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同じ頃。
施設内の、ルソーの病室。
う…
微かに開いた視界に映ったのは、白い天井だった。
ズキズキと頭痛も感じる。
…ここは…
次第にはっきりしてきた意識の中、ベッド上に寝かされていたステイゴールドは視線を動かした。
「目を覚ましたか。」
聞き覚えのある声が聞こえた。
ベッドの傍らを見ると、かつてのチームリーダーの姿が視界に映った。
「…ケンザン…先輩…」
「無理をするな。」
身を起こしかけたゴールドをケンザンは押し留めた。
まだゴールドの眼はうつろで、顔色もかなり悪かった。
「お茶、飲むか?」
「…はい。」
ケンザンは温かいお茶を用意すると、ゴールドの身をそっと起こしながらそれを与えた。
「…ありがとうございます。」
ケンザンの腕に支えられつつ、ゴールドはそれを飲んだ。
冷えた心身に温かさが拡がり、意識もようやくはっきりしてきた。
「お久しぶりですね、ケンザン先輩。」
茶碗を抱えながら、ゴールドはケンザンを改めて見た。
「多分1年以上ぶりですね。」
「ああ。久しぶりだな、ゴールド。」
ゴールドよりかなり歳上のケンザンは、病身の妹を労わるような優しさでゴールドを抱き支えていた。
ケンザン先輩がここにいるということは…
尋ねるまでもなく、ゴールドはその理由が分かった。
昨晩、この私が犯した言動を知ったのか。
閉ざされていた昨晩の記憶が、ゴールドの脳裏に少しずつ蘇った。
自分が無二の親友にぶちまけた真実と暴言の数々、そして、倒れた親友の姿…。
「スズカは…」
いつもの彼女とは思えない、小刻みに震えた口調でゴールドは尋ねた。
「スズカは、どうなりましたか。」
「スズカも、意識を取り戻した。」
抱き支えたまま、ケンザンは答えた。
彼女もその情報は既に耳に入れていた。
「沖埜トレーナーや医師の先生達が看護にあたっている。今のところ落ち着いているようだ。」
言葉こそ安心させるようなものだったが、口調はどこか重かった。
“今のところ”。
ゴールドにも、その重さが伝わった。
「もう、終わりなんですよね。」
カタカタと、両掌に抱えた茶碗が音をたてだした。
オフサイド先輩も、そしてスズカも。
「私が、終わらせてしまった。」
ポタポタと、ゴールドの眼から涙が溢れた。
「お前は悪くない。」
溢れた涙を指先でそっと払い、ケンザンはゴールドを抱きしめた。
「お前は悪くないんだ。お前は…」
罪悪感と絶望に泣き出した後輩を、ケンザンただ抱きしめ続けた。
*****
一方。スペの宿泊室。
スペは一人夕陽が照らす窓際の椅子に座って、暗い眼で俯いていた。
スズカの意識が蘇ったものの、彼女の心は依然として大きな暗闇に覆われていた。
真実を知ったスズカが、尋常じゃないショックを受けていたことに気づいていたから。
寒い。
肌寒さを感じ、スペは上着を羽織った。
冬晴れの今日も、夕暮れにさしかかると寒さが肌に沁みた。
コンコン。
扉をノックする音が聞こえた。
「…どうぞ。」
「スペ、失礼する。」
入って来たのは沖埜だった。
「トレーナーさん。スズカさんは?」
その質問に、沖埜はスペの傍らの椅子に座ってから答えた。
「スズカは今、容態の検査を受けてる。しばらくかかるようだ。」
「容態が悪化したんですか?」
「そういうわけじゃない。確認の為の検査だ。」
否定したものの、沖埜の表情は険しかった。
やっぱり、スズカさんの状態は深刻なんだな…
暗い胸のうちで、スペはそう確信せざるを得なかった。
「一緒にいる時の、スズカさんの様子は、如何でしたか?」
「私のスマホを使って、天皇賞・秋後に起きたことを調べていた。」
「天皇賞・秋後の…では。」
「ああ。ステイゴールドが打ち明けたことが全て真実だったことを確認した。スズカは、表面上は一切動揺は見せなかった。」
心に受けた傷は推して知るべきだがと、沖埜は続けた。
「その後、マックイーンと連絡をとった。どのような内容を話していたかは分からない。ただ、スズカはオフサイドトラップと連絡をとろうとしているようだ。」
「オフサイド先輩とですか?」
ビクッと、スペの身体は思わず震えた。
「…?」
その大きな反応に沖埜は違和感を覚えたが、頷きながら続けた。
「だけど、オフサイドとは連絡が取れなかったらしい。」
「取れなかった…それは、オフサイド先輩が断ったということですか。」
「ああ。」
沖埜は、昨日に会ったオフサイドの、悲壮な決心を固めた姿と言動を思い出した。
彼女はもう、有馬で散ること以外は何も考えていない。
スズカのことは全て自分達に託して、もう意識の中には無くなっているのだと推察した。
「それでも、スズカはオフサイドとどうしても連絡を取りたいようだ。生徒会や岡田トレーナーを通じてなんとかそれが叶うよう交渉中だ。オフサイドに直接会いに向かう事も視野に入れている。」
「オフサイド先輩の決意を止める為にですか。」
「…。」
沖埜は無言で頷いた。
…。
沖埜の言葉を聞き、スペは胸に手を当てて思考した。
スズカさんにとって、オフサイド先輩は非常に尊敬する先輩だった。
その先輩が帰還の決意を固めているのを知ったら、必死になって止めるに決まっている。
まして、決意の理由があの天皇賞・秋にあるのだから。
スズカさんなら、オフサイド先輩の決意を翻意させられるかもしれない。
いや、スズカさんしかいないだろう。
だけど。
スペの表情が罪悪感で歪んだ。
今、スズカさんとオフサイド先輩の間には大きな溝がある。
他ならない、この私がつくってしまった溝だ。
痛みを伴った罪悪感が、手を当てている胸の中も浸した。
この溝を埋めない限りは、意思疎通が叶うことは難しい。
私の愚かな言動が、オフサイド先輩を深く傷つけたことは間違いないのだから。
でも、どうすればいいのだろう…
スペの心は恐怖心でいっぱいになっていた。
もし自分の過ちをスズカさんに打ち明けたら、昨晩以上のショックを与えてしまうかもしれない…
昨晩、倒れた際のスズカの姿がスペの脳裏に強く残っており、ルソーからの指示を受けて決めていた決意に揺らぎが生じていた。
「どうした?」
苦しげなスペの様子を見て、沖埜が怪訝そうに声をかけた。
なんでもありません、とスペは顔を上げて答えようとした。
だけどその寸前でその言葉を呑み込み、上げかけた顔を再び伏せた。
…。
彼女の様子を見て、沖埜は更に強い違和感を覚えた。
スズカへの不安だけじゃない何かが、スペの胸中にある。
純真無垢な彼女を苦しめている何かが。
沖埜はそう確信し、意を決して尋ねた。
「スペ。お前何か、隠し事してないか?」
「…。」
沖埜の言葉に、スペはドキッと顔を上げた。
冷や汗が彼女の可憐な頬を伝って、身体が小刻みに震えだしていた。
「おい、大丈夫か?」
予想外の反応に沖埜は驚き、スペの肩に手を当てた。
スペの震えはしばらく止まらなかったが、やがておさまった。
「トレーナーさん。」
頬を伝う冷たい汗を拭いながら、スペは観念した表情で沖埜を見つめた。
「私、伝えなければいけないことがあります。」
スペの言葉と同時に、異様な緊迫感が室内を満たした。