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陽は暮れ、夜の明かりが灯り出した療養施設。
美久の姿は、食堂の一席にあった。
「…。」
カメラを胸に提げて座っている美久は、暗い表情でコーヒーを飲んでいた。
先程ライスから告げられた、彼女の余命がもう僅かだという事実。
その悲しみに打ちひしがれていた。
普段は明るいカメラマンである美久だが、今はとてもその表情になれる余裕がなかった。
「大丈夫ですか?」
いつもと違う美久の様子に心配した療養ウマ娘が何人か声をかけたが、美久はただ首を振るだけで何も答えなかった。
美久の反応に、敏感な療養ウマ娘達はスズカの事と絡めて考え、一層不安を募らせていた。
そんな、暗い雰囲気が立ち込めている食堂に、一人のウマ娘が入ってきた。
随分と暗い雰囲気だな…
食堂内の雰囲気に、今しがた入って来た黒髪ショートヘアのウマ娘…シアトルは顔を顰めた。
〈クッケン炎〉患者だけだと思ってたけど、怪我患者も大分様子が変じゃないか。
「やあ、こんばんは。」
シアトルは、食堂の一部の席に固まっている怪我療養ウマ娘達に声をかけた。
「?こんばんは…。」
声をかけられたウマ娘達は、シアトルの姿を見て怪訝な表情を浮かべた。
どうやら誰だか分からないらしい。
まあそうだろうね。
無理もないと納得しつつ、シアトルは自己紹介した。
「私、かつてここで療養生活してたダンツシアトルっていうの。」
「ダンツシアトル…えっ!」
名を聞いてもすぐには分からなかったようだが、それが分かると皆一様に驚きの表情を見せた。
「ダンツシアトル先輩、ですか?」
「そうよ。3年前の宝塚記念を制したG1ウマ娘、ダンツシアトル。」
シアトルは、誇らしげに黒髪を払った。
「本当に?」
「ダンツシアトル先輩⁉︎」
周囲にいた療養ウマ娘達も、驚きながらシアトルを見ていた。
…ダンツシアトル?
暗く閉じこもっていた美久も、その名前を聞いて顔を上げた。
最後に見た時よりだいぶ大人になっていたが、その黒髪のウマ娘は間違いなくダンツシアトルだった。
どうして彼女がここに?
美久も驚きを隠せなかった。
前述のように、シアトルはかつて重度の骨折と〈クッケン炎〉を乗り越えてG1制覇を果たしたウマ娘。
かつて彼女と療養を共にしたウマ娘は現在ほぼ残ってないが、彼女の不屈の経歴は今なお療養ウマ娘達の間で語り継がれていた。
その伝説的なウマ娘が突然この療養施設に現れたのだから、皆が驚くのも無理はなかった。
「あれ、美久さんじゃないですか。」
療養ウマ娘達と会話を繰り広げていたシアトルは美久の姿に気づき、彼女の側に来た。
「お久しぶりです。」
「久しぶり、シアトル。」
「宝塚以来ですね。お元気でしたか?」
「うん、まあ…。」
美久は戸惑いながら挨拶を返した。
随分暗いな…
美久の表情にシアトルは気になったが、深く詮索しようとはしなかった。
「シアトル、どうしてあなたがここに?」
「椎菜先生から来ないかと誘われましてね。私も3年以上ご無沙汰してましたら、久々に挨拶に行こうかと思って。」
「はあ…」
恐らくそういう理由ではないなと美久は察した。
それにしても…
「あなた、随分と性格変わったわね。」
「あら、そうですか?」
「現役時代のあなたは、もっとシーンとしてた記憶があるけど。」
「アハハ、そうですね。」
シアトルは笑った。
「現役時代は随分と不器用でしたからね。年季重ねていくうちに大人になったというべきでしょうか。」
「そう…」
美久の脳裏に蘇っていたのは、3年前の宝塚記念の記憶。
ライスの悲劇によってどよめきと悲嘆で満たされた場内の中、全く笑顔を浮かべずに表彰式に臨んでいたシアトルの姿だった。
「じゃ、またね。」
何を思ったのか、美久は軽く会釈するとシアトルと別れ、食堂を出ていった。
「…?」
足早に去っていった美久の姿にシアトルは妙な表情を浮かべていたが、やがて表情を戻すと周囲にいる療養ウマ娘達に尋ねた。
「あのさ、ホッカイルソーさんの病室がどこか知って子はいるかな?」
「あ、はい。」
場にいた〈クッケン炎〉患者のウマ娘が手を挙げた。
「彼女と会いたいんだけど、場所教えてくれる?」
「私、案内します。」
「そ、ありがと。」
そのウマ娘に案内され、シアトルは食堂を出ていった。
「君、何年生?」
廊下を歩きながら、シアトルは案内してくれるウマ娘に話しかけた。
「2年生です。」
「へー、ここで療養生活始めてどのくらい?」
「半年ほど経ちました。」
「半年か。」
シアトルは、松葉杖をついているウマ娘の脚の患部と、療養生活に疲弊してきているその表情を見た。
「友達はいる?」
「友達…」
ウマ娘はつと脚を止め、そして再び歩き出しながら答えた。
「…同い年の友達がいましたが、…先日還ってしまいました。」
「そう。」
シアトルは小さく溜息を吐いたが特に動揺は見せず、言葉を続けた。
「じゃ、また友達を見つけるんだよ。」
「え?」
「支え合える仲間を見つけるんだ。まだ諦めていないでしょ?」
「…はい。」
「この〈死神〉に打ち克つ為には、一人じゃ無理だ。必死に支えあって、幾多の瀬戸際を共に乗り越えられる…そんな仲間を見つけることが重要だ。そうすれば、復帰への可能性は拡がる。自分が折れさえしなければね。」
かつて〈死神〉から生還したシアトルは、〈死神〉と闘い続けている後輩の背を優しく撫でつつ言った。
やがて、シアトルはルソーの病室の前に着いた。
「ここです。」
「ありがと。」
後輩が去ってから、シアトルは扉をノックした。
コンコン。
「…どうぞ。」
「失礼するわ。」
室内の返答を受けて、シアトルは扉を開いた。
室内には、二つあるそれぞれのベッド上にウマ娘が横になっていた。
「…?」
入室したシアトルを見て、片方の後輩と思えるウマ娘は誰だか分からないのか、怪訝な表情を浮かべていた。
最もシアトルはそのウマ娘の容姿と活躍は知っていたので、彼女がステイゴールドだとすぐに分かった。
ということは。
もう片方のベッドにいるウマ娘に、シアトルは声をかけた。
「君が、ホッカイルソーか。」
「ええ…あなたはもしかして、ダンツシアトル先輩ですか?」
ルソーは頷きながら、驚いた表情でシアトルを見ていた。
シアトルとルソーは過去に面識はない。
レースで闘ったことはなく、療養生活もルソーが〈死神〉に罹る前にシアトルは引退したからだ。
ただ、ルソーは3年前の宝塚記念を見ており、またかつて闘病を共にしたオフサイドから彼女のことを聞いていたので、ある程度シアトルについては知っていた。
「どうして、こちらに?」
面識はないが〈死神〉から生還した先駆者としてシアトルを知っているルソーは、突然現れた彼女に驚きを隠せずに尋ねた。
ハハ、皆同じこと聞くねえ…
シアトルは苦笑した。
「椎菜先生から、君達のことを聞いてね。」
「え?」
「はっきり言おう。」
シアトルは、表情に力強い笑顔を見せて言った。
「〈死神〉と闘う仲間達を、助けにきた。」