「伝えなければいけないこと?」
スペの言葉に、沖埜は怪訝な表情を浮かべて、彼女の肩から手を離した。
「はい。」
スペは震えを懸命に押し殺し、姿勢を彼に向けて向き直ると眼を瞑って大きく深呼吸した。
胸の動悸を堪えて、唇を震わせながら口を開いた。
「実は、私は大変な過ちを犯してしまいました。」
「…。」
スペの言葉に、沖埜の端正な表情が一瞬歪んだ。
だが彼はそれをすぐに消し、ふーっと深呼吸しながら表情を戻すと、ゆっくり椅子にもたれかかった。
「話してくれ。」
「はい…」
沖埜に促され、スペはそれをぽつぽつと話し始めた。
一昨日、オフサイドがスズカに会うためここに訪れたこと。
だがオフサイドがスズカと会う前に、自分が彼女を呼び止め、屋上に連れ出したことを。
「私にはどうしても、オフサイド先輩に対して理解出来ないことがありました。そのことについて尋ねる為、屋上に来てもらいました。」
「…。」
沖埜は表情を努めて動かさずに聞いていた。
「それで、オフサイドに何を言った?」
「何故、秋天のレース後に、故障したスズカさんに対してなんの配慮もない言動をしたのかと…」
震える口調で言いながら、スペは自然と下を向いた。
「…それで?」
沖埜は端正な表情を崩さず、続きを促した。
「…。」
しかし、沖埜に促されたスペは、俯いたまま口を閉ざしていた。
沖埜は何もせず、続きの言葉を待った。
やがて、スペはぽつりと再び口を開いた。
「すみません…嘘です。」
「…嘘?」
「私は尋ねたのではなく、先輩を責めたんです。何故スズカさんの怪我を『笑いが止まらない』喜んだのか、あんなレースの内容で嬉しいのか、良心の呵責はないのかと責めて、…スズカさんへの謝罪を要求しました。」
「…。」
その内容を聞いた沖埜は、表情は崩さなかったものの、指を軽く噛んだ。
「…それで、オフサイドは何と答えた。」
「何も答えませんでした。…けど、先輩はスズカさんと会うのをやめにして、施設を後にしました。その後は分かりません…」
そこまで言ったスペの眼からは、自責の涙が溢れ出していた。
少しの間、沈黙が流れた。
やがて、沖埜が静かに尋ねた。
「このことは、他に知ってる者はいるのか?」
「ライス先輩、ブルボン先輩、ホッカイルソー先輩、渡辺椎菜先生が知っています。スズカさんは知りません。」
「…。」
沖埜は、再び眼を瞑って沈黙した。
スペは涙を拭いながら、言葉を続けた。
「私、本当に愚かなことをして、オフサイド先輩を傷つけてしまいました。先輩の言動の意味を深く考えずに、一方的に責めてしまったんです。先輩方に諭されてから、その愚かさに気付きました。」
深く悔やんでいる様子を見て、沖埜はまた尋ねた。
「ライスに諭されたのか?」
「いえ、ルソー先輩と椎菜先生にです…」
スペは、ルソーと椎菜からオフサイドの言動の意味やその経歴を教えられたことを話した。
「…それで、自分が酷いことをしたと分かりませした。私のせいで、オフサイド先輩は…」
「お前も、オフサイドのことを知ってるのか?」
「はい、先輩の決意のことは…」
「…スペ。」
つと、沖埜は大きく息を吐きながら立ち上がり、スペの側に歩み寄った。
端正な容貌に眼が険しく光っていた。
厳しい叱責を覚悟し、スペは思わず眼を瞑って身体を硬らせた。
だが、沖埜はスペの前にしゃがみ込むと、彼女の俯いた泣き顔を見つめながら、そっと包み込むようにその頭に手を当てた。
「トレーナーさん…」
「お前、苦しかっただろ。スズカを誰よりも愛する同胞として、色々と…」
そう言った沖埜の口調と眼差しは、心の底からスペの心情を思いやるものだった。
「トレーナーさん…」
思いがけない抱擁に初めは驚いていたが、やがて胸から熱いものが込み上げ、スペは沖埜の胸に顔を埋めると小娘のように泣き出した。
「私、私は…どうすればいいのでしょうか?」
「何も考えるな。」
沖埜は、それ以上は何も言わず、ただ嗚咽するスペの背中を優しく撫で続けた。
その後。
スペとの話を終えて部屋を出た沖埜の姿は、施設の外にあった。
陽が暮れ、星が瞬き始めた夕闇空の下、コートを羽織った沖埜は、人前では見せない険しい表情で遊歩道を歩いていた。
今朝、スペに会った時から、沖埜は彼女に違和感を感じていた。
スズカの事のショックだけではない、何かの闇に蝕まれているような姿に見えていたから。
そして今、その違和感の正体が分かった。
まさか、スペがそんな行動をおかしていたとはな…
全く想像してなかった事実に、沖埜は愕然としていた。
沖埜でなくとも想像出来る訳がない。
スペは他人を責めることが出来るようなウマ娘じゃない。
優しさと明るさの結晶のような性格で、誰に対しても思いやりといたわりを抱ける優しさを備えているウマ娘。
そんな彼女が、あろうことか同胞に対して理不尽な糾弾をするなんて、想像出来る訳がなかった。
だが、衝撃を受けつつも、沖埜にはその理由が微かに分かっていた。
サイレンススズカだ。
スズカに関わることだったから、スペほどのウマ娘が盲目的になってしまったのか。
スズカ・スペとスペが親友以上の関係にあることは、二人のトレーナーである沖埜も知っていた。
スペのスズカへの愛情の深さゆえに、オフサイドの言動を知った時、彼女の心を悪い方に揺らがせてしまったんだ。
私の責任だ。
遊歩道を歩きながら、沖埜は唇を噛んだ。
済まない…オフサイド、スペ。