1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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「万物の霊長」の苦悩(2)

『フォアマン』発足2年目、それは遡ること15年前の秋のこと。

 

この年は、ミスターシービーが19年ぶり史上3人目となるクラシック3冠制覇を達成し、ウマ娘界は湧きかえっていた。

そして世間の注目は、この秋に開催される国際レース・第3回JCで、海外の強豪ウマ娘を相手にシービーが念願の日本ウマ娘初優勝を果たせるかという点に集まっていた。

 

だが、シービーは3冠制覇の快挙による疲労もあり、JCの不出走を表明した。

このことは世間を大きく落胆させた。

更には参戦した海外ウマ娘陣営からも、「何故日本最強ウマ娘が出ないのだ」という不満も起きた。

 

そうした不満轟々の海外勢の前に、

「日本最強ウマ娘はこの私だ。私があなた方を相手する。」

と宣言したウマ娘がいた。

チーム『フォアマン』所属のキョウエイプロミスだった。

 

確かにプロミスは、直前に行われた天皇賞・秋で優勝(『フォアマン』メンバー初のG1制覇)したG1ウマ娘であり、その実績を提げてJCで出走を表明していた。

だが彼女は5年生と高齢な上、天皇賞・秋以外の実績も乏しかった。

出走する日本ウマ娘の中でもそこまで期待されていない存在だったので、彼女の言葉は冷笑の的となった。

 

「…だが、プロミスは燃えていたよ。あいつは、海外勢に日本の同胞が負け続けたことが余程悔しかったんだろうな。」

 

JCは第1回、2回と海外勢が優勝した。

日本勢は3着にすら入れず、辛くも掲示板内に入るのがやっとという有り様だった。

“日本勢は今後ずっとJCで勝てないのではないか”と悲観的な噂すらされていた。

 

プロミスは、前述のように天皇賞・秋で優勝したものの、その激走や高齢による疲労、蓄積された脚部不安もあり万全ではなかった。

それでも、このJCは優勝する決意で挑んだ。

 

そして、開催された第3回JC。

日本バ悲願の優勝を望まれる中、ハギノカムイオーやアンバーシャダイら日本代表バは必死に奮戦し、レースを引っ張った。

しかし直線に入ると徐々に失速し、海外勢に先頭勢を明け渡した。

今年も駄目か…

場内が溜息に包み込まれそうになった時、ただ一人海外勢にくらいついたウマ娘がいた。

キョウエイプロミスだった。

 

残り200mで、キョウエイプロミスは海外勢のスタネーラとバ体を併せながら一気に先頭勢に躍り出た。

沈みかけていた場内も、プロミスの激走に一気に湧き上がった。

TVの実況席では解説者が我を忘れて彼女の名前を連呼する程だった。

そのまま、プロミスとスタネーラは競り合いながらゴール目指して激走した。

そして…スタネーラが僅かに抜け出したところがゴールだった。

頭差でスタネーラが優勝、プロミスは2着だった。

 

優勝に手が届かなかったが、誰もがプロミスの奮戦を称えた。

他の日本バは惨敗した一方、彼女はあと僅かで優勝に手が届くところまで来ていたのだから。

またその激走は、日本勢に優勝は不可能と思われたJCの未来に、確かな光を差し込ませた。

 

だが…

レース終了後、プロミスはターフで動けなくなっていた。

レース中、彼女は脚に怪我を負っていたのだ。

そのまま、彼女は救急車で搬送された。

診断の結果、彼女の怪我は右前脚靭帯不全断裂の重傷で、競走能力喪失だった。

このJCが、プロミスにとって最後のレースとなった。

 

 

「…あのレースは、私も覚えています。」

当時はまだ子供だった沖埜は、神妙な口調で言った。

彼女が競走バ生全てを捧げて走った姿は観ていた者達を感動させ、今なお語り継がれる伝説となった。

沖埜もその一人だった。

 

「私も、あのレースを境にウマ娘を見る目が変わったよ。彼女達は、我々人間が考えているより、もっと誇り高い種族だったとな。」

岡田も呟いた。

レース後、プロミスは競走能力喪失よりも、優勝出来なかったことを悔やんでいた。

2着での称賛は、彼女にとっては嬉しくなかった。

全てを失う覚悟で激走したのに優勝出来なかったことが、あまりにも無念だった。

「でも、私は充分だと言った。彼女の激走は、私に新たな何かを気づかせてくれたから。」

 

 

そして、キョウエイプロミスの激走から一ヶ月後の、有馬記念。

優勝したのは、プロミスと同じく『フォアマン』所属の2年生、リードホーユーだった。

 

「私に確固たる理想を決定的に持たせたのは、ホーユーのレースだった。」

…これはお前も知らないよなと、岡田は沖埜を見た。

沖埜は頷き、何があったのかと目で尋ね返した。

「プロミスが激走したJCの後、彼女が称賛される一方で、世間から白い眼で見られているウマ娘達がいたんだ。」

「え?」

「ミスターシービーと、その同期達さ。」

当時のことは知らない沖埜に、岡田は話した。

 

日本ウマ娘の誇りをかけて激走したプロミスと対照的に、疲労で出走を回避した3冠ウマ娘ミスターシービーへの評価は下がった。

JC以前は、誰もを惹きつける華やかな走りで3冠を制し人気も絶頂だったシービー。

しかしJCを回避したことで、3冠ウマ娘としての自覚を問われた。

彼女と対照的に脚部不安がありながら激走したプロミスが現れたことで、その声は更に大きくなった。

そうした中で迎えた有馬記念。

シービーにとっては名誉挽回の機会となるレースであったが、彼女はやはり疲労と脚部不安を理由に出走回避をした。

このことで、シービーへの批判は強くなった。

プロミスと比べてひ弱なウマ娘という声や、シービー世代(2年生)はひ弱なウマ娘ばかりだという声も多く上がった。

 

「そういった声に対し、誰よりも悔しさを燃やして、絶対に世代の強さを証明すると決意したのがリードホーユーだったのさ。」

 

リードホーユー。

彼女は優れたスピードの持ち主ながら、レース前の入れ込み癖やコーナーでの斜行癖などで安定した成績を残せず、怪我もあり春のクラシックは棒に振った。

秋に復帰後は菊花賞トライアルレースでシービーより先着の2着など結果残したが、本番の菊花賞ではシービーの大地弾む3冠制覇を前に4着に敗れた。

しかし目立った実績はないものの、そのスピード能力の高さは注目されており、シービー世代の有望株の一人だった。

 

有馬記念、彼女はシービーを始め有力ウマ娘が数人回避したこともあり、重賞すら未勝利ながら3番人気だった。

結果は、先行策から4コーナーで先頭に立つと、アンバーシャダイら強豪の先輩ウマ娘達に影も踏ませずそのまま押し切り、前述のように優勝した。

だが彼女も、その激走により古傷が悪化。

その後遂に復帰は出来ず、有馬記念が最後のレースとなった。

 

「ホーユーは栄光と引き換えに、ターフを去ることになった。だが彼女は全く後悔してなかった。」

ひ弱な世代と貶され、そのひ弱な世代の象徴にされかけていたミスターシービー。

彼女に対する冷ややかな論調を、ホーユーはあの有馬記念で全て打ち消した。

“有馬記念を制したこの私を、ミスターシービーは一蹴したんだ”と。

彼女にとって、同期の誇り…とりわけ史上3人目の3冠ウマ娘の誇りだけは、脚を失っても守りたかったのだろう。

 

 

「…キョウエイプロミスとリードホーユー。この二人の走りを見たことで、私は理想を抱くようになった。それまでは、ただ勝たせるだけにこだわっていたのがな。」

「どういう理想ですか?」

「『同胞の為に走れるウマ娘を輩出する』という理想だ。」

 


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