オフサイドトラップ回想録(3)
〈144話の回想録(2)より続く〉
年が明け、私は4年生になった。
依然として〈死神〉に侵された右脚部、更に不安併発した左脚部の状態は芳しくなく、療養施設での生活が続いていた。
出口の見えない辛い日々を送っていたものの、心の状態は保っていた。
辛いことだけでなく、嬉しいこともあったから。
2月、共に療養生活を送っていたサクラローレルが、遂に脚が完治し療養生活を終え学園に戻った。
一時は帰還寸前だった大怪我から再び這い上がって復帰に辿り着いた盟友に、私は心底から嬉しく思った。
また、故障による影響で昨秋は苦しんでいたナリタブライアンが、かつての走りを取り戻してきたという話も入ってきた。
他のメンバーも皆調子はかなり良く、昨年苦しんだ『フォアマン』は復活に向けて加速していた。
そして迎えた、3月9日。
ブライアンは1年ぶりの復活勝利を目指して、阪神大賞典に挑んだ。
待ち受けていたのは後輩の3年生ウマ娘マヤノトップガン。
昨年の菊花賞を制し、更に有馬ではブライアン以下を破って優勝、年度代表ウマ娘に輝いた現在最強のウマ娘だった。
遠地の為私は現地応援には行けず、施設の自室のTVで、その対決を見守った。
ここでトップガンに勝てば、ブライアンの復活は本物だろう。
でももし負けたら、有馬に続いて同じ相手に苦杯を舐めたら、もうブライアンの復活は厳しいかもしれない。
願いと恐怖が入り混じる中、私はTV越しにブライアンの勝利を必死に祈った。
レースは、壮絶な死闘になった。
超満員の観衆が見守る中、残り600mから始まったブライアンとトップガンによる2人のマッチレース。
直線を向いた後、共にバ体を併せたまま一歩も譲らない叩きあいになった時は、私も無我夢中に叫んでブライアンを応援した。
そして結果、ブライアンがハナ差でトップガンを振り切ってゴールした時、私は歓喜のあまり号泣した。
昨年の故障後にブライアンがどれだけ苦しんできたか、私は誰よりもそれを分かっていたから。
良かった!本当に良かったよブライアン!
久々の勝利の歓声を受けるブライアンの姿に、私は涙が止まらなかった。
そして、阪神大賞典の翌日。
ブライアン復活の感激が残る中、私は中山競バ場へと向かった。
この日、ローレルの復帰レースである中山記念が開催され、その応援をする為だ。
この中山記念、ローレルは故障明けもあり9番人気と、共に出走するチーム仲間のセキテイリュウオー先輩やフジヤマケンザン先輩と比べてもかなり人気は低かった。
私も、この復帰レースは勝ち負けより無事に完走してくれればいいと思ってた。
だけどレース前、私は控え室でローレルと時間を過ごしながら、その考えが甘かったことに気づいた。
表情には表さなかったけど、ローレルは今まで見たことがないくらい闘志が滾っていたから。
1年1ヶ月ぶりのレースであること、また昨日のブライアンの復活も彼女の心を刺激したのに間違いないが、それ以上に彼女の心を燃やしているものを感じた。
そして迎えた中山記念のレース。
目のあたりにしたそのレース内容に私は慄えた。
混戦状態のまま最後の直線に入った時、1番人気の皐月賞ウマ娘ジェニュインがバ群の内側から先頭に抜け出して、完全に彼女の勝ちパターンに入っていた。
だけど後方にいたローレルが、大外に持ち出すと残り200mから一気に加速し、先行勢もろともジェニュインをあっさり差し切って勝ってしまった。
それは、故障明けのウマ娘の走りなどでなく、完全に王者の走りだった。
レース後、強い内容で復活勝利を挙げたにも関わらず、ローレルは淡々としていた。
どうして?
昨日と同じく盟友の復活に喜びながらも、私はローレルの姿を不思議に思っていた。
その夜の祝勝会の後。
私はホテルの屋上で、復活を果たした盟友二人と話をした。
*****
(情景描写)
遠くに見える中山競バ場を眺めながら、オフサイドとローレルは柵の前に立っていた。
「ローレル、復活勝利おめでとう。」
「ありがとうございます。リュウオー先輩の引退レースに華を飾れて良かったです。」
「あら、意識してたの?」
「ええ。先輩には2年生時にかなりお世話になりましたから。最後一緒に走れて嬉しかったです。」
「嬉しかった、ねえ。」
松葉杖をついたオフサイドは、言葉と裏腹にあまり喜びを表していないローレルに首を傾げた。
「それにしては、随分と淡々としてるように見えるけど。」
「それは、この中山記念が私の目標ではありませんから。」
ローレルは、名族令嬢らしい気品のある微笑をみせた。
「あくまでも目標は、ブライアンさんとトップガンさんが待つ天皇賞・春を制することです。この中山記念は、その前哨戦に過ぎませんから。」
「凄い自信だな。」
ローレルの言葉の後、後ろから声がした。
現れたのはブライアンだった。
昨日阪神での激闘を制した彼女はこの日関東に戻りローレルのレースを観に来ていた。
「敵はトップガンだけだと思ってたが、もう一人化け物がいたようだな。」
ブライアンの覇王のような眼光がローレルに注がれていた。
ローレルは全く動じず、その眼光を温厚な眼光で見つめ返した。
「私だけではありませんよ。仲間のホッカイルソーやシグナルライトも、天皇賞・春では強敵になること間違いないでしょう。」
「そうだな。でもお前とトップガンは別格だ。いや、お前の方が怖いかもな。」
「私は、ブライアンさんのような震撼的豪脚もなければトップガンさんのように変幻自在な技術もないのにですか。」
「隠すな。今日のレース観た限りお前の末脚もパワーも相当だろ。トレーナーですら驚いてた位だ。いや、レースの強さ云々だけじゃない。」
ブライアンの視線が、ローレルの脚元に移った。
「絶望の底から這い上がってきたお前の精神力の強さが、1番怖い。」
「精神力…」
ブライアンの言葉に、ローレルはちょっと恥ずかしそうな笑顔を見せた。
「それを言いましたらブライアンさんこそ、故障だけでなく自らの走りを失いながらも復活してきた強靭な精神力のウマ娘ではありませんか。」
「お前は味わった絶望のレベルが違うだろ。…走るどころか、帰還寸前まで追い詰められたお前に比べれば。」
「ふふ。」
ブライアンの言葉に、ローレルは微笑を湛えたまま言った。
「もしや、私に気遅れしてるのですか?」
「まさか。レースで負ける気は全くない。」
ブライアンはハハッと豪気に笑い、再びローレルを見つめた。
「春の盾は私が獲る。真の復活を遂げた傍らで、お前には大レースでの敗北という挫折を味わって貰うさ、サクラローレル。」
「流石ですね。私も同じ思いです。」
ローレルも温厚に微笑しながら、眼光に闘志を宿らせた。
「これからは私の時代です。今度の天皇賞・春では、過去の最強ウマ娘であるナリタブライアンさんに引導をお渡ししましょう。」
同期のチーム仲間でかつ盟友でもある二人は、一ヵ月後に迫る大舞台で互いを倒すべく、早くも闘志に滾り出していた。
*****
二人の会話を、私はただ黙って見ているしか出来なかった。
年度代表ウマ娘を下し最強への復活を誓うブライアン、皐月賞ウマ娘を一蹴し王座奪還を決意するローレル。
この二人に比べて私は。
脚を引きずり松葉杖をついた自らの姿を省みて、ただ俯くしか出来なかった。
この屋上での会話後、ブライアンとローレルは口をきかなくなった。
無論仲違いではなく、互いの天皇賞・春への闘志の表れだった。
二人の闘志がチーム内にも浸透し、『フォアマン』は緊張感に包まれ始めた。
そして4月21日、京都競バ場。
いつにない緊張感の中で、天皇賞・春の当日を迎えた。
1番人気ブライアン、2番人気トップガン、この二人から離れた3番人気にローレル、4番人気にホッカイルソーと、『フォアマン』メンバーが上位人気にひしめいた。
ブライアンもローレルもルソーも、そして見守る『フォアマン』仲間達も、尋常じゃない闘志で溢れていた。
単に個の栄光・名誉だけでなく、チームの完全復活と悲劇の払拭もかかっていたから。
1か月前の阪神大賞典・中山記念の翌週、ルソーが制した日経賞で、チーム仲間のシグナルライトがレース中に悪夢の故障に遭い、この世を去った。
その悲しみも、チーム内に深く残されていた。
シグナルの為にも、『フォアマン』は絶対に負ける訳にはいかなかった。
私も怪我の身体をおして京都競バ場に赴き、トレーナー・チーム仲間と共に盟友達が闘う春天を見守った。
迎えた、天皇賞・春のスタート。
前の二人が大逃げを打つ展開の中、ややかかり気味のトップガンをマークする形でブライアン、その後ろにローレル、更に後ろでルソーという展開でレースは進んだ。
そのままレースは淡々と進み、やがて残り800mを過ぎた頃、トップガンが先頭へ進出を始めた。
彼女をマークしていたブライアンもそれに続くように進出を始めた。
後方のローレルとルソーも、残り600mを切る頃に進出を開始した。
そして第4コーナーを過ぎて直線を迎えた時、ブライアンとトップガンは阪神大賞典と同じようにバ体を併せたままスパートをかけ、一気に先頭に躍り出た。
熱狂と大歓声の中、ブライアンは外からトップガンをかわしにかかり、トップガンも必死に差し返して抵抗した。
だがかかり気味だった分、トップガンが先に力尽きた。
残り200mを迎えた時、ブライアンは単独先頭に躍り出た。
遂に3冠ウマ娘の完全復活か。
地響きする程の大観衆の歓声が場内を覆った。
でも、それもほんの一瞬だった。
ブライアンに続いてトップガンを交わした後続のウマ娘が、瞬く間に彼女との距離を詰めてきたから。
それはローレルだった。
更に後方から猛追してきたルソーも、内から一気にブライアンに迫っていた。
残り100m『フォアマン』3人が先頭勢になった。
だけど、ローレル一人だけ脚色が違った。
ブライアン復活を望む観衆からは悲鳴も聞こえる中、ローレルはブライアンにバ体を併せることも並ぶこともなく、無情に差し切った。
結果、ローレルが2バ身半差で優勝し、満開の桜を咲かせた。
更に2着にブライアン、3着に1バ身半差でルソーが入り、『フォアマン』が上位を独占した。
本当に優勝した…
大歓声の中、私は目の前の光景が信じられなかった。
相次ぐ故障、更には重度の骨折で一時は全てを諦めきっていたあのローレルが、遂に頂点に立った…
無意識のうちに、私は涙を流していた。
レース後、私達『フォアマン』メンバーはチーム控え室で、闘い終えた三人を出迎えた。
優勝したローレルは、泣きながら出迎えた私の姿を見て、真っ先に駆け寄ってきた。
*****
(情景描写)
「オフサイドさん!」
駆け寄ってきたローレルは、オフサイドに思いっきり抱きついた。
「私、やりました!遂に頂点に立てました!」
「おめでとう、ローレル。」
松葉杖を手離し、オフサイドはローレルを抱きしめ返した。
「オフサイドさんのおかげです。一年前、重い怪我を負ってもう走ることを諦めていた私をオフサイドさんが懸命に引き留めてくれなかったら、こんな日は絶対に来なかった。」
「何言ってるのよ。諦めなかったのはあなた自身の心の強さだわ。本当に凄いウマ娘よ、あなたは。」
「参った。」
抱きあって喜ぶ二人のもとに、敗れたブライアンが歩み寄った。
「今日は私の完敗だ。おめでとうローレル。」
「ブライアンさん。」
ローレルはオフサイドに抱きついたままブライアンを見た。
復活優勝はならなかったものの、ブライアンの表情は清々しかった。
「よくあの大怪我を乗り越えて頂点に立ったな。私も故障を乗り越えた自負があったが、お前には及ばなかった。」
ふーっと虚空を見ながら息を吐き、そして続けた。
「でも、まだ白旗はあげないさ。今度は私が挑む番だ。もう一度頂点を手にして見せる。」
「はい。」
ブライアンの言葉に、ローレルは力強く頷いた。
「また、この大舞台で闘いましょう。」
その後、『フォアマン』は祝勝会を開いた。
昨年の相次いだ苦境、またシグナルの悲劇を乗り越えた末の王座奪還に、皆の表情は一様に明るかった。
*****
天皇賞・春後も、私は相変わらずの療養生活を余儀なくされた。
でも、以前より希望は大きくなっていた。
帰還寸前の重傷から奇跡としか言いようのない復活を遂げて栄光を手にしたローレル。
走りを失いながら復活寸前まで立ち直ったブライアン。
苦境の中で奮闘を続ける二人の姿を見て、私も心が奮い立たない訳がなかった。
レースから最も遠い場所で〈死神〉との闘いを繰り広げながら私の意識に強く存在したのはこの盟友の姿と、誓った約束。
『大レースの舞台で一緒に闘おう』
その約束を果たす為にも、私は絶対に諦める訳にはいかなかった。
諦めなければ、それは叶うと信じた。
だって、私より大きな絶望にあったローレルが、復活して頂点を掴み取ったのだから…
諦めないのは、二人との約束の為だけじゃない。
春天からしばらく経った後、後輩のルソーが〈死神〉に罹った。
日経賞で親友以上の仲にあったシグナルを喪い、深い傷心状態にありながら彼女は春天で3着に奮戦した。
夏以降に向けて更なる活躍が期待されたが、悪夢の故障に遭ってしまった。
悲嘆に暮れる後輩を支える為にも、私は闘う姿を見せなければならなかった。
闘う姿、生きる姿を。
私やルソーが闘病を続ける中、チーム内でも動きがあった。
リーダーのケンザン先輩は6月に金鯱賞を制し史上最年長タイの重賞制覇という新たな記録を打ち立て、その後の宝塚記念を最後に引退することを表明した。
後輩では、2年生のフサイチコンコルドがデビュー3戦目でダービーに挑戦し、強豪の同期を差し切って優勝するという歴史的偉業をやってのけた。
コンコルドと同じ2年生のロイヤルタッチも、皐月賞・ダービーと上位に食い込む活躍を見せた。
また新たなチーム仲間として、1年生のサイレンススズカとステイゴールドが加入した。
そして、同期の二人。
春天を制したローレルは、脚の状態への配慮から秋まで休養することになった。
一方のブライアンは次戦に宝塚記念を予定していたが、トレーナーと相談の末にスプリントG1の高松宮記念に挑んだ。
このローテには誰もが驚愕し、世間でも賛否両論が巻き起こった。
私も驚いたが、ブライアンやトレーナーには確たる目的や考えがあったので反対はしなかった。
結果、流石のブライアンでも短距離のスペシャリストには叶わず4着に敗れた。
それでも目的への手応えはあったようで、ブライアンは予定通り次戦の宝塚記念へ目標を定めた。
ところが…
宝塚記念直前、信じられない悲報が舞い込んだ。
『ナリタブライアン〈クッケン炎〉発症』
〈続く〉
次話投稿は7月20日の予定です