電車は、高原の駅に着いた。
既に夜遅く辺り一面暗闇に満ちた中、電車を降り駅を出たゴールドは、寒風と小雪の舞う夜道を療養施設へ向かって歩き出した。
サイレンススズカ。
幼い頃から、かけがえのない友達だった。
いつも一緒に遊んで、駆け回って、笑いあった。
トレセン学園に入学して、共に『フォアマン』のメンバーになって以降も、切磋琢磨し合いながら親友関係を続けた。
デビューは自分の方が早かったけど、実績面ではあっという間に先を越された。
スズカがチームを離れると知った時は悲しかったし大喧嘩したけど、お互いの思いを理解しあって仲直りした後は、チームは違えどより親友としての絆は深くなった。
今年に入ってから、破竹の快進撃を続けるスズカに対し、私も負けじと奮戦した。
そして初めて対戦した宝塚記念では、2人で1、2着をもぎ取った。
勝てなかったのは悔しかったけど、大レースで共に闘える日が来るなんて夢みたいだったしそれが何より嬉しかった。
ウイニングライブも楽しかった。
そして、次に闘う舞台では絶対に負けないからって思った。
そしてその後、私が京都大賞典で惨敗した一方でスズカは毎日王冠を圧巻の内容で勝利した。
最強の後輩2人に影も踏ませなかったあの走り、本当に凄かったよ。
正直、完全に私とはレベルが違う段階に行ったなと思った。
でも、追いつけばいいとも思った。
本番の天皇賞・秋、私は絶対にスズカに勝つんだという強い思いで調整した。
天皇賞・秋の結果がどうであれ、私とスズカの友情の絆にはなんの影響もないと思ってたよ。
例えどちらかがぶっちぎりに負けても、或いはギリギリの勝負になったとしても、その他どんな結末になろうとその心配はしてなかった。
むしろもっと深い絆になるって思ってたんだ。
でも、まさかあんなことが起きるなんて予想してなかった。
スズカは故障し、私も負けた。
今思えば、あのレースであんなことが起きることを予想していたのは、勝者となったオフサイド先輩だけだったかもしれない。
レース後、スズカは一週間近く生死の境を彷徨った。
その間、私もスズカが還ってしまう危機にずっと怯えていたわ。
どうか助かって生き還ってと、四六時中慄えながらずっと祈ってた。
そして、あなたが生還したと伝えられた時は、泣いて喜んだよ。
本当に、本当に良かったって。
振り返れば、私とスズカが偽りない無二の親友だったのは、その時までだったのかな…
スズカが生還すると同時に始まった、天皇賞・秋の回顧。
理不尽な中傷とバッシングの嵐の中、それに晒されるチームと先輩をなんとか守ろうとしていた私は、スズカの快復の為にも尽力しようとした。
今振り返れば、そんなことするべきではなかったのかもしれない…
何故なら、もうその時から、私の心の奥底には苦しい感情があったから。
でも私は、絶望のどん底にいるスズカに何もしない選択なんて出来なかった。
親友だから、無二の親友だから。
奥底にあった感情を封じ込めて、スズカの快復の為に力を尽くした。
そして、スズカの心は少しずつ快復していった。
その一方で『フォアマン』は分解し、オフサイド先輩はボロボロになっていた。
あの頃が最後の機会だったな。
例え快復直後でリスクが大きくても、スズカに天皇賞・秋後のことを話すべきだった。
でも…怖かった。
だってそれを知ったら、スズカがまた絶望してしまう可能性が高かったから。
スズカ生還後から心が快復するまでの間は本当に辛かった、地獄だった。
もうあんなスズカは見たくないという恐怖が、騒動を話すことを躊躇わせた。
すぐに騒動を打ち明ける選択の代わり、私は有馬記念に望みを懸けた。
有馬記念で優勝して、チームも誇りも取り戻す。
そうすれば、オフサイド先輩の失われた心も取り戻せると信じたから。
先輩が心を取り戻してから、スズカに騒動のことを打ち明けた方が、スズカが受けるショックも少ないと思ったから。
そして、自分の心の奥底に蠢く感情も消せると思ったから。
私も、先輩よりスズカを優先してた。
いや、自分の心を優先してたんだ。
先輩の心がどれだけ壊れかけていたか、それを一番間近にいる同胞なのに気づけなかった。
その結果が…
“私は〈死神〉に負けたの”
「うっ…」
口元を抑えて嗚咽したゴールドの視界に、療養施設の建物が見えた。
「ふ…」
ゴールドはつと、寒風吹き荒ぶ路上で足を止めた。
「ふ、うう…はあ…はあ…」
涙を振り払い、胸を抑えながら、悲しみに満ちた想いを溢すような吐息をした。
そしてコートを靡かせ、施設へ向かって駆け出した。
それから数分後。
ゴールドの姿は、スズカの病室にあった。
*****
「“ごめんね”?」
真夜中に突然訪れたゴールドの姿とその第一声を聞き、ベッド上のスズカはどういう意味なのと聞き返した。
「…。」
ゴールドはそれには答えず、荒い呼吸を繰り返しながら扉の方に目を向けていた。
その外からは、医師やスペの声や足音、ドアノブを鳴らす音が聞こえた。
「一体どうしたの?」
突然のゴールドの出現にばかり気を取られていたスズカだが、乱暴な方法で二人きりの空間にした彼女の行動にも気付き、背筋にぞっと悪寒が走った。
「ねえ、どうしたの?答えてよゴールド!」
不安に高鳴る口調で、スズカは再び声を上げた。
「…スズカ、」
ゴールドは視線をスズカに戻すと、コートを羽織ったまま扉の側の壁にもたれた。
そしてスズカの不安な瞳を見つめ返しながら、蒼白な表情に悲嘆した微笑を浮かべつつ、ぞっとする程静かな口調で言った。
「もう限界なの。みんな…みんな一緒に壊れよう。」
「え…?」
「全て話すわ。スズカが知らない、天皇賞・秋後に起きた事全てを。」
私とスズカは、親友だから。
心の底からの、無二の親友だから。
“天皇賞・秋後のこと?”
“そうよ。あんたがこの療養施設で外界と遮断されてた間に起きたこと”
「まずいわ!」
閉ざされた扉の向こうから聞こえた室内の会話に、医師は青ざめるとすぐに携帯を取り出し、下にいるブルボンに緊急連絡をとった。
「特別病室です!緊急事態が起きました!」
「…。」
緊急連絡をとる医師の傍ら。
同じく室内の会話を耳にしたスペは、真っ青な表情で床にへたり込んでいた。