかった。

その後体調がある程度快復したライスと共に、昨晩ここに来た。

当初は、同じ大怪我を負った者として、スズカの見舞いに行くだけかと思っていた。

だけど、ライスのどこか悲壮な覚悟を決めたような様子をずっと見ているうちに、その程度ではないということが分かった。

そして昨晩ここに来た後、後を追うように来たブルボンの姿を見てそれは確信に変わった。

最も、水面下で起きている事態にはまだ気づいてなかったが。

 

そして今日、学園の断行のニュースを知り、美久はライスがここに来た理由が分かった。

スズカに一連の騒動を伝える為だと。

 

「一昨日、ブルボンさんと自宅で会っていたのも、そのことについての相談だったのね。多分マックイーン生徒会長とも話はついていたのでしょ?」

それにしては随分ギスギスしていた気もするけどと思い出しつつ、美久は言った。

 

「そうよ。」

内実は大分違ってたのだが、ライスは頷いた。

「私がここに来たのは、スズカに真実を伝える為だわ。」

 

その後、ライスは美久に、(当初その予定ではなかったものの)明朝にマックイーンや沖埜がここにきて、スズカに真実を伝えるということを話した。

 

「そう。」

それを聞いた美久は、ライスがここに来た理由、というか役目をすぐに察した。

「スズカと同じ立場になったことのあるあなたが、彼女を支える為に不可欠だということね。」

「その通りよ。」

ライスは、少し表情が暗くなっていた。

 

「別に、暗くならなくていいよ。」

ライスの表情を見て、美久はちょっと動揺した。

「ライスやブルボンさんが目的を私に隠していた理由は分かるから。私、立場的に部外者だし、無関係だし。」

『学園専属カメラマン』という立場の美久は、そう言った。

 

違うんだよ…

ライスは心中で呟いた。

本当の理由は、まだ言えない。

 

「美久、」

ライスは暗い表情を打ち消し、美久を見つめた。

「このことは、誰にも」

「言ってないよ。私の胸にしまってる。」

言われるより先に、美久は答えた。

この件がどれだけ重要なのかは、当然分かっていた。

「私には祈ることしか出来ないけど、どうかスズカの心を守ってあげて。」

「うん。」

 

 

その後、二人ともしばし無言で、コーヒーを飲んでいた。

 

美久…

親友である彼女の心境を、ライスは察していた。

美久は言い知れない不安をひしひしと感じているのだろうと。

昼間過ぎに食堂で、学園の断行のニュースを知った彼女は、自分でも分からないうちに泣いていたのだから。

何故泣きだしてしまったのか、彼女以上に彼女のことを知るライスには分かっていた。

 

「ブルボンさんも、かなり悲壮な様子だったね。」

つと、美久が呟いた。

昨晩から共にこの療養施設にいるブルボンは、普段の精密機械のような静けさはなく、かなり切迫詰まった様子を見せていた。

生徒会役員の職にある彼女は現在の状況でかなり重要な責務を負っているのかなと、美久は推察していた。

「スズカさんに真実を伝えるのは、それだけ重大なことだから。」

「分かるよ、それは。」

正直、スズカが真実を知った後のことをかなり憂いている美久は、重たく頷きながらコーヒーを飲んだ。

 

でもね、ブルボンさんが悲壮な様子なのは、スズカに関することだけじゃないんだ。

ライスはカップを手に抱えながら、胸の中で言った。

今、彼女がらしくなく積極的に行動してるのは、私の代わりとしてなの。

これ以上、私に脚を使わせない為に。

 

ライスは、自らの脚の状態については、美久にまだ打ち明けていなかった。

だから美久も、ライスの脚の状態のことについては知っていなかった。

 

帰還というものは辛いな。

間近に迫ったそれに対する覚悟はもう出来てしまっているものの、ライスは心底から重たい溜息を吐いた。

いくら自らがそれを受け入れることが出来たとしても、帰還によって起きる周囲の悲しみは、絶対に防げないのだから。

 

「どうしたの?」

ライスの溜息を見て、美久が心配そうに声をかけた。

「ううん、なんでもないよ。ちょっと、オフサイドトラップさんの事を考えていただけ。」

ライスは軽く首を振りつつ答えた。

「オフサイドのことを?」

「…。」

美久が尋ね返したが、ライスは無言で頷いただけでそれには答えなかったので、美久は首を傾げていた。

 

オフサイドの決意については、生徒会&オフサイドと特に近い関係者を除いて殆ど知られていなかった。

なので、美久もそれを知らなかった。

 

美久がオフサイドのそれを知る必要はない。

でも、私の脚のことは、もうその未来が遠くないのだから、知らせねばならないわ。

無二の親友の横顔を見つつ、ライスは胸の痛みと共にそう思った。

 

 

 

 

場は変わり、ホッカイルソーの病室。

 

あと3時間少々か…

21時をさそうとしている時計の針を見ながら、ベッド上に横たわっているルソーは思った。

未だ周囲になんの動きもなさそうな所をみると、まだスペはスズカに全てを話していないようね。

 

残念だけど、今日逃したら次はないよ、永遠に。

輝きを失ったルソーの両眼は、真っ暗な虚空に向けられていた。

どうやら、スズカに真実を伝えるのは、この私しかいないようね。

 

全てを知ったスズカがどれほど絶望するか、マックイーンもライスもその他諸々の関係者も皆分かっているだろう。

だから誰もが彼女に全てを伝えることを躊躇った。

それはスズカの身の為でもありまた、事実上スズカに“致命的な絶望を告げた者”になりたくなかったからだ。

その重い責任に耐えられる者はいないだろうから…

 

私だったら耐えられる。

ルソーは腕を虚空に伸ばした。

何故なら、私にはもう何もないから。

もう、心が折れた。

心の支えだったオフサイド先輩が帰還決意をした以上、もう〈死神〉に抗う気力もこの世界に対する希望も失くなった。

 

リート、ごめん。

3日前に帰還した同胞の姿が、ルソーの瞼に浮かんだ。

あなたが還った夜、私は“必ず〈死神〉に打ち克ってターフに戻る”と誓ったけど、それは果たせそうにないわ。

 

そして、シグナルライト。

最愛の亡き同胞の姿も、瞼に浮かんだ。

私も近いうち、この世界を去ると思うわ。

でも、私はあなたがいる世界にはいけそうにない。

だけど、どうかオフサイド先輩とサイレンススズカを宜しくね。

「あなたの笑顔で、二人の傷を癒してあげて。」

 

真っ暗な病室にたった一人、ぽつりと呟いたルソーの心は、もう壊れかけていた。

 

 

 

そして、時刻は23時を過ぎた。

 


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