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一方。
ライスの宿泊室には、ライスの他にケンザンの姿があった。
ブルボンは現在、特別病室の方へ行っていた。
ライスとケンザンは、かつて現役時代に何度かG1で闘ったが、それ以外は特に縁はなく親しい仲ではない。
ケンザンが今ライスと共にいるのは、例のスズカ&スペの件で相談しているからだ。
ライスは、ケンザンに現状のことを伝えていた。
「今、沖埜トレーナーとスペシャルウィークが、オフサイドとの事をスズカに打ち明けに?」
「はい。お二人がそうすると決断しました。」
「ということは、岡田トレーナーは沖埜トレーナーらのオフサイドへの謝罪を断ったのか。」
「詳細は分かりませんが、どうやらそのようです。」
先程、スペの件で岡田に電話をした沖埜は、オフサイドに改めて謝罪したいという旨を彼に伝えた。
それに対し岡田は、謝罪は受け入れたものの、オフサイドへのそれは今は控えるよう要求していた。
沖埜はそれに従い、オフサイドへの直接の謝罪は断念した。
その後、沖埜はスペと相談した末、スズカに先日の件を打ち明けることを決め、現在二人で特別病室に向かっていた。
もう今頃は、それを打ち明けているだろうとライスは推測していた。
「大丈夫なのか。」
現状を聞き、ケンザンはかなり険しい表情で腕を組んだ。
「今は、沖埜トレーナーの判断を信じるよりありません。」
ライスも、両眼が険しい蒼芒を帯びていた。
この件に関してはスズカに話すべきでないと思っていたライスだが、スズカの直の関係者である沖埜の判断に異は唱えられなかった。
「間違いなく、スズカの心身の状態は更に悪化するぞ。」
「それは沖埜トレーナーも覚悟しているでしょう。そのリスクを考えても尚、この決断をとられた。是か非か問うのはやめましょう。相当な葛藤はあったでしょうし、何しろ時間がないのですから。」
「そうだな。」
一つ間をおいた後、ライスはケンザンに尋ねた。
「ケンザンさんは、今後どうするつもりですか?」
「私は、有馬記念までこの療養施設に残ってルソーやゴールドの看護を続けるつもりだ。特にゴールドのな。」
現状1番深い傷を負っている後輩を思い遣りつつケンザンは答え、更に続けた。
「オフサイドの方は、今は岡田トレーナーに任せることにしてる。あと、かつてのチーム仲間にも呼びかけて、何とかオフサイドの決意を翻意させられるよう協力を頼んだ。」
「かつての仲間…」
「オフサイドと特に関わりがあった仲間をな。」
「…。」
具体的な名は聞かなかったが、椎菜と同じくライスもそれが誰だか大体想像はついた。
「とはいえ、事の好転が相当困難だということは認識してる。正直、藁にも縋るような思いだ。」
ケンザンの表情は険しいままだった。
「感謝します。」
憂いが拭えないケンザンに、ライスはそう言った。
「何?」
「この状況下で手を尽くして下さっていることに、感謝します。」
「感謝の必要はない。」
ケンザンは憂げな表情を変えずに返答し、そして尋ね返した。
「ライスは、今後どうするつもりだ?」
「私はスズカを守る為に動きます。彼女の立場や心境を理解できるウマ娘はこの私以外いませんから。」
「そうか。」
ライスの返答に、ケンザンはその意味をすぐに理解した。
3年前の宝塚記念では、ケンザンも出走しており、あの悲劇の現場にいた。
「この後、機会を見計らってスズカに会いにいきます。」
「スズカを頼んだ。」
「はい。」
ケンザンの祈るような言葉に、ライスは蒼芒をゆらめかせて頷いた。
そこまで話し合った時。
コンコン。
扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ。」
「…ライス。」
入ってきたのは美久だった。
「…どうしたの?」
ライスは美久の姿を見て悲しげな表情を一瞬浮かべたが、美久の表情がただならない様子なのを感じると直ぐにそれを消して尋ねた。
「思いがけないウマ娘が来てるわ。」
「?…誰?」
「ダンツシアトルよ。」
「えっ…」
想像だにしてなかった名にライスは驚き、明らかに動揺した様子で聞き返した。
「ダンツシアトルさんが?…本当に?」
「うん。椎菜医師に頼まれて、来たみたいだわ。」
「…。」
ライスの表情は蒼くなり、冷たい汗が頬を伝っていた。
左脚の痛みが更に激しくなった気がした。
*****
一方。
ルソーの病室へ行ったシアトルは、彼女と挨拶を交わした程度で長居はせず、病室を後にした。
そのまま、すっかり暗くなった外へと出た。
…寒いな。
療養時代もそうだったが、冬の療養施設の高原は寒さが肌身に沁みるなと、シアトルは遊歩道を歩きつつ思った。
やがて遊歩道の途中にあるベンチに着くとそこに座り、自販機で買った缶コーヒーを飲んでホッと一息吐いた。
懐かしいな。
療養時代、このベンチで病症仲間達とよく相談事をした。
最も、当時の仲間の多くは〈死神〉に敗れて引退か退学、帰還した者が多い。
生き残った者の方が少なかった。
ナリタタイシン、ネーハイシーザー、マイシンザン…元気かな、皆。
かつての病症仲間の面影が脳裏に蘇り、闘病時代の記憶が思い起こされた。
あの頃も〈死神〉の猛威が吹き荒れていて、私達は折れかかる心を支えあいながら闘い続けてたな。
本当に命懸けの日々だった。
でも、今〈死神〉と闘っている後輩達は、当時の私達以上の苦境にあるな。
シアトルはコーヒーを飲みながら思った。
〈死神〉がもたらす絶望だけでなく、その〈死神〉に勝った者があんな目にあったんだからと、あの天皇賞・秋後の騒動を思い返しつつ。
私もそうだった。
かつて当事者としてオフサイドと同じような立場になり、その辛さを身をもって知っている彼女は溜息を吐いた。
いや、状況は自分の時より深刻だなと思い直した。
私は、勝者の尊厳までは侵食されなかったから。
それに。
シアトルは飲み切った缶コーヒーを捨てると、腕を組んだ。
どうも、病症仲間達に蔓延している絶望には、思った以上に深刻な背景がある気がする。
特に、ホッカイルソーと椎菜に。
オフサイドトラップ関連だろうなと、シアトルは薄々察知していた。
怖いけど、内情を知らないとな。
シアトルは背伸びしながら立ち上がった。
だって私は…
「仲間達を助けに来たんだから。」
そう呟いた時。
突然、大きな物音が、真上の方から聞こえた。
「…?」
シアトルは眉を潜めて、その方向を見上げた。
音がしたのは、前にある施設のかなり上…屋上か、或いは最上階の特別病室のあたりからだった。
特別病室は確か、サイレンススズカがいる病室じゃん…
しばらく不安げに見上げていたシアトルだが、もう不審な物音はしなかったので、ベンチをたつと遊歩道を歩き、施設内へ戻っていった。
*****
再び、ライスの宿泊室。
美久からシアトルが来訪していることを聞いたライスは、動揺を隠せない表情でベッドに座り込んでいた。
美久もケンザンも彼女に話しかけられない状況で、室内には重い空気が立ち込めていた。
そうした中。
『ピリリリリ』
ライスの携帯の音が鳴った。
相手は特別病室前で待機中のブルボンからだった。
「どうしましたか?」
『今すぐ特別病室に来て下さい。事態が動きそうです。』
「…分かりました。」
ライスは了承し、携帯を切るとすぐに杖を手に立ち上がった。
「どうしたの?」
「特別病室に行くの。何かあったようだわ。」
「えっ…」
「私も行く。」
ライスの言葉を聞き、ケンザンもすぐに立ち上がった。
三人は部屋を出て、急いで最上階へ通じるエレベーター前と向かった。
と、そのエレベーター前の廊下で。
「あ…」
「…!」
今しがた外から戻ってきたシアトルと、ライスは鉢合わせした。
「ダンツシアトルさん…」
「ライスシャワー先輩。」
お互い眼があった瞬間、双方の脳裏にはあの宝塚の記憶の断片が蘇った。
『ライスシャワー故障発生!ライスシャワー無残!何という悪夢!』
『勝ったのはダンツシアトルだが…第3コーナーの下りで大アクシデント…』
『私…とても喜べません…』
『まさか、最後のレースになるなんて…』
「…。」
ライスは眼を瞑って首を振り、脳裏の記憶を打ち消した。
「…失礼します。」
眼を合わせずにそうシアトルに言うと、傍らを通り抜けてエレベーターへと乗り込んだ。
「…。」
「…また。」
美久とケンザンもシアトルを気にしつつ、ライスに続いてエレベーターに乗り込んだ。
…。
エレベーターが閉まりそれが最上階と向かっていくのを、シアトルはしばらく立ち竦んだまま見つめていた。
「…ふう。」
やがて虚空を仰ぎながら大きく深呼吸すると、廊下を再び歩き去っていった。