1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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蘇生(1)

 

*****

 

場は変わり、施設内のスペシャルウィークの宿泊室。

 

スペはベッドの上で一人ぽつんと座っていた。

 

スズカさん…

ベッド上のスペは、普段の彼女の面影のない、魂が抜けたような虚ろな表情だった。

彼女も昨日から一睡もしていなかった。

身体を休められる訳がない。

昨晩の出来事は、彼女にも甚大なショックを与えていたから。

 

特別病室での、ゴールドの凄まじい言葉の数々と、それをまともに受けて倒れたスズカ。

起きた事があまりにも衝撃過ぎて、まだ現実と受け入れきれてなかった。

でも、現実なんだ。

悪夢の中を彷徨っているような感覚の中、スペはそれを自覚せざるを得なかった。

ゴールドさんの暴露で真実を知ったスズカさんは、とてもない大きなショックを受けた。

あの時、何度も悲痛な叫び声を挙げていたスズカを思い出し、スペは苦しみのあまり胸を掴み締めた。

 

そして、スズカさんは倒れた。

ルソー先輩が言った通り、これ以上ないくらいの絶望と共に。

「…う…う…」

意識を失ったスズカの生気が喪われた表情を思い返し、眼から涙が溢れた。

 

私、どうすればいいのだろう。

涙を拭いながら、スペは虚ろな表情のうちで苦悩していた。

スズカが意識を取り戻せるか。

今はそれが一番の懸念だが、意識を取り戻した後の事も更に懸念せざるを得なかった。

間違いなく、スズカは全て真実を知ろうとする。

そしてゴールドが言ったことがその通りだったとわかるだろう。

 

そしてこのまま、オフサイドが帰還するようなことになれば。

『スズカは生きてはいないわ』

「嫌だ…嫌です…」

ルソーの冷酷な言葉が蘇り、スペは頭を抑えた。

 

それに、何より苦しいことがあった。

自分も、浅慮な行動でオフサイド先輩を苦しめた一人なんだ…

その事実が、スペを最も苦しめていた。

この事実を胸に隠したまま、平然とスズカを救う為に動くことなど出来るだろうか。

といってこれを打ち明けたら、スズカが更に絶望することも明らかだった。

どうすればいいの…

今はただスズカの無事を祈りながら、スペは一人苦悩し続けていた。

 

 

そうした中、時刻が正午を迎えた頃。

 

コンコン。

扉をノックする音が聞こえた。

「…どうぞ。」

「スペシャルウィーク。」

入ってきたのは、特別病室で待機していたブルボンだった。

 

「ブルボン先輩。何かあったんですか?」

訪れたブルボンの、無表情のうちに緊迫した雰囲気を感じ、スペは慄えながら聞き返した。

ブルボンは無表情のまま、ゆっくりと無感情な口調で言った。

 

 

「サイレンススズカが、意識を戻しました。」

 

 

「えっ!」

スペは跳ね上がるようにベッドから身を起こすと、それ以上は何も聞かずに目にも止まらない速さでブルボンの傍らを駆け抜け、病室を飛び出していった。

 

スペはそのまま、廊下にいる療養ウマ娘達の間を駆け抜け、エレベーターを使わずに階段を一気に駆け上がって最上階へと走った。

 

…はあ…はあ…

最上階に辿り着くと、スペは胸を押さえながら特別病室へと急いだ。

特別病室の前は、医師達で騒然としていた。

スペはその中をかき分けながら、病室内へと入った。

 

室内には、医師の他に沖埜の姿もあった。

「…。」

スペは沖埜の傍らに行き、動悸を抑えながらベッドに眼を向けた。

 

 

そこには意識を取り戻したスズカが、半分身を起こした状態でベッド上に座っていた。

 

 

意識を戻したスズカの表情は、普段の彼女と変わらない表情に見えた。

ただ、清廉な表情がかなり白く見えた。

 

「大丈夫か、スズカ。」

沖埜がスズカの側に近寄り、努めて冷静な口調で声をかけた。

「…はい。」

スズカは小声で答えた。

いつもなら微笑をもって返答するのだが、この時はぎこちなく頬を動かしただけだった。

「お水、頂けますか。」

医師にそう頼むと、スズカは差し出されたコップの水を飲んだ。

 

ふー…

喉を潤して一度深呼吸した後、つとスズカの眼は、沖埜の傍らにいるスペの方に向けられた。

二人の視線が合った。

「…!」

スズカの表情は何も動かなかったが、スペは一瞬動揺し、顔を僅かに俯かせた。

 

「…。」

スペの様子を見たスズカは、何も言わずそっと視線を逸らし、それから周囲の医師達に言った。

「しばらく、沖埜トレーナーと二人きりして頂けますか。」

 

 

 

***

 

 

「サイレンススズカが意識を戻しましたか。」

メジロ家の屋敷。

学園から戻ったばかりのマックイーンは、療養施設からその急報を受けていた。

「今は…沖埜トレーナーと二人きり…了解しましたわ。…今は何の指令もありません。しばらく経過を見守っていてください。連絡は随時宜しくお願いしますわ…」

 

意識を戻しましたか。

指示を終えたマックイーンは、胸の動悸を抑えながらソファーにもたれた。

ほっとする余裕はなかった。

これから起きうるであろうことへの懸念が、遥かに大きかったから。

 


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