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時間は経ち、8時前。
療養施設にいる療養ウマ娘達は次々と起床し、大半が食堂で朝食をとっていた。
食堂の片隅では、怪我療養ウマ娘の面々が集まって朝食をとっていた。
皆、顔色が冴えない。
理由は、昨晩遅くに施設内で不穏なことが起きたのを誰もが知っいてたから。
「何があったんだろうね。」
「さあ…」
不穏なことといっても、彼女達は物音でしかそれを把握してなかったので詳細までは知らない。
だが、
「ライス先輩とブルボン先輩の大きな声や駆け足が聴こえたわ。」
「“特別病室”、“緊急事態”そんな台詞だったね。絶対、良くないことだよね。」
スズカの身に何かが起こったということだけは、誰もが薄々察知していた。
「おはよう。」
暗い顔を並べている彼女達に、数人のウマ娘が声をかけた。
〈クッケン炎〉療養ウマ娘達だった。
彼女達も、かなり表情が暗かった。
「元気ないね、大丈夫?」
「あんた達の方こそ、顔色良くないよ。」
「…。」
〈クッケン炎〉のウマ娘達は、何も答えずに去っていった。
〈クッケン炎〉ウマ娘達が去った後、怪我ウマ娘達は顔を見合わせた。
「〈クッケン炎〉の同胞も、大分きているみたいだね。」
「そりゃそうでしょ。今回の断行でオフサイドトラップ先輩がどうなるか気が気じゃないだろうし、それに…」
彼女達のリーダー的存在であるホッカイルソーが、昨日から様子がおかしかった。
「スズカに関係あるかは分からないけど、あっちの方も事態が動いてるようね。」
「こっち程じゃないけどね。」
「比べるものじゃないわ。」
1番年長格のウマ娘が重い口調で言った。
「状況は異なるとはいえ、同じウマ娘の危機であることは間違いないわ。みんな無事を祈ってるだろうけど、もしもの覚悟はしておこう。」
重い雰囲気の療養ウマ娘達。
そんな彼女達から少し離れた場所で、一人黙々と朝食をとってる人間がいた。
三永美久だった。
敏感ね、皆。
朝食を食べている美久は、周囲の療養ウマ娘達の何かを察している雰囲気を感じそう思った。
昨晩未明に特別病室で起きたことを、美久は既に周知していた。
真夜中、胸騒ぎがおさまらず就寝出来なかった彼女は、ライスのいる部屋にいった。
だが部屋にはライスもブルボンもいなかった。
美久はすぐに特別病室に行ったと察知し、そこに向かった。
そしてあの現場に着き、既に終わった後だったが、それを目の当たりにした。
何が起きたかについては、ライスから全て聞いた。
「ん…」
美久は食事の手を止め、やや顔を歪めながら胸に手を当てた。
昨日から起きた謎の胸中の悲しみは、昨晩の件以降更に大きくなっていた。
なんなんだろ、これ。
まるで身の底から湧き上がるような、深い深い悲しみ…。
私、もうウマ娘の幸せな姿を見れないのかな。
そんな不安すら感じる程の、重い悲しみだった。
重い胸中を抱えながら食事を終えると、美久はカメラを持って施設の外に出た。
施設の外は、やや荒れていた昨日とはうって変わり、澄み切った冬晴れの空が高原上空一面に広がっていた。
だけど、いつもなら心の中も浄化されそうな程の良い天気なのに、どこか言いしれない寂しさも感じた。
“綺麗ですね”
早朝時、マックイーンと交わした言葉と彼女の悲しげな表情が思い起こされた。
「…。」
美久はカメラを構え、大空と高原の風景を何枚か撮った。
ウマ娘にとって最も夢から遠い地であるこの場所は、あまりにも美しすぎるな。
撮影を重ねながら、そんな思いが美久の胸中をよぎっていた。
「美久。」
一人写真撮影をしながら歩いていると、後ろから呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、紺の上着を羽織ったライスシャワーが、杖をつきながら歩み寄ってくるのが見えた。
「ライス。」
「写真、撮ってたの?」
「うん。」
傍らに来たライスの言葉に頷きながら、美久はシャッターを切り続けた。
やがてカメラを下ろすと、美久はライスに尋ねた。
「スズカの容態は、どう?」
「まだ目覚めないわ。今も手当てが続いてる。」
「そう。ステイゴールドは?」
「彼女もまだ意識を失ってる。椎菜先生やルソーさんが看護しているわ。」
「ルソーは大丈夫なの?」
「そこまでは分からない。」
ライスは右眼にかかった前髪を指先で触れた。
彼女の表情にも、かなりの憔悴が見てとれた。
「…。」
美久は無言でそっと、ライスの肩に手を当てた。
ライスの心境の動揺の大きさも分かっていたから。
「ライス。あなたは、この状況でどうするつもりなの?」
「私は、」
肩を抱き寄せながらの美久の尋ねに、ライスは少し考えた後答えた。
「ここに留まるわ。まだ私の役目が消えた訳じゃない。」
むしろ、状況が急変したことで更に役目は重くなったと、ライスは感じていた。
「私は、沖埜トレーナーやスペさんと共にスズカを守るわ。それが…私の使命なのだから。」
憔悴した表情の中でも、瞳だけは蒼く光っていた。
「…でも、」
つと、ライスは肩を抱いてる美久の手のひらに触れつつ、彼女の眼を見つめた。
「その前に、私はあなたに伝えなきゃいけないことがあるの。」
「…?」
その言葉と、ライスの蒼い瞳が悲しげな色に染まっているのを見、美久は不安な表情をした。
「なに、伝えなきゃいけないことって?」
「座ろう。」
聞き返した美久にライスはそう促すと、杖を置いてゆっくり芝生の上に腰を下ろした。
…。
美久も不安な表情のまま、傍らに腰を下ろした。
二人の周囲には誰もいなかった。
「実はね…私、あなたに隠していたことがあるの。」
一面、冬の朝の澄み切った空気に満ちた中、膝を組んだライスは高原の風景に目をやりながら口を開いた。
「隠してたこと?」
「うん。といっても、これを知っているのはほんの僅かな者だけなんだけどね。」
ライスはちょっと微笑した。
朝陽に照らされたその微笑は儚げに映っていた。
「実は私、もうあと少ししか生きられないの。」
「…え?…ごめん、もう一回言ってくれる?」
美久は聞き間違いだと思い、戸惑いながら聞き返した。
ライスは一度深呼吸し、朝陽を見上げたまま再び言った。
「私、もう余命僅かなの。」
「…なんで?」
「3年のあの宝塚記念で大怪我した脚が、もう限界みたいなんだ。」
愕然とした美久に、ライスは左脚をさすりながら続けた。
「最近痛みが酷くなっててね。身体にもかなり影響が出始めたんだ。それで先日、脚の状態をお医者さんに診てもらったの。そしたら、もうあと一月余りで脚は限界だと告げられたわ。治療の術もないって。」
「そんな…嘘でしょ?」
「嘘じゃないのよ。マックイーンさんやブルボンさんも既に知ってるわ。」
とても信じられない様子の美久に、ライスは努めて冷静な口調で伝えた。
「新しい年を迎えられるかも微妙だと思う。多分ここが、私の最後の場所になると思うわ。」
「嫌…嫌だよそんなの!…嘘よ!」
美久はカメラを落とし、声を震わせて泣き出した。
人間の美久とウマ娘のライスが出会ったのは、ライスがまだ現役だった時代。
美久は当時からトレセン学園専属カメラマンで、彼女と接する機会が多かった。
その後ライスが怪我で引退し、長い療養生活を終え喫茶店『祝福』の経営を始めた頃から、二人の付き合いは深くなった。
以来、深い親友としてその関係はずっと続いていた。
「ごめんなさい、美久。」
泣き出した美久を見て、ライスは流石に少し声が暗くなった。
マックイーンさんもブルボンさんもそうだった。
幾ら自分がその事実を受け入れることが出来てても、周囲の悲しみだけは防げない。
本当に、帰還というものは辛いな…
胸に悲しみと痛みを感じながら、ライスは泣いている美久の肩を抱き寄せた。
何も言わず、ただ抱き寄せていた。