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幼い頃から、走ることが大好きだった。
走って走って、変わりゆく風の香りと景色を観るのが楽しみだった。
夢は、誰よりも速く駆け抜けるウマ娘になること。
そして私だけの香りと景色を、レースで見つけることだった。
夢のトレセン学園の門をくぐった私は、親友のステイゴールドと共に、チーム『フォアマン』に入った。
憧れの3冠ウマ娘のナリタブライアン先輩、春の盾を獲ったサクラローレル先輩、海外のレースを制したフジヤマケンザン先輩がいるチームに。
どんな日々が送れるのか、すごくワクワクした。
デビュー戦は、2年生になってからと決まった。
それまでの間、私はチーム仲間とのトレーニングに没頭した。
トレーニングが辛いと思うことは全くなかった。
憧れの先輩達とそれを共に出来ることが幸せだったし、日々が経つにつれて自分がどんどん成長していくことにも気づいてたから。
偉大な先輩の何人かは私がデビューする前に引退してしまったけど、少しの時間でも共に出来たことは幸せだった。
デビュー目前になると、私はトレーニングに一層精力をあげた。
勝ちたいという思いより、最高に気持ちいい走りをしたいという思いが強かった。
その結果、トレーニングでは好時計をどんどん出すことが出来てきて、デビュー戦に向けて大きな手応えを感じた。
そして迎えたデビュー戦。
私はスタートから気持ちよく先頭に立つと、そのまま気分良くターフを駆け抜け、後続に大きな差をつけて1着でゴールした。
勝った嬉しさよりも、先頭で駆け抜けたその気持ち良さが凄く感動的だった。
これが、私の目指す走りだ。
感動に浸りながら、私はそう思った
でもその後、私は壁にぶつかった。
デビュー戦の勝利で、私は周囲から大きな注目を集めることになってしまったからだ。
日々のトレーニングでも、私を観察する人がどんどん多くなった。
これまでなかった緊張というものも感じるようになっていた。
期待に応えて勝たないと…
そんな重圧が自分の中で募っていき、走ることがだんだん楽しいだけじゃなくなっていった。
迎えた2戦目は、皐月賞トライアルの弥生賞だった。
同期の強豪が集まる重賞レース、そしてファンの注目も桁違いに大きくなった舞台で、私はデビュー戦と違い身体が震える程の緊張に襲われた。
そしてスタート直前、私は緊張に耐えきれず、思わずゲートを潜り抜けてしまった。
不様な失態をおかした私は、その後仕切り直しとなったスタートでも失敗し大きく出遅れ、殆ど力を出せないまま8着と惨敗した。
皐月賞への夢は潰え、私は初めての敗北という苦い味を噛み締めた。
その後、弥生賞で浮き彫りになった精神的弱さも克服する為、トレーニングには一層熱が入った。
そして、目標をダービーに切り替えて挑んだレースでまた気持ちいい走りが出来て勝利、次戦も同期の有望株達を相手に苦しみながらも勝ち、ダービーへの切符を獲った。
だけどダービーを前にして、作戦という難関が待っていた。
私はダービーでも、いつものようにスタートから気持ちよく走って先頭でレースを進めるつもりでいた。
だけど、トレーナーは同じ意見じゃなかった。
何故なら皐月賞を制したサニーブライアンが、このダービーを逃げでいくことを宣言してたから。
サニーは絶対に退かない。
もし私が逃げに出たらお互い譲らない展開になって共倒れになる可能性が高かった。
何度も相談を重ねた末、先頭はサニーに譲って2番手以下に我慢してレースを進めようという作戦になった。
そしてダービー本番。
宣言通りサニーは逃げに出て、私は2、3番手でレースを進めた。
いつもと違い神経の使うレース展開の中、私はなんとか我慢しながら走った。
でも、うまくいかなかった。
チグハグした感覚の中で、私はレース終盤までにかなり労力を使ってしまっていた。
結果、直線に入るとどんどん失速して9着に惨敗。
勝ったのは、宣言通り逃げに出てそのまま最後まで逃げ切ったサニーだった。
こんな筈じゃない…
ダービー後から、私は自分の走りについて悩み始めていた。
気持ちよく走ることが楽しみでレースに出ていたのに、いつのまにか勝つことにこだわった走りになりつつあることに気づいたから。
ダービー後、私は走る意味についてチーム仲間と深く相談することが多くなっていった。
勝利にこだわることで走る楽しみが薄れていくことに危機感を覚えていたから。
いや、本当のことを言えば、自分とチームの相性が合わないのではと感じ始めていた。
『フォアマン』のチーム信条は“不屈”“体現”、そして“勝利”。
この高尚な信条が、私には合わない気がしたのだ。
勝つことにこだわってない訳じゃない。
むしろ人一倍負けず嫌いだという自負もあった。
でも、勝つことより、自分が走りたいように走ることの方が大切だと思った。
それに、そうじゃなきゃ勝てないとも感じていた。
そうした迷いがある状態で中で迎えた、秋緒戦の神戸新聞杯。
1番人気に推された私は、スタートからいい走りで先頭に立つと、そのまま余裕をもって後続を離しレースを進めて最終直線を迎えた。
勝利を確信し、このままゴールまで気持ちよく突っ走しろうと思った。
だけどその時、突っ走るだけでなく抑えて勝つことを覚えるよう指導されたことも思い出し、躊躇いが生じた。
その瞬間、私は重大な隙を生んでしまい失速。
後方からきたマチカネフクキタルにゴール前で差され2着に敗れた。
このレース後、私は大きな決断をした。
それは、チームを離脱すること。
岡田正貴トレーナーのことは尊敬していた。
チームの仲間も先輩達も大好きだった。
チーム信条にも強く惹かれていたし、受けた指導も本当にレベルの高い恵まれたものだった。
だけど、自分が求めるものとそれは異なっていた。
そう悟ったから。
私の意志を、トレーナーは受け入れてくれた。
正直、反対や叱責を受けると覚悟していたけど、トレーナーは私の意志を尊重してくれた。
チーム仲間も受け入れてくれた。
ただゴールドからは猛反対を受け、大喧嘩の末あわや絶交しかけた。
最終的にはチームの先輩方の仲介もあり、ゴールドも私の決断を受け入れてくれた。
2年生の10月、私は『フォアマン』を去った。
『フォアマン』離脱後、私はいくつかのチームを仮加入しながら渡り歩いた。
でも、自分の理想を求められるチームは中々見つけられなかった。
また、その最中にも天皇賞・秋やマイルCSといった大レースに挑んだけど、精神的な未熟さもあって自分の走りは出来ず惨敗を繰り返した。
新たな居場所を見つけられないまま、年末を迎えた頃。
私をチームに誘ってくれたトレーナーがいた。
『スピカ』の沖埜豊トレーナーだった。
沖埜トレーナーの誘いを受け、私は『スピカ』に加入した。
そして加入後緒戦となった、香港での重賞レース。
初の海外遠征、かつ格上の相手ばかりで緊張していた私は、沖埜トレーナーから勝敗に拘らず思いっきり走るよう指示を受けた。
その言葉で緊張が解れた私は、スタートから先頭に立って、何も考えず思いっきり走った。
結果はゴール前で後続に捕まり5着に負けたけど、トレーナーさんからは良い内容だったと褒められた。
私も内容に手応えを感じてたから嬉しかった。
見失いかけてたものを、再び見つけられた気がした。
年が明けて3年生。
新年の緒戦はOP戦だった。
圧倒的な人気を受けた私は、トレーナーさんの指示通り思いっきり走って圧勝した。
続くレースは、重賞の中山記念。
強豪の先輩達が集う重賞レースで、私は初めて1番人気に推された。
少し苦手な右回りのレースだったからか、ちょっとギクシャクしたレース運びになってしまったものの、私はなんとか逃げ切って重賞初勝利を挙げた。
課題も見つかったレースだったけど、重賞勝利はやはり嬉しかった。
トレーナーさんも、チーム仲間のエアグルーヴ先輩やスペシャルウィークさんも祝福してくれた。
皆の期待にもっと応えられるよう頑張らなければと思った。
重賞を制した私の次のレースは、再び重賞の小倉大賞典。
得意の左回りだったこのレースで、私はまた圧倒的な1番人気を背負った。
結果は、初めてレコードタイムを出して勝つことができた。
内容も、前半はハイペースで後半もバテることなく良タイムでまとめられて、それで全く苦しさを感じないレースだった。
このレースで、私はまた新たな手応えを掴んだ。
ただ最初から気持ちよく全力で走るだけでなく、途中で落ち着くことが出来る手応えを。
そして、その手応えを掴んだまま迎えた金鯱賞。
相手は昨年敗れた相手である菊花賞ウマ娘フクキタルや重賞連勝中のミッドナイトベット、他にも重賞ウマ娘や安定感のある強豪が揃っていて、私は1番人気だったけど前2戦ほどの支持は受けなかった。
その中で、私はこれまでにない最高の走りをすることが出来た。
前半1000mを58秒1、後半1000mを59秒7でまとめ、後続に10バ身以上の差をつけてのレコード勝ち。
ハイペースでとばしながら途中で一旦ペースを落ち着かせ、後半再び加速するというレース運びをすることが出来た。
前走と同じく、最初から最後まで全く苦しくない最高に気持ち良い走りだった。
ゴール前では、観衆の皆さんから大きな暖かい拍手が送られた。
トレーナーさんもチーム仲間の皆さんも絶賛してくれる中、私はこれが自分が求めていた走りだと確信した。
ただの速いスピードだけでない、自在性も身につけた苦のない走り。
金鯱賞のあと、私は大レースの宝塚記念に挑んだ。
これまでの3度の大舞台ではいずれも自分の走りが分からないまま惨敗してたけど、今回はいけるという自信があった。
2200mというこれまでより長い距離と、やや苦手な右回り。
そしてメジロブライトやシルクジャスティス・メジロドーベルといった同期のG1ウマ娘、チーム仲間で昨年の年度代表ウマ娘エアグルーヴ先輩、春天で2着の盟友ステイゴールドといった最強レベルの猛者が相手にいた。
でも、私には緊張も臆しもなかった。
ファンの皆さんがG1で無実績の私を1番人気に後押ししてくれたし、トレーナーさんも絶対の自信をもって送り出してくれたから。
そして、私は勝った。
スタートから先頭にたつと、いつものように気持ちよく大逃げ。
苦手な右回りだったから途中から少し慎重になった分後続にかなり迫られたけど先頭は譲らず、最後は猛追するゴールド以下を4分の3バ身差で振り切りゴールした。
遂にG1ウマ娘になった!
夢が叶ったことに、私は歓喜した。
宝塚記念を制した後、私は更なる飛躍を求めた。
それは海外挑戦という夢。
その為には、更なる実績と内容を積み上げる必要がある。
私は、次の目標を天皇賞・秋に絞った。
そしてその天皇賞・秋への前哨戦である毎日王冠。
そこには、最強の後輩が待ち受けていた。
共に海外出身の2年生で無敗のG1ウマ娘、エルコンドルパサーとグラスワンダーだった。
二人とも規定の為天皇賞・秋に出れない状況にあり、私と闘う為に毎日王冠への参戦を決めた。
“稀代のスピード覇者vs最強の怪物”。
レース前から、そんな声と期待が多く聞かれた。
でも私は、最強の相手を特に意識してはいなかった。
はっきり言えば、その必要が感じられなかったから。
相手の出方なんて考えたらダービーの二の舞だ。
敵は己自身だけ。
如何にして万全の状態でレースに挑んで、最高のパフォーマンスを見せられるか。
そのことだけを考え、集中していた。
そして迎えた毎日王冠本番。
前哨戦と思えない超満員の大観衆の前で、私は無心で気持ちよく走った。
スタートから後続との差があまり離れてないことも全く気にせず、途中でペースを落ち着かせたタイミングでグラスが一気に並びかけてきたことにも動じず、直線で猛然とエルが追い縋ってくる姿に振り返りもせず、最初から最後まで先頭で走りきった。
勝った嬉しさより、最高のパフォーマンスが出来たことが嬉しかった。
そして、大観衆の歓声やチーム仲間達の祝福を受けて思った。
もっと更に高いパフォーマンスを見せたいと。
毎日王冠後、天皇賞・秋への調整も順調に進められた。
以前より間隔が詰まったローテも、疲労がなかったので全く気にならなかった。
むしろ絶好調を継続出来て良かったとすら思った。
そんな私に、ファンの皆さんや仲間達は更なるパフォーマンスを期待してくれた。
私も絶対にその期待に応えようと思った。
私が目指す、誰よりも速く気持ちよく駆け抜けるウマ娘。
それはきっと、観ている人達が幸せになれるものだと信じたから。
1年ぶりとなる天皇賞・秋を迎えた当日。
体調は毎日王冠の時以上に良かった。
これまで以上の最高のパフォーマンスが見せられるという手応えもあった。
相手に宝塚と同じくブライトやジャスティス、ゴールドという同期の強敵がいることも、同じハイペース逃げウマ娘のサイレントハンターがいることも、尊敬するオフサイドトラップ先輩が参戦したことも、全く気にならない程私は集中していた。
そしてレース直前。
本バ場に入場した際に観えた光景は、1年前とはまるで違う景色だった。
1年前にまだ2年生の身でこの天皇賞・秋に挑んだ私に注がれていた大観衆の視線と声援は、どこまで出来るのかという期待と、どんな走りをするのかという好奇のものが殆どだった。
そして私も、初めての格上の先輩達と闘う大舞台に緊張しきっていた。
入場からゲートに入るまで何をしていたのかを私は全く覚えていない。
そしてレースも、緊張の中で頭真っ白になって、暴走気味な走りをしてしまった。
でも、あれから1年経った今日は違った。
場内の景色もはっきりと見える。
注がれる大観衆の視線と声援が、見果てぬ夢を私に期待してくれているのも感じる。
そして何より私自身が、何の緊張もなく清々しいくらいに落ち着いていることを深く感じていた。
昨年は緊張のあまりただ無我夢中で駆けていったゲートまでの道のりを、私は大観衆の前の内ラチに沿ってゆっくり歩を進めた。
最高の走りをお見せします…
胸中で、私は観ている人々全てに誓った。
私だけが見せられる、最高の理想といえる景色を体現することを。
その景色が、ここにいる大観衆、そしてこのレースを観ている幾千万の人々の夢を叶える景色にもなるのだから。
誓った後、私は静かに、ゲートへ向かってゆっくりと駆け出した。
駆け出すと同時に、場内から湧き起こった大歓声が私の身を優しく覆い包んでくれた。
最高の走りを、全ての願いが叶う夢のような時間を、私は手に入れられた筈だった。
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フランス。
年末の冬風が吹き荒れる中、松葉杖をついて屋敷の庭に立っていたサクラローレルは、栃栗毛の美髪を靡かせながら大空を仰ぎ、遙か遠くの祖国の方角を見つめていた。
『今、あなたがどれだけ無念な思いでいるか、そしてどれだけ絶望しているか、想像するだけでも胸を引き裂かれそうです。
でも、どうか立ち直って欲しい。
あなたの不屈の競走生活は、数多の人々と同胞に大きな力を与えました。
何よりこの私が、生きる希望とレースへの夢を、あなたから貰いました。
私は待っています、あなたが帰ってくる日を。
愛する親友サクラローレルへ オフサイドトラップ』
「待っていて下さい、必ず帰りますから。」
ローレルは、昨年に届いた愛する同胞からの手紙を胸に抱き締めて、祖国の空へ向かって誓うように呟いた。
オフサイドトラップ、あなたを救う為に必ず…
しばらくの間、毎日23時に投稿続ける予定です。