1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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来訪者(1)

 

*****

 

場は変わり、療養施設のライスの宿泊室。

 

「失礼します。」

室内で一人書き物をしていたライスのもとに、ブルボンが訪れた。

 

「ブルボンさん。」

彼女の姿を見ると、ライスは書き物をしまった。

何を書いてるのだろう。

昨晩からそれをしていることにブルボンは少し気になったがそれは置き、ベッド上の彼女の傍らに腰掛けた。

「現状報告に来ました。」

 

ブルボンは、現在のスズカの状況をライスに伝えた。

「今、サイレンススズカは、オフサイドトラップと連絡を取れるよう要望しており、現在オフサイドと共にいる岡田トレーナーやビワハヤヒデらを通じて交渉中です。」

「オフサイドさんと?」

「ええ、スズカがそれを第一に強く希望しましたので。ただオフサイド側がそれにどう応えているかは、どうやら今のところ手応えはないようです。」

「そう、ですか。」

先日、会わずに終わったものの、オフサイドがスズカに会う目的で施設に訪れていたことは二人とも知っていた。

その点から、オフサイドがスズカとの接触を望んでいたことは間違いない。

ただ現在はどうなっているかは…

望んでない可能性が高いように思えた。

 

「マックイーンさんから、何か連絡はありましたか?」

「何もありません。昨晩以降は何の指示も出てない現状です。勿論次の方策は既に考えていると思いますが…」

…?

言いながら、ブルボンの表情が僅かに翳ったのを、ライスは見逃さなかった。

「マックイーンさんに何か?」

「ルビー副会長から連絡があったのですが、今日会長は役員仲間の説得により自宅で静養されているそうです。」

 

ブルボンは、マックイーンも心身の疲労が著しいことをライスに話した。

「例の断行とスズカ・オフサイドの件でかなりきているようです。」

「…。」

マックイーンの無二の親友であるライスは、彼女の状態を思い、一瞬胸が痛くなった。

でも、これはマックイーンさんが選んだ道だと、同情心は押し殺した。

 

 

「少し、外に出ませんか。」

現状のことを聞き終えるとライスは杖を手に取り、促しながらベッドから立ち上がった。

「…。」

ブルボンはライスの脚元に眼を向けたが、無言で立ち上がった。

 

 

二人は施設の外に出た。

 

西陽に照らされる高原の芝生の道を、杖をついた冬服姿のライスと制服姿のブルボンは肩を寄せて歩き、やがて芝生に腰掛けた。

 

「綺麗ですね。」

やや橙色に染まった雲ひとつない寒空と山々の光景を眺め、ライスは呟いた。

かつて自分もここで長く生活していた。

ターフから1番遠いこの場所は、それにしてはあまりにも綺麗過ぎる地だと、当時から思っていた。

 

澄んだ瞳で光景を眺めている親友と対照的に、ブルボンの瞳はやや暗く俯いていた。

ブルボンはその翳った視線を膝元に向けて、ぽつりと尋ねた。

「脚の状態は、如何ですか。」

 

「…。」

ブルボンの問いかけに、ライスは左脚のそっと手を当てた。

強靭な精神力で抑えているが、古傷の痛みは既に限界を思わせる程の苦痛を四六時中伴っていた。

「もって、今年ですね。」

「…。」

ライスの返答に、ブルボンの肩がビクッと震えた。

嘆きを堪える為に、彼女は眼を瞑って空を仰いだ。

 

ブルボンと同じく夕空に視線を向けたまま、ライスは続けて言った。

「美久にも、私の余命が僅かなことは伝えました。」

「美久に?」

「もう、彼女にも知らせなければならないことでしたから。」

ライスの口調は、感情のない淡々としたものだった。

 

「ライスは、還ることが怖くないのですか?」

悟り切ったようなライスの姿に、ブルボンは組んだ膝に顔を埋め、嘆きを堪えながら尋ねた。

「還ること。ですか。」

ライスは眼を瞑った。

寒風が吹きつけ、彼女の黒髪が儚く靡いた。

「怖くないといえば、嘘になります。」

風に煽られた身体を竦ませ、眼を瞑ったまま淡々と答えた。

「還るということはつまり、この世界と永別すること。人間の皆さんとも、同胞とも、そしてブルボンさんやマックイーンさんとも、永遠にお別れすることですから。でも、」

ライスは眼を開き、僅かに蒼芒を滲ませた。

「今はその恐怖心よりも、使命を全うしようという決意の方が強いです。だから、そこまで怖くはありません。」

 

ライスの言葉を聞き、ブルボンはふっと吐息した。

「トレーナーと同じですね。」

「え?」

「私の、亡きトレーナーと同じだと思ったんです。」

ブルボンは顔を上げて目元を拭い、空を仰いだ。

 

「トレーナーも、末期の病にかかって死を宣告されました。でもあの人は、死への恐れをトレーナーの職務を全うすることで封じこめていました。そう、私を復活させることに命を燃やして。」

雲ひとつない青空を仰いでいるブルボンの瞳に、亡きトレーナーの面影が映った。

「私は、トレーナーには一日でも長く生きていて欲しかったんですが…。例え復活出来なくても、あの人と一緒にいられるだけで私は幸せだった。」

「ブルボンさん。」

「でも考えて見れば、もし私がトレーナーの立場だったら、恐らく同じ事をしたでしょう。」

 

深く回想する様に言った後、ブルボンは一度大きく深呼吸し、それから意を決したような視線でライスを見つめた。

「ライス、あなたに一日でも長く生きて欲しいという私の思いは変わりません。ですが、あなたの行動を制止させることは、私はもうやめます。」

 

「…。」

ライスはブルボンを見つめた。

その蒼芒をブルボンは見つめ返して続けた。

「今後は、あなたが全うしようとしている使命を支え、それが叶うよう尽力することにします。あなたの、命を削っていくその行動を、私はもう止めることはしません。昨晩のあの出来事の現場を見て、私も決心しました。」

 

「ブルボンさん…」

「ただ一つ、約束して下さい。」

ブルボンは、唇を震わせて必死に感情を抑えた。

「もし使命を全う出来たならば、その後の残された最期までの時間を、この私と一緒に過ごしてくれますか?別れの時まで、ずっと…」

 

「はい。」

身を裂くようなブルボンの言葉に、ライスは静かに頷いた。

「必ず…」

そう言うと、ライスはブルボンに手を伸ばした。

 

だが、途中でそれを止め、ライスは手を戻すと、再び高原の光景へ蒼芒を向けた。

ブルボンもフッと息を吐き、涙を拭うと同じ方向へ視線を向けていた。

 

 

 

 

…ミホノブルボン先輩に、ライスシャワー先輩?

 

夕陽が照らす中、療養施設へと向かう高原の道を、一人のウマ娘が歩いていた。

そのウマ娘は、施設から離れた場所の芝生上に並んで座っているブルボンとライスの姿に気づき、遠目で二人の様子をしばらく眺めていた。

特に、黒髪を靡かせているライスの姿を。

 

やがて、そのウマ娘は視線を逸らし、施設への道を再び歩き始めた。

 


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