1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

180 / 297
責任(1)

 

*****

 

同じ頃。

施設内の、ルソーの病室。

 

う…

微かに開いた視界に映ったのは、白い天井だった。

ズキズキと頭痛も感じる。

…ここは…

次第にはっきりしてきた意識の中、ベッド上に寝かされていたステイゴールドは視線を動かした。

 

「目を覚ましたか。」

聞き覚えのある声が聞こえた。

ベッドの傍らを見ると、かつてのチームリーダーの姿が視界に映った。

「…ケンザン…先輩…」

「無理をするな。」

身を起こしかけたゴールドをケンザンは押し留めた。

まだゴールドの眼はうつろで、顔色もかなり悪かった。

 

「お茶、飲むか?」

「…はい。」

ケンザンは温かいお茶を用意すると、ゴールドの身をそっと起こしながらそれを与えた。

「…ありがとうございます。」

ケンザンの腕に支えられつつ、ゴールドはそれを飲んだ。

冷えた心身に温かさが拡がり、意識もようやくはっきりしてきた。

 

「お久しぶりですね、ケンザン先輩。」

茶碗を抱えながら、ゴールドはケンザンを改めて見た。

「多分1年以上ぶりですね。」

「ああ。久しぶりだな、ゴールド。」

ゴールドよりかなり歳上のケンザンは、病身の妹を労わるような優しさでゴールドを抱き支えていた。

ケンザン先輩がここにいるということは…

尋ねるまでもなく、ゴールドはその理由が分かった。

昨晩、この私が犯した言動を知ったのか。

 

閉ざされていた昨晩の記憶が、ゴールドの脳裏に少しずつ蘇った。

自分が無二の親友にぶちまけた真実と暴言の数々、そして、倒れた親友の姿…。

 

「スズカは…」

いつもの彼女とは思えない、小刻みに震えた口調でゴールドは尋ねた。

「スズカは、どうなりましたか。」

「スズカも、意識を取り戻した。」

抱き支えたまま、ケンザンは答えた。

彼女もその情報は既に耳に入れていた。

「沖埜トレーナーや医師の先生達が看護にあたっている。今のところ落ち着いているようだ。」

 

言葉こそ安心させるようなものだったが、口調はどこか重かった。

“今のところ”。

ゴールドにも、その重さが伝わった。

 

「もう、終わりなんですよね。」

カタカタと、両掌に抱えた茶碗が音をたてだした。

オフサイド先輩も、そしてスズカも。

「私が、終わらせてしまった。」

ポタポタと、ゴールドの眼から涙が溢れた。

 

「お前は悪くない。」

溢れた涙を指先でそっと払い、ケンザンはゴールドを抱きしめた。

「お前は悪くないんだ。お前は…」

 

罪悪感と絶望に泣き出した後輩を、ケンザンただ抱きしめ続けた。

 

 

 

*****

 

 

 

一方。スペの宿泊室。

 

スペは一人夕陽が照らす窓際の椅子に座って、暗い眼で俯いていた。

 

スズカの意識が蘇ったものの、彼女の心は依然として大きな暗闇に覆われていた。

真実を知ったスズカが、尋常じゃないショックを受けていたことに気づいていたから。

 

寒い。

肌寒さを感じ、スペは上着を羽織った。

冬晴れの今日も、夕暮れにさしかかると寒さが肌に沁みた。

 

コンコン。

扉をノックする音が聞こえた。

「…どうぞ。」

「スペ、失礼する。」

入って来たのは沖埜だった。

 

「トレーナーさん。スズカさんは?」

その質問に、沖埜はスペの傍らの椅子に座ってから答えた。

「スズカは今、容態の検査を受けてる。しばらくかかるようだ。」

「容態が悪化したんですか?」

「そういうわけじゃない。確認の為の検査だ。」

否定したものの、沖埜の表情は険しかった。

やっぱり、スズカさんの状態は深刻なんだな…

暗い胸のうちで、スペはそう確信せざるを得なかった。

 

「一緒にいる時の、スズカさんの様子は、如何でしたか?」

「私のスマホを使って、天皇賞・秋後に起きたことを調べていた。」

「天皇賞・秋後の…では。」

「ああ。ステイゴールドが打ち明けたことが全て真実だったことを確認した。スズカは、表面上は一切動揺は見せなかった。」

心に受けた傷は推して知るべきだがと、沖埜は続けた。

「その後、マックイーンと連絡をとった。どのような内容を話していたかは分からない。ただ、スズカはオフサイドトラップと連絡をとろうとしているようだ。」

 

「オフサイド先輩とですか?」

ビクッと、スペの身体は思わず震えた。

 

「…?」

その大きな反応に沖埜は違和感を覚えたが、頷きながら続けた。

「だけど、オフサイドとは連絡が取れなかったらしい。」

「取れなかった…それは、オフサイド先輩が断ったということですか。」

「ああ。」

沖埜は、昨日に会ったオフサイドの、悲壮な決心を固めた姿と言動を思い出した。

彼女はもう、有馬で散ること以外は何も考えていない。

スズカのことは全て自分達に託して、もう意識の中には無くなっているのだと推察した。

「それでも、スズカはオフサイドとどうしても連絡を取りたいようだ。生徒会や岡田トレーナーを通じてなんとかそれが叶うよう交渉中だ。オフサイドに直接会いに向かう事も視野に入れている。」

「オフサイド先輩の決意を止める為にですか。」

「…。」

沖埜は無言で頷いた。

 

…。

沖埜の言葉を聞き、スペは胸に手を当てて思考した。

スズカさんにとって、オフサイド先輩は非常に尊敬する先輩だった。

その先輩が帰還の決意を固めているのを知ったら、必死になって止めるに決まっている。

まして、決意の理由があの天皇賞・秋にあるのだから。

 

スズカさんなら、オフサイド先輩の決意を翻意させられるかもしれない。

いや、スズカさんしかいないだろう。

 

だけど。

スペの表情が罪悪感で歪んだ。

今、スズカさんとオフサイド先輩の間には大きな溝がある。

他ならない、この私がつくってしまった溝だ。

痛みを伴った罪悪感が、手を当てている胸の中も浸した。

この溝を埋めない限りは、意思疎通が叶うことは難しい。

私の愚かな言動が、オフサイド先輩を深く傷つけたことは間違いないのだから。

 

でも、どうすればいいのだろう…

スペの心は恐怖心でいっぱいになっていた。

もし自分の過ちをスズカさんに打ち明けたら、昨晩以上のショックを与えてしまうかもしれない…

昨晩、倒れた際のスズカの姿がスペの脳裏に強く残っており、ルソーからの指示を受けて決めていた決意に揺らぎが生じていた。

 

 

「どうした?」

苦しげなスペの様子を見て、沖埜が怪訝そうに声をかけた。

なんでもありません、とスペは顔を上げて答えようとした。

だけどその寸前でその言葉を呑み込み、上げかけた顔を再び伏せた。

 

…。

彼女の様子を見て、沖埜は更に強い違和感を覚えた。

スズカへの不安だけじゃない何かが、スペの胸中にある。

純真無垢な彼女を苦しめている何かが。

 

沖埜はそう確信し、意を決して尋ねた。

「スペ。お前何か、隠し事してないか?」

 

「…。」

沖埜の言葉に、スペはドキッと顔を上げた。

冷や汗が彼女の可憐な頬を伝って、身体が小刻みに震えだしていた。

「おい、大丈夫か?」

予想外の反応に沖埜は驚き、スペの肩に手を当てた。

 

スペの震えはしばらく止まらなかったが、やがておさまった。

 

「トレーナーさん。」

頬を伝う冷たい汗を拭いながら、スペは観念した表情で沖埜を見つめた。

「私、伝えなければいけないことがあります。」

 

スペの言葉と同時に、異様な緊迫感が室内を満たした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。