1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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責任(4)

 

「沖埜トレーナー。」

 

室内の『フォアマン』3人は、突然の『スピカ』トレーナーの来訪に驚いた。

特にゴールドが大きく反応し、そしてすぐに視線を伏せた。

 

「なんのご用でしょうか。」

ケンザンが、ゴールドを護るように身を寄せながら尋ねた。

昨晩のゴールドの行為を咎めに来たと思ったのか。

彼女達の反応を見た沖埜はそう察し、すぐに答えた。

「君達『フォアマン』に、謝罪に来た。」

 

「謝罪?」

「そうだ。あまりにも遅くなってしまったが。」

沖埜は、驚いている『フォアマン』の面々を見渡した後、立ったまま頭を下げた。

「天皇賞・秋後における私の不適切な言動、そして、私のチーム『スピカ』に所属するスペシャルウィークがおかした軽率な言動を、心から謝罪する。本当に、申し訳ない。」

 

「…。」

「…?…?」

ルソーは沖埜の謝罪する姿を黙念と見つめていたが、ケンザンとゴールドは謝罪の後半部分の意味が分からずやや戸惑いの色を見せていた。

 

だが、

「やめてください!」

頭下げた姿勢を動かさない沖埜を見て、ケンザンが急に耐えきれないような声を出しすと、彼の側に寄って顔を上げて下さいと促した。

「…。」

「場を変えましょう!」

顔を上げた沖埜に早口でそう言うと、ケンザンは彼の腕を引いてやや強引に室外に連れ出した。

 

…。

室内に残された二人のうち、ゴールドは戸惑いの色を見せたままだったが、全てを理解しているルソーは悲しげな表情で一人頷いていた。

 

 

 

沖埜を連れて病室を出たケンザンが向かったのは、自分の宿泊室だった。

 

「…はあ…はあ…」

普段冷静沈着な彼女らしくない乱れた呼吸を吐きながら、ケンザンは部屋の前に着いた。

「どうぞ、入って下さい。」

「失礼する。」

 

室内に入ると、沖埜とケンザンは向かいあって椅子に座った。

「…。」

自分とさほど変わらない大柄な彼女の眼に涙が滲んでいるのに沖埜は気づいたが、何も言わなかった。

 

ケンザンと沖埜は、前述のように前日に岡田の入院先の病院で会った。

病院を出た後も、移動の車内でしばらく場を共にした。

二人は殆ど会話を交わさなかったが、ケンザンは沖埜に対してかなり重い感情を抱えていた。

沖埜も彼女の感情を敏感に感じとっていた。

だから今、彼女に責められることを覚悟していた。

 

だが。

「頭なんて下げないでください…」

沖埜と向かいあって座ったケンザンは、目元を拭って胸が痛むような視線を向けていた。

「あなた程の人間が、容易く謝罪などしてはいけません。」

声もやや震えていた。

「浅慮な言動をした私が謝罪するのは当然だ。それに、君も私に怒りを抱いてただろう?」

「それはそうですが、…でもやはり辛いです。あなた程の人間が頭を下げる姿を見るなんて。」

そう言ったケンザンの眼には、複雑な感情が入り混じって見えた。

 

「…。」

沖埜は少し間をおいて、ケンザンが落ち着くのを待った後、尋ねた。

「何故、私をここに?」

「先程の、スペシャルウィークの言動についてのことです。私は知らないので、そのことを話して頂きたくて。」

「その為にここへ?」

「あそこにはゴールドがいましたから。」

「…そうか。」

聡明な沖埜はすぐに納得した。

まだゴールドに昨晩のショックが深く残っていることと、スペの言動について知らないだろうことはお互い感じとっていた。

 

「分かった、話そう。」

沖埜は、先日のスペの言動についてケンザンに詳しく伝えた。

オフサイドとの屋上での事、そしてルソー・椎菜とのことを。

 

 

「…スペシャルウィークがそんなことを?」

詳細を聞き終えたケンザンは、怒りよりも愕然としていた。

「本当に?何かの間違いでは?」

「スペ自身からそれを言ったんだ。」

沖埜は眼を伏せた。

 

「そんなバカな…。」

ケンザンは椅子にガタッともたれ、頭を抱えた。

オフサイドが受けた仕打ちもそうだが、スペがそれをしたという衝撃の方が大きかった。

あのスペが…。

ケンザンも、スペが単に強いだけでなく、純真無垢で優しく明るい天使を体現したようなウマ娘であることは知っていた。

強く優しい、ウマ娘の一つの理想のような存在…そう言っていい彼女が、そんな愚かな言動を…。

 

愕然としているケンザンに対し、沖埜は表情を変えず言った。

「私のせいだ。トレーナーとしての義務を怠った為に、スペは過ちをおかしてしまった。」

 

「義務を怠った?」

思わぬ言葉に、ケンザンは眉を顰めた。

「この世界の尊厳と残酷さをスペに刻み込ませなかった。」

沖埜は淡々と答えた。

 

「何故怠ったんですか。」

「出来なかった。生まれた時から命の重さを背負って、幾度も死の現実と直面してきたスペに、この世界の残酷さまで教えたくなかったんだ。」

…。

ケンザンは頭を抱えたまま大きく吐息した。

沖埜の言葉の意味は、彼女も分かっていた。

 

生後間もなく母と死別し、更には不慮の火災事故で身近な者を多く亡くしたスペ。

常人なら耐えられない悲しい経歴を持ちながら、彼女は常に明るい笑顔を振り撒き続けてきた。

そのことがウマ娘としての彼女の大きな魅力かつ人気にもなっていた。

 

だが、彼女と最も身近な人間である沖埜には、彼女の心の奥底に潜む寂しさと危うさに気づいていた。

 

「危うさ?」

「ああ。その危うさについてははっきりと言えないが…とにかくそれが、私のスペへの指導を甘くさせた。」

沖埜の言葉に、ケンザンは小考して、言った。

「その報いが、今回のスペの言動になって現れたということですか。」

「その通りだ。だから、悪いのはこの私だ。」

 

「驚きました。」

ケンザンは大きく息を吐き、冷たい口調で言った。

「あなた程の方が、トレーナーとしての基本的なことを疎かにしてしまうなんて。」

「返す言葉もない。私は謝罪するしかない。」

 

「でも、このことに関してはあなたは責められません。」

ケンザンは冷たい口調のままそう言った。

スペにそれを教えなかった沖埜の葛藤は、朧げだが理解出来たから。

…それに。

「スペの言動の最大の理由は、あなたの指導不足ではなく、世の中の偏った感情に彼女が囚われてしまったせいですから。」

 

「最も、その偏った感情の原因に関しては別ですが。」

最後の台詞の後、ケンザンの表情が急に酷薄になった。

沖埜はすぐにそれが何を指してるか分かった。

「私の天皇賞・秋後の発言か。」

「ええ。」

ケンザンが頷くと同時に、室内は刺すような険しい空気に変わった。

 

やや重い沈黙が流れた後、ケンザンはその空気を消すようにふっと息を吐き、そして言った。

「でも、それも忘れます。」

「…え?」

「この状況で誰かを責めるなど愚の骨頂です。事態を悪化させるだけです。もうゴールドの二の舞は起こしてはいけません。」

無二の親友を理不尽に責めてしまったゴールドと、沖埜を深く尊敬していながら彼に怒りを抱いてしまっている自分をケンザンは重ね合わせた。

 

それに。

「自チームのウマ娘が悲劇に見舞われた時の人間の苦しみは、我々の想像以上だということを、幾度か目の当たりにしてきましたから。」

言いながら、ケンザンは視線を伏せた。

シグナルライトの時の岡田トレーナーがそうだった…

 

「とにかく、」

視線を伏せたケンザンに対し、沖埜は元の話題に戻すように淡々とした口調で言った。

「私はオフサイドに謝罪しなければならない。こんなことを頼める立場ではないが、かつての仲間である君の力を貸して欲しい。」

当初はルソーに頼むつもりだったが、ケンザンの方が可能性が望めると沖埜は思い、彼女に頭を下げ頼んだ。

 

「それは、私には出来ません。」

沖埜の願いを、ケンザンは視線を伏せたまま断り、そして続けた。

「私ではなく、岡田トレーナーに頼んで下さい。今オフサイドを動かせる人間は彼しかいませんから。」

 

 

*****

 

 

一方。ゴールドも、スぺがオフサイドにおかした言動をルソーから聞いていた。

 

「あのバカ…」

スペの言動を知り、ケンザンと同じようにゴールドも愕然としていた。

騒動についてほぼ全く認識してなかった筈なのに。

こないだ私と会った後、調べてしまったのか。

でもまさか、オフサイド先輩を責めるなんて…

 

愕然としつつも、ゴールドはスペに対して怒りは湧かなかった。

世の中の空気に毒されたせいだろうし、それに、私と違って全てを壊す為におかした言動じゃないのだから。

 

「スペを責めないで下さい。」

ベッド上で横になったまま、ゴールドはルソーに言った。

「オフサイド先輩もスペを責めてない筈です。帰還決意に関して、スペは無関係でしょうから。」

 

本当のところは分からない。

でも、もういいじゃない。

「スペももう壊れてしまってますから。いや、私が壊しましたから。」

 

 

…馬鹿。

生気の失せた後輩の姿に、ルソーは面を伏せて唇を噛み締めた。

お前が壊れる必要はなかったのに。

壊れるのは、もともと壊れた者だけで良かったのに。

 

 

 

*****

 

 

特別病室では、検査を終えたスズカが一人になった室内のベッド上で佇んでいた。

 

う…

スズカは、脚に痛みを感じだしていた。

怪我の状態が悪くなった訳じゃない。

心の動揺が脚にも影響しているせいだった。

脚の痛みより、胸中の苦痛の方が遥かに大きかった。

 

私、何をしてたんだろう。

何で気づかなかったんだろう。

自分の故障が、あの天皇賞・秋に甚大な影響を及ぼしていたことに。

 

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